2016年6月26日日曜日

ロボットの1本腕に見る頭頸部の存在意義

 4足動物を思わせる有機的な動きで注目を集めた、ボストン・ダイナミックス社のロボット。軍事利用を想定して開発されたそうだが、まだ時期尚早ということで米軍の計画からは外されたそうだ。そこでなのか、今回の発表は一本の腕を加えて、家庭用ロボットとしての可能性を感じさせるプレゼンテーション動画に仕上がっている。
一本の腕は、四つ足動物の頭と頸のように見える。いや、我々にはそうとしか見えない。その事実が、私たちの頭頸部の存在について興味深い気付きを与えてくれる。

 私たち人類は、腕と手を器用に使うことで様々な道具を作成し仕事をこなす。人間にとってはそれが当たり前だが、それ以外の4つ足動物を見れば、腕もまた主には移動のための器官であることが分かる。つまり、私たちの腕もかつては移動のための道具であったわけだ。動物界を見回せば、腕つまり前肢を移動手段から独立させた生き物はほとんどいない。そんな彼らが「腕」として用いているものこそ、他でもない頸と頭なのだ。脊椎動物の頸部は、進化の過程で魚類が上陸してから獲得したと言われる。確かに、水棲脊椎動物は頸部を持たない。頸を動かすイルカの一部の仲間がいるが、彼らはかつては陸上動物だった。上陸すると共に抗わなければならないのは重力である。重力に拮抗して身体を支え動かさなければならない。素早い移動のためには身体を地面から離す必要がある。安定して離すには机や椅子同様に4つの支柱が最適だった。すなわち体肢(前肢と後肢)である。4本支柱は動かない時は勿論、移動時も3本支柱で身体を支えながら残りの1本を前方へ伸ばすことが可能である。3本支柱では動かない時はそれでいいが(カメラの3脚のように)、動こうとすると必ず2本支柱にならざるを得ないので倒れてしまうのだ。胸びれと腹びれがちょうど2対だったことも功を奏しただろうが、最小限で最大の効果を得ようとする生物身体構造の特徴からも4本脚はベストだったということだろう。ともあれ、そうして陸上での移動が可能になった。そうしながら自分の周囲を睥睨し、獲物を捕らえる際の繊細で俊敏な動きは前肢より頭方で行われることになった。その為に頸部が生まれた。頸部は可動範囲を拡げるために肋骨を極度に短くして、径も細くした。頸部内の臓器はだからほとんど管だけだ。頸の尖端に頭部を掲げ、そこには周囲を捉える特殊感覚器を集中的に配置している。すなわち、目、鼻、耳である。そして顎にはさまざまな獲物獲得の「器具」が備えられる。強力な顎そのものも獲得器だがそこの尖った歯を備えたり、舌もその道具として活躍している。それら道具は精緻な感覚器によって可能な限り正確な動きを発揮するのである。つまり、頭頸部は今の私たちの腕と手の働きをしているのである。その機能性の優秀さは採用された年月を見れば明らかだろう。脊椎動物が上陸してから今まで実に3億6500万年の間使われ続けるヒット・デザインである。しかし、最後の数100万年前に私たち人類の祖先がそのデザインに疑問を投げかけ、別の可能性を探り、そして採用した。それが、直立二足歩行に伴う前肢の移動運動からの解放とその作業肢としての改変である。腕と手の仕事はだから、それまでの頭頸部の仕事よりも精緻で高度でなければ意味がないのである。実際それが大成功を収めたのは人類文明を見れば明らかである。

 ボストン・ダイナミックス社の1本腕付きロボット「SpotMini」のそれは、脊椎動物のヒット・デザインをそのまま模していると言える。そして、彼らがそれを「頭頸部」と言わずに「腕」と言うとき、私たちは脊椎動物の頭頸部がそもそもどのような需要から生まれてきたのかを再発見するのだ。

