2016年5月28日土曜日

情報は知識ではない

 「情報は知識ではない」とはアインシュタインの言葉だったか。ごく当然の事を言っているように聞こえて、しかし、教訓としても響いてくる。それは、私たちが知識と思っていることが、実は単なる情報に過ぎないという可能性とその事実を示しているからだろう。
 なぜ私たちは情報を知識と”勘違い”するのだろうか。おそらくは、脳内の報酬系がどちらでも同様に働くのだろう。その喜びは新しい事実を手に入れたという同一性を持っていて、それが単なる情報だろうが知識であろうが判断しないのかも知れない。

 この言葉が教訓として響くのには、情報と知識の意味合いの違いはもちろん、それぞれの”働き”の価値に大きな違いがあるからである。まず情報は断片的であり多くの場合ストーリーを持たない。またそれが他者から情報として提示されている場合は、既知のものであって自己完結している。つまり、暫定的でありつつもゴールである。一方の知識は、体系立って物語性がある。その物語のピースこそが情報であって、そこから知識が編み込まれる。だから知識は解放されていて終わっていない。常に過程であり、新しいものへのスタートとなり得る。

 私たちが何か新しい事象を知るとき、それはまず情報としてやってくる。初めに記したように、私たちはそれだけでも満足できる。しかし、単なる点としてやってくるそれだけでは拡がりがなく、それで終わりなのだ。すなわちトリヴィアに過ぎない。とは言え、確かにトリヴィアを集めることは決して無意味ではないだろう。事実、18世紀までの博物学はそのような態をしていた。繋がりは分からないけれども、まずは真新しい情報を集める。やがて数が多くなるとその中に関連性が見えるようになってくる。そうしてそれらを繋げていくことで新しい学問体系が生まれてきた。つまり、断片的な情報を基に学問体系を織り上げているものが知識であって、それは常に新しい未来へ向けて流動的に動いている。

 すなわち、情報は「知る喜び」を純粋に与えてくれる。それは受動的で、情報がなくなれば喜びもすぐに枯渇するだろう。一方の知識には体系があり、それを知って組み立てる行為は能動的である。それは創造的ですらあり、その喜びは動き続ける限り自らのうちから湧き続け枯れることはない。

 「知の喜び」を簡単に得られるのは情報である。一方、知識からそれを得るには大量の情報をまず知り、次に体系立てるという段階を経なければならない。しかし、その階段の歩み方が見えてくれば一歩進む毎に新しい段階を知る喜びが継続する。
 自ら歩まず与えられ続けるのか、自ら歩んで創造するのか。両者には大きな違いがある。「情報は知識ではない」とは、そういう事も言っているのだろう。

2016年5月22日日曜日

『変容する態、もしくは相』展を観て

 井の頭公園は5月の晴天で木々の緑が生き生きと照り輝いていた。公園駐車場から歩いて直ぐに一本裏通りへ入ると閑静な高級住宅地。こんな立派な場所の立派なお宅の中も見てみたい。そんなことを考え始める頃に展示会場の置き看板が目に入る。正に立派な場所の立派なお宅が会場だった!ツタが一面に絡まった古い和式洋館といった佇まいの玄関で靴を脱いで会場内へ。つまりは、かつての居住空間を展示空間へと改装している。

