2016年12月14日水曜日

科博『ラスコー展』感想

 科博で開催している『ラスコー展』。平日午後に行くと空いていた。展示内容は、有名な壁画をただ羅列して見せるというものではなく、発見の経緯や調査技術と関わった人物なども展示することで、子供が見つけた古い壁画が人類の遺産となる経緯も示されている。洞窟の内側はレーザースキャンされ、縮小模型として出力された。それらの展示は、洞窟の壁を1枚の層として、その外側がまず目に入る。細長い様はいびつなヤマイモか何かのようだ。鑑賞者はその両側に開いた穴から、巨人のように洞窟内をのぞき込む。ラスコー洞窟の壁画という言葉の響きや、褐色で描かれた動物の姿は日本人にも有名だが、その洞窟そのものがどういった形の空間なのかはあまり意識されない。洞窟の縮小模型はそれを意識させるために置かれたのだろう。その次に、本展示のメインである、壁画の実物大再現エリアが始まる。主要な壁画の壁そのものが立体的に再現されている。そのユニットが幾つか連続的に続き、さながら洞窟内のようでもある。数分眺めていると部屋が暗転しブラックライトが点灯すると、壁面を引っ掻いて描かれている線描が緑色に光って浮かび上がる。これは素晴らしいアイデアだし、実際、色彩部にそのような線描が刻まれていることなど知らなかった。壁画を含む壁面の再現度は高い。もちろん実際を知らないのでその限りではあるが、一見、本物のように見える。とは言え、洞窟全体がトンネルのように再現されているわけではないし、そこに描かれている動物画も絵画そのものとしての強さが”売り”というのでもないから、そこはかとない白々しさを感じてしまう。それは、皮肉なことに壁面レプリカの再現度が高いゆえなのだ。ラスコーのリアリティは、その現場に立たなければ感じることはできないだろう。

 壁面レプリカのコーナーを越えると、息抜き的な展示が少し続いて、別の部屋へ移ると、次のハイライトがあった。古代人の石器と共にさまざまな芸術的加工品である。私は壁画レプリカよりずっとこちらに目を奪われた。なぜならそのほとんどが実物なのだ。残念なことに日本の博物館展示はとにかくレプリカのオンパレードが当然なので、私はいつも「どうせレプリカだろう」と思いながら冷めて鑑賞する癖が付いている。そんなつもりでアクリルケースを覗くと古代美術の書籍で有名な「体をなめるバイソン」が置かれている。しかし、刻まれた描線の影にキャスト特有の”ぬるさ”がない。キャプションにもレプリカの文字がない!何と、実物が来日していた。半レリーフ状の小品だが、輪郭はバイソンの形に切り出されている。前側から見ると厚みはないものの縁は丸く削られ、裏側も動物の胴体の丸みへの造形配慮が成されていた。隣りのアクリルケースには、殿部突出型ヴィーナスの実物まである!殿部突出型ヴィーナスと言えば「ヴィレンドルフ・ヴィーナス」が有名だが、実際は数多くの同系像が発見されている。これもその1つで、サイズは切手ほどしかない。きれいな半透明の茶色い石を加工してある。透過する素材と像のサイズは考慮された可能性を感じる。それにしてもこの小ささが愛らしく、護符として身につけていたのかも知れないなど想像が拡がる。他にも、トナカイなどの線描が刻まれた石版や骨などの実物が数多く展示されており、素晴らしい。
 その中に、不思議な人物の横顔があった。右を向いた頭部は、鼻と口つまり吻部が突出している。頸は頭部の真下に落ちている。小さな耳が頭部側面に描かれている。頬には縦線が幾筋も彫られている。目頭から鼻へかけて線が引かれている。つまり、この頭部は半獣半人なのだ。どういう訳かキャプションにはその事には全く触れていないが、ほぼ間違いない。もう一つ別に、同様のモチーフが刻まれている物がある。バイソンの細長い骨(棘突起か)に人物が縦に2人。両端は欠損しているがどうやら同じ人物画を繰り返しているようだ。その頭部は鼻面が長く、縦の縞模様が刻まれる。首輪と腕輪をしている。横から描かれた胴体は腹背に広く四足動物の様でありながら腰椎の前弯も表されている。腕は上腕が短く前腕が長く、これもネコ科など四足動物を彷彿とさせるけれども人のように分かれた指を持つ。脚も脚部が短く踵から先が長そう。「長そう」と憶測なのは、足の途中で骨が終わっているため描かれていないからだ。足首には足輪が描かれている。脇の下には垂れて伸びたような乳房がある。背中にはたてがみのような描線がある。このように、全身に渡って半獣半人の特徴が描かれている。それも顎の出たネコ科の風貌はライオンであろう。ライオンと人間女性の特徴を併せ持った何かが崇拝対象だったのか。図録にはもう一つ『ヒトの頭蓋骨の彫像』と名付けられた骨製小品が載っている。これは会場には無かった。キャプションには頭蓋骨とされているが、両耳が作られているので頭蓋骨ではない。両目は窪みになっているので眼窩に見えるが、思うにここには別素材の目が入れられていたのではないか。そして、鼻と口の部分は人間の様には造形されておらず両目の間からハの字型に下へ拡がって吻部を形成している。つまり、この頭部もまた半獣半人である。

 他にも多数、数万年前の人々が作り出した古代芸術の実物が展示されている。カタログを見るとこれらのほとんど全てが東京会場のみの限定展示である。他の会場ではこれらはレプリカ展示となってしまう。何という不平等!ともあれ、非常に貴重な機会なので、むしろこれらを見るために同展(東京会場)へ足を運ぶことをお勧めしたい。

 同展の売り文句のひとつが「芸術はいつ始まったか」である。当然ながらこれら洞窟壁画の古さがそう言わせるわけだが、この言葉は見る人たちを誘導してしまう危険性がある。つまり、これら壁画や小品たちが「人類の芸術活動の最初期のもの」であるという錯覚を抱かせるのである。この思い込みは、「初期のものだから稚拙である」という見方にも繋がる。例えば、「ラスコーは素晴らしい!」という発言の裏には「現代人より劣っている割りには」という但し書きが隠れているだろう。展示会場には、クロマニョン人の復元模型が置かれている。それを見ると、彼らが現代人と全く同じ外形をしていたことが分かる。ショーウィンドウのマネキンに毛皮の衣装を着せただけに見えるのだ。それほどに3万年前の人間は既に我々と同じであって、同じ構造をしているのであればその機能もまた同様であるに決まっている。同じ彼らが生み出した芸術がもし稚拙に見えるのであれば、それは現代の私たちもまた稚拙であるということであるし、彼らの芸術が原始的であるというなら現代の芸術も原始的であると言わざるを得ないだろう。しかし、こんな逆説的な言い方をする必要はもちろんなく、つまり、ラスコーや古代芸術は「既に古くなく、稚拙でもない」のである。別の言い方をすれば、既に芸術行為としての完成を済ませているのである。ラスコーや古代芸術が私を驚かせるのは正にこれで、3万年前に既に今と同じ創作行為とそのための思想が完成していた、という事実である。だから、これらは決して芸術の起源を示す遺産ではない。

 それにしても、2万年前の人物が、真っ暗闇の洞窟内へランプの灯火だけを頼りに侵入して、あれだけの大きさの壁画を描き続けた事実には畏敬の念を抱く。これらの壁画が始めて描かれてから、描かれなくなるまでの期間がどれほどだったのかは分からないが、もしかすると、数万年は開いているかも知れない。引っ掻き傷の線描と色彩描写は違う時代背景を彷彿とさせる。壁画と呼ばれるが、いくつかはほとんど天井画である。それも手を伸ばして描ききれるサイズではない。はしごを動かしながら描いたことだろう。助手もいたのかも知れない。そうやって想像を巡らせることは楽しい。彼らが洞窟から出ても、そこには道路も自動車もなく、食べる物もパンさえまだ発明されていないのだ。この時代、牛は私たちが思う牛ではなかった。ライオンは”大型のネコ科動物”ではなかった。線や色は光学現象ではなく、女性は性別ではなかったのである。そういった、同じであっても全く違う世界に生きた人々の感性の記録がこれら古代芸術には封入されている。

2016年12月10日土曜日

「今」を紡いで作られる物語

 どんな人生だったとしても、死によって終わる。それは究極的な平等のようにも感じられる。そして、死は生とは異なる現象にも見える。もちろん人生で出会う他者の死(家族や身近な者の死も含めて)は特別な意味を持つが、ここでは主観的、つまり一人称の死について記述する。死は全てを奪うと言われる。ここで奪われる全てとは、記憶のことだ。私たちが今ここに居ると実感するのは、その瞬間までの記憶に基づいている。その記憶に基づいた上に現在を実感するが、その現在の認識もまた直前の事象の記憶に他ならない。そうして継続された記憶と直前の記憶を足がかりにしてこれから起こるであろう未来を想像する。生の実感とはこの内的な物語に由来する感情のことだ。この実感は強力で、そのお陰で私達は自分が疑いなく生きて存在しているのだと信じ切れる。この記憶に基づく生の実感が死によって失われる。記憶は情報に過ぎないのだから実体はない。未来も過去も私たちの主観世界に作られた虚像という意味で同列である。過ぎた事から未来までを同様に感じられるのはこのような性質の同一性によるのだろう。現象として起こっているのは、瞬間瞬間の「今」だけであり、それを紡ぎ合わせて作り上げた記憶の物語が、自分が今ここに存在する実感を生み出している。強調すべきことは、瞬間瞬間の「今」には、何らの継続性や物語性が存在していない事だ。たとえば、朝に顔を合わせた家族が夜に帰宅して再び会うことは当然に思われるが、それは目の前のコップから目を反らせて再び見たときに相変わらずそこにあることの当然性と本質的には同列で、「さっき存在したのだから、いまも存在する」という物語は我々が作り出している。目の前のコップの存在継続性を納得させるものとして物理学などを持ち出すこともできるだろうが、それを知らずともコップが存在し続けることは記憶という主観が担保してくれるのである。ところで、朝に顔を合わせた家族は目を一瞬そらせたコップより不確実性がはるかに高い。つまり、朝に顔を合わせた家族とその晩に再び顔を合わせるとは限らず、何らかの理由で再び会うことがなくなるかもしれない。そうなった時、見慣れた室内はそれまでとは違って見えるようになるだろう。だが、物理的な世界そのものは変わってはいない。世界を感じ取る我々が変わったのである。この様に、生の実感をもたらす主観的な世界は決して不変ではない。物語は世界には無く、それは私たちの中にあるのだから。一人称の死はその物語の消失を意味する。すなわち、死は全てを奪うと言うよりむしろ人生の「語り部」の消失を意味する。奇妙に聞こえるが、物質的な側面から言うなら私たちは死後の世界にそもそも存在しているのだとさえ言い換えられよう。生は、瞬間瞬間の「今」しかない死の世界の事象を紡いで作り上げられる形なき、そしてかけがえのない一度きりの物語なのだ。

モチーフとモデルの所在(12月2日・造形大・ラフ)

 美術のモデル。造形において作家が参考とする物。その物自体ではなく代わりとして置かれた物、言わばそっくりさんである。美術で用いられるモデル(それがリンゴや椅子であってもヌードであっても)は、形の参考として見られる。画家はそこに置かれたモデルその物を描くことが目的ではない。描きたい”主人公”は画家自身の内にあって、モデルはそれを誠実に引き出すための参考物である。言わば主人公の代替物ということになる。美大の授業で用いられるヌードモデルもこの類である(注1)。
 写真にもモデルがある。写真のモデルは被写体のことで、対象は何でもなり得る。写真は光学的対象を「切り取る」行為であって、彫刻や絵画のように何も無いところから造形する行為と異なる。それでは撮影行為は、彫刻絵画と違うのだろうか。まず、写真家の中にある対象の印象「らしさ」を、実物「モデル」から感受しようという行為の発端は同じである。ファインダーを覗けばそこに光学的に正しい対象が映し出されているという点が異なるが、シャッターを押せば「らしさ」が捉えられる訳ではなく、陰影や構図など様々な構成要素をコントロールすることで「らしさ」に近づけていくという点では、彫刻や絵画と同様である。

 反対に作品から作家がどのようなモデルとして対象を見たのかを推測できる。人体表現に絞って見ると、発見されている人類最古の彫刻の1つであるヴィレンドルフ・ヴィーナスの姿勢や変形には作家の強い意志が感じ取れる。よく似た姿勢と変形の女性小像が複数発見されていることから、この像の特徴的なスタイルはたったひとりの古代の芸術家のセンスというより、確立された様式美である。3万年以上前に女神のような理想の存在があり、そのモデルとして女性が見られていた事が想像できる。古代ギリシアでも、神の理想形態のモデルとして人体は見られた。中世ヨーロッパでは、人体は単純化され言語や記号のように扱われていた。人体がモデルとして再び重要視されるイタリアルネサンスでは、人体解剖学が発展し芸術の人体表現に応用された。フィレンツェ派の掴めるような実在感は体表のみならずその内側の構造まで明確に認識しているという自信の表れでもある。解剖学が人体を統一する新しい根拠となり、関節をまたいだ骨の両者を腱で繋ぐことで彼らが理想としていた古典的人体像が持たなかった有機的調和を手に入れた。長い間モデルとしての人体は形態的な基盤として揺るぎのない地位にあったが、これが近代では変化する。恐らくは写真機の普及によって個人的感覚だった視覚経験の他者との共感が可能となり、また私たちは写真のように視覚するという感覚が根付いた。それを批判するように間もなく印象派が起こる。これが表現を人体形状から解き放つ契機となったのである。ロダンの作る人体像は表面が激しく波打ち、その作品たちは古典的な彫刻と違って、特定の個人のように見える。ひとつひとつは、ギリシア的なプロポーションや解剖学的なマニエラの呪縛から逃れて自由である。ロダンは「モデルを見なければ作れない」と言ったが、彼にとってのモデルとは代替物ではあっても、もはや形態的基盤ではなく彼が”感受するための”対象であった。

 人体は変わらなくても見方が変わると表現が変わる。視覚は写真とは違う。眼に入った光学刺激は網膜の段階で情報処理が始まり、それが脳へ届いてから諸要素に分解された後に様々な付加情報と共に再合成されたものが視知覚として意識に上る。つまり視覚は「見える世界を作る」能動的行為であって、視覚は写真の様に世界を捉えてはいない(注2)。印象派の芸術家だけではなく、実はこの事実を私たちは経験上よく知っている。それは、小さな頃に描いた家族の顔。紙いっぱいの顔面に目と口や輪郭全体に髪の毛といったものだ。あの奇妙に誇張された顔が、あの頃そう視覚していたことを示しているのである。必要な視覚情報だけが強調され、それらが私たちの行動のきっかけとなっている。行動のきっかけとなる特定の外部情報を行動生物学でシグナルと言うが、視覚は光学的シグナルを受容する器官だと言える。乳児は始め実際の母親をシグナルとして反応するが、やがて思い起こした内なる母親像に対しての反応もするようになる。この時の母親像をシンボルと言う。また「母親」という単語を目にした時、私たちは自分の母親を思い起こす。この時、母親という単語をサインと言う。私たちは様々なシグナルをシンボル化して扱う事に秀でている。例えば、「汲み取る」という行為がシンボル化する結果、汲み取る手段は手でもコップでも大きな葉っぱでも良くなり、さらには「話しの意図を汲み取る」のような使い方も可能になった。
 モデルはシグナルとして作用し、芸術家はそこからシンボルを形成する。単純な写真はシグナルの出力に過ぎず、印象派の芸術家が反発したのはそこである。シンボル化を経ている芸術作品は下位構造であるシグナルも含み、鑑賞者は更にそこからサインを読み取ることもできるだろう。芸術作品からシンボルやサインを受け取る事ができるのは人間だけである(注3)。


(注1)モデルの事をモチーフと呼ぶことがある。Motifは本来なら「主題」だが、同時にMotiveつまり「動機、原動力」の意味もあって、これらの意味合いが投影された物体としてモデルと同義に扱われているのだろう。

(注2)歴史的に見ても視る行為がずっと受動的行為として考えられていたわけではない。プラトンは目から出た光が世界を捉えると考えた。眼球の解剖をしたレオナルド・ダ・ヴィンチはそれが光学的器官だと直感したが、視覚を得るのは脳室における魂の働きと信じていたし、デカルトも魂の所在地が松果体へ移ったものの考え方は似ていて、どれもが視覚に「視ようとする」能動性が根底にある。それとは反対の「眼は世界を写真のように写す」という受動的な感覚を強めさせたのは、やはり写真の一般化が関係しているように思える。私たちの眼の焦点距離は決まっているのに、様々な焦点距離の写真を違和感なく認識していることも、私たちが写真のように世界を見ていない事を証明するひとつの事例と言える。


(注3)シグナルをシンボル化できる人間の能力をハイデガーは「(シンボル体系の)世界への超越」と言い、人間たらしめる行為とした。世界のシンボル化、サイン化はシグナル世界(生物学的世界とも言い換えられるか)からの超越であり、それを示す芸術は鑑賞者にそれを気付かせる可能性を秘めている。そう見れば芸術は、本質的には私的行為というよりむしろ公の認識可能性をおし拡げる行為であり、哲学に近い。哲学が諸科学の種であるように、芸術は広く人類の知的行為の種である。


生と死の所属

 自死がなぜあるのかと考えて、しかし、それは個体死の一形態だと考えれば、違和感も薄まる。種としては一個体の死はさほど問題とならない。種存続が本能であるなら、死なない方が良いではないかと思うが、それも同様だ。種存続には個体死が必要であり、その死のバリエーションとしては自死があると言う事だ。しかし、意識は死なない方が良い、と考えてしまう。これは個と全体の振る舞いの違いが現れている。種全体の存続は個レベルの継続性の積み重ねだからだ。そうなると、生死には所属の違いがある様だ。すなわち生は個の欲求で、死は全体(を維持するため)の機能である。より正確に言うなら、どちらもが全体の機能として働いているが、個体はより生を欲求する意識を持った。それはどうしてか。まず単純に、死を選んだなら存続しないからである。我々は選ばなかった側である。それに従って、意識は生に肯定的になるだろう。正しくは、肯定と言う自己内環境がそうして現れる。生が「拾われ」生き残る事でより生を拾う向きに偏る。それが社会性コミュニケーションの中で意識化され、「生きた方が良い」と口走らせる。

2016年10月26日記す

知覚の前の感覚で、外世界は単純化、強調化が成される

 知覚の前の感覚で、外世界は単純化、強調化が成される。そうして選択が行われ、その結果が意識的な選択として提示される。私たちは世界を生のまま感じ取っていない。頭に浮かぶ道のりや落書きの顔、ああ言ったものが捉えられている。むしろ、知覚としての外現象は、それら単純化強調化された感覚と現実の擦り合わせに働きさえしているだろう。話を戻すが、単純化強調化された外世界は情報の少なさと強さから、選ぶ対象にバイアスがかかる。普段、ことさら意識せずに捉えている外世界はこの様な単純化されたものだろう。意識化の貢献はそれを浮き立たせ、内なる外世界として改めて提示した事だ。無意識的判断はそれらをさらに単純化させて判断の材料として用いる。単純化、強調化、そしてそれらの意識化つまり記憶と言語が人類文明を生み出したと言っても過言ではない。実世界には存在しないのに誰もが知っている丸や直線などの幾何形態は脳が世界を捉える過程で生まれ、世界の認知と選択に常に用いられている計測道具なのだ。

 ところで、ホフマンが言う、我々が世界をそのままで見てはいないと言うのは、無意識的な状態に限られるのではないか。いやカントが言う様なそのもの自体が見る事はできないと言うのは納得する。何故なら、私たちは写真の様な絵を描けるし、何より写真機で撮られたものを認識できるではないか。正確に言うなら、私たちは普段はラフに世界を捉えているが意識によって詳細に捉えることもできるのである。網膜で情報の初期処理が成される、その次段階、具体的にはV1まで我々の意識は遡って到達できるだろう。つまり、視覚的発見は外世界の探索ではなく、内世界でのそれである。そう思えば、科学的発見も同様だ。我々は既に感覚が認識済みの外情報から再構築された内なる外世界を探索しているのであろう。何故なら私たちは自身の知覚器官で感受できる以上の世界は知る事ができないのだから。
 ところで、私たちの感覚器官が種類ごとに分かれている事は注目すべきだ。始め、体は世界を感覚的に分断されているのである。それが、脳内で組み立てられる事で私たちの知覚となっている。皮質では機能は局在している。その、いわゆる感覚のゴール近くまで感覚は統一されないままである。私たちが意識で、見る、聞く、などと言い分けられるのも、機能局在の感覚まで遡ることができるからであろう。