2016年6月23日木曜日

高橋英吉の彫刻「漁夫像」覚え書き

 先日、芸大美術館の「いま、被災地から」展を再度鑑賞した。目当ては高橋英吉の代表3作品だが。

 改めて見て、この”海の三部作”は、1938年から1941年の間という3年間の間に作られたとは思えない充実度と完成度を持っていることに驚く。それと同時に、この3作の様式が全て異なることも興味深い。
 最初の作品『黒潮閑日』が初期作品だというのはその造形からも納得がいく。と言うのは、身体構造を真面目に、忠実に追おうとしているからだ。ただ驚くべきはその技量で、一人の人物像であっても、全体感を損なわずに仕上げることは難しいであろうところを二人の人物で構成しているところだ。今回改めて見て、手前のあぐらを掻いている男性の表情が剃刀を当てられている事に反応して、僅かに唇を右側に歪ませている事に気付いた。それだけではなく、彼の顔面構造全体もアシンメトリーに仕上げられている。それは意図された歪みであって、刃物が当てられている頬に意識を集めている男性の心持ちが伝わってくるように感じられる。ひげ剃り役の男性の両脇には空間が空いている。狭い脇まで良く意識が届けられている。驚くべき観察力と集中力であって、またそれを作品として仕上げる木彫技量にも改めて感嘆させられた。
 
 『潮音』はその翌年の作品だが、作風が随分と違う。ノミ跡は荒々しく、人体描写も前作のような写実性というより、スタイルの主張がもはや強くなっている。そうはいっても、解剖学的構造への厳しい目は健在で、それを基盤にしつつ、西洋古典の人体描写スタイルを盛り込んでみたという実験的な要素をそこに見る。

 異質なのは『漁夫像』だ。表面仕上げへのこだわりが強く、小さな刀で面を細かく割っているので、遠方から見ると滑らかな皮膚面に見える。また、手前へ膨らみ出るような曲面で構成されているので、ボリューム感が強い。実際、3部作の中でも最大である。近寄ると両脚や体幹部の迫るような量感に驚く。私感だが、良い彫刻はこの感覚をしばしば与える。そういった、彫刻として成り立たせる量の操作には揺るぎないものさえ感じさせるが、この作品だけは、身体描写が他の2点と異なる。身体描写の解剖学的な正確さからもはや逸脱しつつあるのだ。その”外れ具合”は、どこか1点というようなものではなく、全体に満遍なく見られる。高橋は、間違いなく、何らかの意図があって得意としていた正確な身体描写から離れようとしたのだ。その顔がエジプト・アマルナ文化を参考にしたことは間違いないと思う。体全体も改めてその丸く、細部を省略した描写を見ると、同じく古代エジプトの木彫像カー・アペル像(通称、村長の像)を彷彿とさせるものだ。もしかしたら高橋は前作の後に、もっと身体全体を1つの様式でまとめ上げる必要性を感じたのかも知れない。台座に乗る両足も丸く、足指などは個々の関節など無頓着である。そこには足の構造というよりむしろ、ひとまとまりとしての足を表したかった意図を感じるのである。そういった全体の統一感を見るには「様式」がヒントになることに気付いたのだろうか。
 さらに両腕の描写も今までと違って正確さと違う意図を感じる。肩から肘までの上腕部前方の膨らみを見ると、僅かだが頂点が上下に2か所設けてある。両腕がそうなので、これはわざとそうしてあるのだ。しかし、実際の腕では膨らみはそうならない。肘を伸ばした状態の上腕二頭筋は引き伸ばされることで、筋腹の膨らみが上下に長く見える。それを強調するために中間部をわずかに掘り下げたのだろうか。もしくは、何かほかの参考作品がある可能性もある。<追記:上腕二頭筋の筋腹の高まりがその中間部がわずかに低く見えることが実際の体でもある。その形態的理由はまだ分からない2016/08/14> 肘を介して前腕部へと移行する肘部の造形も実際のそれとはちがって変形が目立つ。肘の外側には腕橈骨筋と長橈側手根伸筋がアクセントとして見えてくるのだが、今までは忠実に造形していたそれらを意識的に弱めて、上腕部と前腕部とを明確に分離しようとしているかのようだ。つまりは、「人形のように」しようとしている、とも言えるだろう。今回見て、殊更目に付いたのが上記だが、同様の意図的変形は全身に及んでいる。だから、3作を並べてみると、この『潮音』だけが異質に見える。異質だが、彫りきって完成仕切っている。

