2017年10月30日月曜日

運慶仏 仏から物へ

 運慶は、仏像に自分の名を記した初めての例と言われる。もちろん、発見されていないだけでその父である康慶がより早くそれをしていたかも知れないが、いずれにせよ最初期の事例であろう。
 また、その仏像は「写実的」であるとか「リアリズム」という枕詞がしばしば付けて語られる。つまり、実際の人間の形に近づけて仏像を表現した。その写実性を助けた技法のひとつが玉眼である。人間の外見で視覚的な質感が大きく異なる眼を、いつも光を鋭く反射させる水晶を用いて表現した。それらの理由から、仏の存在を人間存在により近づけたという意味合いで語られることが多い。
 八大童子像などを見ると、色彩が状態良く残されているので、作成された頃の像は全身がビビッドに彩られ、それが破綻なく彫られた形状と相まってある種の完璧さを持っていただろうと感じられる。しかし一方で、完璧に仕上げられた像でありつつも、現代人が言うところの「写実的」とは違うことも分かる。玉眼が入っていようとも、これらの童子のような少年が実際にいるようには感じられない。露出している肉体部分の表現を見れば尚のことそう感じる。その身体は決して現実の人間のようには表されていない。仏像の決まりに則った表現である。運慶仏が写実と言われるのは無著世親のインパクトの大きさ故だろう。それどころか、八大童子像の特徴ある顔などは複数の像を統一化し、フィギュア(人形)のシリーズのようでさえある。像が固有のキャラクターを主張し、かつそれが”現物”のように振る舞い始めると、皮肉のようだが置物化してくる。像そのものが愛玩の対象へと変化していくのである。仏像が像として愛でられるようになることは、もはや物を物として愛玩されるようなもので、これは置物である。例えば鎌倉時代の仏像には衣を実際に着せ替えられるものもあるが、そういう像の扱いを西村公朝氏は「彫刻的本質から遠ざかる行為」だと指摘した。

 仏像はそもそも現実の人間の形を移して作られ始めたのではない。それは象徴であり、概念に人の形を割り当てた存在とでも言えるものだ。もっとドライに言えば、仏像そのものはあくまでも像、つまり”仏の形をした物”に過ぎない。信者は、その“物の形”を見て”仏そのもの”を自らの内に想像する。そう捉えることで仏像は物ではなくなり、仏そのものとして捉えられることになる。
 運慶が自ら仕上げた仏像内に自分の名を記したという事は、作家自身がこれは物に過ぎないと宣言しているのに等しい。仏像の内側の空洞に水晶などを収めたりした事も同様の心理が伺える。内側に納入されたものが”仏の魂”であるとするなら像は容器に過ぎない。このような、仏像を参拝する大衆との”温度差”はしかし、あって当然のものだ。運慶ら仏師はその形を作り出す側なのだから。彼らは言わば信仰の翻訳者である。彼ら仏教芸術家がいなければ、我々は仏の世界を視覚的に共有することさえできないのだから。

 運慶は、仏像を人間に近づけたというよりむしろ、仏像を仏そのものと思い込まず単なる物であると宣言した初めての仏師である。そうして信仰対象と像の間に区切りを付ける事が表現の幅を拡げることに繋がり、その裾野は仏像の置物化にも伸びていくのである。


2017年10月16日月曜日

彫刻の質や評価

 会話で名が出た若手彫刻家の作品をネットで見た。その場で高評価だったので期待したが、大きな人形に過ぎなかった。思い返せば、そこでの評価も彫りの技巧を「凄い」と言っていたのだった。
 日本では技巧がそのまま芸術の価値になる。例えば絵画では「写真のような絵=上手な絵」の式が素直に受け入れられる。もちろんその価値観が間違っているわけではない。写真のように世界を描けることは人類の夢だったとさえ言えるだろう。しかしそれは夢”だった”のであり、写真機の発明がそれをこれ以上ないほど完璧に叶えたのである。それ以後、絵画芸術における価値は解放され、様々な特徴的表現の追求へと細分化された。