 話をまとめると、意識は無意識によって単純化強調化された外世界を、内なる外世界として再提示する。それがさらなる無意識的判断へと繋がる事が、世界に秩序を見出し、結果文明を作るにまで至った。

2016年10月28日記す

自由意志考

 意識と自由意志を混同しない事。私が疑っているのは自由意志である。自由意志とはすなわち意識的な選択を本当にしているのかという事だが、もし動物のように本能だけならば、皆が皆同じ選択をするはずだ。確かに人間と言えども行動を大きなくくりで見れば似ているが、個々の細かな選択においては、自由に選んでいるようにも見える、もしくは感じられる。確固たる自由意志に見えるそれらも真実はそうではないと言えるような根拠はどこに見られるだろうか。意識的に選ばれたと感じられる事例をもとに考えたい。

 意識で選択すると信じられる大きな決断として自殺がある。自殺を遂行するには体性神経系と骨格筋が導入される。何故なら自律神経系と平滑筋は「意志に従わず」それらは一途に生きようとするからである。自殺とは生きようとする植物的身体を動物的身体を持って力尽くで殺す行為だとも言える。しかし、本当にそうだろうか。自殺をしようというのは意識だが、その決定に至る過程を遡れば結局無意識に突き当たる。その先は意識では分からない領域である。そう考えるなら、自殺もまた自由意志ではないということになる。
 結局のところ、体性神経系も随意筋も根っこは「不随意」なのだ。そうすると、身体とは状況次第では自らを殺そうとする性質がそもそも備わっているということか。細胞レベルではアポトーシスがある。アポトーシスは人個体の存続に役立っている。自殺が人個体レベルでのアポトーシスと呼べるなら、それは種の存続に役立っているのであろうか。なるほど自殺は耐え難い苦痛からの逃避とも捉えられよう。その苦痛の原因はいくつもある。まず、自身から発する肉体的なもの。これは分かりやすい。そうではない原因は自己を取り囲む環境によって与えられる。借金やいじめなどである。こう言った環境苦痛が自殺を選ばせるとはどういう事か。自殺が種の存続に役立つ判断として起こるなら、彼の死はその環境に益をもたらさなければならない。しかし、どうもそうとは考え辛い。第一、そうであれば、我々は自殺に肯定的になっているはずであろう。だが一方で自殺はその発生頻度を見ると、ことさら異常な現象とも言えないのも事実である。自殺を肯定的に取らえないのは、普通死を肯定的に取られないことと同じ事かもしれない。普通死もしくは自然死と自殺の違いは、やはりそこに体性神経系と骨格筋が積極的に関わっているか否かという事に尽きるようだ。換言すればそこしか違わない。ただし、それは小さな違いではない。自然死が人個体の生命現象な継続不能性の結果であるのに対して自殺は動物的身体によって積極的にその継続をやめさせるのである。その最終決定はどのようにして下されるのであろうか。動物的身体が自らを殺す行為がそもそも身体に備わっている機能であるなら、人以外の動物にも自殺が見られても良いようなものだが、どうもそうではない。仲間外れで自殺したり、身体的苦痛から逃れるように自ら命を絶つ野生動物がいるという話は聞かない。そうなると、自殺は人に特有の死の様式であるように思われる。では人間とそれ以外の動物との違いはなんであろうか。その最たるもの、人を人たらしめているものは社会性に他ならない。社会性とは集団にあって個体の意思決定より集団のそれを重視する性質である。全体を維持する事が結果的に構成要素である個体の生存を担保している。確かに我々は小さなコミュニティのレベルでは個人を尊重するが、マクロで見れば個人より社会性を優先する動物である。自殺の原因として目立つイジメ、疎外、借金苦などはなるほど社会性を帯びた問題だと言える。つまり、自殺を選ぶ人は間接的に周囲環境から自己の存在を否定され、不必要とするメッセージを与えられている。まるで環境が彼に死になさいと言っているかのようだ。社会的に作られた私たちはその環境から与えられるメッセージに応えようとする。社会性動物の性質が自死を選ばせるのである。
 それでは、病気や怪我などによる身体的苦痛からの自殺はどうか。先にも触れたが身体的苦痛から自殺を選ぶ動物は人以外にはいない。ここにも人間に特有の生き方が関係している。まず、自然界では身体的不自由が生じた個体は速やかに死ぬ。つまり、他の捕食者に殺される。我々だけが他者に守られる。その結果、苦しみが長く続く。つまり、苦しくとも、植物的身体は可能な限り命を続けようとする。それが何かのきっかけで自死へと舵を切るのである。そこにはいくつかの先だった情報があるだろう。その病は治らないであるとか、我々は自殺ができるといったことだ。それらの情報は環境から与えられたものである。そうなれば、やはり自殺は環境が自死を選ばせたと言えるだろう。つまり、自殺という究極的な自由意志、自由選択に見える行為も実はその発端は環境によって与えられていたのである。

 自殺という言葉と、我々は自由意志を持つという前提から、自殺の判断は本人によって為されたと一般には思われているが、実際はそうではないと分かった。それは周囲の環境によるものであり、言わば、環境による殺人とでも呼ぶべきものだった。


 以上から、自殺のきっかけは環境から与えられると了解するが、それに応える性質を我々が備えている事も驚きである。つまり私たちは自分で自分を殺すことができることを予め知っている。その様な動物が他にあるだろうか。これにも意識の獲得が関わっている様に思われる。そもそも、意識をなぜ獲得したか、その必要性は何かについてはすでに考察している。それは個体自身のためではなかった。自己経験を他者へ伝達するための機能として登場したと私は考えている。だから意識は言語と密接な関係性がある。言語は区切りがなく曖昧な自然現象に明確な境界線を引き、様々な概念を「切り出した」。そして、個体の終わりを死と名付けた。そうして死は連続的な生命現象の一過程から独立を果たしたのである。独立した死は、今や生命現象のどこにでも割当てることが可能となった。意識が死を作ったことからも自殺の発見は意識的な行為である。自意識が無ければ、死は存在せず自殺も起こり得ない。野生動物に自殺が無いのはこのためであろう。しかし、繰り返し言うが、人生の何処に自分の死を置くのかは、個体が自由に決めているのではない。それは環境が決めている。意識の発達が死を作り、環境がそれを何処に置くのかを決め、実行はその判断に反応した個体の動物的身体という意識制御系に行わせるのである。

2016年10月19日記す

アングル『浴女』ポーズの実際

19世紀の新古典主義の画家アングルによる『浴女』をモチーフに、実際のモデルにポーズを取ってもらった。今回のモデルさんは痩身だったので『浴女』の豊満な体では隠されてしまう骨格や筋肉の位置や形状がよく確認できた。この絵が背中を描いているので、モデルでの確認も体幹部分の背面に注力することになった。

 つくづく、アングルは表現者としてプロフェッショナルであったと再確認する。浴女のお尻を見ると尻の割れ目の上端がわずかに見えるが、彼女が腰掛けている柔らかそうなベッドのクッションならば実際には深く沈み込んで割れ目まで見えることはない。しかし、その真実を描くよりも尻の割れ目が見えるレベルまで体を持ち上げて(沈み込ませないで)描くことで、体幹部分の下端が暗示させられ、モチーフ形状がずっと締まったものになる。
 座ることで腰椎の生理的前弯は影を潜め、その代わりに体幹全体に渡った大きなカーブがまとまりを与えている。広い背部が目に入るが、そこには繊細な色彩のグラデーションで内部構造が示されている。尻の割れ目の上部左右にはくぼみが描かれているが、これは通称ヴィーナスのえくぼと呼ばれる腰小窩で、内部に骨盤の上後腸骨棘があることを示すランドマークである。平たく言えば、この左右の窪みと尻の割れ目の始まり部分を結んだ三角が仙骨であって、それが見えてくれば背骨の下端が見えたことになる。更に、この窪みからは左右のに骨盤の上縁が続いていくので、腰の内部構造の要である骨盤の上部を同定するきっかけにもなる。つまり、人体観察において比較的重要な構造と言える。
さて、背骨の曲線を上へと追って行くと両肩の部分で左右の膨らみが表現されていることに気づく。もちろんそれは左右の肩甲骨とそこに付属する筋肉だが、実際のそれと違って、膨らみが背骨にとても近い。この事は今回モデルと比較する事で明確な違いがとして映った。それほど事実と異なるにも関わらず、こうして描かれているとそこには不自然さがない。このようなフィクションを巧みに混ぜ込んで、結果的に説得力のある描写としてまとめる事がアングルの技量の高さを示している。

 浴女の頭部は大きく右を向いている。後頭部にある布が頭部の前後方向の長さを強め、それが頭部の回転方向をより強く視覚的に示す事を助けている。それにしても頭部は実際より前突している。これも古典表現にしばしば見られる実際の構造との強調表現である。

2016年8月10日記す

人間は世界を対で捉える

人間は世界を対で捉える。それは1ビットであり、情報の最小単位である。

2016年7月22日記す

他者にとっての表象

強烈な夏の陽射しのなか、緑の木をバックにセーラー服の女子高生が遠方に見えた。夏を表す永遠の表象に見えた。我々は皆、他者にとっての表象だ。小学生たちは永遠の小学生たちだし、サラリーマンも老人もそうだ。

2016年7月21日記す

生物学的な生と、美的な生

生物学的な生と、美的な生とは別のものである。美的な生は感じ取られるものだ。美術解剖学においても、その違いは良く意識しなければならない。両者を混同しては無駄な混乱を招く。

2016年7月14日記す

形は死、形成が生。

 形は死、形成が生。私たちは形を通して動きを捉える。その「形の動くさま」に命を見る。だから両者は切り離せない。対象の形だけを切り取るならばそこには生は存在しない。私たちが生きているのは時の流れの中で動いているからであって、だから仮に、瞬間瞬間を切り取れるならば、その瞬間ごとは止まっているのだから生は見られないのである。 

 では、止まった形を表す絵画や彫刻たちは皆死んでいるのか。ここまでの意味合いならば死んでいるのである。実際それらは息をしていない。しかし、私達は芸術に命を見る。実はそここそが芸術表現の本質なのだ。芸術が自然の模倣ではなく翻訳であると言われる所以はここにある。良い芸術は止まっていながら生を"感じさせる"ものである。そのためには単なる形の模倣ではならず(それは死体である)、止まっていながら前後の時間の流れを感じさせなければならない。それは写真機で撮影するのとは違う。写真機が切り取るのは時間の一瞬であって、言わばそれは死に近いものだ。カメラが発明されるまで、人類の目は静止した日常など目撃したことなど無かった事を思い出さなければならない。動くもの(生きているもの)を見て、そのものとして再現を試みた絵画や彫刻が写真よりずっと我々が生きたものとして自然に捉えられるのはそういった理由もあるに違いない。


  現代は写真が生活に身近になった。それでも生は動きにあることに変わりない。生を表そうとするならば、自分の目で生きたものを見なければならない。安易に写真を見て造形するなら、それは容易く命のない形だけの物になってしまうだろう。

2016年7月14日記す

新美での頭頸部造形講座の感想と反省点

 新美で12月4日(日)に行った、頭頸部を骨から造形する実技講座は、募集定員を超えて69名で締め切る盛況を見せた。事前準備を整えたので、当日の手順は滞りなく進んだ。当日の教室は手前から奥まで学生で埋まり壮観である。造形物はせいぜい20センチほどなので、私の手元をカメラで捕らえ、それをプロジェクターと大型モニターに映しての実演形式を取り、それを見ながら受講生も自ら造形していった。新美の講師が2名学生サポートとして教室内を常に見回った。
 おそらく、ほとんど全ての学生が頭頸部の内部構造を知らないうえで作り始めたにも関わらず、そして9時から5時までの1日だけで、それなりの完成度まで到達することができた。これは、学生の主体的なモチベーションがなければ無理だったろう。

 基本的には、出版した自著に沿った材料と手順で行い、用意した油土はひとり2キロ。始めパッケージ(1パック1キロ)を見て足りないかと感じて、若干小さめに造形したところ結局多くの粘土の余りが出た。油土はレオンクレイの赤色パッケージ、つまりもっとも柔らかいものを選んだ。驚いた事に、レオンクレイの品質は非常にムラがある事が今回明らかになった。これは60人以上が一斉に使用した事で判った事実だが、赤パッケージでも随分と硬い粘土が混ざっていて、ほとんど黄色パッケージの包み間違いでは無いかと思うものや、同一の塊の中で硬軟混ざり込んでいたりと、結構酷いものだった。匂いがなく良い粘土なだけに、品質の均一化というごく当たり前の部分は整えて欲しいものだ。しかし、油土のような市場規模が限られている商品がそう直ぐに改良されるとは考えづらく、今後大量に使用する際は、価格が高くなるが海外製品を選ばざるを得ないかもしれない。
 使い始めにヘラで油土の塊をスライスする事で指で練りやすくなるが、今回はヘラは予備校内からかき集めたので、鉄ベラやつげベラが混ざり、厚みのあるつげベラが回った学生はスライスするのに苦労していた。今後は薄い金属ベラもしくは100円ショップで売っている包丁の刃を殺したものを用意すべきと感じた。
 私の造形過程はカメラで撮影して映し出していたが、背景が一緒に映り込むと随分と見辛くなることが判った。背景が均一色となるようにシートや紙を用意するようにしたい。
 内容は、同時間ならばもっと効率化を図り、余裕をもって造形する時間を確保しなければならない。今回と同程度の造形密度は本来なら2日は欲しいところだった。


 反省点が色々と見えたが、従来の造形学習とは異なる内容に多くの若い学生が興味を示してくれたことは嬉しい。

2016年12月3日土曜日

『立体像で理解する美術解剖』出版

自著『立体像で理解する美術解剖』が11月26日(土)に出版されました。

 長文テキストはなく、ほとんど全てが造形プロセスの写真によって構成されています。読むというより見る造形参考書として作りました。立体である利点を活かすべく、イラストでは描かれないような視点アングルの写真カットを多くしました。内容は、人体全身の他に、肘から先の前腕と手、足首から先の足、肩から頭部を、単独で記載しました。これらの部位は細かな筋肉や腱が多いからです。また、小児と老人の頭部を比較のために記載しました。

 全国の主要書店の美術技法書棚に置かれています。また、アマゾンでもご覧いただけます。

2016年11月23日水曜日

告知 頭頸部造形実習 新美にて開催

12月4日の日曜日、新宿美術学院にて頭頸部解剖造形実習を開催します。
朝から夕方まで、頭頸部の構造解説の後、実際に各自粘土で作っていきます。
限られた時間なので、特に重要な情報を圧縮してお伝えする形になりそうです。
未来のアーティスト、美大受験生対象。
詳細は新美のサイトをご覧下さい。

2016年11月2日水曜日

告知 朝カル講座・頭頸部が始まります

朝カル講座始まります。今回は頭頸部。全2回です。頭部は胸からどう出ているのか。頸の形を決定づける筋肉とは。表情は2種類の筋肉でできている!?など様々な情報織り交ぜて解説。今回は油土を用いて立体的に解説いたします。朝カルでは初の試みです。
詳細はこちらをクリックして下さい。

2016年8月13日土曜日

アルワコ族のポポロ

 中米の先住民アルワコ族の男性が携帯するポポロ。ポポロは貝殻を焼いた粉が入れてあるひょうたんと、その粉を付けて舐めるための棒からなる。
 以前にテレビでポポロの事を「棒を舐めて中の粉を付けて、それをひょうたんの外側に擦りつけながら考え事をする物」と紹介していて、その奇妙さから気になった。それだけ聞くと儀式的用具のようで、しかしそういう物を日常的に携帯するという事があるだろうか。ネットで調べてみるとテレビでは言っていない部分があった。すなわち、ポポロはコカの葉と一緒にあるもので、首から掛けた袋に沢山のコカの葉を入れてそれを口中で噛みながら、貝の粉を舐めるという。むしろコカの葉を噛むというのが行為としては主で、つまりはアルワコ族の男性の嗜好品というのが事実だろう。そう見るなら我々にとってのタバコやコーヒーやガムなどと同じだ。もしタバコやコーヒーが一般的ではない文化があったとして「乾燥させた葉に火を点けてその煙を吸い込んで吐く。焙煎した豆の抽出液も一緒によく飲まれる。」と紹介されるようなものだろう。ただ、アルワコ族にとってのそれはもっと文化に根付いていて神話的物語とも繋がっているようだ。タバコやアルコールがシャーマン的な行為とよく結びついていることに近い。それにしても興味深いのは「粉をひょうたんに擦り付けながら」考え事をするという点である。考え事という部分はまあタバコで一服する人の精神状態に近いだろうが、その間、ひょうたんに棒を擦り付けるという行為が成される点は独特だ。その行為が生まれた根源的理由には手持ち無沙汰があるかも知れない。電話で話しながらつい描いてしまう謎の落書きや、人のおしゃべりを聞きながら手元のおしぼりで折り紙をしてしまうような類である。考え事をするにも、椅子にじっと座るより歩きながらのほうがアイデアが浮かんだり、手を動かしながらのほうが思考が進むというのは誰でも実感としてあるだろう。ポポロの貝の粉の擦り付けはそういった行為が形式化、儀式化したものかも知れない。アルワコ族の動画を見ると、口でコカの葉を噛みながら、棒を差し込んだひょうたんを振ったり、棒を右手で持って左手のひょうたんに擦り付けたりしている。その仕草は体に染み付いた自然なものだ。棒の持ち方は皆が同じなので定型化しているのだろう。鉛筆を持つ仕草に近いが、人差し指と中指の間に挟む。

 生産的な行為と直接結びつかないような行為のために両手を塞いで時間を消費している。ポポロはその為だけの道具だ。言い換えればそういった行為が形となった物である。テレビではポポロを異質な行為として紹介していたが、嗜好品として見ればタバコであるし、手持ち無沙汰の時間つぶしとして見ればケータイのソーシャルゲームに似ている。アルワコの人からしたら、皆が皆ケータイを手に持って暇となれば覗き込んでいる光景は異様に映るに違いない。

 また、テレビで紹介されていた時、日本人が気軽にアルワコの男性のポポロの棒を手に取りながら説明していた。その間、持ち主の男性はそれを別段気に留めていなかった。それは、ポポロがお守りのような大切な個人的携帯物ではない事を物語っている。確かに長く使われているであろうそれには、貝の粉が厚く層をなしていたが、それはアルワコの男性にとっては単なる行為の蓄積に過ぎないのかも知れない。


  なぜだか奇妙な魅力があるポポロ。きっと外部の人間が入ってきてその奇妙さを指摘するまで、アルワコの人々は気にも止めていなかったのではないだろうか。私たちにも外から見たら奇妙で儀式めいた日常があるだろうか。

2016年8月10日水曜日

Appleの商品デザイン

 アップル社の商品が持つある種の潔さは、日本人にとって新鮮でもある。iPhoneやMacBookなど革新的な商品とサービスを作るが、その一方で、MacBookの充電ケーブルはプラグ部品のフックを持ち上げてそこにぐるぐると巻き付けさせるという「アナログ」さを持つ。これが日本製品だったら、この案は採用されないと思う。巻き付けさせるにしてもそれを見せないようなカバーが付いていたりと、何かもう一段階のお飾りが加えられているだろう。iPadも革新的商品だが、その保護カバーは「ゴム製シートで覆う」というアナログさである。使う時はそれを裏側へとめくり返す。ペラペラとしたシートは視覚的なチープさがあって、これも日本製品だったら却下されてしまうアイデアだろうと思う。Microsoft社のタブレットはそういうところがより日本製品ぽい。

 しかし、よくよく考えてみると、アップル製品が持つ革新性は”より直感的に”という目標に向かっているのであって、なにも非日常的なクールさといったデザインされた格好良さだけを目指しているのではないことがわかる。iPhoneやタブレットのハードウェアのシンプルさは、その方が(ハードウェア的拘束から離れることによって)もっと便利で直感的な物にできるからだ。アナログなコードの巻き付けも、それが最も直感的で簡単だから採用されたのだろう。「風呂の蓋」と呼ばれるiPadの保護カバーも、それが最も軽量でシンプルなのだ。