 高橋はこの作を彫り上げて、戦地へ赴き、戦死した。大きな作風の変化の兆しだけを残して。

2016年6月19日日曜日

A Nothing

 方々で講師をしていると、受講生から時々「先生は何をしているひとですか」と聞かれる。つまりは、本業は何か、と聞いている。そういうときは、「これを教えているひとだよ」と適当に返事をして済ませるが、実は自分でも何の人かよく分からない。
 よく分からないのと同時に、そんなことはどうでもよいという思いもある。こういう事は美大生の頃からあって、彫刻科を出たら彫刻家にならなければいけない・・のだろうかという疑問があった。とはいえ今も、彫刻科を選んだのならば、彫刻家になれることがベストの道だろうというのはある。ただ、そうなれるのはほんの一握りなのが現実で、ではそうなれなかった多くの者はどういう「者」として生きなければならないのか。その時に、「彫刻家を望んだけれども、なれなかった者」として一生を生きなければならないのか。そういう現実的な部分で、美大へ進んだ者に与えられてしまう肩書きについて考えていた訳だ。

 ともあれ、日本人はとかく「肩書き」を欲する。考えてみれば、氏名もまた肩書きである。しかし、氏名は今や誰もが持つものだから、社会においての立ち位置を示す働きをほぼ失っている。だから、もう一つの社会的な氏名である肩書きを欲しがるのだろう。つまりはその人が社会に属しているのか、が知りたいのである。そこで私の場合は、講師でもいいだろうとは思うのだが、人によっては、私は何か別の継続的に続けている研究か何かがあって、そのためにどこかに恒久的に籍を置いているんじゃないかと思っているのだ。だから、そう聞かれたときにその人の求めているような答えが返せなくて悪いような気もするのだが、そんなものはないので仕方もない。

 結局の所、私な何の専門家でもない「何ものでもない者」である。だから、今の名刺には肩書きはない。きっともらった人は物足りなさを感じるだろう。だったらいっそのこと肩書きに「A Nothing」とでも書こうかな。

高橋英吉の彫刻 海の三部作

 芸大美術館で「いま、被災地から」展を観た。そのタイトルとポスター写真(壊れた美術館から作品を運び出しているところ)から、展示に興味を持っていなかったが、NHKテレビで展覧会内容を見てこれは行かなければと思った。なぜならこの展覧会には、戦死した東北の彫刻家高橋英吉の代表作3点が全て展示されているというのだから。実際その他にも、東北と関連のある芸術家の作品が多く展示されていた。この展覧会のタイトルとポスターは、多くの人を展示会場へ呼び込むというその働きの意味において、失敗していると言わざるを得ない。これだけ贅沢な作品を展示しておきながら、その最初の窓口であるタイトルとポスター写真で全くそれらが伝わってこないからだ。NHKテレビで展覧会関係者が「芸術作品も大切に保護され修復されているという現状を知って欲しいというのが第一です」というような事を言っていた。その思いはタイトルとポスター写真で伝わる。だから、企画者の意図は達せられただろう。でも、それでいいのだろうか。それ以前に展覧会の意図がなければならず、それはどれだけの人に気付いてもらい会場へ足を運んでもらえるかではないだろうか。その根本的な目的がないがしろになってしまうと単なる独りよがりの発表会のようになる。実際、この展覧会のポスターはぱっと見のインパクトがなく、多くの同様の情報のひとつとして埋没している。なんだか展示の素人が実験的に企画したかのようにさえ見えてしまう。一言で言って「退屈そう」なのだ。
 ところが、実際の内容は素晴らしい。一流の作品が数は多くなくとも集められ、知られていない作家の作品であってもその質は高い。被災した作品の修復過程だけが淡々と展示されているのではない。むしろ、純粋な美術展として構成され、後半にそういった修復記録がまとめて展示されているといった内容である。上記のように、一般の興味を”惹かない”ポスターが功を奏してか、平日の会場はがらがらで、鑑賞しにいった者としてはありがたい贅沢さだ。