 初めの部屋に、藤原氏の立像がこちらを向いて立っている。左の窓際には銀色に輝く吉賀(よしか)氏の炎の彫刻。左奥に深井氏の作品があり、この3点がまず目を惹いた。

 この展示は3作家の造形技法が粘土を焼成し釉で仕上げる陶であることで共通している。
 釉は溶けたガラスのぎらついた反射を放つ。その性質を利用した吉賀氏の炎彫刻は銀色も相まって近づかなければ詳細な形態を目で追うことが難しい。自分が動くことで変化する反射光に炎の揺らめきを重ねている。そうであっても、近づけばそこには確固たる形態が存在していて、私はその鋭い縁が織りなす造形に目を奪われた。もしこの作品が茶色の鈍い色彩を放つブロンズだったとしても相変わらず強い存在感を放つだろう。別の窓際には白い鉱物標本のような小品が置かれている。丸い膨らみがいくつも重なった様はアズライトの様であり、触れば崩れるような白く細かな枝が無数に生えているのはオケナイトを思い出させる。そのうちの1つは真ん中に穴が開いた多角形で、放射相称の棘皮動物(ウニ・ヒトデなど)の様だ。だがもっと似ている物がある。それはタンパク質の分子構造だ。私たちの体で働くタンパク質は実に6万種類に達すると言うが、それらの実体は何かと言えば限られた数のアミノ酸と呼ばれる構成単位からなる構造体である。そしてその多様な働きは組み上げられた分子の立体構造が作り出している。その形は多種多様だが、中にはとてもきれいな対称系をしているものがあり、特によく知られるひとつが免疫グロブリンM(IgM)のそれである。分子の構成要素である原子は原子核の周りを電子が確率的に存在している。その範囲の外殻を球形として描くのが空間充填モデルと呼ばれるものだが、そうして描写されたIgMを彷彿とさせる形状がそこにはあった。実際、私は作家である𠮷賀氏がそれをモチーフとしているとさえ思ったが、在廊していた氏と話すとそのイメージの源泉は雲や樹氷であるという。真ん中に穴が開いたドーナツ型には台風とその目が重ね合わされているという。分子構造と台風。どちらも極端な大きさのものたちだが、両者は似ていた。それにしても、様々な自然現象が作家という人間を通して、私たちの感性に触れる形へと変換されることは改めて興味深いものだ。そう思えば、作家は大自然と人間とを繋ぐシャーマンのようではないか。

 藤原氏の作る”骨抜きの”人体は、それでいて大きな足で自立している。その様は決して力強くはない。骨がないのだから仕方がない。だが、倒れないのだ。白い陶に黒い釉がかけられ、つよい色彩のコントラストを放つ。もっと夕方遅い時刻で光が消えゆく暗い洋館の部屋でこの作品を見たいと思った。きっと黒は闇に溶け、白い下地が間隔を開けて青灰色に人の形を伝えるだろう。

 深井氏の作品は、今の物ではない。ひび割れたテクスチャーやくすんだ色彩、選ばれたモチーフも現在の物ではないから、鑑賞者の目には博物館や骨董店に並ぶ、もはや作家性の消え失せた”物として自立したもの”として映るのである。初めの部屋に置かれた作品は前後に平たい。屋根のような台に鹿と人間がいる。在廊していた作家に依ると、ニューヨークのメトロポリタン美術館にある象牙の小品(古代メソポタミア)からインスパイアされているという。奥の和室には気につかまるオナガザル(ラングール系)の像。これも前後に平たい。つまり、どちらもが作品の観られる方向を規定している。西洋彫刻が言う多方向視点を拒否している。氏の作品はどれもが「置物」としての佇まいが強調されているが、立体で有りつつ見る方向が決められているその様こそ、床の間という小さな展示空間ではぐくまれた我が国特有の立体の有り様だったのかもしれない。事実、骨董屋へ行けば深井氏の作品のような前後に圧縮された小さな真鍮やらの置物を見ることができる。それらは平面の絵画から始まっているのは明らかで、その平面物を強引に立体世界へ引きずり出しては見たものの、側面性までの必要性は問われなかったのだ。興味深いのは、平面の時には存在しなかった裏面は造形してあることである。空白である事への恐怖。ひとたび空間へ存在したからには、何も無いわけには行かないのである。ミケランジェロの絵画を、その立体感覚から2.5次元絵画と私は勝手に呼んでいる。深井氏の彫刻はむしろそれを逆に進んでいるようで、2.5次元彫刻とでも呼ぼうか。

 素敵な洋館を後にしながら展示作品を反芻し、何か安心感、安定感を感じた。それは各作家の造形レベルの高さが基盤にあることは確かだが、それだけではない。その作品たちが放つ恒久性がそう感じさせるのかもしれない。彼らは良くも悪くも、変わらない物を作ってしまう人類の営みの永続性を担っている。

