2017年3月25日土曜日

藤原彩人 展「GESTURE」を観て

 「成長した。」
 作品を鑑賞していると、変化しつつある作品から受ける印象を、他の鑑賞者にそう話しているギャラリーオーナーのやさしい口調が時折耳に入ってくる。そこだけ切り取ると甥っ子の成長を喜んでいるかのようでもある。

 ここは閑静な住宅街にあるギャラリーで、天井が高く、空間を必要とする彫刻に向いている。そこに、藤原氏の新作が3点置かれている。1点は人の身長ほどある大きな物で、後の2つはその半分ほどの大きさである。作風は統一され、上半分は人の姿だが下の残りは丸く膨らんで壺のようになっている。ただ、半身像のそれは実は壺ではなく上下逆さになった人の頭部であることは、作品の後ろへ回り込むと分かる。きっと、等身大のものにも同様の意味合いが込められているのだろう。

 どの作品も、両腕と上に突き出ている頭部から人体像だと分かるものの、腕と胴体との間に無数に絡みついた梁状の構造物によって、異様な存在感を放っている。どこか不気味さと紙一重でさえあり、梁構造に目を近づけて見ていると、古いプラントの廃墟を彷彿とさせる。純粋無垢な幼子などがこれらを見て、一体何だと思うだろう。まだそれは人なのか、そうではない別の何かか。

 等身大ほどの作品を遠巻きに見る。それは上下の2部でできている。間は分かれていて、それは焼成窯のサイズ的制約ゆえかもしれないが、それを隠さないことで、あたかも上部の人の形の部位が、下部の壺状の部位の蓋であるように見える。壺における蓋の役割とは何だろうか。それは壺という容器を閉じる部品であり、壺の中と外を物質が行き来する際の関所のようでもある。その蓋、壺の働きからすれば脇役のようなそれが、ぐいぐいと上方へ伸び出して、人の形になったかのようである。やはり、視線が長く向けられるのは上半分の人型の部位だ。そして頂点に突き出ている頭部が目立つ。だが、それは曖昧な顔の形の起伏があるだけで、目鼻立ちは造形されていない。また横から見ると、鼻と顎の突出は控えめで、そのまま緩やかに頸へと収束していく。顔の起伏が省略されていることと対照的に、目から上の頭の量はしっかりとしている。また、耳だけは形がしっかりと作り込まれている。
 今見てきた頭部と、像の下半分の壺状の部位との間の胴体部は無数の梁がめぐらされ、それらは突き出た両腕を支えている。明らかに今回の展覧会のメインはこの部位であろう。しっかりした厚みを持った梁は、それが大きな板になる部位では、歪んだ楕円形の穴が開けられている。大きな梁はまず、胴体に縦に数条あって、それに交差する横の梁がさまざまに傾いてはめ込まれている。縦の梁はまた、胴体の横へと張り出した肘へ向かって下からそれを支えている。さらに、体の前へ出して肘を上へ曲げている左腕は、その手首を保持するための支えの板が上腕部との間にいくつも走っている。
 直線的なそれらの梁は、主に曲線で構成されている有機的な壺と人体の形状に、鋭く硬い印象を付け加え、露わになった構造のように無機質で機械的な冷たさを放っている。しかしそれらは、完全に遊離はせず、わずかな歪みや曲線の切り口によって、曲線部位と調和している。実際、この梁が作り出している鋭利な光の線と、その下側に溜まる影は心地よく、また、縦梁と横板で作られるいくつもの四角い空間を眺めていると、ブリューゲルのバベルの塔の一部を拡大して見ているようでもあり、なかなか面白い。
 像の後ろ側へ回ってみると、両腕が胴体とひと繋がりではないことに気付く。腕の粘土の厚みがそのまま残され、胴体の胸部に乗せられているだけなのだ。作家はあえてそこを慣らして一体化させていない。胴体と繋がっていない両腕は大量の梁によって支えられなければならない。その腕は、本展覧会のタイトル「Gesture」ジェスチャーの通り、何らかの手振りによって自らの意志を表現しようとしている。肘を横へ突きだしている右腕などは、梁の届いていない手首から先の手がだらりと下垂し、その重さを伝えてくる。