 こうやって見ると、アップル商品はデザインのためのデザインではない事がわかる。対する日本的は製品は、デザインのためのデザインが多い。家電や自動車はそれが際立っている。時には見た目の良さのために使いやすささえ犠牲になっている。日本人は形に機能以上の重要性を見出す気質があるとも言える。形もまた機能と同等に捉えるとも言い換えられる。

 ともあれ、iPhoneやMacBookなどは、機能と形(デザイン)を高度に結び付けた点(更にそれをセールスポイントとして積極的に提示する点も)が従来になく新しかった。機能は機能、形は形と別々に進んでいるように見える日本商品に慣れていた私にはそれが衝撃的だった。アップル社製品に見られる商品開発デザインの方向性の元となる気質は、民族性や文化性など、より深い気質の違いが関係しているのだろうか。

2016年8月8日月曜日

カブトムシ

オスのカブトムシが死んだ。昨晩は元気で、他のもっと体の大きなオスをツノで追い払っていて元気だったが、朝には死んでいた。カブトムシは生きていても死んでも色や形が変わらない。生きているのか死んでいるのかは、動くか動かないかの違いだけだ。死んで間もなければ重さも変わらない。カブトムシの人生(カブト生)がどんなものかわからないが、虫ケースの中で餌ゼリーを取り合ったり、土に潜ったり、メスを追いかけたりして、そこにはカブトムシとしての生き方が確かにある。死んで動かなくなったカブトムシはそこから脱落したかのように見える。もはやそれは、「生き方の中のカブトムシの形」ではなく、ただの「カブトムシの形」だ。形と、形の成因としての生き方とは密接に関連しつつ同一のものではない。「かたちとは終局であり、死である。形成こそ〈生〉なのだ」というパウル・クレーの言葉を思い出す。

 唐突だが、このクレーの言葉は彫刻芸術において最重要の訓示ではなかろうか。ただ形の面白さだけを追っていては決して生きた彫刻にはならない。我々は、形成を生をそこに宿さなければ。

2016年7月17日日曜日

美術解剖学カンファレンス の感想

 去る7月15日(金)と16日(土)に、武蔵野美術大学にて美術解剖学カンファレンスが開催された。主な内容は、19世紀のイギリスの美術教育における美術解剖学の在り方についてと、近代日本彫刻と美術解剖学の関連、そして現在とこれからの美術解剖学という大きく3本の柱によって構成されている。

 15日は、「19世紀イギリスの美術教育における解剖学と古代 Anatomy and Antiquity in Nineteenth-Century British Art Education」という題目で、レベッカ・ウェイド先生による講演。レベッカ先生はヘンリー・ムーア研究所学芸員。
 私が遅刻したため、最後しか聞けず、よく分からなかった。関係者に内容をお聞きできたので、後でしっかり理解したら感想を載せるかもしれない。

 16日は、「近代日本の彫刻家における”芸用解剖学”」(田中修二先生)、続いて「サー・チャールズ・ベル:美術的ヴィジョンによる解剖図の超越 Sir Charles Bell: Transcending Anatomical Description through Artistic Vision」(アズビー・ブラウン先生)。
 第2部のメインは、イギリスを拠点として全世界で美術解剖学アドバイザー、講師、作家として活躍しているスコット・イートン氏の講演と、スコット氏、レベッカ氏、そしてモデレーターとしてアズビー氏の3名による対談が行われた。

 なお、本カンファはすべてバイリンガルで行われ、その多くがアズビー先生が担当された。日本語が流暢でとても分かりやすく、カンファの流れをスムーズなものにしていた。

 内容はどれを取ってもピントが合って深さもある、つまりは「濃い」もので、上面だけの趣味人の集まりになりがちな”カンファレンス”の罠に陥っていない。そのおかげで、カンファレンス発表者の少なさ故の情報の限局さの問題が明らかとなり、また美術解剖学と呼ばれるものに対する理解の限界が明確に浮き彫りとなった。特に後者は、私の個人的興味から、大きな収穫である。

 「近代日本の彫刻家における”芸用解剖学”」は、題目の通り、明治開国後から戦後まで約80年間ほどの期間における、彫刻家と彼らの美術解剖学との関連を列挙したもので、資料的な内容であった。ただ、全体をまとめて、近代日本彫刻はロダンだけではなく解剖学もまた重要だったと言い切ってしまうのはあまりに大づかみであり、質疑応答の際にここに関して疑問を呈するような意見があったのは理解できる。とは言え、浮き彫りとなった問題点すなわち、果たして近代彫刻史に解剖学が実質的に役立っていたのか否かという疑問に客観的解答をもたらす研究は未だ行われていないことは明確となった。そして、そのことは、現在も美術解剖学と銘打った講義が数多く行われている現実からも再検証する事に大きな意味があるであろう。

 「サー・チャールズ・ベル:美術的ヴィジョンによる解剖図の超越」。まず、ベルと聞けば、医療関係者ならその名の響きだけであれば誰でも知っているだろう。そう、あのベル・マジャンディの法則のベルだ。脊髄神経と脊髄の間は腹側と背側に分かれる。その腹側は運動神経が通り、背側には感覚神経が通る。その明確な区分けを実験を通して示したのが、ベルとマジャンディである。また、ベルは多くの解剖図を描いた。そしてそれらの”異様さ”ゆえに時折話題に上る。解剖学は、特にルネサンス以降の近世において図版と共に歩んできたと言って良い。そこには、ヴェサリウスの『ファブリカ』の西欧世界的成功が口火となったわけだが、忘れてはならないのが、解剖学者が図版を描いてきたのではないという事実である。ファブリカ然りビドローもアルビヌスも、そしてグレイも、これら著名な響きと共にあるあの図版たちは解剖学者とは別の画家によって描かれたものである。そういった流れにあって、ベルは解剖学者、医者でありながら画家でもあった(あろうとした)のは特筆すべき点だ。ただし、彼は芸術の訓練は受けていなかっただろう。それがあの“異様な”図を生んだのだと想像できる。つまり、同時代の”正当な”絵画の見方や表現法に乗っ取っておらず、良くも悪くも「生の目で見た」対象が描出されているのである。それは、一見すると、江戸時代後期に描かれた腑分け図を彷彿とさせるものだ。同時代の”正統的”解剖図たちがファブリカの流れを汲んだ明確な再構成図であるなかで、アズビー先生も指摘されていたように、彼の描いた解剖体は明らかに一個の死体なのである。描かれた内部は必ずしも明確に線で区分されず、染み出て乾いた血液によって汚されている。解剖初心者がこれらの図を見ても個々の部位を同定することは簡単ではないだろう。そう、実際の人体内部を覗いたときと同様に。ベルは実際、アルビヌスのように、整理されて描かれた解剖図を批判していたという。現実はそんなものではない、と。写真さえない同時代において、整理された再構成図ばかりを見せられることに対する危惧があったのかもしれない。解剖図と体内の実際との解離は現代においても解消はしていない。この現実と理想化の狭間は我々が「見る」とは何かという恒久的問題へと続いている。
 ともあれ、自分の目に映る体内を大事にして描いた図に、自身も芸術家であるアズビー氏は感銘を受けたに違いない。現代の我々が見るに、ベルの解剖図は図版というより絵画に映るのである。そして、その点にアズビー氏は注目し、解剖図と区分けされる領域にも芸術が入り込める余地があることをベルは示していると言った。その点すなわち、解剖学的視点から解き放たれた体内の美しさについては、私や私の周りにいる”美術解剖学の仲間たち”が常々話し合う議題のひとつだ。
 ただ、ベルの描いた絵が全く理想化されていないかと言えば、そうではない。まず、極端に言って見るという能動的行為を通している以上写真のように無目的な描写は不可能であろう。ある芸術の形式に縛られていないかと言う点でも、やはり同時代の表現の影響は見て取れる。まず、有名な裸体男性が破傷風の硬直性発作を引き起こしている図は、明らかにその体は解剖学的に説明的な描写である。おそらくこれは観察と記憶を元に描かれたものであろう。そのほかにも体幹部の末梢神経系を詳細に描いた水彩画が紹介されたが、あれも現実に見えるだけで、実際は再構成図であると言える。この「現実的/非現実的」問題は、解剖図においてしばしば顔をもたげるもので、実際の体内の見え方を知る者が圧倒的に少ないことから、しばしば非現実が現実と挿げ変わるのである。
 それにしても、アズビー先生がベルを通して示した芸術と医学との関連性については、美術解剖学という枠を越えてでも深化させて行きたい、いや行くべきものだろう。ベルの図は芸術の大道に乗ることはなかった。芸術とは何かという枠が明確であったこともその理由の1つになるだろう。現代はしかし、当時とは違う。ベルと全く同じ視点は持ち得ないが、まだ芸術家が、いや我々全てが見落としている美しい自然的モチーフがそこにはある。我々の皮膚の内側に。

 2部のスコット・イートン氏とレベッカ・ウェイド氏の対談もまた興味深い。そこには、芸術と技術のコントラストがあった。
 対談の中で、21世紀になって今明らかに表現の場において人体が再び注目され始めている、そう強調された。人体の形状にいつも興味を抱き続けてきた我々には嬉しい響きを持つ言葉だが、同時に、同様の言説は断続的に言われ続けている事でもあることも知っている。そしてさらに、人体を必要としている表現の場がどこなのかと目を凝らせばそれがいわゆるファイン・アートではなく、映像領域であることに気付くだろう。すなわち映画やゲームである。なぜそこで人体なのか。3DCGである。3DCGは映像表現の手段を大きく変えた。それまでの二次元表現つまりセル画によるアニメは言わば絵画の連続体であって、その制作現場で必要とされるスキルは実世界を線で描けるというものだった。ところが、それらのほとんどが3DCG化した現在では、線画のスキルは必要ではない。欲しいのは仮想空間でポリゴンで組まれた立体物から望む形態を作り出す技能である。これは詰まるところ、彫刻家のそれと同じだ。人体を輪郭線と陰影描写で描かずに表現しようとするなら、対象の構造を立体的に知るしかないのである。今や、組まれた積木の城の輪郭線を描く能力ではなく、どう積木を組めば城になるのかを知っていることが重要なのだ。この現場の要求にはある種の切実さがある。知っていれば良いかもね、という趣味的なものではない。短時間で対効果がより高いものを生み出すために必須の技能として見られているのである。スコット氏は正にその現場で、必要とする人々に知識を与える仕事をしている。質疑応答のなかで、芸術における人体表現で常に現れるキヤノン(人体比例の基準)についてどう思うか聞かれたスコット氏が、キャノンは考えていないと言った。そういった1つの情報に収束するのではなく、多くの個別の情報リソースを集めることがより重要だと言う。この意見はとても興味深いものだ。スコット氏のように、ファイン・アートという狭い世界ではなく、商業のダイナミズムの中にある映像業界での需要に対応するにはキャノンは意味をなさないということになる。
 また、美術教育に解剖実習を取り組むことへの意義についての質問に対しては、自らが若い頃に解剖見学の経験があるスコット氏は、知識が豊富になり自らそれを欲求するようになった者には意味があるだろうが、初心者には無意味だと言い切った。「自動車工学に教養のある者だけがフェラーリのエンジンの素晴らしさを真に理解するだろう。」(スコット・イートン)
 この対談ではスコット氏が現場で生きる技術者的な側面をしばしば垣間見せたことが実に面白かった。先の、解剖実習が上級者にだけ意味があるという発言もここに掛かる。また更に、Artistic anatomyとAnatomy for artistsの違いを尋ねられたスコット氏はそんなこと考えたこともなかったと言った。つまり、どう呼ぼうがどうでもいいのである。しばし考えて、「私の仕事は、Anatomy for Artistsだね」。「チャールズ・ベルの仕事のような、人体(内部)を美しく見せようとするのがArtistic Anatomyかな」とも。
 
 私も質問をした。筋骨格系以外の器官系についてどう思うか、と。スコット氏は、ハーゲンスのプラスティネーションを見て、その血管系や神経系の美しさに心打たれたと言った。私の質問の仕方が悪かったのだろう。本当は、形と直接関係なくとも私たちを生かすために存在しているそれら器官系の、つまりは生理学的な側面について必要性を感じることがあるかが聞きたかったのだ。なぜなら、スコット氏が対応する業界は、それまでの絵画や彫刻とは違って、動くのである。つまり、ルネサンス以降現在までの美術解剖学が相手にしてきた動かない表現物とはひとつ次元が違うわけで、そこでは新たな人体表現上の必要性が必ず生じているのである。例えば、人が歩くときの筋の収縮のパターンはどうか。腕に力を入れたときの筋の膨張と皮静脈の浮き上がり方の相関はどうか。怒りや悲しみの時、交感神経が活発化したときの顔面部の紅潮や目の瞳孔の関連性に注意を払っているのか否か、等々。これらの発現を説明するのは、従来の解剖学でなく生理学の領域である。そこへの視点はどうなのかが知りたかった。通訳されたことによる齟齬もあろう。そうとはいえ、スコット氏の解答は形態に関することから外れない事は間接的に解答になっているとも言える。

 今回のカンファレンスはタイトルが「美術解剖学」であるから、皆の意識もそこから出ようとはしなかった。けれども、スコット氏の活動のように、”これからの美術解剖学”にも続いていく意識においては、形態だけに留まっていなければならない理由はない。事実、人体の解剖学的形態については「現代ではほとんど分かりきっている」(スコット氏)と言い切るのなら(解剖学者は決してこの発言に首を縦には振らないけれども)、次の問題はなぜそれが動くのか、だからである。大げさなことを言うなら、美術解剖学はその発展的役割の大半を終えたのかも知れない、ならば次に用意されるべきは美術生理学であろう。だが、何でも分ければよいものではないし、芸術はUniteが重要視されるから「美術解剖生理学」がよかろう。

 このカンファレンスは、イギリスのアカデミーでの美術解剖学の需要と、日本での拡がり、そして衰退(伝統的な美術解剖学の講義はイギリスではもはや行われていない:レベッカ氏)を通して、現代の再復興の兆し(象徴としてのスコット氏)という流れが通底していた。そして、今回改めて明確となったことが、美術解剖学はいつの時代も実践的な情報源として用いられていたという点である。この事実は、こと我が国では戦後、東京芸術大学にしか存在しない講座の流れが、そのまま美術解剖学史として語られがちな事実への警鐘としても響く。田中先生の講演においても触れられた、西田正秋が提唱した人体美学から芸大の美術解剖学は独自に方向性を持ち始めたと言える。そこから続く系譜は、このカンファレンスで語られた、リファレンスとしての美術解剖学と同等に語れるものであろうか。現在進行形の我が国の美術解剖学について、未だ客観的な分析は成されていないだろう。

 
 今回のカンファレンスのような質を維持しながらより幅が拡がっていったなら、私たちは4万年前から続く人体表現について新しい知見を得ることが可能になるだろう。そしてまた、現在医学的に得られている膨大な情報からより積極的に表現に応用可能なものを選べ使えるようになるとき、人体表現は未だ見ぬ新たな局面を迎えるかもしれない。そういうポジティヴな感情が湧き起こった。


2016年7月4日月曜日

楽しい解剖学アプリComplete Anatomy

 アップル社から時々ダイレクトメールが届く。いつもはタイトルだけ見てそのまま消去しているが、たまたま内容に目を通したメールが、Apple Design Award受賞のアプリを紹介するものだった。さっとスクロールするとそこに解剖学のアプリが。試しにダウンロードしたのが、Complete Anatomyというもので、無料だと骨格などが見えるだけだ。ただ、無効になっているメニューを見ると全身のほぼ全ての器官が網羅されている。そして、紹介ムービーを見るとなかなか幅広い操作性をウリにしている。また、グラフィックも現在販売中の解剖学アプリでは最も美しいだろう。全ての機能を使うには6000円支払わなければならない。数日間は無料のままにしていたが、結局他も試したくなって購入した。

 なるほど、「デザイン賞」を受賞した、というのがよく分かる気がする。何と言ってもユーザーインターフェースがよく考えられている。またネットワーク機能も重視していて、自分で組み上げたインストラクションを他者と共有することができる。それ以外にもとにかく機能が豊富で、よくここまで作り込んだと感心する。受賞ももっともだ。

 ただ、解剖学で最も重要な、構造描写に少々ほころびがある。もちろん全てにおいて完璧なものなどないだろうが、こと解剖学は形態の曖昧さを嫌う学問である。その形態描写に曖昧であったり明らかな間違いが散見されて、そこは残念に思う。それを許してしまうのならば、インターフェースが良くできた趣味の解剖学ソフトということになってしまうからだ。一通り解剖学を学んだ者で間違いが分かるのならばこれだけ使い勝手が良ければ目を瞑ることができるが、初学者がこのアプリをメインに学んでしまうと間違いを知るという事になってしまうので、そう思うと問題ではある。
 そういう私もこのアプリで描写されている全てが頭に入っているわけもないので、「構造はすこし疑いながら」使うことにしている。

 アプリが従来の書籍と違う点は購入後もアップデートされていくことだ。今問題があるところも、ユーザーからの指摘などを受けて今後修正されていくかも知れない。

2016年7月3日日曜日

ボッティチェリのヴィーナスのポーズの実際

 朝日カルチャーの講座で、今回は名画のポーズをヌード・モデルさんに取ってもらい、それを観察して描くということをしている。先日は立ちポーズの代表として、ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」のヴィーナスの姿勢を行った。

あのよく知られた姿勢は、ボッティチェリのアイデアではなく古代ギリシア彫刻のポーズから来ており、ボッティチェリは立体で知られたポーズを平面に写し取って成功した最初期の作家ということになる。つまり、元ネタは現実界に存在する物体なのだから、きちんと立っているのである。しかし、ボッティチェリのヴィーナスは立っていない。いや、ポーズこそ立ちポーズだが、重心が大きく画面右に偏位していて、実際にはあの角度で立つことはできないのである。なぜ、ヴィーナスは傾いたのか。それは、画面左を見れば分かる。風の神が息、つまり風を吹きかけている。ヴィーナスの全身は船の帆のように風を受けて傾き、岸辺へと運ばれているのである。

 足を見ると、右足つま先は左足かかとより後方にある。このような姿勢を実際にモデルさんが取ることは相当厳しいだろう。実際にとってもらうと、1ポーズ時間(20分)は持続することができた。ただ、やはり辛いということで、それ以後は右足はもっと前に出した自然なものに変更した。この姿勢をとってもらって、最も興味深かったことはその重心の偏位であって、想像以上に右側にあった。だから、ボッティチェリのヴィーナスは相当に思い切って逆方向へ全身を傾けてあるのだ。他の気付きとしては、側面から見た時の脊柱の弯曲である。もちろんそれは、どんな人にもある自然なものだが、ボッティチェリのヴィーナスでは、脊柱の生理的弯曲はやはり直接的に伝わってくるものではない。つまり、体幹だけを見ると、ストンと真っ直ぐに見えるのである。モデルで見ると、やはり、正面から見た一瞬の印象では体幹は真っ直ぐに見える。しかし、横へ回れば脊柱の弯曲が明らかとなり、そのカーブが正面からみた体幹の印象をも作っていることに気付かされる。同時に、横から見ることで脊柱の回旋にも気付く。左脚重心で立つことで、骨盤右側が下に下がると同時にわずかに右側へ回旋する。左大腿骨が外旋する、と言っても良い。それだけでなく、もっと目立つのは腰椎を越えて胸郭の右回旋である。モデルを左側面から見ると、胸郭部では側面から背面までが見えるほどに回旋する。このような三次元的な変化は「左右に順繰りに高さが変わる・・」と一言で片付けている内は決して見えてこない要素であろう。ところで、ボッティチェリのヴィーナスを見ると、体幹部でのねじれはあまり見いだせない。しかし、頸部から頭部を見るとそれが描かれている。つまり、胸部以下の体は正面の他にわずかに右側面を見せているが、頭部は逆で左側面を覗かせている。それを可能にしているのは頸部であって、事実ヴィーナスの頸部には左側の胸鎖乳突筋の緊張が描かれている。ところで、「左右に順繰りに高さが変わる・・」すなわちコントラポストを強調したヴィーナスの傾きのリズムは、もしかしたら、脊柱弯曲のリズムを正面から見えるようにしたものではなかろうか。そんなことを、モデルさんを横から見た曲線を見ながら思った。もしそうであるなら、線の画家と呼ばれ、後に続くレオナルドやミケランジェロと比較してその立体再現性の低さを言われる作家が、リアリティとは違った味付けで立体性に挑んでいた可能性を示唆するものである。それは言わば、近代におけるキュビズムに近い。