 彫刻家とは、私たち人間が持つ感性の古い部分を掘り起こして提示し続ける、そういう人たちの事だと妙に納得したのは、会場が趣きある洋館だったからだろうか。

会期2016年5月7日〜5月22日迄
会場:東京都三鷹市 スペース・S


2016年5月21日土曜日

レッテル 学生と教員

 言葉は強い。言葉は形無き(境界なき)概念に与えられる最初の区分けだ。そうした線引きの効果は大きく、だから言葉にされた対象は”そのもの”として安定するし、様々な事象も安心して捉えられるようになる。
 しかし本来は境界線の無いものに、突然強引に線引きをして名前を与えれば、そこに何らかの不具合や齟齬が生まれる事もまた当然であろう。

 私たちも、その年齢別に少年や大人などと言い分けられる。未成年と成人とが20才で突然に切り替えられるというのも随分と機械的に思える。不自然さとどこかに感じつつも、そういった「レッテル」を張られることに安心感もまた感じている。社会の立場においてもこのレッテルの影響力は大きい。レッテルを貼られることでそれに対応した役(ロール)を私たち自身さえ気付かぬうちに演じているのだ。だが、少年が次の日から成人になど突然になれるはずもないように、レッテルが指し示す通りの役をすぐにこなせるようになるわけではない。そのことについてはレッテルの強力な作用に隠されてしまいがちである。

 学校へ入学するや、生徒や学生と呼ばれる。もちろん、小学校入学時から児童として”あるべき振る舞い”の指導がなされてきているが、例えば大学に入学しても、もはや学生としての振る舞いとは何かなどと指導はされない。大学における学生の本分は紛れもなく学ぶことだが、では”学び”とどう向かい合えば良いのかの指導は、ほとんどなされることはない。学び方が分からないままに、「学生」という与えられたレッテルに従い、大学が提供する教育に盲目的に従わざるを得ない。そして多くの場合レッテルに安住し、その状況に疑問さえ抱かないのである。

 同じ問題は大学教員にも存在する。教員の多くが研究者として経験は予め持っていても教育者としてのそれは持っていないのである。優れた専門家が優れた教育者であるとは限らない。教員は自分の教え方が正しいと信じて、これもまた自らに与えられた「教員」のレッテルを信じて盲目的につき進むしかないのである。 

 学生と教員。それぞれにレッテルが貼られ役に就くものの、お互いにどう教わればいいのか分からず、どう教えればいいのかも分からない。つまり現場でのやりとりの中で手探りに進んでいるのだ。しかしこの有機的対応、言い換えれば「やる気に応じた指導」はムラが生じやすい。教員がそれぞれに自らの信念のもとに指導を行えば、学生側はそれだけの数の基準が提示されるということになる。そのような多基準は選択の混乱を招く。

 「学生」が教育機関に属する以上、彼ら若者を「学生」のレッテルにふさわしい”学び方を知る者”に導くのもまた、大学の責任ということになろう。そして、彼らをそう導きつつ、限られた時間内で最大の効果をもたらす指導も構築しなければならない。それは、教員個々が別々に指し示していては到達することが厳しいだろう。教員もまたそのレッテルにふさわしい”教える者”とならなければならない。教員が大学に属する以上、その指導は教員個人を越えた総体的基準が求められるだろう。
 これらが実現すれば、結果的に指導到達基準の底上げに繋がるはずであり、その時こそ、学生は学生として教員は教員としてのレッテルに見合った役についていると言えるのである。

2016年5月14日土曜日

美術大学での美術教育

どんな専門領域でも、その黎明期は一定の方向も定まらない混沌としたものだ。これを反対から見れば、混沌とした状態の領域はまだ黎明期の状態にあるとも言える。

 高度な専門性が要求される技術領域ではその教育体系が秩序だっているように感じる。例えば医学教育は6年間の間に効率的に多くの知識を身に付けられるように緻密に組み上げられている。基礎医学の解剖学一つ取っても単なる名称の暗記科目ではなく、一見バラバラに見える体内構造が様々な概念によって理路整然と再構築されている事を知ることで、人体を統合的に捉えることを可能にさせる。勿論、この”学習法”は解剖学者たちが人体のしくみを知るために研究してきた結果がベースになっている。このような科学的な研究の積み重ねがまずあり、次に教育者がそれを効率的に伝達する手順を考え実践し修正を加え続けることで今のメソッドが成り立っている。なお大学の教員を見れば分かるように、実際には研究者と教育者とは明確に分離しているわけではない。                     
 一方、専門技術や知識の習得が絶対的に求められる訳ではない領域では、その教育に高度な体系化は見られない。言わば現場任せといったところだ。そして、大学における美術教育もそこに位置しているように思える。私自身の彫刻学生時代を思い返すと、そこでは実材と呼ばれる粘土・木材・石材・金属で立体を造形する基礎を学んだ。しかし、彫刻について学んだ記憶がない。「彫刻とは何か」この問に集約される様々な彫刻概念を教育機関としての大学は何も語っていなかった。我々学生は教授陣の仕事から「今の彫刻と彫刻家」を感じ取っていたに過ぎない。私個人の場合、「彫刻とは何か」という本質的問題に最も心を砕いていたのは大学時代よりも前の美術予備校時代だったと感じる。ただそれは、人生で始めてそれに意識的になったことが新鮮な記憶として刻まれているということも多分にあるだろう。