 目的の高橋英吉の作品は3階展示室の初めに置かれている。エレベーターを降りるとまず目に着く構成である。一度はこの眼で見たいと思っていた作品達なので、それが静かに目の前に並んで置かれているとは、なんという贅沢さか。作品の周りには私しかいない。代表作3点は、漁師三部作(海の三部作)とも言われるが、全てモチーフは男性漁師で、ほぼ続けざまに制作されたものだ。そして、それら等身大からそれ以上の大作は、全ての造形スタイルが異なっていることも特徴的で、高橋の作家性がまだ決定しておらず今後の可能性を大きく感じさせるままになっている。高橋の評判は尋常ならぬ天才と決定しているが、まったく異を挟むところはない。このような日本の彫刻史を変えたかも知れない可能性が先の大戦で、多くの戦死者のひとりとして消えてしまった。まったく、人の死とは単なる「一戦死者」という単語だけで済まされない広大な可能性の消去でもあると実感するものだ。

 三作品は、真ん中に『黒潮閑日』(1938)が置かれ、その左に『潮音(ちょうおん)』(1939)、右に『漁夫像』(1941)が置かれる。全て木彫である。
 『黒潮閑日』は、高橋が捕鯨船に網引きとして乗船し南氷洋まで出た際のデッサンから作られたという。漁の合間に船上で見られた日常風景である。漁仲間の髭を別の男が後ろに立って剃っている。贅肉のない締まった男の肢体が写実的に造形されている。これは3部作全てに共通するが、表面はノミ跡が残されヤスリで削って仕上げるというところはない。まったく、驚くべき写実性で、解剖学的な構造はほぼ正確である。そうでありながら、説明的な描写に陥ることなく、彫刻的な構造性への意識から遠ざかってしまう間違いを犯していない。この、解剖学的な正確さは他の2点も同様であって、高橋はかなり積極的に人体構造を学んでいたと想像できる。3作品の中では最も人体構造が正確かつ素直に描かれていて、高橋としてもそこも見て欲しかったに違いない。彫刻作品としての構図の妙味は、立っている男性の首に巻いている手ぬぐいが上方へ伸びているところ。この表現ひとつで、彼らが静かな部屋に居るのではないことが伝わってこよう。彼らはダイナミックに揺れ動く捕鯨船の甲板で太平洋の風と光を浴びているのである。そして、手前であぐらをかいている男性は両手を自分のすねに伸ばしている。揺れ動く船上ではこうして上体を固定しなければ、剃ってもらう顎が揺れてしまうだろう。この男性の両手の指先と台座は、高橋の小さなこだわりと遊び心が垣間見える。指先だけが台座に埋もれるように表現されているのである。これの解釈は色々できようが、私としては、漫画での”コマ飛び出し”のように、この指先によって二人の世界感が大きく拡がっていくように思われる。もし真面目にすねを掴んで、台座内で収まっていたならもっと窮屈な印象を与えていただろう。また、この下方へはみ出した両手先は、立った男性の上方へ伸びた手ぬぐいと対を成していることにも気付かれたい。こういった作家の密かな仕掛けたちが、私たちに作品の面白さとして伝わるのである。

