2015年12月29日火曜日

小さな男性トルソ像

 鋳造屋へ行くと、鋳造師が小さなブロンズのトルソ像を持ってくる。以前に私がそういうのが好きだと話していたのを覚えていたので出してきてくれたのだ。高さ12センチほどの小品で御影石の台にとりつけてある。この原作はミケランジェロだと聞いていると鋳造師。確かにその頃の人体描写にも見える。何度も型取りを繰り返してきたであろう、細部はまったく甘くなっている。ただそれだけに大きな構造が強調されて、かえって作品の芯の強さが立ち現れているように思う。凹凸の誇張された表現は、それが黒茶色のブロンズであることからも、ロダンを思い出させる。ロダンの作品だと言われても信じてしまうだろう。実際、ミケランジェロだとすると若干線が細いようにも思う。いずれにせよ、人体構造と造形力、表現力のどれをとっても素晴らしいものですっかり気に入ってしまい、結局、安価で譲って頂いた。鋳造に出している自分の作品よりこちらの方がよほど気に入った。

 鋳造師は面白い小話を教えてくれた。日本の近現代彫刻の有名な作家(物故)もこの作品を持っていて、ほとんどそのまま拡大しただけの作品があるという。あとでネットで調べると確かにほとんど拡大模刻の作品があった。ただ、この小品が持つ躍動感や造形のダイナミズムはすっかり失われていた。もしこれが、何かと「不正コピー」にうるさい現代であったら、同作の発表ははばかられただろう。

 この小作品は背中の表現が特に優れていて、通常正面とされる腹部よりそちらを見せたかったのではないかと思われるほどだ。肩の上部には肩甲骨がその筋肉を率いて、胸郭のうえに更に量塊を形成している。この造形を見たときにある別の作品を思い出していた。それはロダンで、彼の腕から型取った手が小さな女性のトルソを持っているという作品である。その女性トルソは、たしか別の作品の一部だが、軽く背中をまるめて両腕は背中側へ向けている。脚は膝上までが作られている。この作品の背中上部、胸郭と肩甲骨との造形が、今回の男性トルソのそれとよく似ている。また、胸郭と骨盤部とのつなげ方、つまり腰のくびれ表現までもが、両作品で似ているのである。人体というおなじモチーフ、そして彫刻造形への同様の理想を持った作家であれば、偶然似るということもあるだろう。ただ一方で、有名な作品が実はそれより以前に作られた別の作品の影響をつよく受けていたという例も多い。そういう見方で遡っていけば、結局は古代ギリシアという大河へ帰り着いてしまうのだけども、今回の男性トルソ像との類似性については、もっと具体的な一事例についての話である。もしかしたら、ロダンもこの小トルソ像のコピーを所有していて、そこから別の自作を作成したこともあるのではなかろうか。そんな空想が拡がる。
 そんな空想の確実性を高めるためにはこの小トルソ像の由来が重要になってくるわけだが、ネットでそれらしいキーワードで検索しても一向にヒットしない。いくつもの複製が作られているのだから、知られざるヒット作なのだけども。

 コピーかオリジナルかという議論が昨今の我が国では賑やかだが、そもそも、日本の西洋美術は明治初期にほとんど西洋表現の真似から始まっている。彫刻の近代化は、”大ロダン”の作品が高村光太郎や荻原碌山や白樺派によって「輸入」されてからと言えるだろう。その後は何人もの日本人彫刻家によって具象表現が表されてきたが、今見ると、言葉は悪いが「西洋作家の劣化コピー」にしか見えない物もあるのが事実である。ではそれらは否定されるべきものかと言うと、そうではないとも思う。明治から戦後の高度経済成長期まで、西洋の美術動向を我が目で見ることができた日本人がどれだけいただろうか。その時代の芸術家たちは、自分の表現を追求しながらも、彼らの作品を通して世界の美術動向を伝える役割も”結果的に”していたのだと思う。それは、あたかも西洋美術を「日本人向けに翻訳して」表現しているようなものだった。こういった流れは、なにも美術に限らず音楽や文学などどこでも見られることだろう。

 「オリジナルか否か」という問いそのものが、表現領域においてはナンセンスなものとして響くことがある。そんなことまでも改めて考えるきっかけにもなった、この小さなトルソ像。どこからやってきたのか今は分からないけれども、いつか知るときが来るだろうとも思う。

