2013年12月16日月曜日

美術解剖学

 術解剖学という名称は、一般的な認知が低いとは言え、ひとつのジャンルを示す名称として定着している。ただ、この名称はとても紛らわしいもので、(かなり前にもポストしたが)名称から推測する内容の誤解を招きかねない。すなわち、「〜学」と付いていることから1つの学問体系として捉えられるだろうけれども、実際的には美術解剖の学など存在しないということだ。そもそも、仮にあるとして、”美術解剖”とは何だ!?
 美術解剖学という単語は、実のところ、「美術」と「解剖学」の合成語で、そもそもは西洋語からの訳語である。それは、Art Anatomyや、Artistic Anatomyなどという言葉だ。原語を見れば明らかなように、元は1つの単語ではない。言語のニュアンスに忠実にするならば、「美術のための解剖学」というようになる。事実、日本に輸入された当初は「芸用解剖学」と呼んだ時期もあった。
 美術のための解剖学となると、とたんに何をしているのか分かりやすくなる。解剖学と言えば人体の内側を調べる学問であって、それが美術のために使われるというのだから、つまり、人体造形に解剖学の知識を役立てようということである。 
 ところが、「美術解剖学」という呼称がとりあえず定着すると、ちょっと面白い現象が起きた。これを字面通り素直に「美術解剖の学」として捉える向きが出てきたのだ。普通、物事は事実が発生したのちにその名称が付くが、これはその逆ということになる。それも、ほとんど意味のはき違えからスタートしたようなものだが、ともかくそうなった。そうなると、では「美術解剖」とは何ぞや、ということになる。するとそれは、「美術を解剖する」という意味合いに捉えられる。この「〜を解剖する」という言い回しは良くされるものだが、それに乗ったかたちだ。これを言い直せば、「美術を分析する」ということに過ぎないのだが、ここはあえて解剖という呼称を使うのだから、分析内容を解剖学的な視点にしたり認知科学的な方向性にしたりするようになる。こうして、本来の「美術+解剖学」に新たに「美術解剖+学」が加えられたのが、現代の美術解剖学である。

 て、本来の「美術+解剖学」もまた、現在では本義と少々ずれた印象が一人歩きしているように感じられる。それはすなわち、「美術解剖学をやれば人体が描けるようになる」というものだ。これは恐らく、書店の実技書コーナーに置かれている人物画ハウツー物の宣伝文句が功を奏した結果なのだろう。勿論、そのような”奇跡”は実際には起こらない。美術解剖学の効能を正しく言うなら、「解剖学的な視点を持って人体を見ることが出来るようになれば、現実的説得力のある人体描写が可能になる」とでも言うようなもので、あくまでも描写力は別のトレーニングを必要とするのである。つまり、美術解剖学は人体描写力向上のための添加剤(ただし強力である)に過ぎない。例えば、解剖学を知って描写力が上がるのなら解剖学者こそが最上の人体画家となるわけだが、当然ながら違う。
 では、解剖学的な視点とは何か。これは、骨や筋の形状や名称を正しく知って描けるようになることを指しているのではない。いや、最終的な目標が設定されるのなら、それがそうなのかも知れないが、現実的に美術解剖学を必要とするほとんど全ての造形家にとってそれは重要ではない。美術解剖学が示すべき内容は、解剖学を基礎として美術のために咀嚼されたエッセンスのようなものであろう。それらは、単に解剖学の内容を薄めたものではなく、造形家の欲するであろう内容へと方向付けされていなければならない。そうでなければ「美術”のための”解剖学」とは呼べない。しかし一方で、この内容を満たすことも簡単ではない。なぜなら、美術という単語が指し示すフィールドはとてつもなく広範囲に及ぶからである。もしも、その全てに応用できるような内容にしようとするなら、それは最大公約数的になり、結局のところ「内容を薄めた解剖学書」となるだろう。美術と一言で言っても、例えば絵画と彫刻において、人体の捉え方で求められる要素は大きく違う。だから、本来ならば「絵画のための解剖学」や「彫刻のための解剖学」といった細分化はあって然るべきだろう。