 『潮音』は、粗い岩のような所、断崖の切っ先か、に立つ漁師が漁具を左手に握って遠くをにらみ付けて立っている。彼の身体は全体として弓なりに反っていて、沖からの強風に対峙していることが分かる。それにしても、このスタイルは一見してミケランジェロのダヴィデであることは明白だ。ダヴィデは巨人ゴライアスという敵を見据え、その決意を表情に表していたが、この漁師もまた大海原への戦いを挑もうと決意するかの如くである。その身体描写は、先の『黒潮閑日』と比較するに遙かに様式化が進んでいる。すなわち、そうした過去の芸術作品を参考にして作られている。それは、ミケランジェロであっただろうし、古代ギリシアやローマだったろう。この作品に限らず他の2点にも言えるが、高橋の作品はその背面も非常に高度に完成させられている。比較的正面性を決めやすい構図なので、どの写真も同じような角度で撮られその背面を知る由もないのだが、是非とも会場では背面をご覧頂きたい。とは言え、残念ながら芸大美術館の展示も後ろに壁があって真後ろまで入り込めないのだが。これは私がいつも展覧会場で抱く不満のひとつでもある。さて、『潮音』の背中を見るとまず明らかとなるのが、この漁師が両の肩をぐっと後ろへ引いて胸を張り出しているという事実だ。両肩の背中を見ると、肩甲骨は背骨に触れんばかりに引き寄せられ、間にある僧帽筋は収縮して膨張隆起している。何となくの造形がそこにはない。高橋がいかにモデルのポーズに気を配り、その立体構成に腐心して、かつそれらを破綻無き人体構造として表現しようとしていたかが伝わってくる。彼は、輪郭線で人体を見ていなかった。人体は構造で成り立っているという彫刻家的視点を我が物として、そのように人体を見て彫刻で再現することに成功していた。だから、その正面の形状は背面の形状と見事に呼応しているのである。そして、胸郭下部の背骨部分の驚くほど深く彫り込まれた溝をご覧頂きたい。この溝こそ、彫刻家高橋英吉のこだわりである。同時代の近代彫刻を志す若者にとって、既にロダンは神のようにあり、形態の捉え方の1つの答えとして君臨していた。そして、ロダン同様にその弟子たち、ブールデルらの表現もまた、その後に続く新しい表現観として、彼らの元にも届いていたはずだ。『潮音』の背中の深い溝こそは、そういったロダンから伝わる造形観、すなわち、激しく誇張せよという教えの会得と実践に他ならない。先にも書いたが、この会場では背中側を遠方から鑑賞することができない。しかし、10メートルほども離れてこの背中を見たとき、深い溝はその働きを成すに違いない。ロダンの影が遠方鑑賞によって生きるように。また、他に背中で注目すべきは、骨盤部と腹部との境界(それはふんどしの上部から現れる)に見られる脊柱起立筋の隆起である。同筋(正しくは筋群)は名前の如く、私たちの背骨をピンと立たせる働きをしているが、それは骨盤と胸郭の間、すなわち腹部において発達が著しい。なぜならそこで背骨を支えるのは筋肉しかないのである。筋群という呼称から想像できるように、これらは多くの固有の筋の集合体である。この漁師の腰部で一際張っているのは、その内の背骨に近い両側に上下に走る胸最長筋である。胸最長筋はその筋腹こそ胸郭部に在るが、下方では腱膜と化し骨盤と連結する。そうして、他の起立筋群と共に張力を発揮して、上半身を骨盤から立たせている。立位の彫刻で、この像のように最長筋を細く深く表現しているものはそう多くない。高橋は実際のモデルの観察からこの描写のこだわりを得たのであろう。ここを細くすると、皮下脂肪が少なく筋張った人物のようになる。それは、実際の痩せて筋張った日本人の印象に近いものだ。この像は、正面の筋描写はギリシア風であるが、背面はより日本人的なのだ。そうなった理由として、彼が参照できた彫刻作品写真が正面しかなかったことが推測できる。それは現代でも同様だ。さて、もう一つ『潮音』で特徴的なのは、この漁師の両目の表現だろう。この目を見て南大門の金剛力士像を思い出す日本人は多いだろう。きっと高橋もそれを参考にしたはずだ。むしろ、私の感想としては、この目だけが、全体の作風から遊離しており良くも悪くもこの目が印象のほとんどを持って行ってしまっている。その目は大きく、実際の私たちの目にある上下のまぶたが存在しない。その部分もすべて目になってしまっている。だから、力強く見開いたように見える。と、同時に作品から少し離れると下まぶたの影だけが見えるようになって両目を閉じているようにも見える。これは私の勘ぐりだが、もしかしたら高橋は初めの目の表現は違ったのかもしれない。それがうまく行かず、最終決定としてこの目に”改築”したのではないだろうか。だとしたら当初の案は両目を閉じていた可能性がある。タイトルである『潮音』のように、彼が海からの音に耳を澄ませて出漁を検討しているのであれば、両目を閉じていてもおかしくはない。