 残りの2体の半身像も、像が持つ構造の特徴は似通っている。ただ、この2体は全身が一体構造で、下半分の膨らみは壺ではなく背中側を向いて上下が逆になった頭部である。実にミステリアスだ。こんな像が、例えば数千年後に掘り出されたら、いったいどう解釈されるだろう。ともかく、うち1体は等身像と似た仕上げの茶色で、もう1体は白い釉薬がかけられて一色にまとまっている。色だけでなく、梁の走り方も異なる。白いものは垂直、水平方向に大きく梁が付いていて、そのために、構造的に静かで不動の印象を受ける。茶色いものは、梁と横板は斜めに配置され、それが、同様の傾きを持つ両腕のラインと呼応して、あたかも立像におけるコントラポストのような視覚的効果を生んでいる。
 
 これら3点とも、腕は体幹と混ざり合わず、それは梁によって支えられ姿勢が付けられている。身振りはまぎれもなく感情表現であり、それは顔のある体幹から発するはずだ。しかし、その顔はここではもはや消えつつある。表情もあるのか曖昧で、そこからこの人物の内面をうかがい知ることは難しい。私たちの体構造において、より根源的な部位である体幹に対して、腕は付属肢として後付けされたもので、もともとは4つ足動物だった時代ではこれも移動運動に使っていたのである。人類が直立することで両腕は運動の仕事から解放され、物を掴む繊細な機能を有するようになり、さらには、その腕の振り方すなわち身振りを意思疎通に用い、自らの心情さえ表現するようになった。人の会話する姿を遠巻きに見ると、さまざまに腕を動かしている。せわしなく動かす人もいれば、おおぶりにゆっくりな人もいるし、ほとんど動かさない人もいる。その運動は、彼の心情と繋がって、言語だけでは伝えきれない何かを補おうとしているかのようだ。実際、話を聞いている方も、自然と会話と共にその身振りを視覚的に拾い、自らの内で総合的な意味合いとして受け取っているはずである。あの身振りはいったい、どこからやってくるのか。身振りは視覚伝達だから、音が無くても伝えられるものがある。もちろん、文化や時代や場所によって限定される身振りもあるが、それらを越えて誰にでも伝わるような動きもある。手を大きく広げて大きく振れば、何か注意を引こうとしているだろうし、うなだれた顔を両手で覆っていたなら、そこに何らかの消極的な状況を感じ取る。実際、身振りによる感情表現は古代ギリシアの彫刻でも採用され、アルカイック期には微笑んだりしていた彫刻は、その後身振りが大きくなると同時に無表情となっていく。その後は、彫刻において、瞬間的な感情の表れである表情を作る事は、その永続性にそぐわないことから積極的に扱われてきていない。

 藤原氏によるこれらの作品達も、表情を顔から放棄しようとしているかのようだ。それに対して、大ぶりな腕が体幹に後付けされ、雄弁に何かを語りかけようとしている。それはしかし、腕だけで動けるはずもなく、そとから梁や柱によって支えられ動かされる。きっと現実界ではこれら梁は視覚の外世界にあって見えないのであろう。まるで、操り人形か、しっかりと振り付けられた踊りのように、ほとんど意識せずとも勝手に動くそれらを支える梁はどこから伸び出ているのか、その根もとへ目を向けてみる。そこには、球根さながらに膨らんだ大きな頭部があった。高台(こうだい)に乗せられたそれはあたかも体の内外からのもろもろを一緒くたに溜め込む壺である。きっとそこに溜まったものを上からのぞき込んだとして、真っ黒く混ざり合い、判別できないだろう。しかし、その混ざり込んでしまった諸々から、さまざまな感情が湧き起こり、それに呼応するかのように、体が運動し、身振りを作り出しているに違いない。

