2017年12月29日金曜日

言葉

 常々思うが、言葉は強いが虚しい。

 真実も嘘も、多くは言葉で語られる。いや、正確に言えば、その始まりは言葉である。放たれた言葉が真実か嘘かは、別の形で証明される。つまり、本来言葉そのものは何らの価値を持っていないとも言える。仮のすがたであり担保であり象徴、幻だ。

 そんな頼りないもので人間界は概ね成り立っている。それは、言葉をまずは信じるという前提が成り立っているからである。私たちは、言葉は真実を示すと感じる。そうでなければ言葉が成立しない。言葉がそもそも持っている”信じさせる力”を逆手にとって嘘が生まれる。嘘をつこうと意識せずとも、言葉の持つ強さを使って、さまざまなレベルで私たちは互いに欺き合っているとも言える。

 言葉は本質的に虚しい。そのもの自体には何らの価値もない。私たちにとって真に価値があるのは、事象の変化であり、すなわち「何をしたか」である。

 「私は石を動かすことができる」と言われれば、ああそうだろうと取りあえず信じる。そのまま何もせずに命が果てるまで言い続けることもできるが、そのまま彼が死ねば、何一つ事象に変化をもたらさない。
 何も言わずとも、石を手で押し動かせば、事象は変わる。それを繰り返してピラミッドさえ組み上がるのだ。古代の王たちは言葉の虚しさを知っていたからこそ、物を動かしたに違いない。

 言葉でしか判断できないものは、その程度の価値しか置くことはできない。放たれた言葉は証明されなければならない。科学がしていることはそれだ。証明しようのない言葉を放つ人は”語り部”であり、それが自らの利のためだけに使われると嘘となる。

 中身の無い、殻のようになった言葉もある。挨拶もそうかもしれない。こんにちは、お疲れ様、よろしく、すみません・・・。そう思えば年末だが、年賀状に綴られる言葉はどうだろうか。

 あるビジネスの現場で、がんばりますと言った人が、「がんばらなくてもいい。結果を見せて下さい」と言い返されていた。
 言葉は現実の事象と連携しない限り、本質的に何の意味も持たない。

 人間の脳の前頭葉は社会性を司るとされる。いわゆる「TPOをわきまえる」能力である。この機能の成熟度合いをもって”大人”であるかが判断される。そこには、もう1つ、「言葉と行動の連携の重視」も含まれるのかもしれない。それを私たちは責任と呼んでいるのだろう。

2017年11月29日水曜日

彫刻考 技術と人間性

   禄山を通して色々考え続けている。
   近代彫刻は即興性である。すなわち過程である。それは終わりなき行為の永遠なる途中なのだ。そうなると、大事なのは技術ではなくなる。技術とは暫定的であれ完成を終着点として見据えているからである。彫刻に技術が重要でないのならば、大事なのは作る人間の人間性である。だから、禄山もそれを磨こうとした。この重要性は時代を問わない。
   しかし、作品として表す以上は必ず行為が伴い、そこには技術が現れる。この両者をどうやって共存させ昇華せしめるか。それが命題である。結局、技術もまた常に磨き続けなければならない。それはあって当然のものとしなければならぬ。人間性、もしくはセンスと呼ぶものだけを重視すると畢竟彫刻ではなくなる。技術と人間性は切り離せないのである。なぜなら技術は表現力を高め、彼の人間性をも広げるのであるから。
   そして、教えられるもの、学べるものはこの技術しかないのである。完成した作品もまた技術によって成り立っているのだ。

   技術をないがしろにするべからず。併しそれに飲まれるなかれ。

2017年11月20日月曜日

告知 手の美術解剖学特別講座

 12月3日(日)に新宿美術学院にて、美術解剖学特別講座を開講します。
 実習形式で、油土を用いて手を骨から造形していきます。皮膚はまとわせません。

 手は、運動器が”身体を運ぶ”働きから解放され、マルチツール化したものだとも言えるでしょう。私たちの身の回りにあるほとんど全ては、この手によって動かされ変形された物です。手は最も鋭敏な感覚器であると同時に、脳内の想像物に形を与えるための出力器なのです。
 どのようにして指は動いているのでしょうか。ロボットのように関節毎にモーターが仕込まれているわけではありません。指や手首の曲げ伸ばしは、紐のような腱によって引っ張っているのです。それはマリオネット人形やワイヤーで動く自転車のブレーキに似ています。更に、親指と人差し指で小さな物をつまめるように、親指を根元から小指側へ倒すための筋肉が手のひらにあります。同様の筋は小指にもあって、そのお陰で親指と小指の腹同士を触れさせることができます。これら、指の”対立”は手の機能上最も重要ですが、その形状においてもまた重要だと言えます。手のひらの親指と小指側にある特徴的な膨らみは、この筋肉によってできています。
 手は、造形的観点に基づく構造から言えば、骨格と腱で大枠が作られ、手のひら側だけにある筋が独特な曲線的な印象を与えています。一方、筋のない手の甲側ははるかにごつごつして直線的です。

 微細な動きが可能な手は、私たちの精神面とも連動して動いています。ジェスチャーやそぶりにおいて手が作り出す視覚的情報は重要です。例えば、手をグーにして人差し指だけを伸ばせば、何かを”指す”メッセージになりますが、これはほとんど世界中の人に共通する視覚的言語だと言えるでしょう。
 音声を発しない絵画や彫刻などの視覚芸術では、全身のポーズや表情に加えて、手の姿勢が重要です。人体が表現されている殆どの作品において、手は何らかのメッセージを伝えるための手段として用いられているのです。

 この講座では、表現された手を通して、その伝達ツールとしての働きを改めて確認し、続いて粘土を用いて構造を自作することで、コンパクトかつ機能的な内部配置を理解します。自らの手で手を造形し内側の構造と働きの連動を理解することで、今後の制作に現実的な説得力を与えることができるようになります。

 詳細は新宿美術学院のサイトをご覧下さい。

2017年11月19日日曜日

Susan ciancioloの『The Great Tetrahedral Kite』

 ”ジャケ買い”したアートブック。Susan ciancioloの『The Great Tetrahedral Kite』。


 色々なモノを貼り付けたノートブックをそのまま再現したような本。31ページほどしかない薄い物。
 こういう落書き的な、雑多としたコラージュものに惹かれてしまう。似た物が他にも色々とあるが、例えばキャプションやページ数などがキレイなフォントで印刷されていたりすると、それだけでもう興ざめだ。日本ものに時々そういうものがある。まったく、整ったフォントの破壊力は恐ろしい。

 ”雑多コラージュもの”は魅力的だし簡単だから自分でもやってみようかと思うと、なかなかできるものでもない。それに自分で作った物はその作為を”底まで知っている”から、全く面白くもない。知らない誰かの作だからこそ”底が知れない”ので良い。また、切ったり貼ったりした物を再度撮影して平面化するという行為と出来上がって情報が統一された状態が、不思議と心地よいのである。色々な素材を投入して、1つの料理として完成させたようなまとまり感がそこにはある。だからこれは、生のコラージュ作品の単なるコピーというのではなく、これで完成品なのだ。

 書店に置いてあるこれをパラパラめくって、もう心を掴まれているわけだが、理性的なもう1人の自分が、これのどこに買うほどの価値があるのだと尋ねてくる。誰かの個人的な満足に過ぎないし、この手の”落書き系アート”なら他にも幾らでもある。それに、惹かれると同時に嫌悪に似た感覚も引き出されるのである。それが何かハッキリとは掴みかねるが、振り返る必要も無い古い記憶の抽斗が開けられるような感覚が近いかもしれぬ。
 そんなわけで、考え直して元の場所に戻しては、また手にとってめくることを繰り返して、結局購入した。

2017年11月14日火曜日

鑑賞者の必要性 ー作品の価値判断ー

 彫刻家や芸術家は格闘家やアスリートのようだ。彼らが何を言っても結局はその作品の良し悪しで判断される。それも作品の良し悪しは見た瞬間にわかってしまうから、勝負は一瞬で片がつく。
良いと言われるような作家でも、その作品の全てが良いことなど無い。「良い作家」を維持するには、良い作品を生み出す割合が高いことが大事である。長く続けている作家の作品を見ると、良し悪しの特徴が分かることがある。しかし、良くないような作風も作り続けていたりするから、作っている本人には分からないものなのだろう。実際それどころか、作家に言わせれば、全ての作品がその時々の最高傑作を作るつもりで対峙している訳である。それもアスリートを似ている。誰も負けると思いながら勝負はしていないのだ。

 若い作家が期待されるのはただ単に作品数が少ないからである。始めの勝負で勝てば、取り敢えず勝算は高くなる。しかし、その先も勝ち続けるかどうかは未知である。

 また、作家が自分に下す価値観を分からないように、鑑賞者も自分の判断に自信がない。だから、それを誰かが言葉にしてくれるとその判断をありがたがるのである。だがそこで多くの間違いが生じる。刃物のような他人の言葉の強さに負けて、自分の判断を捨て、他人の判断に寄り掛かってしまうのである。難解に見える作品ほどその傾向が強い。これが横行すると、本来の本質的な勝負の結果が変わってしまう。つまり、実際は大した価値を見出せないような作品が素晴らしい物として扱われるのである。この様な間違いは、作品そのもので判断せずに言葉に寄り掛かった結果起こるのである。芸術の価値を揺るがさないためには、鑑賞者が自分の眼で見て、自らの価値観で判断を下さなければならない。それも、誰かの言葉にはなるべく影響されずに、である。そうは言っても、影響されない価値判断は簡単ではない。むしろ、何らかの信念を抱いているほど、自分でも気付かないうちに「色眼鏡」を掛けてしまっている。一体、専門家と言われる者ほど強い色のそれを掛けている。私たちは皆、無垢な幼児でもなければ、何らかの色眼鏡をして世界を見ているのだと言えるだろう。それは芸術家も同じである。芸術家は、言わば酷く変わった色のそれを掛けている人種である。だから、鑑賞者は自分の色眼鏡をしたままでは、受け入れがたいものとしてそれが映る事もあろう。作品を前にする時は、半ば意識的に自らの色眼鏡を外したり、作家のそれが何色なのかを想像する必要があろう。しかし、最終的な判断は自ら下さなければならない。そして、その判断には自信を持つべきである。鑑賞者の全てがそうなることが理想であって、そうなることで、作品の真実の価値が判断されるのであるから。

 そして、鑑賞者による真実の価値こそが、芸術家にとって必要なのである。芸術は作家による一方的な価値観の押し付けではない。人間が行う行為はすべからく対話的であって、作品もまたその内にある。鑑賞者が正しく判断し、それを作家が受け取ることで次の作品へと繋がるのである。しかしながら、自分のことを芸術家だと信じている人の中には、この対話の重要性を積極的に破棄しようとしているように見受けられる者もいる。彼らの作品はしばしば独善的で、攻撃的に映る。攻撃は一方的で、相手を打ち負かす事だけを目的とした行為である。それらは高圧的で、それに対する鑑賞者の返信を求めていない。独善的な会話がジャルゴンであるように、一方的な作品は対話的価値を持たない。鑑賞者は、対話の可能性を感じられない作品に対して、それを振り向かせようと無駄な努力をする必要はない。作られた物はそこに在る以上の何ものでも無く変化することもないのだから。変わるとするなら、それは鑑賞者の視点や感性である。しかし、変わろうと努力しなければならないのならば、それは作品が放つ魅力とは言い難い。”努力を伴う理解”は芸術的感受性とは異なるものである。

