2010年2月28日日曜日

構造美の感動

素晴らしい彫刻を目の前にしたときの、心の震えをどう表現すればいいのだろうか。
芸術に言葉は最も似合わないものだから、その気持ちを言語化しようとすればするほど、指の隙間からこぼれ落ちてゆく。
私は、彫刻的美は、構造の美と文脈の美の二つに大きく分けられると思っている。構造の美とは、形そのものの美しさの事であり、文脈の美とは、その作品が持つ主題に宿る美しさの事だ。作品の評論文などを見ると、作品を語る際に、文脈の美について言及しているものが多く見受けられる。文脈の美は、その名の如く、言語化しやすい。ストーリーは言葉で語られるからだ。私たちは、その作品について語り合おうとするとき、言語化しやすいものを無意識に選別して当てはめる。そして言葉になると安心して、その言語化されたものが作品から得られる感動の主因だとさえ信じるようになってしまう。

素晴らしい作品を前にしたときの、心の震えを思い返すと、「感動は決して、言語で言い表すことは出来ない」と断言できるように思う。言語はオールマイティではない。人間の全てを言葉で語りつくすことなど出来ない。
言語をあやつる文学における感動でさえ、行間に宿っている。私たち日本人は、俳句や短歌の味わいを思い返せば、それがよく納得できる。

彫刻における感動の主因は、文脈ではなく、構造にあると信じている。ギリシア、ミケランジェロ、ロダン、ムーア・・。彼ら巨匠たちは、全て「構造美の達人」なのだ。
彼らの彫刻に通ずるものを、川の石や木の根元、死んでいる虫や骨、流れる雲にも見つけることが出来る。電子顕微鏡で映し出される体内の微視的構造にさえ、それを見つけることがある。駅の構内をせわしく往来する人々の挙動や”裸を晒している”顔にも、構造と動きの調和の美がある。世界は、彫刻的美にあふれているのだ。
それら彫刻的美から、作家は彫刻美を作り出す。それこそが、芸術のダイナミズムであって、地球上の生物で人類だけが行う、極特殊な行為だと言える。その意味において、芸術作品を作るという行為は何よりも人間くさいのだ。作家の人間性に憧れる人が多いのは、こういうところも関係しているのかもしれない。

目の前にして口ごもるしかないほどの作品を、同じ人間が作り出すということ。それは、奇跡を目の当たりにしているということなのではないだろうか。

2010年2月11日木曜日

ヌード 芸術的人体観の根源

いま、芸術における人体表現の基本は裸と決まっている。それは、現在の芸術の主流である西洋美術の根源がギリシアであることと関係があるのだろう。ギリシア時代は、競技場では全裸で競技や練習をしていたそうで、芸術家は自由にそれを観察していたという。それが、自然な感覚からそうなったのか、何らかの先行する思想や哲学があってのものなのかは知らないのだが、今の感覚ではにわかに信じられないようなエピソードだ。しかし、あれだけの裸体芸術を生み出したのだから、相当綿密に観察と計測が行われていたのは事実だろうし、芸術家たちにとってはうらやましい理想ではある。

人体を正確に描写しようという強い欲求があれば、外見だけの観察ではやがて満足できなくなり、可能ならばその外見が出来る理由をその皮膚の内側に探りたくなるものだ。そして、それが実際に行われたのが16世紀のイタリアであり、美術解剖学の始まりとされる。
一方、人体解剖の古い記録は、パピルスに記されていたエジプトまでさかのぼることが出来る。エジプトと言えばピラミッドとミイラだが、そのミイラもただ死体を乾かすというものではなく、幾つもの手順があったそうで、内蔵や脳も事前に取り除かれていた。そういう技術を持っていたのだから、解剖の知識があったというのも納得がいく。ただ、その知識が造形に反映されていたのかは定かではない。
裸体の芸術が華開いたギリシアのクラッシック期は、フィディアスやポリクレイトスら歴史的彫刻家が活躍し、医学ではヒポクラテスが活躍していた。ヒポクラテスは解剖をしなかったという。しかし、それが当時解剖が全く行われなかったと言う根拠にはならない。16世紀のイタリアで、近代的解剖学の先陣を切ったのは医学者ではなく芸術家のミケランジェロであり、レオナルド・ダ・ヴィンチだったように、ギリシアでも芸術のためにそれが行われていたかもしれない。カノンやコントラポストなど現代まで続く美の基準は、体表の観察のみで生み出されたのだろうか。それから150年ほど後のヘロヒロスは既に綿密な人体解剖をしていたのである。解剖は、単に皮膚を切り裂いて中をのぞくだけでは何も見えては来ず、混沌と混乱が広がるのみだ。そこから意味を見いだすには相当の知識と経験が無ければならないことを考えると、ヘロヒロス以前からそれは行われていた可能性はあるだろう。