 これらの梁は、こうして運動を生み出すと同時に、それを抑圧してさえもいる。身振りの必要性の元であるコミュニケーションは、互いの関係性が複雑になると、その自由さを失っていく。心地よくても笑えず、不快でも怒れず、いかなる状況でも無表情こそが良しとなってしまう。そんな状況では、腕の動きも無理に”はめこんだように”ぎくしゃくした、ぎこちないものになる。
 感情伝達に用いるほどの自由度を持った腕が、それ故に、意識的な自由さから抑圧されることは皮肉なようでもあるが、これら梁に縛り付けられた腕の手をよく見ると、そこには腱がうっすらと浮かび上がり、その指たちを自発的に引き上げようとしていることが分かる。腕たちはもしかすると、梁の支えからの脱却を試みているのだろうか。それどころか実は、身振りの運動がまず先にあって、それが梁を通して私たちの意識を動かしているのかも知れない・・。そんな考えが浮かぶほど、手の甲の腱は思わせぶりである。

 人体彫刻では、全身像と言って体の全て、つまり頭からつま先までを造形するものが基本的にあるけれども、それ以外に半身像では、全身を半分の大きさに作ったり、体の胴体から下半分を作らないものなどがある。そういう中で、この作品達は特異である。なぜなら、全体のプロポーションで見れば、等身大の像も半身像も、頭からつま先まで全身分の長さを持っていながら、下半身が壺や逆さの頭部など脚以外に置き換わっているのだから。逆さの頭部は、それによって、像の(そして私たち自身の)上下方向について改めて考えさせる。さらにそれは背中側を向いているのである!
 ここには、さまざまな考察、感性、試みが重層している。明らかに変化の途上である。突然変異である。とてもエキサイティングな瞬間を垣間見た展覧会であった。


藤原彩人 展 FUJIWARA Ayato Exhibition
「GESTURE」
2017年3月9日(木)- 3月26日(日)
開廊時間:午後1時ー6時
休廊日:月・火・水曜日

2017年3月22日水曜日

人格化するケータイ

 数年前に、iPhoneが発売されたときは、未来が始まる瞬間を目の当たりにしたような感覚があった。なにしろ、それまで携帯電話と言えば小さなボタンが並んでいるのが当たり前だったのに、突然、それが丸ごと消えたのだ。「あったものがなくなる」ことは、「あったものの形が変わる」とは比較にならない大きな変化である。自動車で例えれば、ガソリンから電気へ変化しつつあるけれども、それはいかにも”段階を踏んでいます”というようなゆっくりしたものだ。その過程である現在は、ガソリン車、ハイブリッド車、電気自動車と様々に混在している(更に燃料電池車も)。そのうえ、仮に今後全て電気自動車になったとしても、自動車である限りは、相変わらず4つの輪っか(つまりタイヤ)を転がして動かすことに変わりはない。これが、ある日どこかの自動車メーカーが「タイヤのない電気自動車を発売します」と発表して実際に売り出したような、そういう大きな変化を起こしたのだと思う。