 本当ならば、誰の作品であれ、鑑賞者は自らの感性で感じ取ったものを素直に表明すべきである。無名であっても良いものは良いし、有名であっても詰まらぬものは詰まらないのだ。しかし、社会人である以上、そのように言えないこともあり、その態度が芸術の質を少なからず引き下げているのだろうと思う。だから、芸術家は身近な人間の批評は信じないのが賢明である。自分のことなど知らない者が言う言葉こそがむしろ真実に近いだろう。

 映画『ミッドナイト・イン・パリ』で、主人公がヘミングウェイに自作小説の批評を打診すると、ヘミングウェイは読みもせずに「君の作品は不快だ」と言う。「下手なら不快。上手でも嫉妬で不快。作家同士はライバルなのだ。意見など求めるな」と。なかなか良い返しだ。

2017年11月6日月曜日

自然物と決め事

 化石研究者の発掘現場をテレビ番組が取材していた。今までほとんど発掘が行われていない砂漠の辺境地だが、めぼしいところは既に発掘されていた。それは盗掘だと言う。化石の採掘は国レベルで管理していることが良くある。それゆえ、許可なく掘れば盗掘となる。現場を前にして研究者は憤りを露わにしていた。盗掘者は乱暴に掘り出してお金になる頭部などだけを持ち去るのだと。

 確かに、許可なく採掘するという違法行為だが、一方でその現場を映像で見ると、周囲数100キロは誰も住んでいない砂漠の真っ直中である。おまけに、歩いていればそこら中で化石が落ちているような環境で、ここにいたら「取っちゃだめ」という決め事など意味がなくなるだろうとも感じる。周囲数100キロは誰もいない砂漠の交差点で、信号が赤だから止まって待ちましょうと言っているような感覚。
 無数に埋まっているであろう化石の産状の中でわずか数平方メートルが持ち去られてどれほどの実質的ロスが生じるのだろうか。それよりも、”多くの手間と手続きの果てにやっとたどり着いたら、気ままに来たであろう盗掘者に先を越されていた”という悔しさこそが本音なのではないかと感じた。

 確かにまれにしか産出しない化石もあって貴重であろう。ただ、”化石は古生物学の所有物”であることが前提であるかのように見せられると、若干の違和感も感じる。始まりは好奇心から拾い集めた生物の痕跡を学術領域へと高めた歴史的経緯は偉大だが、その管理権力が大きくなって採集や所有の自由まで失われることには抵抗を感じる。

 化石に限らず、遺跡などの多くが盗掘に合っているという。「盗掘」という言葉は後から来た者が付けた呼称で、始めに見つけた者にとってそれは「宝探し」だったはずだ。盗掘者は、それが金になるかの判断だけで後先考えないので現場が荒らされる。結果、貴重な”情報”が失われる。しかし、発見されなければ情報そのものも無いと言えるのだから、失われたと言うのは妥当ではなく、せめて「(取り分が)減った」とすべきであろう。いずれにせよ”始めに見つけた者”を盗掘者と呼ぶのは、先を越された悔しさがにじみ出ている。
 古生物学にせよ考古学にせよ、新たな遺物を見つけるのは、圧倒的に非研究者のはずだ。彼らが見つけたならば、その物にどのような価値を見出すかは、本来は見つけた者にあっても良いのである。
 中国では古来、化石を竜骨として粉末にして薬にしていたそうだ。神話に登場するような怪獣も化石からインスパイアされたのではないかとされる物もある。化石は遺跡とは違い自然産物である。そこにどのような価値を見出すのかは本来は自由である。竜と言っても良いし、薬だと言っても良いし、怪獣の骨だと言っても間違いではない。

 今回の番組のように、古生物学の権威が「盗掘だ!」と憤慨するのももちろん間違いではない。ただ、その価値観だけが絶対のように、当然のように放送され受け入れてしまう「価値観の固定化」の浸透をふと感じたという感想である。

2017年10月30日月曜日

運慶仏 仏から物へ

 運慶は、仏像に自分の名を記した初めての例と言われる。もちろん、発見されていないだけでその父である康慶がより早くそれをしていたかも知れないが、いずれにせよ最初期の事例であろう。
 また、その仏像は「写実的」であるとか「リアリズム」という枕詞がしばしば付けて語られる。つまり、実際の人間の形に近づけて仏像を表現した。その写実性を助けた技法のひとつが玉眼である。人間の外見で視覚的な質感が大きく異なる眼を、いつも光を鋭く反射させる水晶を用いて表現した。それらの理由から、仏の存在を人間存在により近づけたという意味合いで語られることが多い。
 八大童子像などを見ると、色彩が状態良く残されているので、作成された頃の像は全身がビビッドに彩られ、それが破綻なく彫られた形状と相まってある種の完璧さを持っていただろうと感じられる。しかし一方で、完璧に仕上げられた像でありつつも、現代人が言うところの「写実的」とは違うことも分かる。玉眼が入っていようとも、これらの童子のような少年が実際にいるようには感じられない。露出している肉体部分の表現を見れば尚のことそう感じる。その身体は決して現実の人間のようには表されていない。仏像の決まりに則った表現である。運慶仏が写実と言われるのは無著世親のインパクトの大きさ故だろう。それどころか、八大童子像の特徴ある顔などは複数の像を統一化し、フィギュア(人形)のシリーズのようでさえある。像が固有のキャラクターを主張し、かつそれが”現物”のように振る舞い始めると、皮肉のようだが置物化してくる。像そのものが愛玩の対象へと変化していくのである。仏像が像として愛でられるようになることは、もはや物を物として愛玩されるようなもので、これは置物である。例えば鎌倉時代の仏像には衣を実際に着せ替えられるものもあるが、そういう像の扱いを西村公朝氏は「彫刻的本質から遠ざかる行為」だと指摘した。

 仏像はそもそも現実の人間の形を移して作られ始めたのではない。それは象徴であり、概念に人の形を割り当てた存在とでも言えるものだ。もっとドライに言えば、仏像そのものはあくまでも像、つまり”仏の形をした物”に過ぎない。信者は、その“物の形”を見て”仏そのもの”を自らの内に想像する。そう捉えることで仏像は物ではなくなり、仏そのものとして捉えられることになる。
 運慶が自ら仕上げた仏像内に自分の名を記したという事は、作家自身がこれは物に過ぎないと宣言しているのに等しい。仏像の内側の空洞に水晶などを収めたりした事も同様の心理が伺える。内側に納入されたものが”仏の魂”であるとするなら像は容器に過ぎない。このような、仏像を参拝する大衆との”温度差”はしかし、あって当然のものだ。運慶ら仏師はその形を作り出す側なのだから。彼らは言わば信仰の翻訳者である。彼ら仏教芸術家がいなければ、我々は仏の世界を視覚的に共有することさえできないのだから。

 運慶は、仏像を人間に近づけたというよりむしろ、仏像を仏そのものと思い込まず単なる物であると宣言した初めての仏師である。そうして信仰対象と像の間に区切りを付ける事が表現の幅を拡げることに繋がり、その裾野は仏像の置物化にも伸びていくのである。


2017年10月16日月曜日

彫刻の質や評価

 会話で名が出た若手彫刻家の作品をネットで見た。その場で高評価だったので期待したが、大きな人形に過ぎなかった。思い返せば、そこでの評価も彫りの技巧を「凄い」と言っていたのだった。
 日本では技巧がそのまま芸術の価値になる。例えば絵画では「写真のような絵=上手な絵」の式が素直に受け入れられる。もちろんその価値観が間違っているわけではない。写真のように世界を描けることは人類の夢だったとさえ言えるだろう。しかしそれは夢”だった”のであり、写真機の発明がそれをこれ以上ないほど完璧に叶えたのである。それ以後、絵画芸術における価値は解放され、様々な特徴的表現の追求へと細分化された。

 彫刻でもそれは同様である。モデルにそっくりに造形できることはひとつの才能だと言えるだろう。きっとそれは写真のように、人類の夢なのだ。そしてそれは、昨今の立体スキャンとプリンターでほぼ叶えられた。後は安価で身近になるのを待つだけである。寸分違わず立体化する技術はまもなく人間の手を離れる。技巧は本質的にはそちらに属するものだ。機械でより高度に成せるものをわざわざ人間の手で行い続けることは、哀しいけれども、標本を残すような行為に近い。

 非技巧的で彫刻的に優れた作品もあるのだが、非常に評価されにくい。技巧的に優れていれば評価されるのならば、作り手もそちらに流れるのは自然な事だろう。技巧と一言で言っても様々なはずだが、我が国では”繊細”で”手数の多い”ものが喜ばれる。人が作り出す物である以上、技巧も重要なのは確かだが、芸術には主題があることを忘れてはならない。芸術において、技巧は主題と密接であるべきである。技巧だけに限ってみても、それは作品全体の構成と関連していなければならない。細部と全体は段階的に組み合わさって全体的な調和を成していなければ、個々はバラバラに主張しだす。それは一見、賑やかで視覚を喜ばすかも知れないが、薄っぺらですぐに飽きられる。それらは実際のところ、大して美しくもないことがほとんどだ。
 今から100年前に、ロダンの影響を受けた高村光太郎が、父である光雲らが作る明治木彫を否定した内容もそんな所だったように思う。しかし、そう言いながらも光太郎自身、木彫の小物を多く作成したし、また鋳造作品の展示方法やその扱いに彫刻作品を置物や小物として見ていた節もある。

 どのような作品が彫刻として優れているのかは、1つの答えがあるわけではない。表現も多様性が維持されるべきだとも思う。しかし、表面的な処理だけで、彫刻の質が語られるようになってしまうのは避けたい。表面性は無視すべきではないが、彫刻の調和的な構築性においては、最初の列には並ばないのである。
 芸術は作る者より見る者の方が圧倒的に多い。見る者の選択が作る者にも影響を与えるのならば、彫刻の見方についても広く示していく必要があるだろう。

2017年10月1日日曜日

「Treasures from the Wreck of the Unbelievable 」展の図録を見て


 ダミアン・ハースト「Treasures from the Wreck of the Unbelievable (難破船アンビリーバブル号の財宝)」展の図録を見て衝撃を受ける。ヴェネツィアで実際に観てきた学生のもので、巨大な図録の書籍だ。作品の内容、個々の作品のクオリティと点数、その全てが壮大で、更にはそれらが立体作品であることから、彫刻芸術として区切って見ても、間違いなく今世紀で最も優れた展覧会の1つだろう。実物を目撃できた人がうらやましい。

 世界中の多くの作家、彫刻家がこの展覧会を羨望と嫉妬の眼差しで見ることだろう。同時に、大きな希望も与えるはずだ。その壮大さと、綿密に組まれた構成とアイデア、そして何より作家の個性の純粋性の高さに突き動かされた行動力によって成し遂げられた膨大な作品群からなる展示は、作家個人のアイデアが芸術表現の動向さえ変えうる様な力を持つことを証明している。さらに、芸術家に勇気を与えることは、頭に浮かぶ個人的な視覚的想像が形を得ることで、これ程までの力を持ち得るという事実の提示である。

 このレベルの展覧会を実現させる事は誰でも可能ではない。しかし、誰もできないではなく、誰かはできるということの実証の価値は大きい。芸術家の自由な感性は力を持ち得る。そこに形を与え、それも出き得る限り完全にする事で、作家個人を超えて他者を動かす行為へと変換されるのである。
 ハースト氏は自身が抱く際限の無いイメージに形を与えた。単純だがそれこそが、造形芸術家、視覚芸術家に取って唯一かつ絶対の果たすべき行為であることを実証してみせたのである。