 まあ、そんな風に色々と面白いことを考えることができて、指導側の私にとっても興味深いセッションであった。次回はアングルの『浴女』である。

2016年6月26日日曜日

ロボットの1本腕に見る頭頸部の存在意義

 4足動物を思わせる有機的な動きで注目を集めた、ボストン・ダイナミックス社のロボット。軍事利用を想定して開発されたそうだが、まだ時期尚早ということで米軍の計画からは外されたそうだ。そこでなのか、今回の発表は一本の腕を加えて、家庭用ロボットとしての可能性を感じさせるプレゼンテーション動画に仕上がっている。
一本の腕は、四つ足動物の頭と頸のように見える。いや、我々にはそうとしか見えない。その事実が、私たちの頭頸部の存在について興味深い気付きを与えてくれる。

 私たち人類は、腕と手を器用に使うことで様々な道具を作成し仕事をこなす。人間にとってはそれが当たり前だが、それ以外の4つ足動物を見れば、腕もまた主には移動のための器官であることが分かる。つまり、私たちの腕もかつては移動のための道具であったわけだ。動物界を見回せば、腕つまり前肢を移動手段から独立させた生き物はほとんどいない。そんな彼らが「腕」として用いているものこそ、他でもない頸と頭なのだ。脊椎動物の頸部は、進化の過程で魚類が上陸してから獲得したと言われる。確かに、水棲脊椎動物は頸部を持たない。頸を動かすイルカの一部の仲間がいるが、彼らはかつては陸上動物だった。上陸すると共に抗わなければならないのは重力である。重力に拮抗して身体を支え動かさなければならない。素早い移動のためには身体を地面から離す必要がある。安定して離すには机や椅子同様に4つの支柱が最適だった。すなわち体肢(前肢と後肢)である。4本支柱は動かない時は勿論、移動時も3本支柱で身体を支えながら残りの1本を前方へ伸ばすことが可能である。3本支柱では動かない時はそれでいいが(カメラの3脚のように)、動こうとすると必ず2本支柱にならざるを得ないので倒れてしまうのだ。胸びれと腹びれがちょうど2対だったことも功を奏しただろうが、最小限で最大の効果を得ようとする生物身体構造の特徴からも4本脚はベストだったということだろう。ともあれ、そうして陸上での移動が可能になった。そうしながら自分の周囲を睥睨し、獲物を捕らえる際の繊細で俊敏な動きは前肢より頭方で行われることになった。その為に頸部が生まれた。頸部は可動範囲を拡げるために肋骨を極度に短くして、径も細くした。頸部内の臓器はだからほとんど管だけだ。頸の尖端に頭部を掲げ、そこには周囲を捉える特殊感覚器を集中的に配置している。すなわち、目、鼻、耳である。そして顎にはさまざまな獲物獲得の「器具」が備えられる。強力な顎そのものも獲得器だがそこの尖った歯を備えたり、舌もその道具として活躍している。それら道具は精緻な感覚器によって可能な限り正確な動きを発揮するのである。つまり、頭頸部は今の私たちの腕と手の働きをしているのである。その機能性の優秀さは採用された年月を見れば明らかだろう。脊椎動物が上陸してから今まで実に3億6500万年の間使われ続けるヒット・デザインである。しかし、最後の数100万年前に私たち人類の祖先がそのデザインに疑問を投げかけ、別の可能性を探り、そして採用した。それが、直立二足歩行に伴う前肢の移動運動からの解放とその作業肢としての改変である。腕と手の仕事はだから、それまでの頭頸部の仕事よりも精緻で高度でなければ意味がないのである。実際それが大成功を収めたのは人類文明を見れば明らかである。

 ボストン・ダイナミックス社の1本腕付きロボット「SpotMini」のそれは、脊椎動物のヒット・デザインをそのまま模していると言える。そして、彼らがそれを「頭頸部」と言わずに「腕」と言うとき、私たちは脊椎動物の頭頸部がそもそもどのような需要から生まれてきたのかを再発見するのだ。

2016年6月23日木曜日

高橋英吉の彫刻「漁夫像」覚え書き

 先日、芸大美術館の「いま、被災地から」展を再度鑑賞した。目当ては高橋英吉の代表3作品だが。

 改めて見て、この”海の三部作”は、1938年から1941年の間という3年間の間に作られたとは思えない充実度と完成度を持っていることに驚く。それと同時に、この3作の様式が全て異なることも興味深い。
 最初の作品『黒潮閑日』が初期作品だというのはその造形からも納得がいく。と言うのは、身体構造を真面目に、忠実に追おうとしているからだ。ただ驚くべきはその技量で、一人の人物像であっても、全体感を損なわずに仕上げることは難しいであろうところを二人の人物で構成しているところだ。今回改めて見て、手前のあぐらを掻いている男性の表情が剃刀を当てられている事に反応して、僅かに唇を右側に歪ませている事に気付いた。それだけではなく、彼の顔面構造全体もアシンメトリーに仕上げられている。それは意図された歪みであって、刃物が当てられている頬に意識を集めている男性の心持ちが伝わってくるように感じられる。ひげ剃り役の男性の両脇には空間が空いている。狭い脇まで良く意識が届けられている。驚くべき観察力と集中力であって、またそれを作品として仕上げる木彫技量にも改めて感嘆させられた。
 
 『潮音』はその翌年の作品だが、作風が随分と違う。ノミ跡は荒々しく、人体描写も前作のような写実性というより、スタイルの主張がもはや強くなっている。そうはいっても、解剖学的構造への厳しい目は健在で、それを基盤にしつつ、西洋古典の人体描写スタイルを盛り込んでみたという実験的な要素をそこに見る。

 異質なのは『漁夫像』だ。表面仕上げへのこだわりが強く、小さな刀で面を細かく割っているので、遠方から見ると滑らかな皮膚面に見える。また、手前へ膨らみ出るような曲面で構成されているので、ボリューム感が強い。実際、3部作の中でも最大である。近寄ると両脚や体幹部の迫るような量感に驚く。私感だが、良い彫刻はこの感覚をしばしば与える。そういった、彫刻として成り立たせる量の操作には揺るぎないものさえ感じさせるが、この作品だけは、身体描写が他の2点と異なる。身体描写の解剖学的な正確さからもはや逸脱しつつあるのだ。その”外れ具合”は、どこか1点というようなものではなく、全体に満遍なく見られる。高橋は、間違いなく、何らかの意図があって得意としていた正確な身体描写から離れようとしたのだ。その顔がエジプト・アマルナ文化を参考にしたことは間違いないと思う。体全体も改めてその丸く、細部を省略した描写を見ると、同じく古代エジプトの木彫像カー・アペル像(通称、村長の像)を彷彿とさせるものだ。もしかしたら高橋は前作の後に、もっと身体全体を1つの様式でまとめ上げる必要性を感じたのかも知れない。台座に乗る両足も丸く、足指などは個々の関節など無頓着である。そこには足の構造というよりむしろ、ひとまとまりとしての足を表したかった意図を感じるのである。そういった全体の統一感を見るには「様式」がヒントになることに気付いたのだろうか。
 さらに両腕の描写も今までと違って正確さと違う意図を感じる。肩から肘までの上腕部前方の膨らみを見ると、僅かだが頂点が上下に2か所設けてある。両腕がそうなので、これはわざとそうしてあるのだ。しかし、実際の腕では膨らみはそうならない。肘を伸ばした状態の上腕二頭筋は引き伸ばされることで、筋腹の膨らみが上下に長く見える。それを強調するために中間部をわずかに掘り下げたのだろうか。もしくは、何かほかの参考作品がある可能性もある。<追記:上腕二頭筋の筋腹の高まりがその中間部がわずかに低く見えることが実際の体でもある。その形態的理由はまだ分からない2016/08/14> 肘を介して前腕部へと移行する肘部の造形も実際のそれとはちがって変形が目立つ。肘の外側には腕橈骨筋と長橈側手根伸筋がアクセントとして見えてくるのだが、今までは忠実に造形していたそれらを意識的に弱めて、上腕部と前腕部とを明確に分離しようとしているかのようだ。つまりは、「人形のように」しようとしている、とも言えるだろう。今回見て、殊更目に付いたのが上記だが、同様の意図的変形は全身に及んでいる。だから、3作を並べてみると、この『潮音』だけが異質に見える。異質だが、彫りきって完成仕切っている。

 高橋はこの作を彫り上げて、戦地へ赴き、戦死した。大きな作風の変化の兆しだけを残して。

2016年6月19日日曜日

A Nothing

 方々で講師をしていると、受講生から時々「先生は何をしているひとですか」と聞かれる。つまりは、本業は何か、と聞いている。そういうときは、「これを教えているひとだよ」と適当に返事をして済ませるが、実は自分でも何の人かよく分からない。
 よく分からないのと同時に、そんなことはどうでもよいという思いもある。こういう事は美大生の頃からあって、彫刻科を出たら彫刻家にならなければいけない・・のだろうかという疑問があった。とはいえ今も、彫刻科を選んだのならば、彫刻家になれることがベストの道だろうというのはある。ただ、そうなれるのはほんの一握りなのが現実で、ではそうなれなかった多くの者はどういう「者」として生きなければならないのか。その時に、「彫刻家を望んだけれども、なれなかった者」として一生を生きなければならないのか。そういう現実的な部分で、美大へ進んだ者に与えられてしまう肩書きについて考えていた訳だ。

 ともあれ、日本人はとかく「肩書き」を欲する。考えてみれば、氏名もまた肩書きである。しかし、氏名は今や誰もが持つものだから、社会においての立ち位置を示す働きをほぼ失っている。だから、もう一つの社会的な氏名である肩書きを欲しがるのだろう。つまりはその人が社会に属しているのか、が知りたいのである。そこで私の場合は、講師でもいいだろうとは思うのだが、人によっては、私は何か別の継続的に続けている研究か何かがあって、そのためにどこかに恒久的に籍を置いているんじゃないかと思っているのだ。だから、そう聞かれたときにその人の求めているような答えが返せなくて悪いような気もするのだが、そんなものはないので仕方もない。

 結局の所、私な何の専門家でもない「何ものでもない者」である。だから、今の名刺には肩書きはない。きっともらった人は物足りなさを感じるだろう。だったらいっそのこと肩書きに「A Nothing」とでも書こうかな。

高橋英吉の彫刻 海の三部作

 芸大美術館で「いま、被災地から」展を観た。そのタイトルとポスター写真(壊れた美術館から作品を運び出しているところ)から、展示に興味を持っていなかったが、NHKテレビで展覧会内容を見てこれは行かなければと思った。なぜならこの展覧会には、戦死した東北の彫刻家高橋英吉の代表作3点が全て展示されているというのだから。実際その他にも、東北と関連のある芸術家の作品が多く展示されていた。この展覧会のタイトルとポスターは、多くの人を展示会場へ呼び込むというその働きの意味において、失敗していると言わざるを得ない。これだけ贅沢な作品を展示しておきながら、その最初の窓口であるタイトルとポスター写真で全くそれらが伝わってこないからだ。NHKテレビで展覧会関係者が「芸術作品も大切に保護され修復されているという現状を知って欲しいというのが第一です」というような事を言っていた。その思いはタイトルとポスター写真で伝わる。だから、企画者の意図は達せられただろう。でも、それでいいのだろうか。それ以前に展覧会の意図がなければならず、それはどれだけの人に気付いてもらい会場へ足を運んでもらえるかではないだろうか。その根本的な目的がないがしろになってしまうと単なる独りよがりの発表会のようになる。実際、この展覧会のポスターはぱっと見のインパクトがなく、多くの同様の情報のひとつとして埋没している。なんだか展示の素人が実験的に企画したかのようにさえ見えてしまう。一言で言って「退屈そう」なのだ。
 ところが、実際の内容は素晴らしい。一流の作品が数は多くなくとも集められ、知られていない作家の作品であってもその質は高い。被災した作品の修復過程だけが淡々と展示されているのではない。むしろ、純粋な美術展として構成され、後半にそういった修復記録がまとめて展示されているといった内容である。上記のように、一般の興味を”惹かない”ポスターが功を奏してか、平日の会場はがらがらで、鑑賞しにいった者としてはありがたい贅沢さだ。

 目的の高橋英吉の作品は3階展示室の初めに置かれている。エレベーターを降りるとまず目に着く構成である。一度はこの眼で見たいと思っていた作品達なので、それが静かに目の前に並んで置かれているとは、なんという贅沢さか。作品の周りには私しかいない。代表作3点は、漁師三部作(海の三部作)とも言われるが、全てモチーフは男性漁師で、ほぼ続けざまに制作されたものだ。そして、それら等身大からそれ以上の大作は、全ての造形スタイルが異なっていることも特徴的で、高橋の作家性がまだ決定しておらず今後の可能性を大きく感じさせるままになっている。高橋の評判は尋常ならぬ天才と決定しているが、まったく異を挟むところはない。このような日本の彫刻史を変えたかも知れない可能性が先の大戦で、多くの戦死者のひとりとして消えてしまった。まったく、人の死とは単なる「一戦死者」という単語だけで済まされない広大な可能性の消去でもあると実感するものだ。

 三作品は、真ん中に『黒潮閑日』(1938)が置かれ、その左に『潮音(ちょうおん)』(1939)、右に『漁夫像』(1941)が置かれる。全て木彫である。
 『黒潮閑日』は、高橋が捕鯨船に網引きとして乗船し南氷洋まで出た際のデッサンから作られたという。漁の合間に船上で見られた日常風景である。漁仲間の髭を別の男が後ろに立って剃っている。贅肉のない締まった男の肢体が写実的に造形されている。これは3部作全てに共通するが、表面はノミ跡が残されヤスリで削って仕上げるというところはない。まったく、驚くべき写実性で、解剖学的な構造はほぼ正確である。そうでありながら、説明的な描写に陥ることなく、彫刻的な構造性への意識から遠ざかってしまう間違いを犯していない。この、解剖学的な正確さは他の2点も同様であって、高橋はかなり積極的に人体構造を学んでいたと想像できる。3作品の中では最も人体構造が正確かつ素直に描かれていて、高橋としてもそこも見て欲しかったに違いない。彫刻作品としての構図の妙味は、立っている男性の首に巻いている手ぬぐいが上方へ伸びているところ。この表現ひとつで、彼らが静かな部屋に居るのではないことが伝わってこよう。彼らはダイナミックに揺れ動く捕鯨船の甲板で太平洋の風と光を浴びているのである。そして、手前であぐらをかいている男性は両手を自分のすねに伸ばしている。揺れ動く船上ではこうして上体を固定しなければ、剃ってもらう顎が揺れてしまうだろう。この男性の両手の指先と台座は、高橋の小さなこだわりと遊び心が垣間見える。指先だけが台座に埋もれるように表現されているのである。これの解釈は色々できようが、私としては、漫画での”コマ飛び出し”のように、この指先によって二人の世界感が大きく拡がっていくように思われる。もし真面目にすねを掴んで、台座内で収まっていたならもっと窮屈な印象を与えていただろう。また、この下方へはみ出した両手先は、立った男性の上方へ伸びた手ぬぐいと対を成していることにも気付かれたい。こういった作家の密かな仕掛けたちが、私たちに作品の面白さとして伝わるのである。

 『潮音』は、粗い岩のような所、断崖の切っ先か、に立つ漁師が漁具を左手に握って遠くをにらみ付けて立っている。彼の身体は全体として弓なりに反っていて、沖からの強風に対峙していることが分かる。それにしても、このスタイルは一見してミケランジェロのダヴィデであることは明白だ。ダヴィデは巨人ゴライアスという敵を見据え、その決意を表情に表していたが、この漁師もまた大海原への戦いを挑もうと決意するかの如くである。その身体描写は、先の『黒潮閑日』と比較するに遙かに様式化が進んでいる。すなわち、そうした過去の芸術作品を参考にして作られている。それは、ミケランジェロであっただろうし、古代ギリシアやローマだったろう。この作品に限らず他の2点にも言えるが、高橋の作品はその背面も非常に高度に完成させられている。比較的正面性を決めやすい構図なので、どの写真も同じような角度で撮られその背面を知る由もないのだが、是非とも会場では背面をご覧頂きたい。とは言え、残念ながら芸大美術館の展示も後ろに壁があって真後ろまで入り込めないのだが。これは私がいつも展覧会場で抱く不満のひとつでもある。さて、『潮音』の背中を見るとまず明らかとなるのが、この漁師が両の肩をぐっと後ろへ引いて胸を張り出しているという事実だ。両肩の背中を見ると、肩甲骨は背骨に触れんばかりに引き寄せられ、間にある僧帽筋は収縮して膨張隆起している。何となくの造形がそこにはない。高橋がいかにモデルのポーズに気を配り、その立体構成に腐心して、かつそれらを破綻無き人体構造として表現しようとしていたかが伝わってくる。彼は、輪郭線で人体を見ていなかった。人体は構造で成り立っているという彫刻家的視点を我が物として、そのように人体を見て彫刻で再現することに成功していた。だから、その正面の形状は背面の形状と見事に呼応しているのである。そして、胸郭下部の背骨部分の驚くほど深く彫り込まれた溝をご覧頂きたい。この溝こそ、彫刻家高橋英吉のこだわりである。同時代の近代彫刻を志す若者にとって、既にロダンは神のようにあり、形態の捉え方の1つの答えとして君臨していた。そして、ロダン同様にその弟子たち、ブールデルらの表現もまた、その後に続く新しい表現観として、彼らの元にも届いていたはずだ。『潮音』の背中の深い溝こそは、そういったロダンから伝わる造形観、すなわち、激しく誇張せよという教えの会得と実践に他ならない。先にも書いたが、この会場では背中側を遠方から鑑賞することができない。しかし、10メートルほども離れてこの背中を見たとき、深い溝はその働きを成すに違いない。ロダンの影が遠方鑑賞によって生きるように。また、他に背中で注目すべきは、骨盤部と腹部との境界(それはふんどしの上部から現れる)に見られる脊柱起立筋の隆起である。同筋(正しくは筋群)は名前の如く、私たちの背骨をピンと立たせる働きをしているが、それは骨盤と胸郭の間、すなわち腹部において発達が著しい。なぜならそこで背骨を支えるのは筋肉しかないのである。筋群という呼称から想像できるように、これらは多くの固有の筋の集合体である。この漁師の腰部で一際張っているのは、その内の背骨に近い両側に上下に走る胸最長筋である。胸最長筋はその筋腹こそ胸郭部に在るが、下方では腱膜と化し骨盤と連結する。そうして、他の起立筋群と共に張力を発揮して、上半身を骨盤から立たせている。立位の彫刻で、この像のように最長筋を細く深く表現しているものはそう多くない。高橋は実際のモデルの観察からこの描写のこだわりを得たのであろう。ここを細くすると、皮下脂肪が少なく筋張った人物のようになる。それは、実際の痩せて筋張った日本人の印象に近いものだ。この像は、正面の筋描写はギリシア風であるが、背面はより日本人的なのだ。そうなった理由として、彼が参照できた彫刻作品写真が正面しかなかったことが推測できる。それは現代でも同様だ。さて、もう一つ『潮音』で特徴的なのは、この漁師の両目の表現だろう。この目を見て南大門の金剛力士像を思い出す日本人は多いだろう。きっと高橋もそれを参考にしたはずだ。むしろ、私の感想としては、この目だけが、全体の作風から遊離しており良くも悪くもこの目が印象のほとんどを持って行ってしまっている。その目は大きく、実際の私たちの目にある上下のまぶたが存在しない。その部分もすべて目になってしまっている。だから、力強く見開いたように見える。と、同時に作品から少し離れると下まぶたの影だけが見えるようになって両目を閉じているようにも見える。これは私の勘ぐりだが、もしかしたら高橋は初めの目の表現は違ったのかもしれない。それがうまく行かず、最終決定としてこの目に”改築”したのではないだろうか。だとしたら当初の案は両目を閉じていた可能性がある。タイトルである『潮音』のように、彼が海からの音に耳を澄ませて出漁を検討しているのであれば、両目を閉じていてもおかしくはない。