 携帯電話から、ボタンという”物”をなくしたことで、突然に、ほとんど無限とも思えるような可能性がそこに現れた。形態に機能が宿ると言うが、逆に取れば、形態は機能を限定する。iPhoneはボタンという形態を無くすことで機能をその呪縛から解き放った。
 面白いのは、ボタンが消えた筐体の形である。ただ、四角い。液晶面は、作業場でありモニターである。アプリ次第で何にでもなる。何にでもなるための場は、何にでもない。ただ、電源のオン・オフなどは物理ボタンが存在している。けれども、これら物理ボタンたちは、いずれ全て無くなるだろう。形があって動く物は壊れる。そういった物理的制約下にあるものは、これから減らされていき、最終的には、穴もボタンもない四角形の板になるように思う。それは映画『2001』のモノリスを彷彿とさせる。
 先をあれこれと想像するのは楽しいが、現状はその途上にある。それでも、iPhone7現在で既にホームボタンは動かない「ボタンもどき」で、イヤフォンの穴もない。
 もうひとつ、iPhone以前の携帯にはなかった”文化”が、保護ケースだ。iPhoneは売り出されるたびにその外見デザインも取りざたされるにも関わらず、それを購入したままで使用する人は少ない。当初は、その理由は大きな液晶面を傷付けやすいなどの現実的理由だったが、今ではそれを付け替えて楽しむこともする。この筐体と保護ケースの関係性は、人体と衣服のそれとよく似ている。

 ソフトウェアの進歩は、もっと早い。そして、その方向は、”個を全体と繋げる”方向を向いているのは明らかである。知りたいことはググればいい。知りたい、情報を共有したいという欲求は人類の本能とでも言える性質だ。実際それが社会性の維持に重要なのだろう。人類は個人個人が情報を得るためのアンテナとしても機能している。それが他人とのコミュニーションで伝えられることで役割を果たす。多くの情報をストックして、巧みに編纂し、然るべき時に使用できる能力は集団の維持に役だったはずで、長老の役割はそこにあったのだろう。インターネットは、まだ長老の域には達していないが、AIが組み込まれたそれは、やがて使用者の意を汲んで最適の解を提示するようになるはずだ。現在のそれは、”気は利かないけれど物知り”な人物のようではある。いずれにしても、興味深いのは、iPhoneを通して対峙しているデジタル世界が人格化の方向にあるように映ることだ。確かに、人類は、自然界つまり私たちが向き合っている外世界を、そのままの姿で捉えない。自然に「神」という”人格”を与えることからも分かるが、そもそも、自然も人間他者もどうように認識しているからだろう。人は、全てを人として見る性質があるからこそ、自然に神を見出し、自然と対話する者(シャーマン、占い師)が現れる。こういった、言わば私たちが持つ性質は、そのままインターネットの構築に反映されるので、こちらが知りたい事に対して答えてくれるシステムは人間味を帯びるものになっていく。
 誰かにものを尋ねるとき、尋ねた相手は、私にとって知らない世界への窓であり、媒介者であり、翻訳者である。いまや、iPhoneも(スマートフォンも)同様の役割を担いつつある。それは、情報という自然を翻訳してくれる、私たち1人1人に対しての長老でシャーマンとなり得る。ただし、その依存から生まれる従属関係も忘れてはならない。その長老が果たして村民を幸福に導くのかどうか、それを判断するのは個人である。

 このように、まるで私たちにとっての他者の在り方へと向かっているかのようなiPhoneはじめスマホは、ソフトウェアの機能をハードウェアを通して使う。だからソフトはハードを通さない限り、知ることができない。ただ、ソフトはハードに機能依存していないという点は、実際の私たち動物のありようと異なる。実際に、同じiPhone同士でも使用者ごとに中身は大きく違っている。更には、通信会社によってその”能力”が支配されてもいる。この言わば、肉体と精神とが独立しているさまは、心身二元論的解釈を実現させているようにも見える。個々の魂(ソフト)は個人の肉体(ハード)に依存し限定されるが、本質的にはそこにあるのではなく、より大きな統合体(クラウド)にある。そのため肉体が滅んでも魂が消えることはない。魂が消されたくなければお布施(アカウント維持費)を支払わなければならない。