ギリシアから古代ローマの後、暗黒期と言われる中世を超えて、16世紀のイタリアでルネサンスが起こった。ここで古代の裸体芸術は再び息を吹き返し、名だたる芸術家によって新しい裸体美が生まれた。しかし、この時代は既にギリシアのように裸は身近ではなくなっていた。その意味では現代に近い。身近でないものを効率よく知るにはどうするのが良いか。知識と情報で補うのである。死体を解剖するという発想の裏には、芸術家のそんな切羽詰まった欲求があったのだろう。

現代の芸術家と裸を取り巻く環境は、大きく見ればこの頃から変わっていない。ただ、現代では裸はもっと遠い存在になっているかもしれない。
先日、友人の彫刻家(彼は日常的にヌードモデルと接していた)と話していて、「他人の裸を丹念に観察するという非日常性」に気付かされた。そう、ほとんどの人は、裸がどういうものか知らないのだ。正確には、裸の人の形を知らない。現代人にとって、他人は常に着衣である。他人にとっての自分もそうだ。裸をさらすという行為は、特殊で閉じられた行為で、もはや、「外世界に対しての体表とは皮膚ではなく、衣服である」とさえ言える。

近代彫刻の父ロダンは、何人もの裸のモデルをアトリエ内で自由にさせて、それをクロッキーしていたという。彼は古代ギリシアの芸術家と同じ環境を自ら作っていたのだ。
裸が遠くなった現代においては、芸術家は美術解剖学で筋肉や骨を知るだけでは足りないだろう。その前に、十分に裸を観察しなければならない。裸を知らぬ美術解剖学の知識は空疎なものだ。

こんな夢想をした。何人ものヌードモデルたちが自由にしている「ヌード・ルーム」もしくは「ヌード・ハウス」が美大内にあって学生や許可を得た作家は自由にそこでデッサンやクロッキーができるのである。ギリシアの芸術家やロダンのように。もしこれが実現したら、日本は世界からその文化レベルを賞賛されるだろう。

2010年2月4日木曜日

元祖あひる口 オルメカ

若い女性の「あひる口」が流行ってしばらく経つ。と言っても、いつ、誰から、どういう経緯で流行りだしたのかは知らない。
あひる口とは、字の如くで、あひるのクチバシを正面から見たような「口角が上がって、上唇がわずかに突出して気持ち上を向いている」ものを指す。
これをかわいいと言うわけだが、それも当然である。なぜなら、この口の形は、乳幼児の唇の形と同じだからだ。私たちは赤ちゃんの事をかわいいと思う。それは、かわいいと思うように脳がなっているとも言い換えられる。本能的に保護したいと思ってしまう。その赤ちゃんは皆、あひる口をしている。これは、母親の乳首に吸い付くのに適した形なのだ。

そもそも、「くちびる」自体が乳を吸うために獲得された構造である。故に唇を持つ動物を「哺乳類」(乳を口にふくむ・乳で育てる類の意)と呼ぶ。乳を吸う必要のない動物たちは唇を持っておらず、皆、口裂けである。私たちは、乳に吸い付くための道具を二次利用して表情の足しにしたり、発声の役にも立てたりしている。ものを食べるにも唇で口を閉じなければ大変である。歯医者で麻酔をした後に水を含んだことがあれば分かるだろう。
このような進化上後付けの構造を証明するように、アゴを上下させる神経と唇を動かす神経は別系統である。