 3作目はまた他の2作とは違った表現を試みている。高橋はこの『漁夫像』を展覧会場へ搬入してすぐに2度目の戦場ガダルカナル島へ赴き、そこで銃弾に倒れた。この像は全体が細かく刀で仕上げられ、赤茶色の光沢を放っているので、遠目に見ると鍛金の作品のようだ。内側から膨隆するような造形もそう見させる要因となっている。これまでの2作と違って、この作品は曲面によって構成されている。間近で見ると、腹部の張り出た感じは強く、両脚の膝下は少々丸すぎて強度感に欠けるほどだ。しかし、この丸さによって若さの表現には成功している。腹部も全ての腹直筋を掘り出すのではなく、へそから上へ伸びる一条の溝によってそれを表し、適度に皮下脂肪のある若者の腹部表現を試みている。この若者の遠方を睨んで立つ様はやはりミケランジェロのダヴィデの影響を見て取れる。特にここでは下半身、両脚の姿勢は同様で、左足のつま先が少々台座からはみ出ているのもダヴィデと共通する。さて背中を見ると、やはり正面と同様の緊張感を持って造形され、『潮音』同様に両肩が強く後ろへ引かれていることが分かる。また、腹部の背骨の前方への弯曲が作り出す体幹の前後方向へのダイナミックな傾きが意識されていることも明らかになる。つまりはせり出した腹部から腰がぐっと後方へ引かれ、その姿勢が右足から頭部への大きな前向きの弧を作っているのである。こういった構造への強い意識は高橋の作品全体を通して見られるものである。腰には腰布が巻き付けられ、その一端を左手でつまみ持っている。それによって作り出される前方の両脚間の形状をご覧頂きたい。布に依るその内側の身体への意識的表現もまた、古代ギリシアからの主要なテーマの1つであった。そして、巻かれた腰布と腹部との境界に目を移すと、その左側に腰骨前端の隆起、上前腸骨棘とそれに続く腸骨陵、が掘り出されている。これがあることで、鑑賞者は彼の腰の構造に句読点を打つことができ、全身像としてのピントを合わせることが可能となっている。私はこういう細部に、高橋の造形家としてのプロ意識の高さを見る。さて、この青年の顔に目を移す。眉間にうっすらとシワを寄せているものの、その表情は穏やかにも見える。造形はどこまで鋭利で意識的だ。ところで、この顔に見覚えがあると感じた方は多いだろうと思う。私もそうで、その次の瞬間に、それが誰か分かった。この顔はエジプトの黄金マスクで有名なツタンカーメンのそれである。実際にツタンカーメンの黄金マスクを参考にしたかどうかは分からない。それに関連した古代エジプトのアマルナ文化に属する彫刻のそれかもしれない。ただ、この若者の表情そのものがツタンカーメンの黄金マスクのそれに似ているのは事実だ。そう考えていくと、この若者の丸みを帯びた全身表現は、エジプトの王の立像に見られるそれの影響も考えられる。エジプトの王は大抵上半身は裸で、それは決してギリシア以降に見られるような筋骨隆々とした姿ではなく、ほどよく皮下脂肪ののった姿である。腹部はみぞおちからへそまでうっすらと溝が彫られ、それが人物の健康的で若い印象を作り出している。そう言うなら、腰巻きもまたエジプトの王との関連性も見られよう。
 いずれにしても、現代とは違って得られる情報がそれほど多くないだろうこの時代で、彫刻の写真を収集しその良いところを積極的に取り入れる姿勢に高橋の彫刻への姿勢が垣間見られる。

 戦場へ向かう船内で拾った流木に彫った、手のひらに入るような小ささの不動明王像がある。彫刻刀も木の棒きれと鉄片から手作りした。驚くべきはその切れ味であって、決してガリガリと引っ掻き削り取ったという造形ではなく、切れる刃物で掘り出されているのである。混乱を極めたであろう戦場から、絶作としてこの小品と彫刻刀が遺族の元に届けられたという。単なる木っ端や道具ではない気迫がそこには満ちていたに違いない。最後の大作『漁夫像』の展覧会での姿を見ることもなく戦争で死んでいった高橋英吉の彫刻家としての気概の形。この不動明王像と彫刻刀もこの展覧会に展示されている。



2016年6月15日水曜日

美術解剖学の秘匿性

 教育の基本は、自分の知識を他者に教える事。そこには、知りたい者と授ける者の関係性があり、それぞれの利益が関係している。知りたい者は情報を得る事が利益となるから分かりやすい。では、授ける者の利益は何か。それは自分の仲間を増やす事であり、もっと極端に言えば自己の拡大である。つまり、教育とは自分の仲間を増やす行為である。だから、授ける者は、知りたい者の誰にでもそれを与えるわけではない。自分の利益に叶うであろう者だけにそれを授けるのである。

 さて、美術解剖学は専門特化した教育のひとつである。その起こりまで遡るならそれは職人芸術家工房の技術力向上が目的であって、その性質から考えると、工房の一員として迎え入れられた者だけに与えられる閉じられた知識だったはずだ。そもそもその頃は美術解剖学とは呼ばれてはいなかったし、実際にも学問ではなかった。美術もまた学問ではなく”術”である。術は学とは違って閉じられた性質を持つ。それは小さな団体や集団ごとに伝達された術(わざ)の伝統とも言えよう。だから美術解剖学の原型は、閉じられた集団内で伝えられる秘匿的な性質を有していたはずである。15世紀のルネサンス期には絵画論などが書かれ、その秘匿性は公のものとなっていった。しかしそれでも、重要な中心部分は決して公には語られなかっただろう。
 芸術は閉じられた秘匿性が利益となる領域でもある。芸術は一般化となじまないからだ。そうであれば美術の為の解剖学も芸術と付随する形でその秘匿的な性質を保ってきたとも言えるのではないか。ならば、その性質を尊重してより正しく言うなら、美術解剖学ではなく美術解剖術と呼ぶべきかも知れない。


 ともあれ、美術解剖学は「芸術造形で人体を作る者」だけに向けられた非常に特化した知識系である。だからそれは、真にそれを知りたいと思う者で、かつそれを授けるに値すると判断された者だけに密かに教授されるという性質を有している。

2016年6月10日金曜日

藤原彩人展「像と容器」への文章

 藤原彩人氏の作る人体像は、そこにあるけれどもないような、不思議な存在感の希薄さをまとっている。展示会場で作品の前に立っていてもなお、目の前の作品がそこにあるわけではないような感じ。それはまるでぼんやりと人間の姿を思い起こしているような感覚である。

 何でもない壁のシミに人の顔や姿を錯覚したことがあるだろう。本当の顔ではないと分かってもなお拭い去れないほどそれらは強く印象に残る。どうやら私たちは誰もが人間の顔や姿についての枠型を頭の中に持っていて、その枠型にフィットするものなら何でもそう認識されるようだ。写真のような生き写しはもちろんのこと、漢字の「大」の字のような棒人間にまで省略されても人間に見える。ただ単純化されるほどつかみどころがなくなり、記憶や印象の深い部分へ沈み込んでいってしまうように感じられる。こころの深い部分にいるそれらは、本来は実体化される対象ではないのだろう。
 ところが藤原氏の作る人体像は、まるでその深い部分にある人のイメージが形を持ち、そのまま目の前へ立ち現れたかのようだ。関節や筋肉など人体内部の構造描写がひかえめであることが、見る者の頭の奥にあるおぼろげな人体イメージと結びつけるのかもしれない。

 彫刻はいつも素材と技法の制約の上で制作される。陶で作られるこれら作品の内側は、焼成時の破裂を防ぐために空洞である。その人体像の顔を間近に見ると、かすかに口を開けている。その口は見る者の意識を作品の内側へと導く。その時、今まで裏方に徹していた空洞は作品を成り立たせる要素となる。内側の見えない部分も含めて存在が成り立っているという視点は、私たち自身の在り方とも重なる。像の口を通して繋がる空洞面が裏と言うより内なる表であるように、私たちの腸内腔もまた口を通して体外空間とひと繋がりである。そして、飲み込んだ食物は腸内腔に溜め込まれ、反対側の出口から排出されるまでの間に腸壁という内なる表からその養分だけが体内へ吸い取られるのである。なるほどそう思えば、私たちの体はまるで底に穴の開いた器だ。実際、生物の体は細胞が集まって出来たシートが器様の形を取ることから始まるという。器によって外界を「一杯くみ取る」事が動物の個体存在の始まりなのだ。
 いくつかの作品に見られる壺状の形もまた人と器の形態的な相似を想起させる。食べて生きるだけではない私たち人間は、それぞれが抱え持つ思念さえも「自分というかたちの器」に溜め込んでいる。


 人体像は全身が有機的な曲面からできている。鋭角的な造形部位は顔や指先などの細部に見られる程度で、体の大きな造りはグニャリと柔らかく、下へ行くほどボリューム感を増していく。その特徴的なプロポーションは焼成前の柔らかい粘土の人体像が、支えなく自立するための必要性から自ずと導かれたという。筒状の粘土の腕は肘関節で折れ曲がるというよりゴムホースのようにしなって変形している。要するに、これらの人体像は体の支え−骨格−を内側に持たない「骨抜き」なのだ。身体の支えを持たない彼らは意識的に起立しているのではなく、ただぼんやりと立っているように見える。骨格という支持器官を内に持たなければ、伸ばそうとした腕さえ外部に置かれた梁によって支えられなければならない。それを隠さぬ潔さはゴシック建築の飛梁を思い出させもするが、不動の建築物とは違って、動く腕−実際に焼成時に動くという−に従うために梁の配置は不規則になる。それは運動を暗示しつつ腕を拘束し、それまで不可視だった力学的構築を表出させている。

 藤原氏の創り出すこれら人体像は、人の形の模倣と言うよりむしろ、心のうちにおぼろげに浮かぶ人の姿が土の肉体によって具現化されたものだ。だからそれらは私たちと同様の空間の制約を受けつつも、解剖学的な説得力を持った一個人として屹立しているのではなく、儚く捕らえどころがない態をして佇んでいるのである。


藤原彩人展 「像と容器」
ギャラリーせいほう
〒104-0061 東京都中央銀座8丁目10−7東成ビル 1F
2016/6/6(月) - 6/17(金)
11:00 〜 18:30 最終日 〜17:00 日曜休廊
http://gallery-seiho.com/

2016年5月28日土曜日

情報は知識ではない

 「情報は知識ではない」とはアインシュタインの言葉だったか。ごく当然の事を言っているように聞こえて、しかし、教訓としても響いてくる。それは、私たちが知識と思っていることが、実は単なる情報に過ぎないという可能性とその事実を示しているからだろう。
 なぜ私たちは情報を知識と”勘違い”するのだろうか。おそらくは、脳内の報酬系がどちらでも同様に働くのだろう。その喜びは新しい事実を手に入れたという同一性を持っていて、それが単なる情報だろうが知識であろうが判断しないのかも知れない。

 この言葉が教訓として響くのには、情報と知識の意味合いの違いはもちろん、それぞれの”働き”の価値に大きな違いがあるからである。まず情報は断片的であり多くの場合ストーリーを持たない。またそれが他者から情報として提示されている場合は、既知のものであって自己完結している。つまり、暫定的でありつつもゴールである。一方の知識は、体系立って物語性がある。その物語のピースこそが情報であって、そこから知識が編み込まれる。だから知識は解放されていて終わっていない。常に過程であり、新しいものへのスタートとなり得る。

 私たちが何か新しい事象を知るとき、それはまず情報としてやってくる。初めに記したように、私たちはそれだけでも満足できる。しかし、単なる点としてやってくるそれだけでは拡がりがなく、それで終わりなのだ。すなわちトリヴィアに過ぎない。とは言え、確かにトリヴィアを集めることは決して無意味ではないだろう。事実、18世紀までの博物学はそのような態をしていた。繋がりは分からないけれども、まずは真新しい情報を集める。やがて数が多くなるとその中に関連性が見えるようになってくる。そうしてそれらを繋げていくことで新しい学問体系が生まれてきた。つまり、断片的な情報を基に学問体系を織り上げているものが知識であって、それは常に新しい未来へ向けて流動的に動いている。

 すなわち、情報は「知る喜び」を純粋に与えてくれる。それは受動的で、情報がなくなれば喜びもすぐに枯渇するだろう。一方の知識には体系があり、それを知って組み立てる行為は能動的である。それは創造的ですらあり、その喜びは動き続ける限り自らのうちから湧き続け枯れることはない。

 「知の喜び」を簡単に得られるのは情報である。一方、知識からそれを得るには大量の情報をまず知り、次に体系立てるという段階を経なければならない。しかし、その階段の歩み方が見えてくれば一歩進む毎に新しい段階を知る喜びが継続する。
 自ら歩まず与えられ続けるのか、自ら歩んで創造するのか。両者には大きな違いがある。「情報は知識ではない」とは、そういう事も言っているのだろう。

2016年5月22日日曜日

『変容する態、もしくは相』展を観て

 井の頭公園は5月の晴天で木々の緑が生き生きと照り輝いていた。公園駐車場から歩いて直ぐに一本裏通りへ入ると閑静な高級住宅地。こんな立派な場所の立派なお宅の中も見てみたい。そんなことを考え始める頃に展示会場の置き看板が目に入る。正に立派な場所の立派なお宅が会場だった!ツタが一面に絡まった古い和式洋館といった佇まいの玄関で靴を脱いで会場内へ。つまりは、かつての居住空間を展示空間へと改装している。

 初めの部屋に、藤原氏の立像がこちらを向いて立っている。左の窓際には銀色に輝く吉賀(よしか)氏の炎の彫刻。左奥に深井氏の作品があり、この3点がまず目を惹いた。

 この展示は3作家の造形技法が粘土を焼成し釉で仕上げる陶であることで共通している。
 釉は溶けたガラスのぎらついた反射を放つ。その性質を利用した吉賀氏の炎彫刻は銀色も相まって近づかなければ詳細な形態を目で追うことが難しい。自分が動くことで変化する反射光に炎の揺らめきを重ねている。そうであっても、近づけばそこには確固たる形態が存在していて、私はその鋭い縁が織りなす造形に目を奪われた。もしこの作品が茶色の鈍い色彩を放つブロンズだったとしても相変わらず強い存在感を放つだろう。別の窓際には白い鉱物標本のような小品が置かれている。丸い膨らみがいくつも重なった様はアズライトの様であり、触れば崩れるような白く細かな枝が無数に生えているのはオケナイトを思い出させる。そのうちの1つは真ん中に穴が開いた多角形で、放射相称の棘皮動物(ウニ・ヒトデなど)の様だ。だがもっと似ている物がある。それはタンパク質の分子構造だ。私たちの体で働くタンパク質は実に6万種類に達すると言うが、それらの実体は何かと言えば限られた数のアミノ酸と呼ばれる構成単位からなる構造体である。そしてその多様な働きは組み上げられた分子の立体構造が作り出している。その形は多種多様だが、中にはとてもきれいな対称系をしているものがあり、特によく知られるひとつが免疫グロブリンM(IgM)のそれである。分子の構成要素である原子は原子核の周りを電子が確率的に存在している。その範囲の外殻を球形として描くのが空間充填モデルと呼ばれるものだが、そうして描写されたIgMを彷彿とさせる形状がそこにはあった。実際、私は作家である𠮷賀氏がそれをモチーフとしているとさえ思ったが、在廊していた氏と話すとそのイメージの源泉は雲や樹氷であるという。真ん中に穴が開いたドーナツ型には台風とその目が重ね合わされているという。分子構造と台風。どちらも極端な大きさのものたちだが、両者は似ていた。それにしても、様々な自然現象が作家という人間を通して、私たちの感性に触れる形へと変換されることは改めて興味深いものだ。そう思えば、作家は大自然と人間とを繋ぐシャーマンのようではないか。

 藤原氏の作る”骨抜きの”人体は、それでいて大きな足で自立している。その様は決して力強くはない。骨がないのだから仕方がない。だが、倒れないのだ。白い陶に黒い釉がかけられ、つよい色彩のコントラストを放つ。もっと夕方遅い時刻で光が消えゆく暗い洋館の部屋でこの作品を見たいと思った。きっと黒は闇に溶け、白い下地が間隔を開けて青灰色に人の形を伝えるだろう。

 深井氏の作品は、今の物ではない。ひび割れたテクスチャーやくすんだ色彩、選ばれたモチーフも現在の物ではないから、鑑賞者の目には博物館や骨董店に並ぶ、もはや作家性の消え失せた”物として自立したもの”として映るのである。初めの部屋に置かれた作品は前後に平たい。屋根のような台に鹿と人間がいる。在廊していた作家に依ると、ニューヨークのメトロポリタン美術館にある象牙の小品(古代メソポタミア)からインスパイアされているという。奥の和室には気につかまるオナガザル(ラングール系)の像。これも前後に平たい。つまり、どちらもが作品の観られる方向を規定している。西洋彫刻が言う多方向視点を拒否している。氏の作品はどれもが「置物」としての佇まいが強調されているが、立体で有りつつ見る方向が決められているその様こそ、床の間という小さな展示空間ではぐくまれた我が国特有の立体の有り様だったのかもしれない。事実、骨董屋へ行けば深井氏の作品のような前後に圧縮された小さな真鍮やらの置物を見ることができる。それらは平面の絵画から始まっているのは明らかで、その平面物を強引に立体世界へ引きずり出しては見たものの、側面性までの必要性は問われなかったのだ。興味深いのは、平面の時には存在しなかった裏面は造形してあることである。空白である事への恐怖。ひとたび空間へ存在したからには、何も無いわけには行かないのである。ミケランジェロの絵画を、その立体感覚から2.5次元絵画と私は勝手に呼んでいる。深井氏の彫刻はむしろそれを逆に進んでいるようで、2.5次元彫刻とでも呼ぼうか。

 素敵な洋館を後にしながら展示作品を反芻し、何か安心感、安定感を感じた。それは各作家の造形レベルの高さが基盤にあることは確かだが、それだけではない。その作品たちが放つ恒久性がそう感じさせるのかもしれない。彼らは良くも悪くも、変わらない物を作ってしまう人類の営みの永続性を担っている。

 彫刻家とは、私たち人間が持つ感性の古い部分を掘り起こして提示し続ける、そういう人たちの事だと妙に納得したのは、会場が趣きある洋館だったからだろうか。

会期2016年5月7日〜5月22日迄
会場:東京都三鷹市 スペース・S


2016年5月21日土曜日

レッテル 学生と教員

 言葉は強い。言葉は形無き(境界なき)概念に与えられる最初の区分けだ。そうした線引きの効果は大きく、だから言葉にされた対象は”そのもの”として安定するし、様々な事象も安心して捉えられるようになる。
 しかし本来は境界線の無いものに、突然強引に線引きをして名前を与えれば、そこに何らかの不具合や齟齬が生まれる事もまた当然であろう。

 私たちも、その年齢別に少年や大人などと言い分けられる。未成年と成人とが20才で突然に切り替えられるというのも随分と機械的に思える。不自然さとどこかに感じつつも、そういった「レッテル」を張られることに安心感もまた感じている。社会の立場においてもこのレッテルの影響力は大きい。レッテルを貼られることでそれに対応した役(ロール)を私たち自身さえ気付かぬうちに演じているのだ。だが、少年が次の日から成人になど突然になれるはずもないように、レッテルが指し示す通りの役をすぐにこなせるようになるわけではない。そのことについてはレッテルの強力な作用に隠されてしまいがちである。

 学校へ入学するや、生徒や学生と呼ばれる。もちろん、小学校入学時から児童として”あるべき振る舞い”の指導がなされてきているが、例えば大学に入学しても、もはや学生としての振る舞いとは何かなどと指導はされない。大学における学生の本分は紛れもなく学ぶことだが、では”学び”とどう向かい合えば良いのかの指導は、ほとんどなされることはない。学び方が分からないままに、「学生」という与えられたレッテルに従い、大学が提供する教育に盲目的に従わざるを得ない。そして多くの場合レッテルに安住し、その状況に疑問さえ抱かないのである。