 彫刻でもそれは同様である。モデルにそっくりに造形できることはひとつの才能だと言えるだろう。きっとそれは写真のように、人類の夢なのだ。そしてそれは、昨今の立体スキャンとプリンターでほぼ叶えられた。後は安価で身近になるのを待つだけである。寸分違わず立体化する技術はまもなく人間の手を離れる。技巧は本質的にはそちらに属するものだ。機械でより高度に成せるものをわざわざ人間の手で行い続けることは、哀しいけれども、標本を残すような行為に近い。

 非技巧的で彫刻的に優れた作品もあるのだが、非常に評価されにくい。技巧的に優れていれば評価されるのならば、作り手もそちらに流れるのは自然な事だろう。技巧と一言で言っても様々なはずだが、我が国では”繊細”で”手数の多い”ものが喜ばれる。人が作り出す物である以上、技巧も重要なのは確かだが、芸術には主題があることを忘れてはならない。芸術において、技巧は主題と密接であるべきである。技巧だけに限ってみても、それは作品全体の構成と関連していなければならない。細部と全体は段階的に組み合わさって全体的な調和を成していなければ、個々はバラバラに主張しだす。それは一見、賑やかで視覚を喜ばすかも知れないが、薄っぺらですぐに飽きられる。それらは実際のところ、大して美しくもないことがほとんどだ。
 今から100年前に、ロダンの影響を受けた高村光太郎が、父である光雲らが作る明治木彫を否定した内容もそんな所だったように思う。しかし、そう言いながらも光太郎自身、木彫の小物を多く作成したし、また鋳造作品の展示方法やその扱いに彫刻作品を置物や小物として見ていた節もある。

 どのような作品が彫刻として優れているのかは、1つの答えがあるわけではない。表現も多様性が維持されるべきだとも思う。しかし、表面的な処理だけで、彫刻の質が語られるようになってしまうのは避けたい。表面性は無視すべきではないが、彫刻の調和的な構築性においては、最初の列には並ばないのである。
 芸術は作る者より見る者の方が圧倒的に多い。見る者の選択が作る者にも影響を与えるのならば、彫刻の見方についても広く示していく必要があるだろう。

2017年10月1日日曜日

「Treasures from the Wreck of the Unbelievable 」展の図録を見て


 ダミアン・ハースト「Treasures from the Wreck of the Unbelievable (難破船アンビリーバブル号の財宝)」展の図録を見て衝撃を受ける。ヴェネツィアで実際に観てきた学生のもので、巨大な図録の書籍だ。作品の内容、個々の作品のクオリティと点数、その全てが壮大で、更にはそれらが立体作品であることから、彫刻芸術として区切って見ても、間違いなく今世紀で最も優れた展覧会の1つだろう。実物を目撃できた人がうらやましい。

 世界中の多くの作家、彫刻家がこの展覧会を羨望と嫉妬の眼差しで見ることだろう。同時に、大きな希望も与えるはずだ。その壮大さと、綿密に組まれた構成とアイデア、そして何より作家の個性の純粋性の高さに突き動かされた行動力によって成し遂げられた膨大な作品群からなる展示は、作家個人のアイデアが芸術表現の動向さえ変えうる様な力を持つことを証明している。さらに、芸術家に勇気を与えることは、頭に浮かぶ個人的な視覚的想像が形を得ることで、これ程までの力を持ち得るという事実の提示である。

 このレベルの展覧会を実現させる事は誰でも可能ではない。しかし、誰もできないではなく、誰かはできるということの実証の価値は大きい。芸術家の自由な感性は力を持ち得る。そこに形を与え、それも出き得る限り完全にする事で、作家個人を超えて他者を動かす行為へと変換されるのである。
 ハースト氏は自身が抱く際限の無いイメージに形を与えた。単純だがそれこそが、造形芸術家、視覚芸術家に取って唯一かつ絶対の果たすべき行為であることを実証してみせたのである。