 3作目はまた他の2作とは違った表現を試みている。高橋はこの『漁夫像』を展覧会場へ搬入してすぐに2度目の戦場ガダルカナル島へ赴き、そこで銃弾に倒れた。この像は全体が細かく刀で仕上げられ、赤茶色の光沢を放っているので、遠目に見ると鍛金の作品のようだ。内側から膨隆するような造形もそう見させる要因となっている。これまでの2作と違って、この作品は曲面によって構成されている。間近で見ると、腹部の張り出た感じは強く、両脚の膝下は少々丸すぎて強度感に欠けるほどだ。しかし、この丸さによって若さの表現には成功している。腹部も全ての腹直筋を掘り出すのではなく、へそから上へ伸びる一条の溝によってそれを表し、適度に皮下脂肪のある若者の腹部表現を試みている。この若者の遠方を睨んで立つ様はやはりミケランジェロのダヴィデの影響を見て取れる。特にここでは下半身、両脚の姿勢は同様で、左足のつま先が少々台座からはみ出ているのもダヴィデと共通する。さて背中を見ると、やはり正面と同様の緊張感を持って造形され、『潮音』同様に両肩が強く後ろへ引かれていることが分かる。また、腹部の背骨の前方への弯曲が作り出す体幹の前後方向へのダイナミックな傾きが意識されていることも明らかになる。つまりはせり出した腹部から腰がぐっと後方へ引かれ、その姿勢が右足から頭部への大きな前向きの弧を作っているのである。こういった構造への強い意識は高橋の作品全体を通して見られるものである。腰には腰布が巻き付けられ、その一端を左手でつまみ持っている。それによって作り出される前方の両脚間の形状をご覧頂きたい。布に依るその内側の身体への意識的表現もまた、古代ギリシアからの主要なテーマの1つであった。そして、巻かれた腰布と腹部との境界に目を移すと、その左側に腰骨前端の隆起、上前腸骨棘とそれに続く腸骨陵、が掘り出されている。これがあることで、鑑賞者は彼の腰の構造に句読点を打つことができ、全身像としてのピントを合わせることが可能となっている。私はこういう細部に、高橋の造形家としてのプロ意識の高さを見る。さて、この青年の顔に目を移す。眉間にうっすらとシワを寄せているものの、その表情は穏やかにも見える。造形はどこまで鋭利で意識的だ。ところで、この顔に見覚えがあると感じた方は多いだろうと思う。私もそうで、その次の瞬間に、それが誰か分かった。この顔はエジプトの黄金マスクで有名なツタンカーメンのそれである。実際にツタンカーメンの黄金マスクを参考にしたかどうかは分からない。それに関連した古代エジプトのアマルナ文化に属する彫刻のそれかもしれない。ただ、この若者の表情そのものがツタンカーメンの黄金マスクのそれに似ているのは事実だ。そう考えていくと、この若者の丸みを帯びた全身表現は、エジプトの王の立像に見られるそれの影響も考えられる。エジプトの王は大抵上半身は裸で、それは決してギリシア以降に見られるような筋骨隆々とした姿ではなく、ほどよく皮下脂肪ののった姿である。腹部はみぞおちからへそまでうっすらと溝が彫られ、それが人物の健康的で若い印象を作り出している。そう言うなら、腰巻きもまたエジプトの王との関連性も見られよう。
 いずれにしても、現代とは違って得られる情報がそれほど多くないだろうこの時代で、彫刻の写真を収集しその良いところを積極的に取り入れる姿勢に高橋の彫刻への姿勢が垣間見られる。