 なんだか、そんなことを考えていたらiPhoneの存在が重く感じられてきた。時々ケースから出して息抜きさせてあげようか・・。

2017年3月21日火曜日

冨井大裕 個展 「像を結ぶ」を観て

 新宿で、冨井大裕氏の個展を観た。個展会場のギャラリーは、マンションの一室を改築したもので、外からは全く分からず、案内などで開催を知っている人しか訪れることはないであろう場所である。その、決して新しくはないが大きなマンションの鉄扉を開けると、壁面が真っ白な空間に、作品の色彩が際立って見えた。入ってまず正面に四角く面取られた柱状の立体作品がある。それは店でもらえる紙袋を重ねて作られている。両側の壁には、ノートのページが切り取られたものがピンで留めてある。同様の作品が横並びに複数留められていて、さながら絵画やデッサンなどの平面作品のようである。入ったドアのすぐ左にも1点紙袋製の立体作品が置かれている。白い空間内に、このような既製品でそれも使い捨てられるような、一般的には”無価値”に分類する物が、作品という”価値あるもの”として展示されているので、鑑賞者としての私は、一気に自分の感受性のチャネルを切り替えなければならなかった。ただし、その切り替え作業は「無理に」でも「どうにかやっと」行えたというのではなく、むしろ自然に切り替えられたような感覚だ。何かとても自らの日常感覚を研ぎ澄まさせるような気分で、実際に、足元の床に飛び出ていた真鍮製の構造物でさえ、作品にように感じられたほどだ。そうして見ると、この空間はまるで寺院のようであることに気付く。両側の壁のノートページ作品は脇侍で、正面の紙袋作品が本尊といったところだ。この感覚は、その場に足を運ばなければ感覚することはできない。決して個々の作品を画像で見ても伝わらないリアルなものだ。

 ともかく、まず正面の”本尊”を見る。白い台の上に乗せられた大きな紙袋は目一杯広げて、本来の四角形の形を見せている。紙袋が本来の形で現れることが実生活で果たしてあるだろうか。それだけでも面白いけれど、ここではそれが縦に4段に積み重ねてある。下から2段目は横向きで、しかし袋の口はもう1つの袋が逆さに入れてあって、その底面によってふさがれている。最下段と3段目の袋は同じ種類だが互いの口側が向き合うようになっていて、その持ち手が2段目の横向き袋をちょうど挟み込んで支えている。最上段だけは黒い紙袋で、天地が逆に置かれている。この配置によって、紙袋ではあるが、開いている口は一切表面に現れていない。その閉塞性が、内面の虚の空間を隠し、まるで大きな角材であるかのような存在感さえ与えている。
 私の中で、本尊として分類してしまったからか、この作品が人体に見える。いや、そうでなくとも、人類であれば、これを人体として見るのではないだろうか。縦横の比率もちょうどそれっぽく、一番上が黒いのも頭部を彷彿とさせる。それが頭髪をイメージしているというより、体構造で頂点にある頭部は特別な部位として感じ取られるからだろう。縦に4段という構成も、上から頭部、胸腹部、腰部、脚部として分けているように見えもする。それに、紙袋という”同じ要素”を繰り返すことで、全体として成り立つというのも人体を含む脊椎動物の分節構造を思い出させるのである。
 私たちが存在している3次元空間をベクトルで示し、それに面を与えると立方体になる。だから四角形は概念で思い浮かぶ、最も単純かつ強力な3次元形状だと言える。互いの角度が直角であれば視覚的な立体感が最も明解で、それは空間認識の誤りの確立を少なくさせ、その経験は私たち人類に直線や直角を好ませる傾向を作り上げただろう。
 実際、この作品も矩形が持つ形状の力強さを放っている。しかも、紙袋であることから表面にはしわが寄り、辺の線も有機的に歪んでいる。これらが、真っ直ぐや真っ平らではない所に、生命的な乱雑さを感じ取る。また、素材の紙袋を通して、私たち、もしくは作家の日常性という生命活動とも繋がって行く。