2015年12月6日日曜日

鋳造するということ

 1点の小作を鋳造に出している。蝋型鋳造である。蝋型はロスト・ワックスもしくは脱蝋とも言われるが、原型を一度蝋つまりワックスに置き換えて、型に埋め込み、そのワックスを熱で溶かして出来た隙間にブロンズを流し込む技法である。主にヨーロッパ、近世以降ではイタリアが有名ではないだろうか。ロダンのブロンズ彫刻もこの脱蝋である。
 私の作品は油土の原型を持ち込んで、型起こしからお願いした。型取りは好きなのだが、センスがないのか、余りうまく行かない。その上、最近は時間もないので、専門家に任せた。そして、先日はそこからできた蝋型の修正に鋳造所へ行った。油土だった作品が黒いワックスの像に置き換わっていた。複雑な部位は切断して別に型取りし、それを接着してある。型も見せて貰ったが、私が作るのと同じ方法だった。

 型取りというのは、物作りにおいての中間段階に位置しているので、完成品を目にする日常生活ではそれを意識することがない。しかし、現代においては身の回りには無数の型取り製品が溢れている。型取りという技法がなければ現代社会は全く成り立たないほどだ。その最たるものは樹脂製品だ。プラスチックの製品はほぼ全てが型取りによって成形されている。型に流し込んで成形するのは小さな物だけではない。いわゆる鉄筋コンクリートの建築物は型のなかにコンクリートを流し込んで作る。プラスチックもセメントもこれだけ大量に利用されるようになったのは前世紀からで、型と現代文明の発展は切っても切り離せない関係にありそうだ。
 工業製品の型と違い、いわゆる美術鋳造はいまでも一点一点が手作業で、鋳造家の経験に頼っている部分が多い。つまり、ほとんど数千年前と同じ行程がそこでは行われている。ただ、型取りにおいては、シリコーン樹脂がひろく使われるようになっている。シリコーンは固まるとゴムのようになるが、引っ張り強度が強いなど物性に優れている。シリコーンのお陰で型取りの際に引っ掛かりによる型や原型の破損を恐れなくても良くなった。たとえばロダンの石膏原型などを見ると石膏割型の継ぎ目の線が多くある。これはシリコーンのような弾性型がないので全てを硬い石膏型で作らなければならないので、必然的に型を細かく分割しなければならなかったからだ。ただ、その分割線もロダンは積極的に作品性に応用している。現代ではテラコッタの押し込みなどでは割型にせざるを得ないのだろうけど、いわゆる流し込みや塗り込みといった成型法ではシリコーン型が主流だろう。ちなみに、半世紀ほど前の技法書では弾性型の一例として寒天が出てくる。また現在でも海草由来のアルギン酸が例えば歯科で使われている。

 そうして、油土からワックスへ置き換わった作品に微調整をして、続く鋳造作業はふたたび鋳造家へ託される。このような、造形家と鋳造家の関係は美術の歴史でも長く続いていた。いわゆるブロンズ作家では、作家自身が鋳造家を兼ねる場合も少なからずあるが、そうでなければ鋳造家に頼むしかないのであって、そこには両者の連携が重要なものとなる。例えば、ロダンやムーアなどブロンズの大家になると鋳造所も常に同じ工房に発注されていたようだ。造形の過程、それも完成に至る段階で作家から他者へと作業が移行するというのは、芸術は作家ひとりで終始すると考えられがちな事実と違う部分である。
 原型からワックスを経てブロンズに変換される過程では様々な制限が存在する。例えば作品表面にはワックスになったときに爪の後が付くかもしれないし、型の冷却過程で歪みが生じるかもしれない。他にもブロンズを流し込むための湯道が付く部位は表面造形が失われるなど、どんなに注意したとしても原型とそっくりそのまま同じ物がブロンズに化けるわけではないのだ。とは言え、それが完成作の質を落とすことを意味してはいない。私たちは作品が”ブロンズになる”という点に大きな魅力の存在を感じている。鋳造過程のさまざまな制限はすべて”ブロンズ化”と相殺されるのである。それこそが、作品が作家の手を離れて完成へと向かう醍醐味なのだ。