 美術大学を出たところで、学生が皆芸術家にはならない。むしろ、それは圧倒的に少数である。その事実に加えて、現在では少子化問題などから生まれる商業的需要獲得のもくろみから、美術大学の教育方針はますます方向性を見失いつつあるのかも知れない。
 「美大学生は卒業までに”芸術家”とは何かという事に自覚的になるべき」
 「いや、何を持って”芸術家”とするのかを大学が提示すべきではない」
 上記のようなやりとりを以前、聞いた。この2つの意見は、発している言葉の奥にある立場が違っているのにお気づきだろうか。はじめの意見は言わば理想論であるが、後者は”大学”から発している。つまり、後者は現代日本における大学の有り様が色濃く反映していて現実的である。理想と現実は水と油の関係性で、決して混ざり合うことはない。現実的に見れば、美大の卒業生の多くは就職するのだから、そこで”美大以外”の就職活動者に引けを取らないように、ある程度社会的な“マルチさ”、言い換えれば平凡さを維持すべきであるという物言いへと裾野が伸びている。すなわちこれは「美大へ入学したからって芸術家になれなんて美大は言いません」という宣言である。
 私はこれに違和感を感ぜずに居れない。はたして「医学部へ入学したからって、医者になれとは言いません」という医学部があるか。この宣言は専門性の放棄に他ならず、本来ならばその看板を下げなければならない。芸術家になるかならないか、医者になるかならないか、それは結局は個人判断にまかされていることで、専門教育機関はあくまでその専門家の育成を目指すことが存在意義である。だから、美術大学は、何を持って”芸術家”とするのかを提示すべきであって、学生が卒業までにその専門家つまり芸術家とは何かについて自覚的に問えるように教育しなければならないのである。

 そうであるならば、美術大学ごとのミッション・ステートメントを構築し、その実現のための方法論を組み上げることができるだろう。芸術家は個人主義者だが、美術大学も法人として個人主義者になるべきなのである。絶対的に正しい指針を立ち上げることは不可能であるが、それでも無いよりずっとよい。「まずこう進め」と根拠を持って指し示すことが重要なのだ。ただその際に、進路に1つ北極星のように教授を置くだけでは不親切である。求められるのは、体系(システム)である。例えば「彫刻とは何か」という問に対して個人なりの解答が導き出されるためには、彫刻の特有性について自意識的にならなければならない。そこに至る感覚的手続きが前提として必要である。そうした各段階の全体が体系である。これは何も「彫刻とは何か」という概念的なものに限らず、具体的な対象にも同様に割り当てることができる。例えば彫刻科であれば「人体彫刻をどう作るか」においては、まず実材について知らなければならない。そしてもう一つが人体そのものについて知らなければならない。彫刻科において知らなければならない人体の答えは「形」である。学生は人体の形をまず捉えられなければならない。捉えることができて始めて、次の段階としてそれを造形することが可能になるのだ。