 戦場へ向かう船内で拾った流木に彫った、手のひらに入るような小ささの不動明王像がある。彫刻刀も木の棒きれと鉄片から手作りした。驚くべきはその切れ味であって、決してガリガリと引っ掻き削り取ったという造形ではなく、切れる刃物で掘り出されているのである。混乱を極めたであろう戦場から、絶作としてこの小品と彫刻刀が遺族の元に届けられたという。単なる木っ端や道具ではない気迫がそこには満ちていたに違いない。最後の大作『漁夫像』の展覧会での姿を見ることもなく戦争で死んでいった高橋英吉の彫刻家としての気概の形。この不動明王像と彫刻刀もこの展覧会に展示されている。



2016年6月15日水曜日

美術解剖学の秘匿性

 教育の基本は、自分の知識を他者に教える事。そこには、知りたい者と授ける者の関係性があり、それぞれの利益が関係している。知りたい者は情報を得る事が利益となるから分かりやすい。では、授ける者の利益は何か。それは自分の仲間を増やす事であり、もっと極端に言えば自己の拡大である。つまり、教育とは自分の仲間を増やす行為である。だから、授ける者は、知りたい者の誰にでもそれを与えるわけではない。自分の利益に叶うであろう者だけにそれを授けるのである。

 さて、美術解剖学は専門特化した教育のひとつである。その起こりまで遡るならそれは職人芸術家工房の技術力向上が目的であって、その性質から考えると、工房の一員として迎え入れられた者だけに与えられる閉じられた知識だったはずだ。そもそもその頃は美術解剖学とは呼ばれてはいなかったし、実際にも学問ではなかった。美術もまた学問ではなく”術”である。術は学とは違って閉じられた性質を持つ。それは小さな団体や集団ごとに伝達された術(わざ)の伝統とも言えよう。だから美術解剖学の原型は、閉じられた集団内で伝えられる秘匿的な性質を有していたはずである。15世紀のルネサンス期には絵画論などが書かれ、その秘匿性は公のものとなっていった。しかしそれでも、重要な中心部分は決して公には語られなかっただろう。
 芸術は閉じられた秘匿性が利益となる領域でもある。芸術は一般化となじまないからだ。そうであれば美術の為の解剖学も芸術と付随する形でその秘匿的な性質を保ってきたとも言えるのではないか。ならば、その性質を尊重してより正しく言うなら、美術解剖学ではなく美術解剖術と呼ぶべきかも知れない。


 ともあれ、美術解剖学は「芸術造形で人体を作る者」だけに向けられた非常に特化した知識系である。だからそれは、真にそれを知りたいと思う者で、かつそれを授けるに値すると判断された者だけに密かに教授されるという性質を有している。

2016年6月10日金曜日

藤原彩人展「像と容器」への文章

 藤原彩人氏の作る人体像は、そこにあるけれどもないような、不思議な存在感の希薄さをまとっている。展示会場で作品の前に立っていてもなお、目の前の作品がそこにあるわけではないような感じ。それはまるでぼんやりと人間の姿を思い起こしているような感覚である。