2017年9月18日月曜日

複製された匿名の写真たち 情報から物へ

初めて代官山の蔦屋へ行った。美術書も”当然”充実していて、特に写真集が豊富だ。そこだけで数時間過ごす。エディション付きの少部数ものも多い。うれしいのは、そういうものもサンプルとして中が見られるようにしてある。作家のノートやドローイングブックがそのまま写真集になったものが意外と多く(書店側がそのように集めたのだろうけれど)、それらは作家のプライベートがそのまま見られるようで興味深い。
 その中で、写真が本ではなく、紙箱の中にいれられた状態で売られている物があった。それぞれの写真は全て印刷物だが、裏も詳細に印刷され、あたかも実物に見える。それが紙箱に収められているので、誰かのコレクションを垣間見ているような気分になる。箱の蓋には1枚写真が貼り付けてあるのだが、箱毎にそれが異なっていた。作家の名前は、クリスチャン・ホルスタッド(Christian Holstad)で、タイトルは『Fellow Travelers』。

 それぞれの写真は、紙の厚さや表面の質まで詳細に複製されており、”物としての写真”の複製が成されている。含まれている写真は、どれも”いつかの、どこかの、だれか”で、ハロウィーンの時期に撮影されたものだ。幾つかには裏面に当時のメモが書かれていて、それを見ると古い年代は1919年、最近のものは2001年。作家がどこから集めたのかは知らないが、匿名性のある、それでいて個人的な写真だ。ただでさえ赤の他人なのに、その多くが今も存命かどうかも分からない古い物で、更にはハロウィーン仮装をしているので、被写体の人物との感覚的距離感が非常に大きい。そうであるのに、こうして異国で複製され(この作品の印刷は日本で行われた)、誰かの手に渡っていく。
 これは写真集ではない。写真集は、通常、そこに印刷されている”内容”が作品であり情報である。それに対してこの作品は、印刷された”物としての写真”が主体である。存在そのものが重要なのだ。紙質から印刷まで正確に複製されている様は、1つの原型から同じ商品が幾つも作られる現代を表しているようにも思える。そう思うとこの作品は、子ども達が遊ぶトレーディングカードのセット(デッキと呼ばれる)に似て見える。

 光学情報としての写真は、今や本質的には、紙である必要が無いとさえ言える。一方で、物質である紙を媒体とすることにこだわる作家もあるだろう。実際、物質性にこだわった、”物としての写真集”がいくつも置かれていた。デジタル情報がすっかり普及した現代において、写真家は”光学伝達の芸術家”ではなく、”光学伝達を含む表現全般の芸術家”に変わりつつあるのだろうか。それはもはや写真家ではなく総合的なアーティストの事である。伝達技術の革新とともに、従来のカテゴライズは当てはまらなくなるという事実を、都会の書店で感じた。

2017年9月15日金曜日

ミケランジェロのワックスモデル再び

 2回目の「レオナルド×ミケランジェロ展」に行った。今回は閉館1時間前を切っていて、満足するほどゆっくり見られなかったが、館内はガラガラで、1つの作品を1人で鑑賞する贅沢さがあった。今回は近距離双眼鏡を持参して、これが大活躍だった。これで見ると、肉眼での鑑賞との情報量の差が凄まじく、鑑賞が数倍楽しくなる。
 看板作品になっているミケランジェロの素描では、紙葉の左下にペンの試し書き線が2つある。それが始まりのカーブが逆向きで、もしかしたら1つがミケでもう1つは弟子が真似したのではないか、などと想像して楽しい。レオナルドの看板作品の素描は、サイズが小さいので、肉眼では拡大印刷されているもののようには見えない。これも双眼鏡を使うと、1本1本の筆致がハッキリ見える。左頬には白色でハイライトが入れられているのだが、それだけではなく、修正でもしたようなシミがそこに見られる。

最も鑑賞に時間を当てたのは、ミケランジェロのワックスモデルである。肉眼で見ても素晴らしいが、今回、双眼鏡を使うことで、目の前に等身大ほどに拡大された彫刻があるかのように鑑賞することができた。像の右大腿部や左の腰部などに、指紋がはっきりと残っている。ミケランジェロの指紋である!指でしっかりとワックスを押し込んだことが分かるし、指紋が残るほどに柔らかい状態で造形したことも伝わってくる。また、背中の辺りには、ヘラで付けたような段々のへこみがある。他には、肘を突いている右腕の付け根、つまり肩のところは、ワックスを伸ばしてなじませた跡が見られる。胴体とは別に腕を造形して、それを接合したのかもしれないし、造形過程で割れて取れてしまった腕を再接合したのかもしれない。また、背中には背骨にそって溝があるのだが、溝の底が鋭利である。双眼鏡で見ると、爪痕が溝の底に沿って残っている。腹部側の造形の細かさと比べると背中は若干荒さが残るのも興味深い。
 横向きで、右脚の付け根を下にした横向きの姿勢だが、胸郭から肩にかけて大きく回転運動しており、左肩は前方(腹部側)へ覆い被さるように傾いている。この捻れは写真や画像では全く伝わってこない。全身が作り出す大きなねじれの運動が素晴らしい。斜め後ろから見ると、腰の前傾は、腸骨陵の上の外腹斜筋の膨らみも同一の量塊として捉えているように見えた。脚は左脚の大腿の造形が素晴らしい。膝に来ると粗付けだが、膝下部分の大きな形の捉え方はかえって分かりやすい。それはスネの前縁を強調するような形の捉え方である。
 実に、この小さなワックスモデルは、サイズを超えて、ミケランジェロ彫刻の要素を直接的に伝えてくる。この展覧会で、彫刻家ミケランジェロの真髄が最も伝わるのが本作品である。「Divine」な造形とはこれを言うのだ。

 あと1週間ほどでこの展覧会は終わってしまうが、もう一度、時間を作って見に行きたい。

2017年9月14日木曜日

「無い」の脆弱性

 「無い」を証明することはできないと言う。1つでも「在る」ことが明らかになればそれは覆される。だから「無い」は常に暫定的決定である。とは言え、「無い」と決めないことには先に進まないこともたくさんあるので、我々は自らが決めたその暫定的な決定を、一旦は信じることにしている。何より、「無い」という言葉の持つ意味は強い。

 「口をつぐむ」と言うが、相手に言いたいことがあるけれどもあえて言わない、もしくは関係性の中で言えないという事がある。何らかの対話において、相手からの意見がなければ、それは同意か少なくとも反対ではないだろうと捉えられる。しかしそれは彼が「口をつぐんでいる」だけかもしれない。レスポンスが「無い」ことが、反対意見が「無い」こととは限らない。いつか、つぐんでいた口が開かれ、「無い」と信じていた反対意見が「在る」ことを知らされるかも知れないのである。

 「無い」と言える精度を高めるには、多角的な検証が必要だ。できるだけ多くの検証作業において「無い」と言える要素が集められるならその可能性はより高まる。つまり、「無い」ということを積極的に追求しなければならないのである。目の前に無いから、と言うのであれば、それは「無い」ではなく「見えない」であって、両者は別なのだ。

 「在る」は非常に明解だが、「無い」はややこしく、あいまいである。言葉が対の概念を示してはいるけれども実際の趣きは随分と異なるのである。そもそも、概念として「無い」は「在る」の対語として現れたのだろう。我々が、そこに「在る」ということ、存在を抽象化することに成功すると、対概念として「存在しないこと」が立ち現れ、それが「無い」となる。つまり、「在る」は常に具体性を含んでいるが、「無い」は初めから抽象的な概念なのだ。
 「無い」と言えるには先ず「在る」の内在が仮定されているのだから、容易にそれは覆される概念なのだ。違う言い方なら、「在る」が存在し得ない「無い」はそもそもあり得ない。そう考えると、「無い」ことの脆弱性を感じる。「無い」など、無い。

2017年9月11日月曜日

機能を失い美術品となる

 今では、古代エジプト文明の彫像や古代ギリシア文明の彫刻たちは、美術のカテゴリーで語られ鑑賞されるが、それらが作られた当初では宗教的な目的を持った神聖な像だった。像によっては、一般に見せる目的すらなかったものもあったろう。それは、日本の仏像も同じで、美術館に仏像が運び込まれ、私たちはそれらを美術”品”として鑑賞する。品であるそれらは、まぎれもない”物”として扱われる。どこかの誰か、つまり人間の手によって創作された物として。かつては違った。それらは、仏、神そのものとして崇められ魂がある存在として扱われていた。”人間によって作られた物”として捉えられてはいけない、そういう特殊な存在を帯びていたはずだ。
 つまり、神像や仏像は、動かないけれども機能を担っていた。それらは教義と結びついて、その宗教世界感に現実味を与えなければならない。変わりやすい現世に対して恒久的である宗教世界は普遍的な表現でなければならない。だから宗教美術は決まり事が多い。
現在でも進行され続けている宗教ならば、その表現の意味合いも分かりやすい。一方で、既に廃れてしまった過去の宗教に基づいた造形物はその形や表現の意味合いを察することは難しい。エジプトやメソポタミア文明そしてギリシアの彫像を思い出せば分かるように、教義が途絶えた神像たちは、純粋にその形状の美しさで語られるようになる。これは、本来の機能を失ったために、当初の目的とは異なる価値で捉えられるようになったのだと言い換えられるだろう。

 唐突だが、最近の自動車に関するニュースを見て、神像が美術品となったのと似たことがいつか起こるような想像をした。フランスやイギリスは、2040年までに石油燃料で走る自動車の販売を終える予定だという。燃える液体をチャポチャポとタンクに注いで、その爆発の”勢い”で走るというのは、確かに産業革命から余り変化していない。それが電気や水素などに変わることは進歩的ではあるが、とは言え4つの円板を回転させて進むという方法自体は、それこそ数千年前のアイデア(コロで巨石を動かすなど)のままである。このまま人類が無事に進めば、いつか”タイヤで転がす移動手段”は完全に過去のものになるかもしれない。そうすると、やがて今の自動車が、”移動道具”という当初の目的とは異なる価値で見られるようになるだろう。数千年後に地中から掘り出された自動車は美術館に並べられる。その時代の美術書には次のように書かれる。「その形は、使われていた時代の文化様式を反映し、大きさは人体尺から導かれている。外形は多くのカノンを基にしながら時代ごとの美しさが追求されていたが、やがて個人のデザインから機械にとって変わり、全世界的に画一的となって行く。・・」

東大寺の金剛力士像の建つ早さ

 古い家が取り壊されていると思っていたら、もう新築が建っている。雑草の生い茂る空き地だと思っていた所に、鉄筋のマンションが建とうとしている。建築物の建っていく早さには驚かされる。道路際で目にするのは、様々な建築材料が組み上がっていく様だけだが、そのように作業が動き出すまでに、紙面上で綿密に手順組みが成されているのだろう。実際に建設が始まると、現場ではできる限り無駄なく進行するように考えられているに違いない。

 ふと、東大寺の8メートルを超える金剛力士像が2ヶ月ほどで作られたという話を思い出した。具体的な日数と共に語られるのだから、そこには”信じられない”という感想と共に運慶らの並ならぬ技術力を裏打ちするものである。しかし、一流の仏師集団であることを考えれば、それは特段に驚くべきことでもない。金剛力士像は、類のない巨大さではあるが、その姿形はゼロからの創造ではなく、従来からの型からのアレンジである。職業として考えれば、理由がなければ完成を遅くさせる理由はない。綿密に組まれた設計図と、手慣れた職人がいれば、数ヶ月で家やビルが建つように、巨大な像を数ヶ月で建造することも普通に可能だったはずだ。金剛力士像の造形においては、彼ら仏師たちにとって、その大きさだけが問題だった。吽形は、首の角度を変えたり、乳首やヘソの位置を変更した跡が見られるという。組み上げた巨像を見上げたときに、その視覚的な歪みなどに気が付いてのことだろう。そういうところに、巨大さとの格闘が感じられる。