 両側の壁にピン留めされている、切り取られたノートページのコラージュ作品に近寄って見る。ノートは、罫線もあれば格子もあるが、どれも垂直水平に付けられていて、立体作品同様に構築性が際立っている。これらの作品は、その四方に一片が1㎝もない小さな紙辺が取り付けてあって、その小片にピンが刺されている。ピンは虫ピンのような細長いもので、長さの遊びがあるので、物によっては壁から数㎜離れたようになっている。私は(この空間にいることで感覚が鋭敏にされているので!)、この壁から離れている事とピン留めの小さな紙辺にも意味を見出していた。「いた。」と過去形なのは、この後、冨井氏に伺ったところそのようには強く意味を込めていないようだったので。
 まず、ピン留めの小紙片だが、近くによると、これらの存在感がとても強い。つまり、明らかに作品のメインであるノートのコラージュが作品としてまとまりを持っているため、”それ以外”としての小紙片が反って際立つのである。それも、日常生活において、もしノートを壁に留めることがあるとするなら当然直接ピン留めするところを、そうしていないという行為の軌跡がそこにあるので、そこに作家の意志が宿るのだ。しかも、小さな紙を曲がらないようにきれいに貼り付けてある。細かい作業を背中を丸めてしている作家の姿が思い浮かんで、ちょっと親しみさえ沸く。後で、作家に聞いたところ、まずは単純に、作品と非作品部分を分けたいという事であった。確かにそれが正解というところだが、この「寺院」においては、もはやそれだけではなく、むしろ、作品と非作品の見えざる結界の現れが表現されていると読み取れる。実際、私はこれらの作品で最も興味深いのはここ、すなわち、「作品—小片—ピン—壁」で、これらによって、作品と非作品が段階的に移行しているのである。
 そして、もう1つ、壁から若干浮いていることについても、それは作家が意図しているのではなく、紙の吸湿や空気の動きで常に動いているということだ。私はここでも深読みして、壁から離れることで、紙イコール平面という既成概念から離れようとしているのだと思った。もし、これらを「壁に留められたノートの紙」と見るならば、ノート本来の”記述する媒体”の意味合いが勝ることで、この立体的存在は希薄になるだろう。しかし、これらは明らかに、「ノートとしての意味合いを持たされていた紙」として扱われ、今や空間内での存在を誇示しているのである。そのために、壁に密着してはならず(なぜならそれは、紙の立体性を弱める)、壁面との間に鋭い影を落とすことで、その裏側と隠されている壁面との狭間の存在を証明する。紙のように薄いことで、私たちの肉眼では側面の存在は捉えられず、そのため前面と影とが唐突に出会うようになり、強いコントラストを生む。そこに、フォンタナの空間概念を持ち出すまでもない。

 これら壁面の作品群のピン留めの小紙片といい、紙袋作品が置かれた白い台といい、全体の作品の置き方の構成といい、決して斬新さはない。むしろ、今時の現代美術作品の展示では見ないような、オーソドックスさである。先に見てきたように、個々の作品の置かれ方とそこに内在する作品に対する作家の態度も、とてもシンプルなものを感じる。むしろ、この”寺院”は現代におけるそれというより、ラスコー洞窟のように始原的な強さをそこに見る。ノートの紙が、人の心を反射する素材になるのである。それと、転がっている石ころが神の小像となることと、どう違うのだろう。現代人とラスコー洞窟の壁画を描いた人類とは、体構造に違いはない。彼らの感動は私たちの感動と変わりがないはずだ。かの時代の作品の素材は、どれも生活に比較的近いものが選ばれていた(もちろんいつもというわけではなく、大変な労力を払って特定の場所の素材が選ばれ、遠路はるばる運ばれることもあった)。一方、現代の芸術家は、「美術用品」を買い求め、「美術様式」にならい、「美術アトリエ」において、「美術品」を作る。現代の美術は、始まりから終わりまで「美術」というレールに乗っている。そして、鑑賞者は「美術館」や「美術書」に載っているものを美術作品として認めるのである。冨井氏の作品は、自分たちが気付かずにレールに乗っていたことに、ふと気付かせる。さらに、ただそれに気付かせるだけ(別に気付かなくともいいのだから)の押しつけではなく、日常生活とアートという非日常の壁などそもそも存在しないことを示し(と、同時にそれはいつでも作られるということも同時に示している)、何より、私たちに身の回りにアートの素材が転がっているという事実を教えてくれている。ただ、それに気付けるかどうかはまた別問題だが。