 何でもない壁のシミに人の顔や姿を錯覚したことがあるだろう。本当の顔ではないと分かってもなお拭い去れないほどそれらは強く印象に残る。どうやら私たちは誰もが人間の顔や姿についての枠型を頭の中に持っていて、その枠型にフィットするものなら何でもそう認識されるようだ。写真のような生き写しはもちろんのこと、漢字の「大」の字のような棒人間にまで省略されても人間に見える。ただ単純化されるほどつかみどころがなくなり、記憶や印象の深い部分へ沈み込んでいってしまうように感じられる。こころの深い部分にいるそれらは、本来は実体化される対象ではないのだろう。
 ところが藤原氏の作る人体像は、まるでその深い部分にある人のイメージが形を持ち、そのまま目の前へ立ち現れたかのようだ。関節や筋肉など人体内部の構造描写がひかえめであることが、見る者の頭の奥にあるおぼろげな人体イメージと結びつけるのかもしれない。

 彫刻はいつも素材と技法の制約の上で制作される。陶で作られるこれら作品の内側は、焼成時の破裂を防ぐために空洞である。その人体像の顔を間近に見ると、かすかに口を開けている。その口は見る者の意識を作品の内側へと導く。その時、今まで裏方に徹していた空洞は作品を成り立たせる要素となる。内側の見えない部分も含めて存在が成り立っているという視点は、私たち自身の在り方とも重なる。像の口を通して繋がる空洞面が裏と言うより内なる表であるように、私たちの腸内腔もまた口を通して体外空間とひと繋がりである。そして、飲み込んだ食物は腸内腔に溜め込まれ、反対側の出口から排出されるまでの間に腸壁という内なる表からその養分だけが体内へ吸い取られるのである。なるほどそう思えば、私たちの体はまるで底に穴の開いた器だ。実際、生物の体は細胞が集まって出来たシートが器様の形を取ることから始まるという。器によって外界を「一杯くみ取る」事が動物の個体存在の始まりなのだ。
 いくつかの作品に見られる壺状の形もまた人と器の形態的な相似を想起させる。食べて生きるだけではない私たち人間は、それぞれが抱え持つ思念さえも「自分というかたちの器」に溜め込んでいる。


 人体像は全身が有機的な曲面からできている。鋭角的な造形部位は顔や指先などの細部に見られる程度で、体の大きな造りはグニャリと柔らかく、下へ行くほどボリューム感を増していく。その特徴的なプロポーションは焼成前の柔らかい粘土の人体像が、支えなく自立するための必要性から自ずと導かれたという。筒状の粘土の腕は肘関節で折れ曲がるというよりゴムホースのようにしなって変形している。要するに、これらの人体像は体の支え−骨格−を内側に持たない「骨抜き」なのだ。身体の支えを持たない彼らは意識的に起立しているのではなく、ただぼんやりと立っているように見える。骨格という支持器官を内に持たなければ、伸ばそうとした腕さえ外部に置かれた梁によって支えられなければならない。それを隠さぬ潔さはゴシック建築の飛梁を思い出させもするが、不動の建築物とは違って、動く腕−実際に焼成時に動くという−に従うために梁の配置は不規則になる。それは運動を暗示しつつ腕を拘束し、それまで不可視だった力学的構築を表出させている。

 藤原氏の創り出すこれら人体像は、人の形の模倣と言うよりむしろ、心のうちにおぼろげに浮かぶ人の姿が土の肉体によって具現化されたものだ。だからそれらは私たちと同様の空間の制約を受けつつも、解剖学的な説得力を持った一個人として屹立しているのではなく、儚く捕らえどころがない態をして佇んでいるのである。


藤原彩人展 「像と容器」
ギャラリーせいほう
〒104-0061 東京都中央銀座8丁目10−7東成ビル 1F
2016/6/6(月) - 6/17(金)
11:00 〜 18:30 最終日 〜17:00 日曜休廊
http://gallery-seiho.com/