2017年9月9日土曜日

ホックニーの『秘密の知識』

 デイヴィッド・ホックニーの『秘密の知識』は、複数の意味でとても興味深い書籍だ。

 まず、この本の内容が研究であること。始め、ホックニーの画集だろうと思って開く人がほとんどのはずだ。ところが中は膨大なルネサンス絵画から近代までの写実的人物画で埋め尽くされているので、戸惑ってしまう。一体、この本がなんなのか、しばらく分からないという人も多いはずだ。
 近世、ルネサンスから突然現れる超写実表現に、主観に依らない観察技術があったはずだと直感したホックニーは、膨大な画像を並べて、同時に多くの文献を調査し、知られざる光学機器が使用されていただろうと言う結論を下している。この世界的に有名な芸術家が提示した仮定は、歴史家や美術研究家も巻き込んで、説得力のある物になっていく。画家であるホックニーは、自らも光学機器を用いて実験を繰り返していく。

 また、この本は、芸術家の思考過程の記録でもある。
 さらに、ルネサンス以降現代までの画集でもある。
 そして同時に、ホックニー自身の芸術作品とも言えるだろう。

 これを見ると、芸術家の衰えない好奇心と行動力、そして何より直感力とそれを信じる能力に驚かされる。そして、形無き思考を論理的に組み上げていく構成力には、高度な知性を感ぜずには居れない。決して単なる”思いつき屋”などではない。
 
 そんなことを考えていたときに、偶然にも大学で彫刻家のF先生との会話でホックニーに言及し、この話題になった。先生は、ホックニーが同書出版の準備中に彼のアトリエへ伺ったのだという。先生が、「ホックニーは神童だって言われていたけど、それは絵が巧いという意味の神童じゃないからね」と仰った。もともと、高い知性を感じさせる少年だったのだろう。それが納得できる一冊である。

 ホックニー自身の凄さが煌びやかに映るが、その内容も素晴らしい。ルネサンス期の芸術家はギルドを構成したというのは有名だが、ならばその利点と必要性があったわけで、そこに中心こそ”秘密の知識”であっただろう。科学の始まりの時代とも言われる同時代ならば十分にあり得ると思わされる。

 また、この書籍が日本語で読めることが素晴らしい。オールカラーで有名な絵の拡大画像がこれでもかと載っていて、図像だけでも十分に楽しめる。
 アマゾンの書評のようになってしまったが、実際、刺激的な書籍だ。

2017年9月5日火曜日

単位と自意識

 様々な単位がある。それらは全て人間が人間のために考案したものだから、人間が最も取り扱いやすい範囲で切り取られている。もちろん、途方も無い単位もあるが、それは取り扱いやすい単位の延長である。そう考えると、単位は基本的に身体尺だと言える。もしくは、人間尺とでも言おうか。

 例えば、宇宙はどれだけ大きいのかと想像すると、その途方もなさに、落ち着かない気分になる。宇宙に関する大きさの単位は、それこそ“天文学的”なものばかりだが、それも基準が人間尺から始まっているからだ。私たちは、対象の大きさを自分を基準としなければ、実感出来ない。だから、私たちを包括する宇宙は必ず”途方もなく巨大”になる。宇宙が巨大になったのは、私たちがそれに気付き、計測をしたからである。

 時の流れもまた同様だ。時の流れを、1時間などと区切るのは人間だけだし、例えば100年前、1千年前、1万年前などと聞いて、どれ位以前の事なのかを想像するが、その時に感じる”時の長さ”は、私たちが持つ”時間感覚”に照らし合わされている。私たちの時間感覚は何によって規定されているのか。私たちが体内時計と呼ばれるリズムを持っていることは有名だ。その調節には昼夜のリズムが重要だと言う。つまり、目から入る昼の明るさと夜の暗さの繰り返しの長さが基準になっているのである。しかし、それだけではないだろう。さらに、生態の特性によって修飾されているはずだ。生物固有の反応速度が、その生物の時間感覚と密接に関連しているだろうことは想像できる。例えば、手で捕まえることが困難なハエは、人間より高速に時間を刻んでいるのだから、その時間感覚は人間を基準とすれば、ずっとスローに見えるはずである。もちろん、実際にはハエはそんな風に”意識的”ではないだろうが。
 1億年前と聞くと、気が遠くなるほど昔に感じるが、それも人間尺で考えるからに他ならない。実際、5億年前の三葉虫の化石の、見事に保存されている様を見ると、5億年という時の流れも、人間基準の感覚に過ぎないと感じる。
 そもそも、時間の流れとは、実際にあるものなのだろうか。少なくとも、それが”ある”と叫ぶのは、生物の、それも人間ただ一種だけだ。

 サイズにせよ時間にせよ、世界を単位で区切る行為は、どれも意識的である。それは自意識の獲得と共に始まったのだろう。自己の存在を規定するには、自分が含まれている世界を規定しなければならない。自分に気付くことは、世界を、宇宙を気付くことでもある。一方で自己の確立は、宇宙からの自己の離脱でもある。だから私たちは「私と宇宙」と言う。私たちもまた宇宙である事は明白であるにも関わらず。

 なるほど人類は、意識によって宇宙を区切ってきた。区切ったものの間には境界ができる。境界で区切られた対象は純化していき、より捉えやすくなる。それが概念化である。概念は言語を生み、概念の構築が論理を作り出す。我々人間は、”区切る動物”だ。そう言い切ることが既に”区切っている”。
 しかしながら、区切っている段階は、まだ認識の途上のようにも感じる。なぜなら、世界は、宇宙は全てを包括しているのだから。我々はほとんど本能的に、そこに認識的(概念的)再構築を試みようとしているのだろう。ただ、現在は有象無象を切り取って名札を1つずつ付けている段階に過ぎない。果たして全てを再構築し、完全なる認識化に成功する日が来るのだろうか。

 もしその時が来たとして、眼前にあるのは、全てを始める前と同じものかも知れないけれど。

ミケランジェロ『夜』のポーズをモデルに取らせて

先日、カルチャーセンターの講座で、モデルにミケランジェロの『夜』のポーズを取ってもらった。ビーチチェアを置いて、そこに横たわってもらう。彫刻の右脚は膝が曲がっているのだが、ビーチチェアでは伸ばさざるを得なかった。このポーズの見せ場は、当然ながら体幹部のねじれである。右肘を左ももに付けるという、ストレッチ体操のようなねじれの姿勢を取っている。この姿勢をモデルが10分間維持できるか未知だった。結果は、やはり数分するとねじれが徐々にほどけてくる。

 ミケランジェロの作品には、この作品と同様に、過度に身体をねじった表現が多い。鑑賞者もそれを見ると、ああ窮屈な姿勢だなと思う。緊張した、押し込まれた状態のバネのような、そういうものを感じる。そして、それこそが作家が狙った効果だろう。その時、鑑賞者は誰もこれが冷たく硬く不動の岩石でできていることを忘れている。この強い捻れの姿勢は、ロダンの『考える人』にも採用され、その動勢を鑑賞者へ伝えている。
 『夜』の腹部には大きく3つのひだができている。腹部は屈曲しているので、皮下脂肪が集まって緩んでいる。左の腿の付け根には、もう1つのひだが見える。腹の一番下のひだとこのひだの間には若干の隙間が表現されている。ここが骨盤の最上部である。脚の付け根、もしくは尻の横面が大きく見えており、そこには3つの膨らみが造形されている。これは上から、大腿筋膜張筋、大転子、そして大殿筋である。太い大腿部の側面には近位側に溝が2条見えるが、これは上が腸脛靭帯で下が外側広筋とハムストの境界であろう。殿部を構成する大殿筋の遠位部の表現は若干特徴的で、立位の時の殿部の印象が表されている。つまり、印象としての、もしくは記号化された尻がそこにある。
 乳房は、見れば分かるが、まったく現実味のない表現物で、分厚い大胸筋の上にできた腫瘍の様だ。この乳房はその醜さから返って目に付く。なんとなれば、後世の芸術家がこれを削り去って大胸筋だけの胸部へと修正しやすいように、境界を明確にしておいたのではないか・・などと想像してしまう。
 
 ミケランジェロは、この作品を作るに当たって、もはやモデルを見ていなかったのではないだろうか。そう感じさせるくらいに、理想化と観念性が強い造形である。

2017年9月4日月曜日

嫌いがあっての好き

 ずっと以前、予備校生時代に同級生が、「流行に乗らないって言う人は、既に”流行に乗らない”という流行に乗っている」と言って、巧いこと言うなと関心して今でも覚えている。自らや周囲の人の観察から、確かにそういう傾向はあると今でも思っている。
 「私は流行には乗らない」と意識的になるには、まず流行に意識的である前提がある。だから、「流行に乗らないファッション」と、「流行に無頓着なファッション」とは、その結果的な格好が似ていたとしても、そこにたどり着く過程が全く違うのである。「流行には乗らない」と豪語してたどり着く”無頓着ファッション”は、言っていれば一周回って帰ってきたのだから、その道程は、流行に乗っている人よりむしろ長い。
 これは、芸術表現で例えるなら、ピカソが追求した「子どものような絵」だ。子どもの落描きのようだと言われる奔放な表現は、幼少期にそういう絵を描くひま無くトレーニングを積んできたピカソが、それこそ一周回ってやっとたどりついたスタート地点”風”の表現である。
 
 自身の経験だと、学生時代は、ワイシャツ姿のサラリーマンファッションは自由が無く好きでは無かった。なぜ、他の格好をしようとしないのだろうと思っていた。いざ、そういう年齢になって自分が着てみるとすぐに分かった。これは意識的なファッションというより制服であって、むしろ何も考えなくて良いので楽なのだと。楽だから、これだけ皆がその格好をし続けているのだと理解した。

 時々、自分の敬称について、「”さん”付けしなくて良いよ。」と後輩や出会った人に”わざわざ”提言する人がいる。つまり、そう言う彼らは、”さん”付け呼称に何らかのこだわりがあるということを意味している。もしかしたら、本当は”さん”付けして呼んで欲しいのかもしれない。それ位の強い意識性がそこに横たわっている。もちろん、他に理由はいくらでも考えられるけれども。
 私は職業柄”先生”付けで呼ばれることが多い。かつての教え子と仕事をするような事も起こるが、相手は呼び慣れた”先生”付けで私を呼ぶし、私は”さん”付けで相手を呼ぶ。互いの立ち場が変わったのだから、私の事も”さん”付けに変えてもらって良いと思うことがある。が、相手をどういったイメージで見るかはその人の自由なのだから、敬称変更の提言はしない。

 どうやら私たちの脳は、対象を対極に分けて分析するようにできている。だから、「対の概念」は実に多い。「好き」という答えを導くには「嫌い」が定義されていなければならない。あるアイドルがテレビで「僕のことを嫌いだと言われてもうれしい。嫌いだと言うだけ僕の事を考えてくれているという事だから。」と発言していた。前向きな考えだとそこでは言われていたが、うれしいかどうかは別として、嫌いと言われるだけ意識されているというのは事実だ。意識されなければ好きも嫌いもない。