 剖学とは、それ自身が純粋な形態学である。解剖学を学ぶことと、美術解剖学を学ぶことはだから少々意味合いが違う。美術解剖学それ自体が解剖学からの応用であるから、「美術解剖学を学ぶ」ということは本来出来ないことである。いや、そう言っても構わないのだろうが、その実は「学ぶ」ではなく「知る」に過ぎないことは留意すべきだろう。だからといって、それが解剖学より下位であるというのではない。解剖学を基礎とした美術解剖学は、人体部位の個々の名称や正確な形態というのではなく、「構造視」という新たな視点を与えるものだ。そして、これこそが美術解剖学が造形家にもたらす有用な要素であることを強調したい。人体内部の解剖学的構造の名称や形態への言及は、つまるところ、この構造視を得るための要素に過ぎない。造形家にとって大事なのは、例えば肩やわきの形の理由が理解できることであって、骨や筋の名称ではないのだから。
 また勘違いしてほしくないのは、本来これは”制作者のため”のリファレンスであり、”鑑賞者のため”の雑学ではないということだ。もし、雑学めいた内容があれば、それは本来の意義から漏れた副次的な産物に過ぎない。

 術解剖学は、人体という複雑極まりない立体物をどう見るか、という要求に、解剖学すなわち形態学的な手法を用いて応える、「対象の見方の方法論」なのである。

2013年12月8日日曜日

《告知》男性ヌード編が終わり、次回は女性ヌード編が始まります

 「人体描写のスキルアップ・男性モデル編」が終了しました。モデルさんのスタイルもポージングのセンスも良かったので、私自身も楽しく解説ができました。あのモデルさんをモチーフに彫刻を作ったら良いのができるだろうな。マッチョであるとか皮下脂肪が無ければよいとかではなく、自然であることが大事ですね。ぱっと見たときに自然な健康体として映る体格が美しいのです。舞踏をされているとの事で、あの肢体が動くのはまた見応えあるでしょう。どうせならばヌードが良いな。そうならば、クロッキー帖片手に鑑賞したいな。
 ヌードを見ていると、身体の美しさに男女の差はないことを実感します。むしろ、構造美を楽しむなら男性のほうが良いとも言えます。古代ギリシアから多くの男性ヌード彫刻が作られたのも、その美しさが認められていたことの証でもあるのでしょう。

 て、私の講座は3回セットです。残念ながらこの限られた時間内では、膨大な人体構造に関する情報を伝えきることはできません。ですので、モデル・セッション中に、注意を向けて欲しい部位を私が説明し続けるというかたちを取っています。
 講座を連続的に受講されている方も複数いらっしゃいます。その描写が平面的なものから構造的で説得力のあるものに変化しているのを拝見して、美術解剖学が持つ「構造視」の効果を実感しました。

 人体の形はすべて意味があります。それを造形的視点から組み上げていったものを美術解剖学と呼んでいます。それは医学解剖学の知識を得ることで非常に詳細に語ることができるようになっています。構造を読み取りながら造形する作業は、それまでの「いきおい」や「感覚」でのそれではなく、詳細な観察と論理的な組み立てを要求しますが、その結果としてとても説得力のある実在感を作品に与えてくれるのです。

 年、2014年の1月18日(土)から、再び新しいタームが始まります。次回のモデルは女性です。ヌードと言えば女性のイメージがありますが、形を捉えるという視点で言うならば実は男性より難易度が高いのです。それは少ない筋量と多めの皮下脂肪によるものです。しかし、脂肪によってなだらかにされた体表にも、しっかりとその深層の構造が大きな形として影響を与えています。体表に現れる目印(ランドマーク)や共通する起伏などを知ることで、深層構造を捉えることができるようになります。

 人体描写が得意という方はとても少ないはずです。その難易度、ハードルの高さが”解剖学の応用”という手段を生んだのです。人体を表現している多くの西洋古典の巨匠たちもそうしてきました。ならば、現代の私たちも使わない手はないのに、そう思いませんか。

 本講座は終了しました