 作家は鋳造家を”火で金属を操り、形を作る師”として尊敬している。作品は作家ではなく鋳造家の手を通して完成させられるのだ。

2015年12月5日土曜日

知の利用

 哲学書を開くと何らかの共感を得る。そこには、自分がふと思ったり、考え込んだりしたことが整理した形で現れていたりする。さらに、自分では降りることができなかった深みやより広い視点が同時に示されている。つまり、自発的に気付いたものの、ハッキリとはそれを認識できなかった事柄について、予め考えていてくれていたりするわけだ。そういうものに出会うと、人間誰でも考えることは大方同じなのだと再認識する。二千年以上前の異国の人物が現代人と同じような事に思考を巡らせていた事実から、どう考えるだろうか。主に先進国と呼ばれる国に住む人間のあり方は二千年で大きく違っている。その違いを生んでいる最たる理由は科学技術ではないだろうか。逆に言えば、科学技術とそれに立脚した技術的なものを除けば、実は文化的な面でも生活的な面でもそれほど変化はしていないようにも思える。それどころか、私たち自身の身体はたった二千年では、それこそ全く変化などしていない。よく、戦後で日本人の身長が高くなったとか、顎が小さくなったとか言われるけれども、それらは環境の変化に対応した振れ幅に過ぎなくて、言わば発現形の”あそび”の中での違いが見えているだけとも言えるだろう。私たちは、形在る存在である。意識や思考が生み出されるのもこの形からで、形が同じならばそこから出てくる意識思考も大方同じにならざるを得ない。そう考えると、二千年前の異国人と似た考えが浮かぶのもそう不思議なことではない。ただし、私たちの思考も、私たちを取り巻く環境から完全に自由ではあり得ないので、そこに歴史的哲学と現代の私たちの認識との間に違いが紛れ込む。各時代の読者たちは、その部分を自分の生きる「今」と照らし合わせて解釈してきた。その行為は今も、これからも続いていくのだろう。

 さて、上記までは、自分で気付いた人がその確認またはより昇華させるための手順として既存哲学を使用する場合だが、哲学との出会いが全てそうであるはずもない。むしろ、哲学の多くは、自分では未だ気付いていない、考えてもいない、そういう方向を指し示す。良くできた哲学はみな高度に論理的に組み上げられている。私たち読者は、それを辿っていけば著者の言わんとする頂上へとたどり着けるようになっている。そうすると、自分では気付いていなかったことが、あたかも、自分で気付いたかのように錯覚するのである。では、自分で気付いていないのに、他者から与えられた思考体系を得ることを否定できるだろうか。これを一概に否定することは勿論できない。他者の経験を共有することは私たち人類が成功している大きな要因のひとつであろう。もしそれができなかったなら、それは多くの人間以外の動物と変わりがない。この場合の問題は、哲学書にその著者の思考体系の「全てが記録されているのではない」という事実にある。文章や言語は確かに私たちの思考という形無きものを実体に刻みつけ、他者に伝導させるちからを持つが、それは未だに完全ではない。言語が伝えているのは、美術で言えば抽象に過ぎない。だから、私たちは哲学書の内容を、まずは理解しようと肯定的に取りかかる必要があるものの、それを鵜呑みにしているのではいけないのだろう。鵜呑みで満足しているということは、自分で思考していないことを意味する。自分で思考していないというのは、哲学書を利用していることにもならない。それは言わば、赤信号なら止まる、青信号なら進む、と機械的な反応をしているに過ぎないのである。蓄積された哲学を私たちはどう利用するべきか。それらが真に意味を成すのは、それらを利用し、その先へ進もうと指向するときではないだろうか。そこに求められるのは常に能動的な態度である。私たちは常に自ら思考し、そのあやふやな歩みを過去の哲学によって舗装することで、ここから先を目指さなければならない。その時こそ、哲学は人類に有用な「知の道具」となる。
 このことは、何も特別なことではない。過去を知り、それを批判し、再確認していくことで、停滞した蓄積ではなく発展を生み出しているのが科学技術である。これが知に応用できないはずがない。なぜその方法論が文化にはなじまないと決めつけてしまうのだろうか。勿論、構造の違う両者を同列には語れないだろうが、それでも、応用できる方法論は見つけられるのではないだろうか。

 私の関心事の最たるものである芸術の現在も、個人主義が浸透した結果、発展が滞っているように映る。私たち人類は、”人類レベルでの発展”の経験を僅かながらでも知っているはずなのだから、それを応用してみようと試みても良いのではないだろうか。
 ひとりひとりが、芸術の山を登るのに、それぞれの登山道を踏み固めて作ろうと試みている。それも悪くないが、道がないわけでもないのだ。既存の登山道を利用して、上がれるところまで上がってみても良いだろう。そういう道があることを知っている者は知らない者に示すこと、その有効性を示すことが、結果的に全体の底上げに繋がるのだと思う。