 下された判断にはそれと真逆の比較材料が机上に乗せられているという事を考えるのは、なかなか興味深い。


2017年8月31日木曜日

「見せる」か「見る」か

 イギリスの大英博物館やナショナルギャラリーなどの大きさになると、鑑賞者は世界中からやって来て、その数も凄まじい。さらに、これらは入場料を取らないので、再入場の手続きなども存在しない。館内での写真撮影は自由である。驚くことに、飲料などを片手に持ちながら鑑賞している人もいる。あれもこれも駄目という日本の美術館鑑賞に慣れていると驚いてしまう。ただ、日本ではあまり目にしない”自撮り棒”は禁止されている。
 それだけ鑑賞の態度が自由にされていると、当然、彫刻などは触られるようになる。大英博物館の石彫はそれでツルツルに磨かれてしまっている物もある。また、鑑賞者の遊び心で引っかき傷が付けられた物もある。鑑賞の自由さは、作品保護の観点で見れば、多大なリスクがある。大英博物館が展示室に出している物は、全収蔵品のたった1%だそうだが、だからと言って傷付けられても構わない収蔵品が存在するわけでもない。
 傷付けられるリスクよりも展示品を身近に見せることを優先させるという態度は、博物館の機能のひとつである、「集めた物を見せる」役割の主体の置き場によるものであろう。イギリスの博物館のそれは、明らかに鑑賞者側に主体がある。これは集めた物を見せる場としての本来の意味を忠実に保っているように思われる。対して日本の博物館や美術館の態度は真逆で、見せる側に主体がある。鑑賞者は、そこが示す厳密なしきたりに従って、静かにうやうやしく”拝観”せねばならない。展示空間は薄暗く、撮影は当然禁止である。それはまるで、誰かの家に入って、その所有物をこっそり見せてもらっているような申し訳なささえ抱かせるほどだ。日本の美術館が放つ”敷居の高さ”はこんなところも原因のひとつではないか。美術品や収集品の保護管理が重要なのは当然だが、一方でそれが行きすぎると、「大事だから簡単には見せない」ような態度に移行していき、本来の意味から離れていってしまうだろう。

 大英博物館の古代ローマ彫刻の前にイーゼルを置いてデッサンをしている老人がいた。ナショナルギャラリーでは低学年の子ども達が中世宗教画を前にして床で絵を描いている。一方で、日本の国立新美術館は「使用できる筆記具は鉛筆のみ」とツイートしている。その理由が「作品に触れてしまった時の影響を最小限にするため」だという。そこから伝わるのは”事なかれ”に過ぎない。
 見せることに対する後ろ向きな姿勢、もしくは尊大な態度が変われば、日本の芸術文化へのイメージはより開かれ身近なものになるだろう。

2017年8月27日日曜日

古典があれば

古典があれば、ギリシアがあれば、後は気楽にザッピングしているようなものだ。

そんなふうに思っちゃうよ。

2017年8月12日土曜日

生きる者がつくる死

 死、死、死。ニュースでは日々、誰かの死が伝えられる。交通事故、火事、転落、夏休み中のこの時期は「溺れた」、「流された」という水難も多い。その他に殺人事件も数日おきに報道される。いずれにせよ、ニュースになる死は、どれも「無かったはずの死」である。彼らのほとんど全員が、今日が自らの最後の日だとは思っていなかったはずだ。私たちと同様に、漠然と寿命まで生きると思っていたはずだし、大小さまざまな人生の予定を組んでいたのである。しかし、人生は断たれた。死によって、その人は人間社会から脱落し、彼らが歩むはずだった道は消える。
 アクシデントによる死のニュースを聞くと、その人の”最後の苦しみ”を想像する。苦しみの果てに死があると、いつの頃からか信じているので、死んだ人は最大の苦しみを体験したのだろうと考えるのである。それは、私たち生きている人間は誰も体験したことの無いものだ。体験した人はすべからく死んでいるのだから。その、想像しうる最大限の苦しみやそれに付随する恐怖感を、望んでもいないのに経験しなければならなかった事の無念さを私たちは同情する。苦しかったろう、辛かったろうと。
 ただ、その辛さも死によって消えた。生きている私たちが危険から遠ざかろうとするのは、痛みや辛さの記憶があるからである。私たちは、痛みを”知っている”。だが、死んでしまえば記憶もない。つまり苦しみも痛みも無い。当たり前のことだが、それがどういうものか、生きている側からは直感できない。命のないもの、例えば石も命がないが、では石のように考えなさいと言われてもそれは難しいのと同じである。命がない石は”考えない”。考えないことを考えなさい、とはどういうことか。これは、私たち生きている側の視点から見てしまうからおかしくなるのではないか。なにせ、生とか死とか分けるのは、生きている私たちだけなのだ。つまり、”考えない”は”考える”があって生まれる対の概念なのだから、”考える”がないのなら”考えない”もないのである。

 死がどういうものか、死者を含め誰ひとりとして、体験しない。死は”生きている者”が作った対の概念である。別な言い方をすれば、死はこの世にしか存在しない。人は死ぬと死体となる。死と死体とは別物だ。 
 生きているとき、自分の体は自分の物だが、死体は死んだその人の物でさえ無い。死体はそれを”死体”と呼んでいるこの世の物、つまり生きている私たちの物である。これは実に奇妙に聞こえる。身体の所有権が自分から他者へ移ってしまうのか?実際はそうではなく、生きているときから、自分の身体は他者の物でもあるのだ。もちろんそれは物質的な身体ではなく、認識される身体としてであるが。つまり、死ぬことでその人の主観的認識だけが無くなるのである。それ以外は変わらない。こうして気付くことは、自己の認識と他者の認識とが、とても似通っているということだ。私たち人間は互いにそっくりで、相手の考えていることがなんとなく透けて見える。それは実は不思議なことではなく、他者の行動を自己として投影することで自意識が作られたからではないだろうか。その時、死体は理解不能な自己として映し出される。それは生きている限り未経験だからだ。死は生きている者が永遠にたどり着けない先であり、同時に死体はそれが起こった物質的証拠としてそこに横たわる。死が”生の先にあるもの”と感じられるのは、そんなところが理由の1つかもしれない。

 死ぬと、生きていたことも忘れる。忘れるという概念すらない。時間は流れていないという物理理論があるそうだが、死を思うとそれも納得できる気になる。時を感じるのは生きている間だけなのだから。何年生きたのか、どう生きたのか、そういったことも死ねば全て無意味である。なにせ死ねば、死がないのだから、生もないのだ。

 何でこんなことを考えているのか。生きているということを確認するためなのかもしれない。

2017年8月10日木曜日

仁王像について

 「あうんの呼吸」と言われる仁王像の阿形と吽形。二人ペアで、阿形が口を開け、吽形は閉じている。呼吸と言うのだから、2体のどちらかが息を吐いていて、どちらかが吸っているという事か。しかし、吽形の口は閉じている。ググってみても、阿形が息を吸って吽形が吐いていると説明しているものもあれば、その逆もある。ただし、「あ」も「うん」も、元々はその音を発声することらしく、つまり、本来は「あ・うん」はどちらも呼気(息を吐く)なのだ。「あ」と言うには口を開けるし、「うん」つまり「ん」と言うには口を閉じる。この対照的な口の姿勢と、発声とが結びついて形象化されたもののようだ。偶然なのか関連するのか、日本語の50音も「あ」から始まり「ん」で終わる。私たちは世界を言葉によって認識するのだから、「あ」から「ん」の間には世界の全要素が含まれることになる。西洋では同様に「アルファ・オメガ」と言う。

 興福寺の金剛力士像を見ると、阿形は左脚重心、吽形は右脚重心で始まって、互いに対称の存在であることを示している。「あ」と「ん(うん)」が対称であるように、これら2体には対称的要素が多くちりばめられている。

二体を並べてみると、阿形はアゴを引いているのに対して、吽形のアゴは上がっている。それだけでなく、吽形は腰から上の上体が若干上向きに反っている。この姿勢から、吽形は息を肺に吸い込んで、その息を吐かずに喉の奥でぐっと”息んでいる”だと分かる。私たちも普段、何か重たい物を持ち上げる時などに、ぐっと息をこらえるものだが、それをしているのだ。背骨に肋骨が組み合わさってできている胸郭は、よく「心臓や肺の保護」のためと言われるが、一番の働きは呼吸である。肋骨を筋肉で持ち上げることで胸郭内腔を拡げて肺に空気を押し込んでいるである。だから胸郭は、呼吸のたびに動いている。一方で、胸郭の外側には多くの筋肉が付着していて、その中には腕を動かすものもある。効率的に大きな腕の力を発揮したいときには、胸郭がぐらぐらと動いてしまっては力が逃げてしまうので、息を吸い込んで胸郭を膨らませた状態にして息をこらえるのである。
 繰り返すようだが、息を吸い込むということは胸郭を膨らませるということで、これを「胸を広げる」とも言うように、胸郭は若干反るような形になる。胸が反ればアゴも上がる。
  
 吽形の右手は失われているが、復元した同様の像の写真を見ると、ぱっと開いた手のひらを胸郭の横の位置で、前面に向けている。左手は拳を握って腰の高さに下げているが、その腕の筋は膨隆している。これらの手の姿勢は、目に見えない何か重たいものを力を込めて押しているように見える。右手は前に向かって、左手は下に向かって。それら”見えぬもの”の質量は相当で、吽形は全身を力ませて応じている。そのような、関節運動を伴わない筋収縮を等尺性収縮と言うが、ここではそれが起きている。等尺性収縮では最大の筋活動量が発揮される。


 それに対して阿形は、口を開き、アゴを引いていることから、口から息が出ている事が分かる。それも何かを発声している。私たちの呼吸の基本は「鼻呼吸」で、口でする呼吸はあくまでも補助である。吐く息を利用して声を出すようになったが、その際には、口腔内は共鳴装置としても働き、大きな音を出すときには、トランペットのように音の出口を大きく拡げる。阿形は、凄まじい大声を上げている。広げられた右手は反らすようにして、肘を力強く伸ばしている。手の甲側へ反った指が体側を向いている事から分かるように、その腕は肩から内旋している。前腕も回内位を取っている。肩関節から腕全体を内旋させる大きな力は、大胸筋が生み出す。阿形の腋にはピンと張った大胸筋が(若干、膜っぽいとは言え)現されている。仮に手を握って胸の前方へこの腕を伸ばすなら、それはボクサーがパンチを出したときのようになる。つまり、この腕は、素早く力強く腕を伸ばした瞬間が表されているのだ。阿形は伸ばした右手の方向を向いている。その方角から何者かが上がってきている。彼はそれを素早く右手で制し、声でも制圧しつつ、左手は次の一手に向けて力を溜め込んでいるようだ。その右腕の肘が完全に伸びていることからも、この腕は今、伸ばしきった瞬間であり、同様に高らかと上がった左肘もぐっと振り上げられた一瞬である。彼は激しく動いており、吽形と同じように筋が盛り上がっているとは言え、その働きは対照的である。このような関節運動を伴う筋収縮は等張性収縮と言う。

 こうして見ると、阿形は動、吽形は静の力が表されていると分かる。また、視線を見比べると、阿形は近、吽形は遠を見ている。筋張力とその仕事で見れば、阿形は外、吽形は内である。
 様々な要素が対照的に表されている仁王像だが、両者で共通していることは、非常な緊張状態にあるということだ。ただ、彼らは怒っている訳では無く、制止制圧しようと必死なのだ。彼らの高緊張状態は何と対照しているのかと言えば、本殿にいる本尊であろう。仁王たちが何か邪悪なものを制止制圧しているからこそ、本尊は優しく穏やかでいられるのである。その関係性は、私たちの健康と免疫系に似ている。免疫系は常に体内の異物に目を光らせ制止制圧を続けている。免疫に安息はなく、もし人の姿を取れるなら仁王のようだろう。