 私の学生時代は、それらの体系だった指導は無かったように記憶している。教授や先輩や同級生たちとの付き合いからそのつど「点」として情報のやりとりが成されていたような感覚がある。これは言うならば混沌であり、教育としては黎明期の様相を示している。大学における高等美術教育の歴史を振り返れば、かつて近代までの西洋では、人体の見方から表現技法までが一連一様に教育されてきた。それらはやがてアカデミズムと呼ばれ自由な美術表現を疎外するものとして”敵視”され、その流れが今まで続いている。ただその流れはあくまで西洋でのことで、日本はずっと同時代の西洋を模倣することをしてきたに過ぎない。そもそも、私たちはアカデミズムそのものさえ未体験なのではないだろうか。
 私が上で述べた体系だった高等美術教育とは、いわゆるアカデミズムに近いかもしれない。しかし、その体系だけが真実であるとは断言しない点において従来のそれとは異なるだろうと考えている。芸術は自由でなければならないから、体系だった教育は適さないというのは、大学においては成り立たない物言いである。それにむしろ、芸術家以外の進路が現実的であればこそ、効率的教育は実用的になり得る。なぜなら卒業時に各自が独自の芸術論を持ち、”形態を捉える目”と造形力の獲得を自認できれば、それは自分の在学期間に価値を与え、そのまま現在の自分に自信へと繋がるだろうから。



2016年5月6日金曜日

これからの道路交通系について

 ゴールデン・ウィークのように連休になると慣れない長距離運転からか、家族単位で巻き込まれる痛ましい交通事故のニュースが必ずと言って良いほど報道される。突然に家族を奪われる遺族の苦しみや想像だにできないものだが、加害者もその瞬間以前は一般人だったわけだ。具体的なシチュエーションは様々だが、連休で多く報道されるのは高速道路上での事故で、渋滞最後尾でトラックに追突された軽自動車が大破し・・というのが多い気がする。また、連休と関係なくとも日々起こる交通事故では最も多いのが交差点での歩行者(自転車)巻き込み事故である。それも統計では、”青信号で渡っている歩行者”の事故死亡率が最も高いと言う。
 事故のたびに、多くの悲しみと苦しみそして怒りが生まれている。交通法規を守っていたにも関わらず被害者となった虚しさはいかほどだろうか。問題は、それが「繰り返され続けている」という事実である。私たちは、そろそろ、いや改めて、そこにも目を向けなければならない。事故のたびに、被害者、加害者という札が付けられ言わば善と悪に色付けされて判断する。車は人間が運転しなければ動かない物なのだから、加害者運転手”こそが”悪い訳だ。しかし、被害者と加害者がどちらも歩いていて同じようにぶつかったとしたなら単に謝っておしまいのことだ。両者がぶつかって致命的な結果をもたらすには自動車が介在していなければならない。そして自動車には大きい小さい、重い軽い、遅い早いという要素が加わってくる。つまりこれら要素が持つエネルギーの大きさの差が力の差となり、甚大な被害を生んでいるのである。加害者運転手の運転ミスだけで、良い悪いを済ませていては同様の被害が生まれ続けてしまう。交通法規が赤では止まれ、青は進んで良いと言ったって人間はいつでも間違えるし、間違えるたびに数トンの質量が人間を押しつぶしてしまうのである。交通法規は理想を掲げるソフトに過ぎない。しかし、事故はいつも車と人間というハードで起こっている。私たちは、もっとハードに目を向けなければならない。幸い、最新の自動車には自動停止技術などが導入され始めているが、まだまだ揺籃期である。自動車を変える方が手っ取り早いのかもしれないが、それが走る道路系も再考の余地が多いにある、いや、今の道路は原始的過ぎる。誰の身近にも、歩道などない道があり歩行者の数十センチ脇を数トンの鉄の塊が走り抜けている現状がある。最も事故が起こる交差点システムもいつまで続けるのだろうか。
 いつまで「人間は信号を守る」という幻想を信じようとし続けるのか。数字が語るように「交通法規は必ず破られる」のである。それを罰金や懲罰で縛ることはお飾りに過ぎぬ。法規という”理想の教典”でコントロールなどしようと不可能を試みずに、「事故の起こりようのない交通系統の構築」を進めなければならない。道路、自動車、人間。交通事故に関連するこの3大要素で最も不安定なものが人間だ。今の交通系統はその逆で、人間こそがもっとも適応するという考えに基づいている。だから自動車学校で学び免許をもらえれば問題なくこの道路を走ることができる”はず”だと言う。年間数万人が交通事故に巻き込まれる。それは運転手のミスがきっかけである。できる”はず”だった人がそれを起こすのである。現実に目を向けて言わなければならない。人間は簡単に運転を誤るものなのだ。だからこそ、人間以外の部分から対処しなければいけないのである。すなわち、道路と車である。特に道路の変更は現実的に難しく感じられる。しかし、私たちが交通系という大きな社会インフラを安全性と共に構築していこうとするならば決して避けることはできない。そして、それは必ず遂行可能である。勿論、昨日の今日で出来上がるものではないが、ことさら難しいわけでもない。ビジョンを描き実行に移し、それを継続し続ければ良いだけのことだ。我々は誰も家族や友人、そして自らを交通被害者にしたくはない。もちろん、加害者にもだ。その為には動かなければならないのである。
 交通系を人間の良心や法規に基づく判断に任せる時代は徐々に終わりにさせなければならない。そんな不安定なものを信じて任せる時代は過去のものにすべきだ。そのビジョンの下に道路、車は再考されるべきである。