 同じ問題は大学教員にも存在する。教員の多くが研究者として経験は予め持っていても教育者としてのそれは持っていないのである。優れた専門家が優れた教育者であるとは限らない。教員は自分の教え方が正しいと信じて、これもまた自らに与えられた「教員」のレッテルを信じて盲目的につき進むしかないのである。 

 学生と教員。それぞれにレッテルが貼られ役に就くものの、お互いにどう教わればいいのか分からず、どう教えればいいのかも分からない。つまり現場でのやりとりの中で手探りに進んでいるのだ。しかしこの有機的対応、言い換えれば「やる気に応じた指導」はムラが生じやすい。教員がそれぞれに自らの信念のもとに指導を行えば、学生側はそれだけの数の基準が提示されるということになる。そのような多基準は選択の混乱を招く。

 「学生」が教育機関に属する以上、彼ら若者を「学生」のレッテルにふさわしい”学び方を知る者”に導くのもまた、大学の責任ということになろう。そして、彼らをそう導きつつ、限られた時間内で最大の効果をもたらす指導も構築しなければならない。それは、教員個々が別々に指し示していては到達することが厳しいだろう。教員もまたそのレッテルにふさわしい”教える者”とならなければならない。教員が大学に属する以上、その指導は教員個人を越えた総体的基準が求められるだろう。
 これらが実現すれば、結果的に指導到達基準の底上げに繋がるはずであり、その時こそ、学生は学生として教員は教員としてのレッテルに見合った役についていると言えるのである。

2016年5月14日土曜日

美術大学での美術教育

どんな専門領域でも、その黎明期は一定の方向も定まらない混沌としたものだ。これを反対から見れば、混沌とした状態の領域はまだ黎明期の状態にあるとも言える。

 高度な専門性が要求される技術領域ではその教育体系が秩序だっているように感じる。例えば医学教育は6年間の間に効率的に多くの知識を身に付けられるように緻密に組み上げられている。基礎医学の解剖学一つ取っても単なる名称の暗記科目ではなく、一見バラバラに見える体内構造が様々な概念によって理路整然と再構築されている事を知ることで、人体を統合的に捉えることを可能にさせる。勿論、この”学習法”は解剖学者たちが人体のしくみを知るために研究してきた結果がベースになっている。このような科学的な研究の積み重ねがまずあり、次に教育者がそれを効率的に伝達する手順を考え実践し修正を加え続けることで今のメソッドが成り立っている。なお大学の教員を見れば分かるように、実際には研究者と教育者とは明確に分離しているわけではない。                     
 一方、専門技術や知識の習得が絶対的に求められる訳ではない領域では、その教育に高度な体系化は見られない。言わば現場任せといったところだ。そして、大学における美術教育もそこに位置しているように思える。私自身の彫刻学生時代を思い返すと、そこでは実材と呼ばれる粘土・木材・石材・金属で立体を造形する基礎を学んだ。しかし、彫刻について学んだ記憶がない。「彫刻とは何か」この問に集約される様々な彫刻概念を教育機関としての大学は何も語っていなかった。我々学生は教授陣の仕事から「今の彫刻と彫刻家」を感じ取っていたに過ぎない。私個人の場合、「彫刻とは何か」という本質的問題に最も心を砕いていたのは大学時代よりも前の美術予備校時代だったと感じる。ただそれは、人生で始めてそれに意識的になったことが新鮮な記憶として刻まれているということも多分にあるだろう。

 美術大学を出たところで、学生が皆芸術家にはならない。むしろ、それは圧倒的に少数である。その事実に加えて、現在では少子化問題などから生まれる商業的需要獲得のもくろみから、美術大学の教育方針はますます方向性を見失いつつあるのかも知れない。
 「美大学生は卒業までに”芸術家”とは何かという事に自覚的になるべき」
 「いや、何を持って”芸術家”とするのかを大学が提示すべきではない」
 上記のようなやりとりを以前、聞いた。この2つの意見は、発している言葉の奥にある立場が違っているのにお気づきだろうか。はじめの意見は言わば理想論であるが、後者は”大学”から発している。つまり、後者は現代日本における大学の有り様が色濃く反映していて現実的である。理想と現実は水と油の関係性で、決して混ざり合うことはない。現実的に見れば、美大の卒業生の多くは就職するのだから、そこで”美大以外”の就職活動者に引けを取らないように、ある程度社会的な“マルチさ”、言い換えれば平凡さを維持すべきであるという物言いへと裾野が伸びている。すなわちこれは「美大へ入学したからって芸術家になれなんて美大は言いません」という宣言である。
 私はこれに違和感を感ぜずに居れない。はたして「医学部へ入学したからって、医者になれとは言いません」という医学部があるか。この宣言は専門性の放棄に他ならず、本来ならばその看板を下げなければならない。芸術家になるかならないか、医者になるかならないか、それは結局は個人判断にまかされていることで、専門教育機関はあくまでその専門家の育成を目指すことが存在意義である。だから、美術大学は、何を持って”芸術家”とするのかを提示すべきであって、学生が卒業までにその専門家つまり芸術家とは何かについて自覚的に問えるように教育しなければならないのである。

 そうであるならば、美術大学ごとのミッション・ステートメントを構築し、その実現のための方法論を組み上げることができるだろう。芸術家は個人主義者だが、美術大学も法人として個人主義者になるべきなのである。絶対的に正しい指針を立ち上げることは不可能であるが、それでも無いよりずっとよい。「まずこう進め」と根拠を持って指し示すことが重要なのだ。ただその際に、進路に1つ北極星のように教授を置くだけでは不親切である。求められるのは、体系(システム)である。例えば「彫刻とは何か」という問に対して個人なりの解答が導き出されるためには、彫刻の特有性について自意識的にならなければならない。そこに至る感覚的手続きが前提として必要である。そうした各段階の全体が体系である。これは何も「彫刻とは何か」という概念的なものに限らず、具体的な対象にも同様に割り当てることができる。例えば彫刻科であれば「人体彫刻をどう作るか」においては、まず実材について知らなければならない。そしてもう一つが人体そのものについて知らなければならない。彫刻科において知らなければならない人体の答えは「形」である。学生は人体の形をまず捉えられなければならない。捉えることができて始めて、次の段階としてそれを造形することが可能になるのだ。

 私の学生時代は、それらの体系だった指導は無かったように記憶している。教授や先輩や同級生たちとの付き合いからそのつど「点」として情報のやりとりが成されていたような感覚がある。これは言うならば混沌であり、教育としては黎明期の様相を示している。大学における高等美術教育の歴史を振り返れば、かつて近代までの西洋では、人体の見方から表現技法までが一連一様に教育されてきた。それらはやがてアカデミズムと呼ばれ自由な美術表現を疎外するものとして”敵視”され、その流れが今まで続いている。ただその流れはあくまで西洋でのことで、日本はずっと同時代の西洋を模倣することをしてきたに過ぎない。そもそも、私たちはアカデミズムそのものさえ未体験なのではないだろうか。
 私が上で述べた体系だった高等美術教育とは、いわゆるアカデミズムに近いかもしれない。しかし、その体系だけが真実であるとは断言しない点において従来のそれとは異なるだろうと考えている。芸術は自由でなければならないから、体系だった教育は適さないというのは、大学においては成り立たない物言いである。それにむしろ、芸術家以外の進路が現実的であればこそ、効率的教育は実用的になり得る。なぜなら卒業時に各自が独自の芸術論を持ち、”形態を捉える目”と造形力の獲得を自認できれば、それは自分の在学期間に価値を与え、そのまま現在の自分に自信へと繋がるだろうから。



2016年5月6日金曜日

これからの道路交通系について

 ゴールデン・ウィークのように連休になると慣れない長距離運転からか、家族単位で巻き込まれる痛ましい交通事故のニュースが必ずと言って良いほど報道される。突然に家族を奪われる遺族の苦しみや想像だにできないものだが、加害者もその瞬間以前は一般人だったわけだ。具体的なシチュエーションは様々だが、連休で多く報道されるのは高速道路上での事故で、渋滞最後尾でトラックに追突された軽自動車が大破し・・というのが多い気がする。また、連休と関係なくとも日々起こる交通事故では最も多いのが交差点での歩行者(自転車)巻き込み事故である。それも統計では、”青信号で渡っている歩行者”の事故死亡率が最も高いと言う。
 事故のたびに、多くの悲しみと苦しみそして怒りが生まれている。交通法規を守っていたにも関わらず被害者となった虚しさはいかほどだろうか。問題は、それが「繰り返され続けている」という事実である。私たちは、そろそろ、いや改めて、そこにも目を向けなければならない。事故のたびに、被害者、加害者という札が付けられ言わば善と悪に色付けされて判断する。車は人間が運転しなければ動かない物なのだから、加害者運転手”こそが”悪い訳だ。しかし、被害者と加害者がどちらも歩いていて同じようにぶつかったとしたなら単に謝っておしまいのことだ。両者がぶつかって致命的な結果をもたらすには自動車が介在していなければならない。そして自動車には大きい小さい、重い軽い、遅い早いという要素が加わってくる。つまりこれら要素が持つエネルギーの大きさの差が力の差となり、甚大な被害を生んでいるのである。加害者運転手の運転ミスだけで、良い悪いを済ませていては同様の被害が生まれ続けてしまう。交通法規が赤では止まれ、青は進んで良いと言ったって人間はいつでも間違えるし、間違えるたびに数トンの質量が人間を押しつぶしてしまうのである。交通法規は理想を掲げるソフトに過ぎない。しかし、事故はいつも車と人間というハードで起こっている。私たちは、もっとハードに目を向けなければならない。幸い、最新の自動車には自動停止技術などが導入され始めているが、まだまだ揺籃期である。自動車を変える方が手っ取り早いのかもしれないが、それが走る道路系も再考の余地が多いにある、いや、今の道路は原始的過ぎる。誰の身近にも、歩道などない道があり歩行者の数十センチ脇を数トンの鉄の塊が走り抜けている現状がある。最も事故が起こる交差点システムもいつまで続けるのだろうか。
 いつまで「人間は信号を守る」という幻想を信じようとし続けるのか。数字が語るように「交通法規は必ず破られる」のである。それを罰金や懲罰で縛ることはお飾りに過ぎぬ。法規という”理想の教典”でコントロールなどしようと不可能を試みずに、「事故の起こりようのない交通系統の構築」を進めなければならない。道路、自動車、人間。交通事故に関連するこの3大要素で最も不安定なものが人間だ。今の交通系統はその逆で、人間こそがもっとも適応するという考えに基づいている。だから自動車学校で学び免許をもらえれば問題なくこの道路を走ることができる”はず”だと言う。年間数万人が交通事故に巻き込まれる。それは運転手のミスがきっかけである。できる”はず”だった人がそれを起こすのである。現実に目を向けて言わなければならない。人間は簡単に運転を誤るものなのだ。だからこそ、人間以外の部分から対処しなければいけないのである。すなわち、道路と車である。特に道路の変更は現実的に難しく感じられる。しかし、私たちが交通系という大きな社会インフラを安全性と共に構築していこうとするならば決して避けることはできない。そして、それは必ず遂行可能である。勿論、昨日の今日で出来上がるものではないが、ことさら難しいわけでもない。ビジョンを描き実行に移し、それを継続し続ければ良いだけのことだ。我々は誰も家族や友人、そして自らを交通被害者にしたくはない。もちろん、加害者にもだ。その為には動かなければならないのである。
 交通系を人間の良心や法規に基づく判断に任せる時代は徐々に終わりにさせなければならない。そんな不安定なものを信じて任せる時代は過去のものにすべきだ。そのビジョンの下に道路、車は再考されるべきである。













2016年5月4日水曜日

痛み

 ここ数日、いや数週間体調不良が続いている。そのひとつは腰痛だが、常に疼痛があり姿勢によっては”神経に触れるような”強い痛みがある。腰痛とひとつの単語で済んでしまうが、その痛みは行動を著しく制限させるし精神的にもやる気を大きく削がれる。常に痛みがある日が続くと、それを感じずに生活できる日々のありがたみを実感する。
 しかし、それと同時にある疑問も頭に浮かぶ。「痛みがない」と「痛みがある」はどこで切り替わっているのか。健康なときは日常生活においてこれといった痛みを意識しない。しかし、その時の体は全く問題が起きていないと言えるだろうか。腕やすねに身に覚えのない小さな傷がいつの間にか付いていることがある。同様に、気がつかないけれども何らかの不具合が体内に起きている事は十分に考えられる。それどころか、身体という大きな物体が運動をしながら生命活動を行っているのに、なんらの小問題も起こっていないと考える方が無理があるようにも思う。そう考えると、「痛みがある」か「痛みがない」かは何らかの障害レベルに応じて身体側が切り替えているのだろう。そもそも、痛みは感覚で、それを解剖学的に探し求めても見つけることはできない。それは意識と似てシステム内に現れる形無き現象である。
 痛みは死そのものより恐ろしいとも言われる。尊厳死(自死の選択権)が認められている国では、末期症状で余命が宣言された人が、回復の見込みのない耐え難い痛みからの解放を願ってその権利をしばしば行使するのである。医療においては確かに急性の痛みは”シグナル”として有用であるが慢性的な疼痛はもはや不要で有害なものとされ積極的な除去を試みる。
 現代の私たちは、様々な鎮痛剤や麻酔薬を手にしており、数世代前の人々と比べれば痛みをコントロールできているだろう。しかし、それでも尊厳死という選択が認められるほど痛みから根本的に逃れることはできないのである。

 痛みは、本当に障害と共に作られるのだろうか。外傷などは皮膚内部に備え付けられた障害受容器が刺激されることで起こる、とされる。しかし、その段階ではあくまでも神経が興奮し、その情報が伝達されることである。私たちが痛みを知覚するのは刺激が大脳皮質にまで登ってからのことで、それまでの間に”あの痛み”が作り上げられている。つまり厳密に言うなら痛みは怪我した部位ではなく、対応した大脳皮質の特定領域に表現されているものなのだ(もちろんこれは主観的知覚の全てに言える)。60兆以上の細胞たちの共同体である1人の体が、痛みを感じないときは全く何の問題も起きていないなどと言えるだろうか。例えるなら、この日本(人口2億に満たない)で何一つ問題の起きない日など考えられるだろうか。きっと、何の痛みも感じないような元気な日々でも、実際に体内では無数の問題が生じているに違いない。しかし、それらは痛み知覚として取り上げられていないに過ぎない。何らかの閾値の制御機構があるのかもしれない。体内(脳内)には強力な鎮痛物質が生成されていることが知られている。それらはオピオイドと総称されるが、この存在こそが、実際には体内には痛みが常に渦巻いている可能性を示している。私たちが痛みを感じず、健康だと感じている日々は実は「痛みがない」ことにされているのだ、とも言える。何らかの障害によって「痛みがある」ときこそ、「私」という高度な複合体が外世界で動いて生きる困難さの真実が垣間見えているのかも知れない。

2016年4月3日日曜日

トークイベント後に思ったこと

 昨日の「歌会」トークイベントでは、自分で予想していた内容の2割ほど話した。いくらでも話せるような気がするが、イベントや講演の前は話が時間的にもたないのではないかと思っていろいろ話す内容を考えたりする。結局は不安から多くをため込んでしまうから時間内に収まらなくなるのである。話した後はだいたい、余計なことを話したんじゃないか、役に立たなかったのではないかと後悔の念にさいなまれる。また、作品を作っていない自分に負い目を感じる。それだけに、今回のように”作る人間”たちの輪に入れてもらえることは実に有り難いと思う。

 イベント終了後に、恵比寿駅近くの中華料理店で軽い打ち上げがあった。その場にはトークイベント中にも刺激的なコメントで場を沸かしてくれた作家の藤堂氏もいて、ここでの率直な言葉のいくつかは考えさせられるものだった。ドイツに長く制作発表をしていた氏ならではの比較文化論的な視点は興味深い。「日本の芸術家は、技術は凄いが試合には出ない運動選手のようだ」、「日本人は何でも小綺麗に作れてしまう(ので主題がぼやける)」、「芸術家に自作を語らせるな(語るな)」、「作品は、聞いたり読んだりしないで、自分の目で観ろ」などなど。

 彫刻家、芸術家、という肩書きは本来は職種名ではなく、そういった生き様をする人の呼称だったろう。ただし、その立場で生活していくためには、生産物が流通しなければならないので市場も気にはなる。そういう現実と繋がる視点で見ると、日本の彫刻市場は非常に小さい。今回のトークイベントも、蓋を開けてみれば多くの彫刻関係者で占められていた。言わば同業者、いや同窓生か。こういう現状は、仲間意識の確認行為として嬉しさがある一方で、関係者以外への広がりの小ささが露呈して寂しくもある。もちろんこういったイベントだけで全てが分かるわけではないけれども、彫刻市場をより拡げるための行動が十分であるようには感じない。確かに、彫刻含め芸術は日常に溢れる物品のように扱える類ではなく、むしろ一般から距離があるからこそその価値を保てるという側面も事実上あるだろう。それでも、その距離感を意識しつつ一般への間口がもっと開かれる方法は無いものだろうか。

 芸術界というのはそれだけでひとつの生態系のようでもある。そのなかで生き残り、継続していくための答えは1つではない。ただ、その一員としてあり続けるためには、動き続けなければならない。そして消えないためには、周囲に対して柔軟でなければならない。作家の生きる時代から遊離した芸術というのは存在し得ない。自戒としてそんなことを思った。

2016年4月1日金曜日

樋口明宏展「歌会」を観て

 キッチュ。そんな単語がふと思い浮かんだ。樋口明宏氏の作品群を思い返していたときのことだ。これまでいくつもこの作家の作品を観てきたけれど、それがキッチュであると思ったことはなかった。それだけに私の頭の中で、樋口作品全体を包むイメージとしてこの単語が浮かび出たことは私自身の驚きでもある。そして今では、確かに彼の作品の多くがキッチュな物として映ることを認める。それが樋口作品に共通するある種の軽妙さの理由でもある。しかし同時に、それらは実際にはまったくキッチュではないということも事実である。
 ところでこのキッチュという言葉だが、あまり日常的に出てくる単語ではないけれども、何となくその意味するところは分かるという程度の認識だったので、ネットの検索窓にこの単語を入れて確かめた。すると直ぐに『芸術気取りのまがいもの。俗悪なもの』と出た。ちょっと私が思っていたよりも強いニュアンスのようだ。私自身の意味合いとしては、『本来の目的とは違う意味合いを与えられたり、これといった実用性を欠いた見た目重視の置物。グッズ。雑貨』である。
 いずれにせよ大事な点は、樋口作品がファインアート然としていないところだ。お高く止まっていない。それどころか、鑑賞者が時に”にやついて”しまうような分かりやすい味付けが確信犯的に加えられている。しかしこれは、作家としては危険な賭でもある。難解な作品はそもそも観てもらえないことが多いが、分かり易すぎても直ぐに鑑賞者に立ち去られてしまうからだ。出品作の「蒔絵が施されたゴキブリ標本」などはその代表だろう。人々が嫌う対象に、高級で美しい装飾が施されている。対比として非常に分かりやすい。あ、なるほど、と分かった気分になってスッと立ち去ってしまう人も多いだろう。だが実は、樋口氏の作品はその分かりやすい入り口の先に深みへ続く回廊が続いているのである。さらにそこには幾つもの別の扉がある!装飾されたゴキブリは、嫌われるべき存在なのか鑑賞対象なのか。私たちはゴキブリという天然を嫌い、装飾という人工だけを認めるのか。気持ち悪い!と湧き起こる情動は理性的な美で覆い隠せるものなのか。そういった幾つもの隠し扉の先に、仕掛け人である作家の姿が浮かんで見える。彼は作品を通して私たちに問題を提示しているようでありつつ、それらは彼自身が感じた答え無き疑問の素直な開示なのだ。自分自身を見返してみれば、確かに、様々な疑問が浮かんでは消えていくけれども、それらは皆、ごく日常的で身近な事象をきっかけとしている。そんな日常的な心の引っ掛かりが、具体的な形を成して、そこに置かれているのである。
 樋口氏の作品たちがキッチュであるようで、そうではないのは、こういう理由による。それらは時にナンセンスな滑稽さを身に纏っているけれども、作家の複雑な感情の機微がそこには宿っているのだ。そして、それらは鑑賞する私たちによって解凍され再生されることで、私たち自身の心的事象へと転化されるのである。
 