 興福寺の金剛力士像は、身近な寺にあるような仁王像は違って、その身体表現に写実性がある。西洋のような方向では無いが、それでもこれは相当な観察を要しただろうし、その効果を作品上に高度に反映させるのは誰にでもできるものではない。それでも、大胸筋の下の両側に見える前鋸筋と外腹斜筋が作る起伏などは様式性が強く出ていると思っていたが、先日、筋量の多い男性モデルで、本当にこのような見え方をしていて驚いた。胸郭から腹に変わる部分の肋軟骨でできる上向きのカーブを肋骨弓と言うが、仁王像の多くがこれが幾つもの連続した起伏で表現されている。そういうことは無いだろうと思い込んでいたが、その男性モデルでは肋骨弓をまたぐ外腹斜筋の筋尖が厚みを持っていて連続する起伏として現れていたのである。これによって胸郭には、外側から内側へ、前鋸筋、外腹斜筋の胸郭部、外腹斜筋の肋骨弓部の3列ができる。それぞれが筋尖の起伏をもつために、時に亀甲様の連続性を見出すことがある。
 また、腹部の表現も、現代人が見慣れた西洋風な6つに割れた腹筋というものが表されていない。これも同じ男性モデルは筋量が多いにも関わらず、腹直筋の縦の割れ線(白線という)などは目立たず、金剛力士像を彷彿とさせるものだった。そもそも、”割れた腹筋”が力強さの象徴としては見られていなかったという事はこれらの像から分かる。金剛力士像を見ていると、これにもし腹直筋の縦線があったら、体表起伏のリズムが崩れるように思われる。

 仁王像は、ギリシア由来の西洋美術を見慣れつつある現代人(私)の目で見ると、極端な様式化と観察に基づく正確さとの調和に違和感を覚えることもあるのだが、細かく検討していくと、その形態から興味深いものが見えてくるのかもしれない。

2017年8月8日火曜日

ミケランジェロのダヴィデ像のポーズをモデルに取らせて

 2017年8月5日に朝日カルチャーセンターで行った、ミケランジェロのダヴィデ像のポーズを男性モデルに取ってもらいそれを観察する講座では、興味深い発見が幾つかあった。

 ダヴィデ像は、特徴的で人々の記憶に残りやすい姿勢をしている。いわゆる片脚重心の姿勢で、休めの姿勢とも普通に言われる。美術用語ではコントラポストとも言われるこの姿勢は、古代ギリシア時代の彫刻に初めて採用されてから、現代まで選ばれ続ける、立位ポーズの”黄金基準”である。ミケランジェロの他の作品では、彫刻でも絵画でも、これよりずっと激しく身をよじったポーズが多い。その中にあってダヴィデ像が比較的静かなポーズなのは、この像が掘り出される前の大理石の原石が、すでに切り出され、別の彫刻家によって掘り始められた途中でうち捨てられていたという原因がある。幅に対して厚みが無く、一部には穴が開けられた状態だった原石から、この作品は制作された。厚みが無ければ、鑑賞される方向が限定され、正面性の強い作品となる。実際、この像は腹側から見られることがほとんどで、背中側や横から見られることはあまりない。


 今回、男性モデルに同じ姿勢を取ってもらって、すぐに気付いたことは、静止状態では重心の位置が異なるという事実である。ダヴィデ像と同じ右脚重心であるにも関わらず、腰から上の体は像よりずっと左側にある。つまり、腰から上は左右の脚の間に乗っているようにある。それだけではない。モデルの骨盤の前面はダヴィデ像より左を向いている。つまり、左の股関節から下腹部前面は遠ざかるように回旋していて、言い換えれば、右脚は骨盤に対して外旋位を取っている。通常なら、休めの姿勢を取ると、立脚に対して骨盤は内旋するのである。しかしそれはささやかな動きなので、身体部位の重量が異なる個人では外旋に転じることもあるのかも知れない。また、今回のポーズは左脚を投げ出しているので、そちらに重量が引っ張られて外旋したのかも知れない。一方のダヴィデ像では、腹部前面はモデルほど外旋せずにいる。
 この2つの要素、すなわち、左側に寄った上体の重心と、左脚側を向いた上体を、ダヴィデ像のように修正しようとすると、それは”一瞬なら”できるが、そのままで立ち続けることはできないことが分かった。無理にこのポーズを維持しようとすると、それはもはや片脚重心とは言い難い、自然に反したものである。これから推測されることは、ダヴィデ像は休めの姿勢を取っているのではないという事実である。確かに、巨人ゴリアテとこれから闘おうとしている人物が、のんびり休んでいるはずがない。彼の姿勢は、意識的に力を入れて、巨人がいるのとは反対側へ体重を移動させた、その瞬間が表されているのである。この姿勢で、右脚側に重心が乗っているのはほんの一瞬だけだろう。次の瞬間には重心は再び左側へと揺らいでいく。ちょうど、振り子が揺れて、反対側へと動き出す一瞬前に止まる、あの一時である。

 ミケランジェロは革新的なポーズの数々を生み出した芸術家だが、このダヴィデ像もまた、素晴らしい創意が込められているようだ。それを、このように調和的なポーズにまとめ上げるセンスは唯一無二である。
 ところで、ダヴィデの手をよく見たことがあるだろうか。全身をぱっと見ただけだと、裸の若者が立っているだけにも見えるが、その両手は軽く握られている。また、あまり見られない背中を見るとそこには左肩から右腰にかけてベルトのようなものが斜めに掛けられていることが分かる。ダヴィデはこの後に始まる戦いのために、投石器(スリング)を持っているのである。肩まで持ち上げられた左手には、石を挟んだスリングを持ち、降ろした右手にはスリング両端をまとめた部分を隠し持っている。この事から、ダヴィデは右利きだと分かる。次の瞬間には、狙いを定めて左手を離し右手でスリングを振り回したかと思うとその片端を指から離す。それと同時に遠心力から解き放たれた石は凄まじい速度で敵の巨人へと飛んでいくのである。
 ミケランジェロは投石器を正面から一切目に入らないようにしている。もし、スリングが体の前面にあったなら、視覚的に非常に説明的なポーズとなり、現在のような感動を呼ぶものにはならなかった。多くの芸術家は、作品に語らせようと努力しすぎる余り、そういった失敗に陥りがちである。彫刻は動かず鑑賞者は動く、という当然の前提を信じることが、ダヴィデ像のような鑑賞の幅を維持した作品を産むのだろう。

 また、ダヴィデ像との関連性とは別に、今回の男性モデルは、外腹斜筋の上部(第5、6、7肋骨起始部)が鍛えられており、肋骨弓をまたぐように筋尖のひとつひとつが目立った。肋骨弓を筋尖で割る表現は古代ギリシアでもあまりなく、ダヴィデ像もそれほど強調されていない。この肋骨弓部の外側には、外腹斜筋と前鋸筋の交差部がある。これらの要素がひとまとまりになると、大胸筋の下の胸郭部に特徴的な小さな起伏の繰り返しが現れる。それは、お寺の門にいる仁王像の胸筋下の亀甲模様の起伏を彷彿とさせる。実際この男性モデルは、典型的な東洋人体型で、すらりとした逆三角形のダヴィデ体型と言うより、仁王像や金剛力士像を思い出させた。地方の小さなお寺の仁王像では、この前鋸筋と外腹斜筋の交差部の表現がすっかり様式化して六角形のタイルがはめ込まれているようなものも多く、タイルのピースが一列多いのじゃないか、などと思ったりもしていたのが、実際にそう見える事もあるという、新鮮な発見であった。

2017年7月29日土曜日

ジャコメッティとロダンの『歩く男』

現在開催中のジャコメッティ展のメイン作品の1つである、『歩く男』(1960)は、動きの少ない人物像がほとんどのジャコメッティ作品の中で目立つ存在だ。
 彫刻家は、それぞれの感性において、人間の存在について考えている。ジャコメッティもそれは同じだろう。細くなったことはその回答の1つであり、上へ伸びたこともそうである。

 確かに、脊椎動物で脊柱を天に向けて縦に立たせるという大胆な姿勢を取った動物は人間しかいない。この”他にない”という特徴は、そのまま”人間しか持っていない”特殊性を生み出した。大きく重たい脳の獲得や両手の移動運動からの解放は分かりやすい例である。他にも、動物として決定的な違いを生み出した。それが移動運動(locomotion)である。脊柱が横を向いて、四つ脚で移動する多くの動物では、後ろ脚で地面を蹴って生まれる推進力を脊柱を通しで前方へ伝達させる。ところが人類では、脊柱が天を向いているので、脊柱を貫く力は、ぴょんとジャンプさせる運動になってしまう。そこで私たちが前へ進むためにしていることは、脊柱を進行方向へ傾け、前へと倒れていく落下エネルギーを一歩踏み出した脚へと伝達して、振り子のように次の一歩へと繋げているのだ。このような運動は四足動物と比べるとバランス維持は格段に難しく、そのまま転倒してしまう高いリスクを負っている。このような危険な姿勢で成功しているのは、人類が社会性動物であることも関係していることは想像に難くない。互いに守り合う集団内でなければ、維持できないだろう。ともあれ、”体幹を前方へ傾けて歩く”という特徴がそのまま『歩く男』には表れている。
 しかし、街で往来する人々を見ても、この像ほど傾けて歩いてはいない。この像は歩くとは行っても、かなりの早歩きで、数歩先では小走りに変わっているかも知れないほど、急ぎ足に歩いている。こんな姿勢で急ぎ足の男が目に付くのは時間に追われる都会だろう。現代の日本ならば、東京の駅周辺で朝の通勤時間には良く見られる。


 『歩く男』という題名では、他にロダンの彫刻(1878)がある。『説教する洗礼者ヨハネ』と関連する同作は、”歩く”と言ってはいるが、そのようには見えない。人体の重心は2本の脚の間に収まって、骨盤は後ろに傾いており、前進運動のさなかの姿勢と言うより、左脚を大きく後ろへ引いて立っている。ロダンは、写真が時間を切り取ったような動きの表現をそのまま彫刻に持ち込むべきではないと考えていたようだ。確かに、実際に動くことのない彫刻としての、構築的堅牢性は強く感じ取ることができる。歩こうとしているような傾きが生み出す”倒れそうな姿勢”は彫刻としてはふさわしくないと考えていたのかもしれない。

 ロダンとジャコメッティは、共にモデリング、ブロンズ鋳造の技法で、主題が人体と同じだが、その示そうとした内容が全く異なるのである。ジャコメッティがロダンの同作を知らなかったはずはない。とは言え、それを意識していたのかは分からない。いずれにせよ、両作品の違いには、時代における人間の在り方の差が垣間見えるようで、興味深い。

2017年7月25日火曜日

「レオナルド×ミケランジェロ」展の感想

 先日、「レオナルド×ミケランジェロ」展へ行った。当日は、仕事の合間、前夜睡眠不足、猛暑日など重なって疲労感を感じつつの鑑賞だった。もう一度、万全の体調で鑑賞し直したい。それ位思うほどには良い展示だった。

 ポスターにもなっているメインの素描2点が、入ってすぐに展示されていて驚いた。メイン以外も良い素描が多く来ていた。裏テーマ(?)のパラゴーネ、すなわち絵画か彫刻かという比較競争も随所で感じられる。私にとって最大の期待であったミケランジェロ作のワックス製マケット(試作彫刻)は素晴らしかった。今は現代なのだから、これをデジタルスキャンして拡大出力して展示するくらいの事をして欲しい。スキャンデータの権利やら維持やらで面倒なのでやりたがらないかも知れないが、いつか誰かがやるだろう。


 展示の中盤過ぎ頃に、真横から描かれた女性の肖像画が飾られている。これと言って素晴らしいわけでもない。なぜ、この絵があるか。実は、もう1枚別の絵が展示される予定だったのだが、中止になったのだ。それは、図録を買うと載せられている。図録を作成した段階では展示予定だったことが分かる。土壇場での中止だったのだろう。現場は慌てただろう。中止された絵は、数年前に世界的ニュースになった『美しき姫君』で、レオナルドの真筆画ではないかとも言われている。何より状態が良い。そうか、この展示の当初の企画では、この絵がメインだったのだろう。展覧会メインの作品は通常、途中に置かれることを考えても納得がいく。この絵が来日していれば来場者数は増えていたことだろう。何せ綺麗で、分かりやすい。

