2019年6月19日水曜日

生きる喜びについて

   そもそも生きる事と喜びとを単純に結びつけるべきではないのかも知れない。それは意識的に創り出したものではなく、見つけたものだ。つまり、生の喜びはそもそも与えられていたのである。重要なまちがいは、生を一生の事として、たった一つの事象としてまとめてしまうことにある。現実の生は一色ではなく常に変わっていく。幼少期、少年期、青年期、成人期、壮年期、老年期、そして晩年期と分ける言葉を我々が知っていることからもそれが分かるだろう。色合いが変わるのは人生の後半で、壮年期から人生の憂いは色濃くなり、老年期は諦めの色を帯び、晩年期ともなると達観の領域となる。ここで重要なのは、これら世代ごとの変化の主観が世代ごとに異なる点である。すなわち、晩年期の達観は、青年期の諦めとは本質的に異なるもので、ゆっくりと動き、滅多な事で驚きもせず笑いもしない老人の心境は若者には理解しがたい。その達観は若者が何か衝動をじっと我慢しているのとは本質的に異なる。それは、多くの経験を積んだから心が動かなくなっているのとも違って脳の器質的な変化によるもので、つまりは本質的に若者のようには心が動かなくなっているのである。これは、私たちが、5歳児のように遊べない事と同じである。

   生の喜びはなぜ老齢とともに失われるのか。残酷な表現ならそれは死への準備と言うことになろうか。別の視点で言えば、種としての存在必要性の減少とも言える。加齢による肉体の衰えは雪が必ず融けるような自然現象とは異なり、進化によって作られた現象である。それは動物種ごとに寿命が異なることからも明らかである。加齢による身体の衰えはだから周到に準備された現象として見るべきだ。壮年期以降になると、身体には様々な不具合が生じ、身体機能の調和が徐々に失われていく。青年期以降の人生は、それまでに得てきた身体的能力の喪失の期間だとさえ言える。人類という生物の寿命のデザインは青年期が終わって壮年期に入る頃までで終わることを想定しているのかもしれない。そうすると本来は、せいぜい長くがんばっても人生50年ということになろうか。
   ところで身体は全ての器官が同じ速さで衰えるのではなく、これは実感できるものだが、運動器系の衰えが早く、中枢神経系はそれより遅れて衰え、消化器系は最後まで働く。野生では運動器系の衰えは死に直結するので、自然界では老齢個体はほとんどいない。運動器系が衰えても他者によって保護されれば個体はより長く生命を維持できる。人類はそれを実行した動物種で、当然そこにはメリットが存在する。それは、より長く維持される中枢神経系の機能すなわち知識の維持である。人類は互いに身体機能劣化を保護しあい知識の伝達共有のメリットを最大限に利用してきた。さてそれが個人では種とは異なる意味合いを持つ。身体の運動機能より長く保たれる脳は、運動機能の低下の後も記憶というその主な仕事を継続する。記憶の呼び起こしは過去と今の比較に他ならない。それが、かつては可能だったことの喪失に気付かさせ、喜びを失わせる一因ともなる。


   ところで、自分でこうして考えて大事な視点に気付く。それは私が老年期未経験者であることだ。老年期に達していない者が、観察と経験に基づいて、老年期は喜びが失われると言っていることが全幅において正しいとは当然思えない。しかし同時に未経験者は何も知ることができないというのもうなずき難い。結局のところ、喜びや悲しみといった感情は主観の最も深いところに根ざしたもので、個人的な彩りが強く、また同時に年齢期ごとにも異なるものとしか言いようがない。ただし、経験してもいないことを語れるのは人類に特有の性質である。

2019年6月10日月曜日

芸術は人

   芸術はその作品を鑑賞するものだが、その作品性が作家の性格を色濃く反映する事実は特筆するまでもない。それはつまり、良い作品を生み出すには、まず作家がよい芸術家でなければならないことを意味している。何もこれは芸術に特別な話ではなく、人の成すことはその人以上のものは現れないという事実を言っているだけだ。ただ、世間的な価値観との差異で気をつけなければならないのは、「良い芸術家=良い人」という図式ではない。もちろん、それが成り立つ人もいるだろうし、その人は社会的にも生きやすいだろうが、明らかに社会的には問題のある人が良い芸術家である事実は少なくない。ただ、個人的に感じることは、良い芸術を創り出す人は、魅力的な性格者であることが多いように思う。人に好まれたり目が離せないような作品を作る人は、やはりその人自身が、そういった性格の人物なのだと思う。作品はそれを作った人物の性格をかなり深いところまで明らかにする。おそらく、そのいくつかは作家自身でさえ気付いていないようなものだったり、気づいて欲しくないようなものかもしれない。制作者の内面性がそのように現れる媒体を芸術の定義としても良いだろう。もちろんそれが本当に正しく内面性を読み取っているのかは分からないし判断が付かないが、それは、自分の性格を自分が本当に知っているとも限らない事とさほど変わらない。