 樋口氏は自らを彫刻家だと言う。一般的に言われるそれは、石や粘土など実材を加工して何らかの形を作る美術家を差す。それに対して樋口氏はこれと言った実材に拘ることはなく、それどころか、今回の展示作品を観れば分かるように、天然の実材というよりも古道具や昆虫や古仏像などが組み合わされたり加工されているので、古典的な彫刻家という呼称が当てはまるのか、ふと疑問に思う。しかし、加工することで本来の有り様とは違う新しい意味合いが与えられるという行為として見れば、それは確かに古典的彫刻家たちの仕事と同一である。いや、切り倒された木材や切り出された石材から彫ることと既に仏像の形をしている物を彫るのでは違うだろうと思われるかもしれない。だが、切り倒された木材から何かを彫り出すにも、彫刻家は常にその実材と対話するように彫るものである。古仏像を彫る時はだから、樋口氏はその仏の形から受ける印象を無視するどころか繊細に感じ取りつつ鑿を当てているに違いない。それはまた、形が持つ力を信じている証しでもある。その意味において、氏は確かに彫刻家であり、それも日本古来的な感性をそこに見る。さらにまた、氏の作品は必ず何らかの加工が施されている。素材に手を加えることで自らの作品とするという手順、行為を守っている点でも古典的な彫刻家であると言えるだろう。

 さて、『歌会』という題目が付けられた本展の作品群は作品制作の方向性が大きく2つに分けられる。すなわち、作家が手を加えることで「既存の意味合いを変化させる」ものと「既存の印象を強調させる」ものだ。
 ただし、古道具に埋もれた腕を掘り出した作品は、それ自体では「本来の意味合いを表出させる」というもうひとつの方向性を指し示すが、これらは腕のない小像と組み合わされてユニットとなる事で「意味合いを変化させる」群にとりこまれる。
 
 意味合いを変化させる行為の作品:
 「石に漆絵」 和歌に触発。
 「明王に桜」
 「なまけものの爪」 ことばの面白さから。
 「石を接着」 偶然性の利用(見立て)
 「月の石」 偶然性の利用(見立て)。和歌に触発。
 「手の道具と小像」 ユニット作品

 印象を強調させる行為の作品:
 「金継ぎの雷神」 偶然性の利用(見立て)
 「昆虫に蒔絵」
 「手の道具」


 繰り返しになるが、樋口作品に特徴的なことは、そこにある作品の素材として用いられた物品もまた本来別の意味役割を持っているという点だ。分かりやすいのは「昆虫に蒔絵」だろう。本展ではゴキブリの標本に金蒔絵が施されている。多くの鑑賞者に取ってその意味合いは明解だろう。忌み嫌われる象徴としてのゴキブリと美しく高貴な金蒔絵の対照。そこからゴキブリに抱く嫌悪感について改めて意識が及ぶのである。しかし、この作品を”正しく”鑑賞するためには鑑賞者はゴキブリが嫌いでなければならず、金蒔絵に価値を見出していなければならない。この意味において同作品は鑑賞者を限定するものだ。同様の質は「なまけものの爪」や「明王に桜」にも言える。このような特性がしかし、今展覧会のタイトルである「歌会」からうかがい知れる。作家の紹介文にもある「本歌取り」とは今風に言えばオマージュのことで、もともと知られた歌の一部を使って新しい歌を作る。その新しい歌を楽しむにはオリジナルの歌も知っていることが前提となる。

 明王像や古道具のように既に意味が与えられている物を材料として別の意味を作り出す行為そのものは、実は新しいことではない。粘土や木材などの原材料から彫像を作り出す古典的な彫刻家もそれら材料に何らかの性質や意味合いを見出すことはしばしばある。「素材と対話する」といった言い方がされる。日本では特に木材を刻んで神仏像を造ってきたことから、木材には単なる材料以上に親近感を抱くものである。

 「接着した石」について、作家は「ひとつでは面白みに欠ける石が複数くっつけることで面白くなる」と言う。世界を構成する原子はそれひとつでは物性を持たないが、複数集まって分子となることで物性を表す。Hと2つのOが水となるように。また、音楽も同様で、音階1つでは音に過ぎないが複数集まることで音楽が生まれる。本展示では、接着した石が数多く床に置かれ、それらが全体として、別の意味を持つ。それは雲海にも似る。水の分子があつまり水滴となり、それが集まって雲となる。雲は水とは違う働きを私たちにもたらすように、この作品も1つの石と観るか、全体として観るかによってその意味合いが変化する。それらは流動的に繋がり一体化している。
 MA2ギャラリーの2階の展示は、床にたくさん置かれた「接着した石」と、窓を背に置かれた「金継ぎの雷神」である。これらの作品は全体として「雲海とその上にいる雷神」として観ることができる。そのように観るとき、雲を支えるギャラリー2階の床はあたかも地上界と天空界の境界面の様だ。こういったインスタレーション展示には、作家の作品だけではなく、それが置かれるギャラリーの部屋もまた作品の重要な要素として際立ってくる。2階の展示空間で鑑賞者は作品の中へと入り込み、作品と自身が混然となる体験をするだろう。その時私たちは雲海の上を浮遊し雷神と出会うのだ。これは言わば仮想空間への没入であり、それは今風に言えばVR空間である。

 樋口氏は彼自身とその作品との距離感がとても近いと言う。それは彼の作品の多くが大きくなく、かつ繊細な作風であることからも分かる。氏の近作の多くが、近くに寄ってじっくり観察することを鑑賞者に求める。作品の大きさ、鑑賞されるべき距離、作品が置かれる場など、作品を取り巻く環境への配慮は、彫刻作品にとっては実は作品そのものと同等に重要な要素である。そうであるにも関わらず、そのことにあまり関心を寄せていない作品は一般的に多い。しかし、それは展示する場所が定まらないという現代の作品の置かれる立場からのフィードバックでもあり、一概に否定できない。なぜなら作品たちは、時には小さな画廊で、時には公共の広いフロアーでと安住の地を得るまで流浪の旅を続けなければならないのだから。とはいえ、彫刻作品とそれを取り囲む空間への関心は未だ十分ではないことも確かではある。
 
 樋口作品は、表現されるバリエーションが広いことが特徴の1つで、毎回、今度は何が出てくるのだろうとワクワクさせる。様々なモチーフで表現が繰り出されるけれども、それら全体を俯瞰すると、そこにはいつもの樋口ワールドがある。樋口氏その人を直接知らない鑑賞者も、彼の作品群を観ていく内に、氏がどういう人間なのかが見えてくるのではないだろうか。つまり、樋口作品は作家自身の感性の断片が形を与えられたものなのだ。樋口氏は作品を通して鑑賞者と対話を試みる別の形での自分自身を作り続けている。


注)文中の作品名は作家による正式名ではなく、私が印象で呼んでいる仮称。

2016年3月25日金曜日

告知 トークイベント開催 樋口明宏個展「歌会」 MA2ギャラリー 恵比寿にて

 恵比寿の現代美術ギャラリーMA2にて現在開催中の「歌会」展の最終日である4月2日(土)に、本展作家の樋口明宏氏と私のトークイベントが行われます。

 樋口氏は東京をベースに制作した作品を国際的に発表しています。自身を彫刻家だと明言する彼の作品は主に立体ですが、時には高度な技術での彩色が施されるなど、技法に縛られることはありません。表現される内容も幅が広いので、個展でありながら、さながらグループ展であるかのような賑やかさがあります。しかし、そういったカラフルさの根底にはゆるぎのない作家の個性が一本筋を通していることが作品全体を通して明らかになるのです。
 幅と深みを持ちつつも軽やかに振る舞う樋口氏の作品たちが、歌会の題目の下にまとめられています。春にふさわしいタイトルの展覧会です。
 
 トークイベントでは、各作品を巡りながら肩肘張らず気楽に語り合う中で、作品の見所や作家が込めた考えが浮かび上がればと思っています。
 
 ぜひ、暖かくなって体も軽くなる頃ですから、現代美術の歌会に気軽にご参加下さい。

 詳細は、ここをクリックして、MA2ギャラリーのサイトをご覧下さい。

2016年3月14日月曜日

告知 朝カル講座始まります

 4月からの全3回講座が始まります。

 今回は、1回目と2回目で上肢と下肢の構造を中心に観察、クロッキーし、最終回はモデルさんの固定ポーズでヌードデッサンを行います。
 固定ポーズで時間を掛けて見て描くのは、私の講座では始めて行うことです。

 そうは言っても、午前中の数時間ですから、1枚の絵画としての密度まで描き込むことは難しいでしょうし、またそれを目指すのでもありません。

 陰影や輪郭線だけでなく、構造的に見た人体を描写として描き留めるような新しい試みをご自身でチャレンジしてみるような機会になれば良いと思っています。

 詳細はここをクリックして、朝日カルチャーのサイトを御覧下さい。

2016年3月8日火曜日

街にいる人々

 街にいる人々。子供から老人まで。
 小学校から聞こえてくる声。
 子供の頃に見た人々や聞いた声と何も変わらない。

 あの頃の子供はもう大人で、老人はもういないだろうに。

2016年2月21日日曜日

レビューと宗教

  インターネット上には様々な新商品に対するレビューに溢れている。情報伝達が主に雑誌だった頃は、そういったレビュー(新商品の紹介記事)も記者や専門のライターに依っていたが、現在では一般の人も自分なりの紹介という形でネット上にアップしている。そういったレビュー記事のアクセスが伸びるのは、現代ではやはりパソコンやタブレットやケータイなどのIT商品だろう。新商品の発売サイクルが短いIT機器は、その”鮮度”が物を言うので、注目を浴びる製品は誰もが早くに入手したいと思うものだ。決して安くはないそれら商品の性能や使い心地はどうなのか、入手前に知りたくもなる。さあ買おうとほぼ決心した商品のレビューほど熱心に読む。そうやって実際に自分の物になる前の時間を楽しんでもいる訳だ。
 やがて実際に商品を購入すると、もうレビュー記事を見る気は起きない。あれほど何度も見返した記事も、他人の感想などどうでもよいとばかりに、興味が消える。
 つまり、レビュー記事は、その紹介物を熱心に欲しがる人にこそ求められるもので、それは欲する人の欲求をさらに強くする。先に入手した者が後続者を(良くも悪くも)煽っているのである。自分の物にできそうだがまだ所有には至っていない時がもっとも”夢が膨らんで”ワクワクするものだ。それは、所有してしまうとワクワクは失われるという意味でもある。レビューはそのワクワクを担当していたのだから、ワクワクが失われればレビューを見る気も失せるわけだ。あれほど欲しがっていたものが、いざ所有できると何だか冷静になってしまっているという経験は誰でもある。「果たされるまでが、夢」である。

 ある状況に既に至った者が、後続者にその良さを教えて導こうとする図式は、死と関連する宗教にどこか似ている。宗教は既にある領域に至った者が、そこに至ろうとする後続者(信者)に、最終的な到達点やそこを目指すことの素晴らしさを説く。そのゴールが死後にもたらされる事になっているものでは、教義や宗教画などが言わばレビューとしてあり、僧侶など宗教者は熱心なレビュワーといったところだ。真の幸福が死後にあるのなら、生前は決してそれを手に入れることができない。「果たされるまでが夢」なのだから、信じる者にとっては、欲する気持ち(信心)は死ぬまで続くというわけだ。しかしだ、所有できてしまうとそれまでの熱が冷めてしまったように、死ぬことで極楽や天国へ到達し真の幸福を手に入れてしまったら、レビューつまり教義にももはや興味を持てなくなってしまうだろう。まあ、私たちのいる現世では、それを手に入れた者は1人もいないから、本当のところは決して分からないけれど。

2016年2月2日火曜日

告知 「絵を描く人のための 美術解剖学入門 頭頸部・男性・女性」開講

 新宿朝日カルチャーセンターにて、2月6日(土)から全3回の講座が始まります。
 1回目のテーマは頭頸部。2回目は男性。3回目は女性。全ての回にモデルが入ります。

 なぜ、1回目が頭頸部(くびから上)かと言うと、前回までの実技講座で、体幹と上肢と下肢を既にテーマとしたからです。毎回、どこかの部位をテーマとすることでピントを合わせた内容にしようと思っています。

 長く受講されている方から、一段階上がった内容のコースも欲しいと意見を頂いたことがあり、そのような中上級者コースもいつか実現できればと考えています。

 さて、今回の1回目のテーマである頭頸部は、ある意味、特殊な部位です。芸術でも肖像画や首像彫刻のように、この頭頸部だけを表したものが数多くあります。それはひとえに顔を作りたいからです。人類にとって顔はそれだけでその人の全てを象徴する部位であり、それだけ「観る目」も厳しくなります。
 顔を描こうとして、「かお」しか見ないと決して満足いくものにはなりません。「かお」は形態のユニットです。私たちはまず、ユニットを形成している部品の構造を明確にしなければなりません。このユニットとは、単に目、鼻、口の事を差しているのではありません。それらもまた「め」、「はな」、「くち」として見てしまうと概念的な仕上がりにしか到達できないでしょう。ここで言うユニットは、骨格(頭蓋)、筋肉、そして皮膚の三者を跨いでできる局所構造のことで、目や口などの概念的部位をも跨いでいます。
 形態としての顔は、それらユニットの組み合わせの結果に過ぎないとも言えるものです。

 顔は、テーマの頭頸部でいう”頭”に所属しています。次は”頸”です。「くび」と読みますがなぜ「首」ではないかというと、この首という漢字はそれだけで頭頸部全体を指し示すものだからです。つまり、頸部は頭と胸の間の細い部位だけを指し示しています。頸部は生物の部位としても興味深い部位ですが、芸術表現においても重要です。重要であるということは、以外と捉えにくいという事を意味してもいます。頸部はどうしても”細い円柱”として見えてしまうことが、造形の足かせになっているのかもしれません。頸と頭部の境界がどこか、ぱっと思い浮かぶでしょうか。頸はどこから胸部へと移行しているのかイメージできるでしょうか。頭の向きを変えたときに頸部はどう変形するのか知っていますか?

 顔をしっかりと頭部の構造内に落ち着かせるには、頸部との連結の表現が重要です。頸部はその大地である胸部へ安定して植わっていなければなりません。これら一連の構造を安定させるために、解剖学的構造を通して実際のモデルを観察し自ら描いていく中で理解を深めることが、この講座の目的です。

 講座の詳細はここをクリックして下さい。

2016年1月28日木曜日

今について

 1秒、また1秒と時は流れていく。いま、この瞬間を意識したとたん、それは既に過去と成っている。つまり、認識している世界は全て過去である。過去とは何か。私たちが主観的に認識する過去とはつまりは記憶のことである。
 ケータイにはカメラが付いている。いまではそれが当たり前だ。多くの人が今を記録したいと思っている。そこには過ぎ去ってしまった過去が記録されていると感じるからだ。このブログのように、考えたことを文字で記録することも人は好む。しかし実際は、それらは私たちの脳内に刻まれた記憶をよみがえらせるきっかけである。主観的な「思い出」は現実味があって、絵画を見るような空々しさはそこにはない。それは、その時に感じていた「今」が実はすでに少し前の「思い出」であったことの証しでもある。私たちはだれも本当の「今」を知ることはない。私たちが今この瞬間感じていることは既に脳内では「出来たての思い出」なのだ。現象は全て、流れ落ちる水に手をくべているようなもので、決してその瞬間を手の中に留めておくことはできない。
 これからやってくるであろう未来について、私たちは予測する。例えば、週末に出掛ける予定があれば、その事を楽しみに待つだろう。ところが、週末がやってきて出掛けて楽しんでいるその経験の全ては「少し前の思い出」である。そして帰宅すればもうそれは「思い出」となっている。
 楽しみに待っていたその瞬間はどこにあったのだろうか。まるで、新幹線の窓からそとを眺めているようだ。進行方向を見ると景色が自分に近づいてくる。それは自分の横を過ぎ去るときに最も早くなり、あっという間に後の景色として流れ去っていくのだ。景色として眺められるのは前景と後景だけである。

 未来、今、過去といった時間概念も、私たちは進化のなかで身につけた概念である。私たち動物は、行動を起こすために、「その前」の予測が重要である。そして、予測を可能にするには記憶が前提となる。行動の記憶を元に予測することで、新しい行動は無駄が無く危険の回避にも繋がる。このように、周囲環境の予測と、予測通りであったか否かという確認の連続が個体運動を支えてきたのであろう。そこに「今」は必要ない。
 
 しかし、時の流れには未来と過去の間に「今」がある。私たちの身体においてそれはどう感じ取られているのだろうか。それを担っているのが、身体各所にある感覚器官による刺激受容とそれに伴う反射行動ということになる。主に外世界の受容で見れば、皮膚には体性感覚にまとめられる各種感覚受容器が存在している。つまり、触覚、温冷覚、痛覚などの皮膚感覚である。また、頭部には目鼻口耳で捉えられる特殊感覚があり、世界を真っ直ぐに見て聞いて嗅いで味わっている。いま皮膚に何かが触れて、「何だろ」と思った時には、それは既に過去である。しかし、皮膚の感覚器は物が触れた瞬間にパルスを発し、それは直ぐ近くの脊髄内で運動ニューロンに伝達され筋の収縮命令が即座に出されている。この反射と呼ばれる過程は、運動様式のもっとも古い単純なもので、「触れている物がなんなのか」など全く考慮していない。「今その瞬間」にはそれが何なのかという判断がないのだ。私たちが知っている世界の記憶は、そういった感覚受容器から届けられた「今その瞬間」のパーツを組み合わせることで作られる。そうやって都合良く組み立てられた世界が「少し前の思い出」なのだ。
 
 私たちが漠然と「今」と信じている「少し前の思い出」は、感覚器たちが捉えた”前後不覚”な情報を元に組み立てられた世界だ。その世界はだから、生の、そのままの外世界ではあり得ない。そこには、期待や失望、喜びや悲しみ、過去の記憶などから自在に脚色が加えられるのである。だからこそ、悲しみによって世界は本当に色を失うし、希望によって本当に色付くのである。

2016年1月26日火曜日

メメント・モリ

 いま、生きている人は皆いずれ死ぬ。この死は、生きている人にとっては誰もまだ体験していないことだが必ず”そうなる”と既に決定している。つまり、私たちは決められた未来の下に生きているのである。

 さて、私たちは細胞の群体として存在している。意識を生み出している神経系も個々の細胞の集まりからできている。意識とはそういった無数の群体間の情報のやりとりに生まれた現象だとするなら、群体を構成している個々の細胞にまで分けてしまえばそこには意識はもはや見いだせないだろう。私たちの意識はあくまでも私たちのサイズでの事象である。私たちは死に意識的だが、それははじめからそうであったのではない。ただ、個体が死ぬという状態からは逃避するという行動様式は古くから身についていた。これは死を恐れていたからではない。個体の生命現象が停止しないような振る舞いを身につけたものだけが残ったのだ。死とそれに直結する身の危険からの忌避感覚はその後に後付けされたものだろう。それは自らが身につけた偶然的行為を肯定させる。だから、死が全ての生命体にとって忌避すべき現象では決してない。死すべき現象を取っている生命があればそのものは、私たちが明日も生きるのが当然と信じるかの如く至極当然に、自ら死んでいくのである。そのような生命は、私たちの体を構成している細胞達によく見られる。私という個体を維持するために自ら死んでいく細胞達が無数にいる。

 私たち個人の死というのは、個人を構成している細胞達によるシステムの不可逆的な崩壊であるとも言える。リカバリーの効く部分的な崩壊であれば、個人の死は免れる。それがある閾値を超えるともはや立ち戻れず、なし崩しに秩序が崩壊していくのだ。だから、個人の死と言ってしまうと1つの命がぷつんと消えるようだが、実際は無数の細胞の命がバタバタとドミノ倒しの様に消えていくようなものだ。つまり、1人の死には「死にはじめ」から「死に終わり」までタイムラグがある。ただ私たちは、自分や誰かを継続的な意識的反応に見ているので、それが消えるとその人が死んだと捉える。今は意識が消えても機械で身体の生命を維持できるので脳死という現象、言葉が生まれた。意識はシステムに生まれる現象であるから、脳死であっても、機械で栄養が送られていれば、身体を構成している細胞のひとつひとつは何の不満もなく生命現象を継続する。しかし、それでもいつかは個人の全細胞が死ぬときが来る。
 個体の死は、システムに組み込まれたものだという。つまり、私たちは個体が死ぬことを織り込み済みで進化してきたのだ。個体の死は生命体における失策ではない。むしろ死なないことは失敗だった。多様な生命の多くが個体死を組み込んで進化していることからもそれは分かる。外部環境の多様な変化と同調するには、適当なサイクルで個体が死んで行くことが重要なのである。もちろんそれは次世代を作ってからのことだが。つまり私たち個人の死は、人類という種の継続のために役立っているのである。種の継続と個体の死は表裏一体の現象なのだ。