 私は『美しき姫君』はレオナルドの真筆画ではないと思う。確かに綺麗で上手な絵だが、レオナルドの表現指向とは違うように感じる。これに限らず、レオの絵、ミケの絵、と言われているものの中にも実は違うものが混在しているはずで、そんなことを勝手に考えながら見ていくのもこの展覧会では楽しいかも知れない。実際、ミケ帰属とされる素描の幾つかは、非常に疑わしい。工房の弟子に練習させたような素描も幾つか混ざっているようだ。

 最後に置かれている大理石のキリスト像は、残念な作品だ。ミケが途中まで作成したものだろうと言われている。全身の比率、広い胴体、そして手足の指の表現などはミケらしさが感じられるので、そうなのかも知れない。特に右手の手首から指先までが最もミケっぽく思う。しかし、仕上げがいけない。表面はさざ波だって緊張感が無く、水に濡れて溶けた石けんのようだ。その顔はまるで置物彫刻である。

2017年7月24日月曜日

エヴァは重荷を背負っているか

 ふと、街で重たそうな荷物を背中に担いでいる年配の女性が目に入った。細身の体でそれを支えるために、背中を丸めて立っている。頭は下垂し、視線は下を向いていた。

 体型や年齢は全く違うが、メッシーナ作のエヴァが思い出された。この、イタリア人彫刻家の手による等身大の女性裸体像は、いわゆる休めの姿勢をしているが、その片脚に全体重を乗せんばかりで、背中は丸められ頭部は前方へと落とされている。その印象は、ぐったり疲れ切ったと言うところだ。

 しかし、あの丸められた背中と落とされた頭部は、その背中に重荷を背負っているようでもあることに、今回気がついた。エヴァという名前だけで連想すれば、人類最初の女性だが、そうであるなら、その原罪の重荷に、知ってしまった事の後悔に、うなだれているのだろうか。

デジデリオダセッティニャーノ

 癖になる語感。長いけれど、つい口にしたくなるので、覚えてしまう。

 ルネサンス期イタリアの彫刻家の名前だ。最近まで知らなかったのだけど、著名な彫刻家の方が最も好きな彫刻の1つの作家の名前として教えてもらった。

 正しくは、デジデリオ・ダ・セッティニャーノなので、レオナルド・ダ・ヴィンチのように、”セッティニャーノ村のデジデリオ”という意味合いの名前だ。

2017年7月12日水曜日

作家の守護神

   芸術作品群は、まるでその作家の守護神たちのように見える。

   縁あって、素晴らしい芸術家と話しをする機会に恵まれている。いつも心を開いて気さくに話して下さる。そういう時は、彼の作品が近くにあるわけではないから、共通の話題などで気軽に話してしまったりもするのだが、作品を目の当たりにするとハッと思い出して、畏怖感に似た感情が沸き起こる。

   1つ1つの作品は自律しているかのようだ。それら作品群は、集団となって、その人を芸術家たらしめている。彼の巨きさは、紛れもなくその作品群によって担保されているのである。
   それら自律した存在は、しかし、全てが彼自身の存在から生み出されている。自ら生み出した作品たちによって守られるそれは、女王蜂や女王蟻を思い出させる。

   話している時、作品が同じ空間に無くとも、”守護神たち”の存在は周囲に漂っている。彼の言葉、視線、仕草がそれを感じさせる。自らを守り高める存在を作り生み出す能力が、その人をあれだけ優しい人柄でいる事を可能にしているのだろう。

2017年5月7日日曜日

移動運動と環境の関連性

 環境と動物の運動の関連という視点を持つと、全く新しい、気づかなかった事実が見えてくる。動物の移動運動と環境の関連性について、私たちは生物の行動について考えるときに個体を基準として考えがちなので、移動運動は個体から始まるように思ってしまう。しかし、実際には全ての生物は固有の生息環境に結びつけられている。つまり、彼らの運動はその環境あってのもので、つまり環境が生物の運動を作っていると考えるべきだろう。例えば陸上脊椎動物が重力を利用して移動することは理にかなっている。斜面を転がる石ころのように、持ち上げた体を下へ落とすエネルギーを移動運動に変換することは、ごく自然に起こって不思議ではない。
 陸上動物の歩行に先立って、かつて水中から生物が動き始めたのならば、そこでの移動はどうやって生まれたのだろうか。水中では浮力によって重力は相殺される。しかし、大気よりずっと密度の高い水は押し流す力も強い。すなわち、水流である。多くの物が水流で流され、始めの生物もその動きの中で生まれた。生物は何の動きもない止まった水中で、突然に泳ぎ始めたのではない。始めの生物は水に流され、せいぜいその中で向きを変えることからその始めの運動を開始したのであろう。実際、遙かに進化しているとは言え、回遊魚たちは海流という巨大な水流で大海原を移動している。魚の運動はだから、移動から始まったのではなく、方向転換と姿勢維持から始まったのであろうと考えられる。
 運動に適応を始めた脊索動物の脊索のような弾性体は、曲げることでエネルギーが蓄えられる。しならせた定規が弾けるように真っ直ぐに戻ろうとするあの力である。では、どうやって脊索を曲げたのか。その両側に牽引する筋を持つより以前では(筋が先か、脊索が先かという疑問はあるけれど)、水流による外部エネルギーからそれを得ていたのではないだろうか。筋線維がまとまった束になって、収縮方向を一定に揃え、強大な収縮力を生み出すまでにはそれなりに長い時間が必要だったはずだ。当初の、やっと向きが揃い始めたような原始的な筋線維では、推進力を生み出すような能力はまだなく、せいぜい脊索のしなりの調節をしていたのだろう。
  筋が発達してからは、脊柱を左右にくねらせて運動をするようになった。左右方向の運動は、浮力や水圧といった環境要因が一定な高さ(深さ)での水平方向への安定性の確保を可能にした。筋は体を別の場所へ移動させるためというより、決まった場所から水流などで動かされないための、つまり位置安定のための運動としても働いている。私たちは「動物」ではあるが、動かなくても良いのなら、動かないほうを生物は選ぶ。それは水中のホヤやフジツボを見れば分かる。つまり、それがいる環境が変化するのであれば、体が動くのか周囲が動くのかは、どちらでも良い。そう考えると動物とは「自らが動く物」ではなく「動く環境にある物」という意味で見るべきである。

 ともあれ、固定生活を営むものもあれば、積極的に泳ぎ回るものも登場した。泳ぎ回る魚は、大抵は似たような、いわゆる「魚の形」をしている。その理由を遺伝子から理由付けることもできるだろうが、もっと単純に、環境がそうさせたと言っても良い。魚の形は、太い胴体部分が尾びれへ向かうにつれ細くなっていき、最もくびれたところから尾びれの最後へ向けて再び急激に拡がる。この理由は深く考えなくとも、太い胴体部分の多量の筋で生み出される大きな収縮力が細い尾部へと集約され、一気に尾びれで後方へと解放されるための形だと理解できる。すぼまりが強いほど、鞭を打つような強さが大きいから、そういう形の魚は鋭い動きをするだろうし、すぼまらない形のものはゆっくりとした動きになるだろう。ところで、多くの魚の体は上下より左右が短い。もし、体を左右に曲げるのにより小さな力で行いたいなら、モーメントアームを長くするために、体の左右幅は大きい方が有利だ。それが選ばれていないということは、大きな力で小さく素早く動かす運動が主であることを示している。これはまさしく、鋭く鞭を振るう運動と同様である。
 背びれや腹びれは体幹の正中にあって、幾つもの骨性の条が補強している。その走行の向きは頭側ほど立っていて尾側ほど寝ている。この徐々に傾いていく角度はその部分の体幹内を通過する筋収縮による推進力の方向を指し示している。条の1本1本の働きの意味は脊柱と同じである。つまり、体幹筋が生み出すしなりの運動を受け止めて末端へと増幅することで推進力を作っている。体幹筋が生み出す曲がる力は、魚の頭部のすぐ後ろ、つまり上下にもっとも長い部位から始まる。その始まりの部位はまだ後方への推進力というより、上下軸を持った回転運動に近いものだ。その回転の捻れは魚の上下へと伝達するので、その部分のひれの条は上下方向に立ったものになる。そこから尾側へと徐々に推進力へと変化していくので、ひれの条の幅も徐々に幅を開けて後ろへ寝た方向へと変わっていく。もし、始めの上下回転より頭方にひれの条があればその向きは逆転して頭側を向くだろう。魚は、背びれと腹びれにも体幹の推進力を伝達させることで、上下方向にも同時に推進力を発揮させている。そうすることで、体の前後を軸にして回転しないようにする。胸びれは、その位置と構造から独特の働きを持っていることが分かる。それは前後方向では、体幹の推進力には関係しない、より前方にある。そして左右の側面にある。これらの特徴から、胸びれは推進力には寄与せず、他の仕事に集中しているのだと理解される。頭部のすぐ後ろに位置していることから、頭部の向きを変える器官である。車で例えれば車体の向きを変える前輪に相当するもので、前進することに重きを置く体幹筋に対して、体の向きを変える始めのきっかけを作っている。進む方向の微調整にも重要な働きをしているだろうと推測できる。
 魚の形を見てきて明らかなように、生物はそこにあるエネルギーを利用して生きていて、その形はまず、エネルギー効率利用の形態をしているのである。魚は体内に浮袋など浮力を調節する器官を持っている。それは、彼らが浮力を利用していることを意味する。浮力は位置エネルギーである。例えば、死んで浮かぶ魚は生前は浮力を運動に用いていたことになる。つまり魚は体幹筋によってむやみに泳いでいるのではなく、浮かばないように下へと泳ぐことで、浮力を推進力に利用しているのだと言える。

 魚の形からの考察が長くなったが、これと同様の関係性が陸上脊椎動物にも当然見られる。
 陸上性脊椎動物は、死ぬと地面に横たわる。これは、その生物が生前にそのエネルギーを倒れないために使っていたことを意味する。生物が倒れるエネルギーを利用するために、体幹を持ち上げることにエネルギーを消費しているのである。これは先に見た魚と同様で、死ぬと浮かぶ魚が生前は浮袋による浮力を運動エネルギーとして用いていたことを意味する。生前の魚は浮力というエネルギーを利用するために、自らのエネルギーを消費して水中を下へと下り続けているのだと言える。ちなみに、水中生活に適応したウミガメは前肢が大きい。それだけでなく、前肢の姿勢も”むりやり”陸上脊椎動物の後肢のように向きを変えているのである。これは全く奇妙な適応だが、彼らが肺に空気を入れて水中にいることから、浮力を移動に利用していることは明らかであるので、浮袋を持った魚類同様に、浮力利用と駆動脚の後ろから前への転換には関連性がありそうである。