 冨井氏のバックボーンは彫刻である。だから、この展示に見られる作品の在り方は、彫刻的な要素が強い。それは、上でも述べたように紙袋の四角形であったり、浮いているノートであったりするところだ。しかし、典型的な彫刻が色彩に乏しいのとは対照的に、これらの作品は色彩が豊かである。また、作品を俯瞰してみると分かるが、選ばれている色は偏りがあって、パステルカラーもしくは蛍光色よりの鮮やかで軽い印象の色が多い。作家の好みと言ってしまえばそうなのだろうが、色彩による作家性の統一があり、また、この明るい色によって作品たちに軽やかさが付与されている。時にそれは、彫刻の特徴のひとつである量感を打ち消そうとさえしているかのようだ。軽やかで物質感さえ希薄になっていくこれらの作品は、物から情報へと重要性の重みが偏るばかりの現代によく合っている。
 また、多くの芸術作品との大きな違いは、作家の手による造形度合いの小ささである。ただこれが新しいというのではなく、いわゆる「もの派」的な作品との印象の違いを生み出しているのは、作品が訴えている事のオーソドックスさにある。それは、個々のサイズにも表れている。どれもハンディだ。作家がどのように作品の大きさを決めているのかは分からないが、どれも小さなアトリエや机の上で作れる大きさで、それが現代都会生活者の扱える空間やサイズを表象している。いや、むしろ、これからの作品は冨井氏に限らず、ますます小さくなるかも知れない。それは精神の萎縮を示しているのではなく、サイズ感からの脱却を意味する。かつて、物質優勢の時代にあっては、大きいことが優であり小さいことは劣であった。しかし、情報優勢の現代では、必ずしもそうとは言い切れない。これは情報には物質的サイズが存在しないことと関係しているだろう。情報は、それを映す媒体によって、つまり物質化する段において自由にそれを選ぶことができる。冨井氏の作品にも、それと似たサイズレスの感を受ける。

 良い本を読み終えた後を「読後感が良い」などと言うが、この展示は「観後感が良い」ものだった。その場でなければ感じることのできない一回性の強い展覧会であった。芸術は直接的に感情へ訴える強さが需要である。VR(仮想現実)やAR(拡張現実)が良く言われる現代でも、それは変わらない。現場でしか得られないものがある。芸術は常にその代表格であって、そのことを改めて実感した次第である。

冨井大裕「像を結ぶ」
Motohiro Tomii “Connecting Images”
会期:2017年2月1日(水)- 3月11日(土) 12:00 – 19:00(休:日、月、祝日)
会場:Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku


2017年3月16日木曜日

”疑似博物館” インターメディアテク

 東京駅の丸の内側と直結する複合施設KITTE内にあるインターメディアテクは、国内でもとても珍しい展示施設と言えるもので、一言で言うなら「疑似博物館」である。疑似と付くとまやかしの響きを帯びるが、その全てがにせものというのではなく、展示物の多くは実物である。それらが、いかにも博物館然として鎮座しているので、実際に博物館だと思っている来場者も多いことだろう。だが、並べられている物が何かをよく知ろうとしても、それについての説明書きなどはほとんどない。展示物の並べ方も、どこか雑然として、おおざっぱな印象がある。つまり、ここは展示物が主役なのではなく、展示会場そのものが1つの見世物として機能しているのである。そのコンセプトはもちろん博物館で、しかし現代のそれではなく、もっと古い、戦前くらいまでのイメージで構成されているように思われる。
 博物館という言葉がそもそも「博く(ひろく)物をあつめた館」であるように、その起源は、西洋の貴族らが世界の珍奇な物品をひたすら収集した物を陳列した部屋である。それらを扱う学問としてかつては博物学と呼ばれたが、それが知識の集積と共に分化と深化が進んで、現代の生物学や地質学や人類学などがあるわけだ。現代の博物館はそれらの領域別に分けられているのである。だから、現代の博物館で例えば植物学の部屋へ行けば、あらゆる植物の標本が並んでいて、その体系を一望するには分かりやすい。その一方、その植物が生きている環境、例えば土壌や気候、そこに棲む動物などは全く見えてこない。つまり、現代の博物館は、現代科学がそうであるように、全てが関連しあって成り立つ自然界を、分類で断ち切った標本が並べられているのである。科学的分類と関連して並べられているのだから、それは合理的である。しかし、趣味で博物館へ来るような多くの普通の人にとって必ずしもそれがベストとは言い切れない。むしろ、理路整然と並べられた物品は、そこの展示者の明確で強い意志があって、見る側の遊びを一切許さないような冷たさが漂う。私たちは、雑多とした空間のほうがより安らぐし、そういう空間から自分なりの興味どころを探り出す楽しみもある。例えば雑貨店などは、わざわざ店内の商品を散らして、客の導線を複雑にしたりするものだ。

 ともかく、現代の博物館が捨ててしまった、薄暗くて雑多で、なにやらよく分からないものが大量に陳列されている空間が持つ魅力の再現を試みているのが、インターメディアテクである。だから、ここでは、個々の展示品自体が主役ではない。それらは空間を引き立てる一役者に過ぎない。そういった意味で、ここは「疑似博物館」である。
 インターメディアテクのような、言わば「知」をテーマとした娯楽施設は希有で、それが東京駅から直結した一等地にあるのは、私が持つ日本の印象からすると、ほとんど奇跡的である。それも、入館料を取らない公共事業として!
 ここが、とてもわくわくさせる空間であることは間違いないのだが、同時に、何か満たされない気持ちも膨らんでくる。その理由もまた「疑似である」ことに由来している。古い博物館内を散策しているような気分になるほど、しかしこれは作られたものだ、という真実が同時に強くなる。この「らしさ」に憧れるのは、ほとんど日本人の特質のようなものだと私は思う。特に明治の開国後は、西欧諸国に憧れ、文化から技術から様々なものを輸入した。しかし、西洋が長い時間を掛けて少しずつ積み重ねることで出来上がったそれらの言わば表層だけが、外から覗く日本人には見えるわけで、その表層だけを輸入してしまうとそれは「らしさ」になるのである。もちろん、「らしさ」という中身のない”張りぼて”から脱却しようと、本質的な導入もしているわけだが、いかんせん始まりの向きが逆であることに変わりはない。では、この施設は表面的な見た目だけの、アトラクションに過ぎないのかと言うと、決してそうではない。
 確かに、近代日本は西欧の真似から始まったとは言え、時間と共にそこから蓄積されるものから、独自の新たな系譜が生まれるだろう。また、西洋式の手順を模倣することで日本が得られるのはそういった独自性にならざるを得ないとも言える。今や、それを否定的に捉えていても仕方がない。批判的視点は持ちつつも、半分は開き直ったようなつもりで、私たちなりの現在を作らなければならない。インターメディアテクには、これまでと現在の日本のありようを見つめ直した上で、今できること、ここから始まる何かへ向けて創設されたように感じる。
 むしろ、明治以降に用意されたスタート地点から、あたかも我々も西欧的科学誌を共有し続けていたかのように振る舞って前だけを見つめていた今までから、ここでは過去を振り返るという行為を積極的に形に起こしているというのは、日本が”少し大人になった”証しなのかも知れない。