 さて、先に私たちの体を構成している自ら死んでいく細胞たちは疑うことも抗うこともせずに死んでいくと書いた。私たち個人も巨視的に見れば、種存続のために組み込まれた死を受け入れ死んでいく。しかし、私たちは死を恐れ免れたいと欲求するのである。ここに身体と精神の二律背反が起こっている。なぜこのようなことが起こったのか。決して個体死から逃れられないのにも関わらず、なぜ抗い続けようとするのか。抗おうとしているのは意識である。では、その意識が生命システムにおいて立ち現れた理由、原因は何であろう。意識は自らの生命現象を確認し定義づける働きを見せる。いったいそれは何の必要があるのか。もし私たちが単独で生きていたらそれは必要だろうか。確認し、定義付けるメリットは、それを他者に伝えることが出来るということではないか。同種の他者と意思行動を共有するには他者の行動を「観察」し、自己と「比較」することが必要である。観察や比較といった客観的視点は、そのまま自分へと向く。そこには他者から自己へのフィードバックもあるだろう。やがて私たちは自分自身をも他者のように観察し比較することが可能になる。そうして自己客観視は意思として私たちの内側に居座るようになるのだ。よく考えてみれば「私」とはどこにいるのだろうか。自分存在を「私」として切り離せるのは、自己を他者として投影しているからであろう。これは「精神」や「魂」など様々なかたちを取るが、常に肉体的身体と別体であろうとするのも、それが故であろう。

 自分の死を体験した人はいないという事実を思い起こそう。私たちの知る死は全て他者のそれである。死とは客観的事象なのだ。観察される死はいつも悲しみや苦しみなどネガティブな感情を伴っている。それはもちろん、そう感じるように出来ているからで、同種他者の死は種の個体数減少と直結しているのであるから深刻な事態である。そして、他者を失う喪失感はそのまま自分の死として客観されるのである。他者の死が喪失を伴う哀しいものであるなら自己の死もそういうことになるのだ。こうして、客観的に観察された死は自己にも訪れる忌避すべきものとして植え付けられ、私たちは最後の瞬間までそれから逃れようとする。

 社会性動物ゆえに意識を持ち、意識的ゆえに死を恐れる。しかし、死を恐れるという意識も、人類の社会性のうえに返されることで人類に恩恵を与えることになった。それが医学である。意識的であるということは、本質的には自己も他者もないのであるから、私たちは他人の苦しみを自分のものとして捉えることができる。他人の苦しみを取り除き死から遠ざけることは自らの死を遠ざけることに等しいのである。
 しかし、医学がすることは病や怪我などのように”部分的な崩壊”のリカバリーに過ぎない。医学も個体死を消すことは出来ない。

 意識を持つことで死を知ってしまった。だが、それは同時に生を知ることでもあった。抗えども逃げられぬ死。しかしそれを恐れているということは、まだ生きているということの客観的証明でもある。身体的危機を免れると生きていることを実感する。なんとも皮肉だが仕方がない。

2016年1月16日土曜日

アンパンマンの頭と体

 アンパンマンについて、ふと考えたこと。

 アンパンマンは、アンパンで出来ている自分の頭を腹を空かせた者に分け与える。また、頭部が水に濡れてふやけると力が弱くなってしまう。このように頭部を損傷しても、新しい頭と取り替えることで元に戻る。新しい頭は、ジャムおじさんが焼いている。頭と取り替える時は、新しい頭部が飛んできて、まるでビリヤードの球がぶつかるように古い頭をはじき飛ばして胴体と結合する。古い頭はどうなってしまうのだろう。固まった笑顔のまま地面に転がるのだろうか。頭部と胴体が切り離されるという表現は衝撃的である。
 また、頭部と胴体が分かれるのであれば、胴体は何なのかも気になる。「アンパンマン」という呼称に適うのは彼の頭部だけで、胴体は特にアンパンではないように見える。頭はジャムおじさんが作っているが胴体はどこから来たのだろう。まあ、胴体もジャムおじさんが作ったのだろう。パンではない何かで。そう考えるのが妥当だ。

 上記の様に、アンパンマンは頭部と胴体とが完全一体ではない。それは私たちの体の構造と大きく異なる。異なるけれども、平常時はあたかも一体のように振る舞っている。
 私たちの体の頭部と胴体とは、その間の頸(くび)で繋がっている。頸は「くびれている」ので頭と胴体とを結びつける部位として見られるけれども、それを発生的もしくは構造的に見れば、あくまで二次的にくびれただけで、本質的には胴体と一体であることが分かる。頚は脊椎動物が上陸した後にできたと考えられている。だから頸を持つ魚はいない。
 しかし、アンパンマンは違う。彼の頸は単なるくびれではなく頭と胴体との連結部として機能しているのだ。頭部と胴体とは必要に応じて接続されたり切り離されたりする。そして、頭と胴体とが連結されているときは両者が一体として振る舞う。つまり、1人のアンパンマンとして。その時の胴体は明らかに頭部の意思決定に従っているように見える。つまり、ばいきんまんの悪さを見聞きし、それに怒ってアンパンチを繰り出すという一連の判断は頭部のアンパンが行い、その判断を実行に移すのが胴体である。必殺技のアンパンチは胴体の運動に依っている。つまり、アンパンによる外部判断と意思決定が胴体へと伝わって運動を引き起こしている。その様は、私たちの機能と似通っている。
 ただし、私たちは意識的な運動の高次コントロールは頭部の大脳皮質にあるが、アンパンマンのそれが頭部にあるのかというと、それは消極的だ。頻繁に損傷し取り替えられる頭部は、純粋な感覚器と効果器としての顔面を持っているだけかもしれない。

 彼がアンパンマンと呼ばれるのは頭部がアンパンだからだ。その意味で、頭部の重要性は大きい。しかし、1人のアンパン”マン”として完成するには胴体が不可欠であることも、また事実である。ジャムおじさんの工房で焼かれたアンパンマンの頭部だけの状態では表情に動きがない。それはまさしく単なるアンパンだ。アンパンマンの頭部は胴体と結合することでアンパンマンとしての意思を発現させるのである。

 食べられても、ふやけても、何度も交換することができる頭部。別物の頭になっても以前と同じアンパンマンを自認するが、胴体と結合するまではただのアンパン・・。こうしてみると、動くアンパンマンとしての主体が実はあの頭部ではなく、胴体であることが分かってくる。そう思えば、アンパンマンは自分の胴体の一部を他者に与えることもしないし、胴体を交換することもない。アンパンマンの存在としての唯一性を支えているのは物言わぬ胴体なのだ。そう思えば、彼が空を飛び、弱者を助け、悪者とたたかっているのも全て胴体である。

 上記したように、アンパンマンは自分を「アンパンマンだ」と自認しているが、その自己決定を発声運動として表出させるのには胴体が必要なようだ(結合前の頭部は動かない)。だから、連結前のアンパンが、自らをアンパンマン(もしくはアンパン)だと自認しているのかどうかは知りようがない。しかし、胴体は交換アンパンが結合した後にどうして自らがアンパンマンだと分かるのだろう。その答えとしてひとつ言えるのは、”アンパンマンだ”と呼びかけられることによる自己認識がある。アンパンの頭をした彼は、ジャムおじさんをはじめ周囲のキャラクターたちから「アンパンマン」と呼ばれることで自らがアンパンマンだと自認するだろう。別の可能性は、彼(の胴体)が、自らをアンパンマンだとする自己同一性を保持しているのかも知れないということだ。新しい頭と取り替えられても、取り替えられる前と同じ自分というそぶりを見ると、後者である可能性が高い。そうであれば、たとえ胴体にカレーパンが結合してしまっても「ぼくはアンパンマン」と言うはずだ。しかし、見た目からカレーパンマンと呼ばれることによって、外見と内面とのギャップ「パン同一性障害」に悩まされるかもしれないけれど。

 さて、このように見てくると、アンパンマンの頭部と胴体との従属関係が当初思われていたそれと違ってきた。即ち、アンパンマンの自己同一性を保持しているのは、実はあの特徴的な頭部ではなく胴体であった。では、アンパンマンにとっての頭部の意義は何かと言うと、それはアンパンであるということにつきるだろう。それは彼にとって何の意味があるのか。それは彼の世界におけるアイデンティティー確立のため、つまり、他者から「あ、アンパンマンだ」と呼ばれるため、ということになる。

 アンパンマンは、誰からもそうと分かるように常に同じ頭部に同じ表情で飛び回っている。しかし、彼の自己同一性を保っているのは、交換可能な頭部ではなく、たったひとつの物言わぬ胴体の方なのだ。

 アンパンマンについては、顔がそっくりなジャムおじさんとの関係性についてや、アンパンマンが”いい人過ぎて人間味に欠ける”理由についてや、アンパンマン世界と彫刻との関連など、色々と考えることがある。それらは、いずれまた。

2016年1月11日月曜日

顎(あご)の形

 ふと、人の下顎の形が気になった。人にはいわゆる「顎のエラ」があるが、そもそもなぜあるのか。

 だいぶ前、肉食恐竜と草食恐竜とは顎関節の位置に違いがあるというのを読んだ。簡単に言えば、肉食恐竜のそれは歯列に対して上側にあって、草食恐竜は下側にある。それが歯にかかる力の伝わり方に影響していると。確かに顎関節の位置は対照的で、その時にそれに気付いたから覚えているのだが、力の伝わり方まではいまいち分からなかった。
 恐竜でも人間でも力学は同じだから、何かヒントがあるだろうと自分なりに考えた。歯列に対する顎関節の上下は、ただそれだけなら両者で変わりはない。上下をひっくり返せば同じだから。ネットで探すと、肉食恐竜の歯列は顎関節から直線的でハサミの様で、草食は角がある(いわゆるエラ)のでくるみ割りのように歯が当たるとあった。これは分かりやすい。側面図でいろいろ考えると、顎関節と前歯前端と奥歯後端の3点をむすぶ三角形を描くとよい。すると、奥歯後端の点が下に下がるほど、前歯前端と奥歯後端を結ぶ線が、顎関節を軸とする回転円周曲線に近づく。回転円周に近いほど、噛みしめたときの圧力は弱く、すりつぶし力が強くなる。つまり、そういう三角を描く顎ほどすりつぶしに向いている草食よりと言える。そう思って、ゾウの頭蓋を見ると、その奥歯の咬合面は見事に円周曲線上に近い。今度はライオンを見ると、歯列はかなり顎関節−前歯前端直線に近い。つまりハサミのように切るのに向く。

 人を見ると、両者の中間型だ。顎関節を上に上げる(もしくは、歯列を下に下げる)ことで、前歯前端−奥歯後端の歯列直線は、顎関節−前歯前端直線を斜めに横切って走る。だから、はさみのようでもあり、すりつぶしにも向いているとも言える。化石人類を見てみると、この斜めの横切りがより深く交わるように見える。つまり、現代人よりもすりつぶし型となる。人類は、草食動物よりの顎から始まったのだろうか。

 肝心の顎エラの直接的な回答とはずれたが、面白い。エラは咬筋付着部だから、その走行角度と歯列線とも何らかの関係があるのだろうな。もちろん側頭骨も。しかし、顎関節と歯列直線の関係性には力学的な理由が必ずあるはずで、それは「何をどう食べるか」が反映しているはずだ。

 長頭、短頭の話も、顔面部の発達と関係があるのではないだろうか。耳を挟んだ前方は内臓頭蓋、後方が神経頭蓋が占めている。前方が重くなれば、後方もバランス取りのために重くしたい。逆も然り。つまり、アゴが軽くなれば、後頭部を”短くしたい”。かといって脳を削ることは出来ないから左右幅を広げる。こうすると短頭が出来上がる。どうかな。

  上記文章は2014年初頭のものと思うが、ブログのカレンダー日付が狂い、先頭へ来たもの。

批判的に見る

 かつて学んだ大学院の教室のサイトの始めの文章に「対象を批判的に見る」という文言がある。それまで、批判的に見るというのがどういうことを意味するのか、あまりぴんときていなかった。修士までの芸術領域ではそういった話など出たこともない。だから、批判的と聞くと、相手や対象を信用しないというネガティブな印象を抱いた。実際、普通社会で批判的という言葉はそういう意味合いで用いられている。
 教室に入ると、毎週、抄読会という海外の医学論文をプレゼンする勉強会があった。担当は教室のメンバーが順番で回ってくる。レジュメを作成し、論文の要旨を発表する。すると、教授はじめ教員たちからその論文内容についていっせいに「つっこみ」が入る。つまりそれが批判なのだが、選んだ論文が悪いと、つっこみさえ入らずに終わってしまうこともあって、それはそれで寂しいものだ。しかし、つっこまれると自分の論文でもないのに自分が責められているようでなぜか悔しい気持ちにもなる。この抄読会の効果はしかし強大で、論文の構成組み立ての理解に役立つだけでなく、「批判的に対象を見る」という姿勢が半ば自然に理解できていったように思う。
 結局、批判的に見るというのは、対象を疑って掛かるという意味なのだが、その行為は決して後ろ向きであってはならず、建設的に前を向いている。つまり、そこに示されているものを批判するには、それを上回る情報をまずこちらが持っていなければならない。この情報とは、何も具体的なものだけを指しているのではない。むしろ具体的な情報はあとで調べれば入手できるので、それはパズルのピースのようなもので、重要なのは、そのパズルの組み立ての全貌や完成品の質への情報である。
 数多くの著書がある教授の文章の構築も、私にとっては教科書のようなものだ。著者とその著書の両方を知れるというのは、誰でも体験できるものではないが、その幸運に恵まれた私の感想としては、文章はその著者の思考体系が現れる、というものである。さらに言えば、著者の性格さえも文章には現れるのだということも実感できた。著書は著者の分身なのだ。

 さて、話をもどすが、対象や文章への批判的な視点はしかし、一般的ではない。インターネット上の文章や、その読者の反応を見ると、その事がよく分かる。私たちは、表されたものをとりあえずは信じるという性質があるのだろう。だからこそ、「批判的に見よ」とわざわざ名言しなければならないのであるし。
 しかし、ネット上の意見や文章が、すべて批判無しに受け入れられるものばかりかというと決してそうではない。発言は基本的に自由であるから、そこには、ありとあらゆるタイプの文章が転がっている。そういう中に、厄介なものもある。例えば「それらしい文章」だ。発言する者の意思としては、当然ながらそれを信用して貰いたい欲求がある。そのために各人が様々な”工夫”を凝らしている。個人的な発言であることが明解な場合(このサイトのように)は、発言者個人が信用に値するかどうかの小さな問題なのだが、それが団体の体をしていると、閲覧者は個人よりもその内容を信用する向きがある(それが団体活動の利点の1つだ)。しかしながら、様々なレベルの団体が存在しているのが事実で、それは「1団体を1個人」として変換しても良いようなものだ。つまり、何が言いたいかというと、団体だろうが個人だろうが、そこに提示されている文章なりの内容からその質を判断しなければいけないだろうということである。多くの文章を目にするようになった私たちには、積極的に自らその質を判断できる必要性が求められているのである。そこに必要な態度が、「批判的」なのだ。

 批判的を簡単に言えば「疑ってかかる」だが、上記したようにやみくもなそれではなく、文章全体の方向性や構築から、その質を客観的に判断しようとするのである。すると、流しで読むと一見客観的視点から書かれているようにも見える文章が、実は狭い視点からの思い込みを説得させようとしているものだったりすることに気付く。誰が書いたか、どこの団体が書いたか、だけで判断するのはあまり良くないようだ。

 また、さらに興味深いのは、上記した文章の問題は、芸術作品という文章ではない対象にも大方あてはまるということである。一見、それらしい作品は数多いけれども、その質が適切に整っているのかどうかは、また別である。

 批判的という視点は対象判断の役に立つ。

2016年1月10日日曜日

鳥、絵画的生物 -日本美術解剖学会の発表を聞いて-

 日本美術解剖学会の午前の部を聞いて、いろいろと知的刺激を受けた。以下の文章はその発表を聞きながら個人的に考えたことの記録で、発表内容とは直接的な関係はない。

 ひとつめは「鳥の美術解剖学」について。

 鳥はその生体の様と骨格とがなかなか頭の中でひとつに繋がらない。別の言い方をすれば、その骨格が、生きている外見とあまりにもかけ離れている。それは、鳥は皮膚の上にさらに羽毛の厚い層をまとっているからだ。そして、その羽は体型の凹凸をひとまとまりにまとめ上げ、大きな曲線でできたシンプルな形状にする。さらに、その羽に様々な色彩を載せている。色彩は立体感を消す作用がある。そのうえ鳥の多くは体が小さいので、視覚的に重量感やボリュームといった感覚を与えない。それはつまり、内側の構造をはっきりと抵抗を感じさせる皮膚に浮き立たせる人体などの動物が持つ彫刻的存在感というよりも、構造や重量感ではなくあくまでも表面的な色彩で存在を示す絵画的存在感である。それが鳥の骨格図になるととたんに構造や硬さの印象だけが目に入る。それはとても彫刻的で、そこに絵画的な生体とのギャップを感じるのだ。

 解剖学的な構造の知識が人体モチーフの芸術に応用されてきたのは、私たちの裸体はとても骨っぽいからである。裸を見ると、姿勢の頂点になる部分には都合良く骨が皮下に突き出ている。筋はその骨と骨との間にあり、柔らかな起伏をそこに与える。全体を包み込む皮膚に長い毛はなく、視覚的にも触覚的にも抵抗を感じさせるものである。
 美術解剖学の「ゴール」は裸体である。しかし、私たちの日常において裸は常に晒されるものではなく、公共的な人間というのは着衣が基本である。そうであるにも関わらず、美術において基本的に学ぶべきものが裸体”まで”というのは、実は奇妙なことだ。ルネサンス以降、人体表現は裸体が究極的なひとつの答えになった。それはもちろん、古代ギリシアが典型としてあるからだ。私たちは体から着脱可能なものは純粋な自己身体とは見なさない。裸こそが、人類存在の真実を示すというわけだ。
 しかしながら、ルネサンス期は衣服のシワの研究もされていた。当時の主要なモチーフである宗教画は裸ではないからだ。着衣の表現でも、衣服のシワがその内側の肉体の存在をしっかりと伝えるように姿勢が作られていた。衣服は肉体の従属物としてそこあった。

 筋骨格の構造を包む皮膚をさらす裸身。それをさらに覆い隠す衣服。この時の衣服は、鳥における羽毛と一見似ている。カラフルでふわふわな羽毛を取り除けば、鳥も細く筋張った皮膚に覆われた裸身を晒す。
 しかし、鳥の羽毛は人の衣服とは違って従属物ではない。それはあくまでも身体の一部であって、彼らの生態様式と密接に関係しているひとつの器官なのだ。そう考えてくると、鳥の骨格というのは人間の骨格よりもさらに一段階深いところにあるとも言えよう。
 だから、鳥の骨格を生体とリンクさせるには、人間よりもさらにひとつ連結要素が多く必要になるのではないか。そのことが、鳥の骨格と生体の印象が繋がりにくいことの要因なのだろう。

 骨格の知識は、鳥の美術解剖学でも大切だ。鳥の場合はそれに加えて、やはり羽毛の情報が欠かせないものだろう。私たちが鳥を見るとき、クチバシや脚を除けば、ほとんどその体型を決定づけているのは羽毛である。そこには翼も含まれる。色彩を取り除かれたそれらが鳥の隠されていた形状を示すだろう。羽毛はそれが生えている場所の動きを外見に連動させる。そう考えると、鳥の美術解剖学として人間のそれと決定的に違う点は羽毛の情報である。

 そんなことを、発表を聞きながら考えていて、その根底にある、「鳥は絵画的生物」であることも個人的に興味深い気付きであった。