2016年5月4日水曜日

痛み

 ここ数日、いや数週間体調不良が続いている。そのひとつは腰痛だが、常に疼痛があり姿勢によっては”神経に触れるような”強い痛みがある。腰痛とひとつの単語で済んでしまうが、その痛みは行動を著しく制限させるし精神的にもやる気を大きく削がれる。常に痛みがある日が続くと、それを感じずに生活できる日々のありがたみを実感する。
 しかし、それと同時にある疑問も頭に浮かぶ。「痛みがない」と「痛みがある」はどこで切り替わっているのか。健康なときは日常生活においてこれといった痛みを意識しない。しかし、その時の体は全く問題が起きていないと言えるだろうか。腕やすねに身に覚えのない小さな傷がいつの間にか付いていることがある。同様に、気がつかないけれども何らかの不具合が体内に起きている事は十分に考えられる。それどころか、身体という大きな物体が運動をしながら生命活動を行っているのに、なんらの小問題も起こっていないと考える方が無理があるようにも思う。そう考えると、「痛みがある」か「痛みがない」かは何らかの障害レベルに応じて身体側が切り替えているのだろう。そもそも、痛みは感覚で、それを解剖学的に探し求めても見つけることはできない。それは意識と似てシステム内に現れる形無き現象である。
 痛みは死そのものより恐ろしいとも言われる。尊厳死(自死の選択権)が認められている国では、末期症状で余命が宣言された人が、回復の見込みのない耐え難い痛みからの解放を願ってその権利をしばしば行使するのである。医療においては確かに急性の痛みは”シグナル”として有用であるが慢性的な疼痛はもはや不要で有害なものとされ積極的な除去を試みる。
 現代の私たちは、様々な鎮痛剤や麻酔薬を手にしており、数世代前の人々と比べれば痛みをコントロールできているだろう。しかし、それでも尊厳死という選択が認められるほど痛みから根本的に逃れることはできないのである。

 痛みは、本当に障害と共に作られるのだろうか。外傷などは皮膚内部に備え付けられた障害受容器が刺激されることで起こる、とされる。しかし、その段階ではあくまでも神経が興奮し、その情報が伝達されることである。私たちが痛みを知覚するのは刺激が大脳皮質にまで登ってからのことで、それまでの間に”あの痛み”が作り上げられている。つまり厳密に言うなら痛みは怪我した部位ではなく、対応した大脳皮質の特定領域に表現されているものなのだ(もちろんこれは主観的知覚の全てに言える)。60兆以上の細胞たちの共同体である1人の体が、痛みを感じないときは全く何の問題も起きていないなどと言えるだろうか。例えるなら、この日本(人口2億に満たない)で何一つ問題の起きない日など考えられるだろうか。きっと、何の痛みも感じないような元気な日々でも、実際に体内では無数の問題が生じているに違いない。しかし、それらは痛み知覚として取り上げられていないに過ぎない。何らかの閾値の制御機構があるのかもしれない。体内(脳内)には強力な鎮痛物質が生成されていることが知られている。それらはオピオイドと総称されるが、この存在こそが、実際には体内には痛みが常に渦巻いている可能性を示している。私たちが痛みを感じず、健康だと感じている日々は実は「痛みがない」ことにされているのだ、とも言える。何らかの障害によって「痛みがある」ときこそ、「私」という高度な複合体が外世界で動いて生きる困難さの真実が垣間見えているのかも知れない。