漫画が発展している日本で、大きな需要を抱えている領域が「美少女漫画」だ。そこに描かれる少女は、購買層による「かわいさ」の厳しい淘汰を経て生き残った者たちと言える。その顔を見ると、丸みがある大きな頭部に、巨大な眼、目立たない鼻(正確には鼻翼が張っていない)、小さな口。これらは紛れもなく、幼児のそれだ。
このように、男女を問わず「かわいい」要素を追い求めた結果に幼児性へとたどり着く事は興味深い。

幼児とあひる口。この要素を表現様式として採用していた文化が過去にもあった。日本の裏側メキシコにおいて、今から3000年前の古代文明オルメカである。オルメカは、古代アメリカ大陸における最初の巨大文明とされている。オルメカを初めとするメキシコ古代文明は石像文化であったため、さまざまな遺跡や発掘物が見つかっている。そのオルメカ文化を代表するような石彫表現にジャガー神というものがある。人間とジャガーのハーフであり信仰の対象だったが、それらの幾つかは幼児の姿で表されている。その口を見ると、典型的な乳幼児の口が表現されているのがわかる。あひる口である。開かれた口内にはまだ歯が生える前の歯茎が見えている。様式化しつつも写実的要素を残す印象深い造形のジャガー神は後に続くテオティワカンではより図式化されたトラロック神へと変貌し、後のアステカ文明の神々へも継承され、1521年にメキシコによって滅ぼされるまで生き続けた。

あひる口とそれを含む幼児性への欲求。本能的に引きつけられてしまうその容姿に、古代オルメカの人々は神を割り当てた。そして、現代の私たちはそのかわいらしさを自らの魅力を引き立てる手段として用いている。

ちなみに、南米の彼ら”インディオ”は氷河期の終わりにアジアから渡っていった人々である可能性があり、そうならば私たちと遠くない親戚とも言える。マヤの壁画に描かれる人物表現に時折日本と共通する何かを感じるのは私だけだろうか。

2010年2月3日水曜日

執念の造形 イフェ

イフェとは、かつてアフリカに栄えた王国とその文明の名称である。8世紀から15世紀頃までナイジェリア南西部に栄えたそうである。今ではヨルバと言う。
そのイフェ文化では、王の肖像がブロンズやテラコッタ、石などの素材で作られた。いわゆる「アフリカ美術」である。アフリカ美術と聞くと、プリミティブな表現を想像しがちであるが、イフェの美術を見ると、それは外部の者によって作られた偏見に過ぎないことが分かる。
イフェの特徴は、その写実的な表現にある。非常に冷静に頭部の構造を追って作られている。そして、それは現代のような一個人の作家によるものではなく、様式化されていた。恐らく、工房もしくは学校のようなものがあって、様式を伝承していたのだろう。

世界中のさまざまな文明の中で、多くの美術が生まれたが、様式的に高度な写実的表現が見られることはそれほど多くない。古くは、エジプトのアマルナ美術、ギリシアの古典美術がある。2000年から3000年も遡る話だ。古代ローマを挟んで、ヨーロッパで次ぎに写実表現が高度に実を結ぶのは16世紀のルネサンスまで待たなければならない。
このような、美術史でおなじみの系譜からイフェは外されている。しかし、ルネサンス以前において、彼らは高度な芸術的表現を得ていた。そのことが不思議でならない。イフェの頭部には表情がない。その点ではエジプト美術との遠い関連性があるかもしれないが、全く想像の域を出ない。ある日突然、形を捉える天才的彫刻家が現れてそれが様式として定着したとも思えない。きっと研究もされているのだろうが、私は知らない。

イフェの頭部は様式化されてはいても、生命感を失っていないものが多い。張りのある肌と、的確な構造のとらえ方、自制の効いた表現によってその彫刻的生命を維持している。このような高度な表現が、歴史の一点において西洋的文化もしくは造形観と隔絶していたような場所で生まれたという事実に驚かずにおれないのと同時に、人が持つ「造形感覚」の潜在的能力の可能性をそこに見るような思いがする。

エジプト、ギリシア、イフェ、ルネサンスと各時代を代表する芸術家達は、その時代の文化の後押しを受けながらも、ある種の「執念」を持って造形してきたように思う。文化という全体と個の執念が合わさることで、平時では到達できないような何かを人類は生み出してきたのではないだろうか。