   作品の魅力と作家とが分かち難く結びついているので、芸術は商業や工業のような匿名性がない。かつて、芸術家が自覚的になる以前は、作品に記名しなかったが、それでも作品の造形性に作家性が残っている。そして本質的に重要なのもそれである。これは個人の存在とその者の氏名との関係性と似ている。芸術の歴史を振り返ると、数千年の間に、ほんの数名の芸術家だけによってその方向性が決められてきた驚くべき事実に気付く。フェイディアスのように幸運にも芸術家の名前が残っていれば数千年の時を超えて名が呼ばれるが、そうでなくとも、例えばアマルナ美術やメソポタミアなど一度見たら忘れられないような表現に名の知られぬ芸術家の個性を見るだろう。私たちはその形が継承された時間の長さからそれを様式と呼んでまとめてしまうが、それらは時間の総体として生まれたのではなく、私たちの身体形状が環境と時間ーつまり進化ーによって磨かれたのとは異なり、まず強烈な個性の芸術家が1人だけ居たのに違いない。


   日本語で「芸術」とはよく言ったものだ。それは理論と実践が高度に融合しなければならず、そのためには時間が必要で、それも数年というような短いものでなく、人生と呼んでもいいような長いスパンが要求される。それも学校の時間割のように、もしくは日曜大工のように、もっとはっきり言えば趣味のように、人生の空き時間で飛び飛びに行えるレクリエーションの類ではない。芸術は芸術家の考え方(感性)と手業(芸)を高度に融合させるべく継続を続ける完成なき行為、そのような芸(わざ)の術である。

2019年6月3日月曜日

時が経つ

   時は流れ、私が通った大学の校舎は最新設備の高層ビルとなり、お世話になった教授は3月末日で退官された。
   かつて通い始めた頃の校舎は昭和一桁の竣工で、その一帯でもそこだけ取り残されたような古さを漂わす趣のあるものだった。もちろんそれは外見に留まらず、その内部もひと昔どころか五つ昔いやそれ以上といった歴史的な蓄積を思わせるもので、古くさいと言ってしまえばそれまでだが、私は時の止まったようなその感じを好んでいた。教室の秘書さんや技官の方々も、それこそ教授より長く籍を置いていて、教室の歴史を体現しているようにも見えた。やがてその建物を立て直す事になり、在籍していた教室は近所の廃校小学校へ一時移ったが、それも区で保存していたほどの建物なので、床は廊下も含めて総板張りのクラッシックな趣あるものだった。エレベーターなどもちろんなく、日が傾き夕陽が差し込むとそこはかとない寂しさに包まれる、小学校建築だけが持つ不思議な空気を漂わせていた。軋む床を教授や教員、学生らが靴の音を響かせて歩いていた日々がもはや懐かしい。天井からは雨漏りがするのでビニールシートで滴る水をバケツへと誘導させていた。これらは遠い昔の話ではない。つい数年前のことだ。私の学生生活はこの廃小学校で終わったが、時折、諸用で教室へはお邪魔していた。それがついに今年、新校舎が完成し教室はそこへ移動することとなった。

   免震構造の新校舎ビルは、エリアごとにロックされており、個人管理されたカードキーを持っていなければ建物内部へ入ったところでどこへも進めない。ビルの上層階の新しい教室は、全面ガラス張りで、こちらの廊下から反対側の廊下まで見通せるほどだ。つい数ヶ月前までの、木の床の小学校とあまりにも差が大きく、おかしな感覚になる。それまでの古めかしい環境との連続性が断たれ、全く新しい大学か、はたまた新しい組織か、それとも未来へでもタイムスリップしたように感じるほどだ。真新しい建物の内部はどこまでも直線的で無機質で、これまでの時に置いて行かれたようなのどかさはどこにも無い。そこにいる人々だけが以前と同じだが、それだけに何か、人間が建物に順応させられているように思えて仕方がない。長い期間、このような金属とガラスでできたカゴのような施設にいる事が、人間精神に何らかの影響を与えないとも限らないだろう。

   今年度から来た学生は、つい先日までの教室ののどかさを知らず、この教室を長く取りまとめていた前教授も知らない。そして真新しく近代的な校舎を当然なものとして受け入れていく。時が経つとはそういうことなのだ。