 さて、陸上脊椎動物の個体における前進運動を考えてみよう。かつて魚だった両生類は、上陸してからもしばらくは魚類と同様の体幹の左右運動を基盤としていた。移動の際には、体の側方へと投げ出された四肢を体幹もろとも振り投げるようにしていた。実際、今でもイモリなどはそのように歩く。爬虫類となると、体幹を持ち上げる種類が出てくる。とは言え、ワニやモニターリザードを見れば分かるが、相変わらず前進運動は体幹の左右の振りが原動力である。運動様式が大きく変わるのは、直立歩行になってからだ。つまり恐竜である。恐竜は下肢を真っ直ぐ体幹の下へ降ろすことで、2本の支え棒の真上に体幹を乗せた。そこから前進するには、重心をわずかに前方へ移動させてバランスを崩し、体幹が”わざと”地面へ落とそうとすることから始まる。重たい体幹は重力に従って落ちようとするが、2本の脚が支え棒としてあるために真下には落ちず、棒もろとも前方へと倒れる運動となる。次の瞬間、片脚の膝を曲げることで、支え棒の働きが解除され、とっさに体幹の前方へと運び、落ちようとしてた体幹をその脚へと移す。それは、あたかも棒を使った幅跳びのように、スムーズに移行しなければならない。前方へと落ちようとする勢いをつかって運ばれた脚へと体幹を乗せたら、自らの筋を用いて(つまり自らのエネルギーを消費して)膝や足首の関節を伸ばして体幹を上へと持ち上げる。後は繰り返しで再び体幹を前方へと落とし、逆の脚がそれを拾い上げる。これが歩行である。体幹を落とす、持ち上げる、落とす、持ち上げる・・を2本の脚で交互に繰り返しているのである。
 恐竜が2本足から始まったように、歩行には2本脚があれば十分である。しかしながら、実際の自然界では四足動物は幅広い多様性を獲得している。陸上最速のチーターも四足であるから、高い活動性にも四足は有効である。
  体幹を持ち上げた四足動物で謎なのは、前肢と後肢の対向である。その太さや後肢帯が体幹と固定されているなどの構造から、主な駆動力が後肢である事は明らかである。なぜ後肢が駆動力を発揮するのかは、進む方向へと体幹を落とさなければならない事から自ずと導かれる。すなわち、前進するには体幹を前へと倒さなければならないのだから、駆動脚は後肢にならざるを得ない。前進運動は、その基本動作として体幹を投げ出しすが、実際はさらにそこから加速するために推力を加えていく。
四足動物のチーターで見ると、斜め上へと体幹を投げ出している様に見える。強力な大腿の筋は、地面を蹴るというより、体幹を前へと投げているのだ。一方の前肢は、後肢の傾きによって前方へと投げ出された体幹を受け取って、さらに前方へと投げ渡している様に見える。その働きは、まさしく棒高跳びの棒で、前肢自体に駆動力は必要ではない。前進する時、前肢に掛かる負荷と運動は、ちょうど後肢と逆向きである。両者が対向しているのはおそらくはそんな力学的な理由によるのだろう。この様に、四足動物は後肢の体幹を投げ出す力を、前肢と言う"つっかえ棒"に一度引っ掛ける事で、前進距離を長く稼いでいる。前肢の仕事はだから、後肢から投げ込まれる体幹が持つエネルギーをできるだけ減衰させずに前方へと投げ渡す事だ。肩帯が体幹へ固定されていないのは、そのあたりに理由が見つけられそうだ。後肢から投げ込まれる体幹を、前肢より前方へとエネルギーロスを最小限にしながら受け流すには、体幹が上下に動かないほうが理想的である。しかしながら、重力によって必ずわずかながら下へと落ちていく。落ちゆく体幹を水平運動上に保つには、前肢帯の筋群が収縮してそれを持ち上げる必要がある。つまり、サポート程度にわずかだが、前肢も体幹を前方上方へと投げ出している。この、落ちゆく体幹を持ち上げて水平位を保つことに、体幹と上肢帯とが下肢帯のように固定されていないメリットである。

  四足動物では、後肢と前肢の間は脊柱が取り持っている。それは単なる連結器ではなく(脊索から始まっているように)脊柱そのものが運動エネルギーを蓄積する働きを持っている。チーターの疾走を見ると、後肢が伸展する時、脊柱は反るように伸展している。おそらく各脊椎関節は完全に伸びきって固定されている。つまり一本の棒のようになる。その棒は後肢によって後ろから押される。それは一本の矢を投げる様に似ている。次の瞬間には、前肢が伸びて棒になり、体幹を受け取る。前肢が地面に着くとほぼ同時に、脊柱は腰部が屈曲を開始する。そうして次に後肢が地面に着くことに準備がなされる。しかしこの時、前進するエネルギーは屈曲した脊柱に蓄積されている。その弾性を利用して、さらに強力な背筋も加えて一気に脊柱を伸展させつつ、地面についた後肢も伸展させる。こうして、疾走がなされる。前肢と後肢のコンビネーションを確立させるためにも、脊柱の屈伸が必要である。これが、魚類では側屈する脊柱が、陸上性では90度ねじれる謎の1つの答えであろう。

 脊柱は骨盤のすぐ頭側が最も大きく、そのまま頭部へと向かうほど小さくなっていく。これは直立している人間では顕著であり、その理由として単純にそこに掛かる重力負荷が言われる。確かに人間ではそうだろうが、四足動物では理由が異なるだろう。つまり、チーターの後枝伸展時に脊柱も伸展したことから分かるように蹴り出しの作用が骨盤のすぐ頭側の椎骨が最大になるからである。

 鳥類の進化は滑空から始まった。滑空は落ちる運動の応用であって、ここまで見てきて明らかなように歩行の延長である。羽ばたく鳥たちは地面から飛び上がれるが、そうかと言って常に羽ばたき続けるのではない。彼らは風に乗るために羽ばたくのである。鳥の羽は、飛ぶためと言うよりむしろ、風に乗るように進化したものである。

 このように考えると、なぜ陸上にタイヤを持った動物が現れなかったのかを説明できる。もし運動器がタイヤだったなら、移動のために常に後ろから押し続けなければならないからである。重力の影響が大きい大気中で、落下という位置エネルギーを用いずにそのような膨大なエネルギーを常に供給する方法は全く非効率的である。それは、平地の石ころが自然に転がらないのと同様である。もし、大陸のほとんどが斜面で形成されていたら、そのような転がって移動する動物がいたかも知れない。つまり、今の動物を見ると、我々は平らな地面をベースして進化したのだと言える。


 人類の歩行も、当然ながら同様の理由で行われている。体幹を前方へ傾けることで落ちようとする力を前進へ転化させている。だから、急な斜面に階段が採用されるのは理にかなっている。階段は段の高さが異なるが、足を突く部位は平地であるので、平地歩行と同じように前方へ体幹を落とす歩行が行える。その際には、踏み出す足を次の段の高さまで高く上げる事と、次に全身を持ち上げる力が必要になるだけだ。もし、駅や自宅の階段が斜面だったらと想像すれば、そこを登ることがほとんど不可能であることがすぐ分かる。斜面では足首の関節が伸展してしまうので、その姿勢から体幹をより前方へ傾けることができない。急な階段を降りようとする時のほうが恐怖を感じるし、実際危険なことも、前進運動の特質から理解されよう。

 身体構造をもっと細かく具体的に見ていくことも興味深い。それらも環境との関係性から見直せるものが多くある。例えば、関節形状や筋量分布などである。

2017年5月2日火曜日

ダンスと彫刻

 ダンスの動画を観るのが好きだ。ダンサーの動きは淀みがない。その動きはすっかり体が覚え込んでいて、リズムに合わせてほとんど自動的に動いているように見える。実際そうなのだろう。どんなダンスを観ても、全く初めて見るような動きというより、いつか見たことのある動きが組み合わされている。激しく動いても、重心はコントロールの範囲内に収められている。そこから外れると動きがぶれてしまうので、それは見ている者にもすぐにばれる。だから、大胆な動きや姿勢も、重心やバランスを崩さない範囲内で行われていて、ダンスは運動内における動的バランスのバリエーションをひたすら探しているのだとも言える。

 ダンスの動きは、連続的な運動内での姿勢変化と、一瞬動きを停止するときの姿勢の2パターンがあるようだ。連続的な運動内での姿勢変化は体を傾けたり回転させたり跳躍する際の遠心力や慣性を利用するので、その姿勢を静止時は再現できない。一方の、一瞬動きを停止するときの姿勢は、まさしくその瞬間ダンサーの体が停止するので、鑑賞者の視覚に印象深く刻まれる。止まっているといっても、その時間はコンマ数秒内の出来事で、その前後の運動内に挟み込まれる場合は体が傾いていることもある。だから、止まった姿勢とはいえ、やはり静止時に再現できるとは限らない。
 ダンスの時系列的な動きは、鑑賞者の視覚に連続的に流れ込む。流動的な動きが次の瞬間静止し、また別の動きへと繋がる。そういった運動の連続的な認知が鑑賞者には動的で視覚的なリズムとして捉えられ心地よさを感じさせる。もちろん、その時に流れている音楽は視覚と相乗効果を生む。動きと静止のリズムは、単純化して例えるなら、ゴムのスーパーボールが跳ねているのに似ている。放物線を描いて上がって下がり床にぶつかった瞬間止まって、その反発を利用して再び次の上昇へ移行する・・。

 彫刻家でダンスや舞踏に興味を持つ人は少なくないようだ。高村光太郎なども能の舞いに彫刻を見出していたし、ロダンもダンスや舞踏の作品を作っている。知人の彫刻家にもいる。身体やバランスなど彫刻においても大事な要素の多くがダンスと共通している。彫刻は静止していて、ダンスが動いているから、そこが違うのではないかと思われるかもしれないが、彫刻は静止の中に動勢の再現やその徴候もしくは要素を内包させようとしているのである。そう考えると、止まって凍ったように見える作品は、残念ながら、あまりうまく行っていないのかもしれない。ただ、動いている瞬間を彫刻で再現しようとして、例えばダンスのある瞬間の静止画像や写真をそのままブロンズで再現しても、それは恐らく、止まって凍ったものになるだろう。ダンサーの運動内で見られる姿勢は、慣性や遠心力など運動時だけの因子が作用して可能にしているし、それを見る私たちは、その姿勢の前後にある連続性の中でそれを鑑賞しているのである。このことは、かつてロダンが、写真が常に正確だとは限らないと言った事と同じだ。連続的な運動の中でしか生まれない姿勢がある。しかもそれは、写真で捉えることもできない。考えてみれば当然の事で、ダンスは”踊りたい”というダンサーの欲求から始まっているが、それは次の瞬間には”踊りを見て欲しい”へと移行しているはずで、つまりダンスは視覚的なコミュニケーションの一形態である。ダンスは見られる事が暗黙の前提としてあり、その対象は当然ながら人間である。勿論、部族儀式で神への奉納の舞いは普通に見られるが、それも結局は鑑賞するのは人間である。人間が人間の為に舞うのがダンスで、それが視覚によって捉えられるものなのだから、ダンスは人間がその目で見て最も心地よいものへと発展していくのである。人間の目によって磨かれた動きなのだから、それを写真という「人間外」の目で捉えられるはずが無い。

 写真では捉えることのできない一過性の性質は音楽とも似ている。一方で、視覚で鑑賞されるというのは視覚芸術である彫刻と同様だ。どんなダンスも今は動画で気軽に見られるけれども理想は生で目の前で鑑賞することだろう。そこには体という立体物が、動勢の中でバランスを保ち、一過性の時系列の中で連続的にポーズを変え続ける動勢が繰り広げられる。ダンサーは語らず、動きとポーズで、何らかを語りかけている。それは彫刻が追い求めているものと同じである。

 実質的にも、ダンスは彫刻教育に向いているだろう。実際に踊るのも良いだろうけれど、鑑賞だけでも得るものが大きい。動画であれば任意の瞬間で静止させて、動きの中で得られていた印象との差違について確認することもできる。瞬間の姿勢が、静止時では全くできないことも分かる。重心やバランスと共に「かっこいい」ポーズのバリエーションのヒントが無数に存在している。ダンス動画から、幾つかのポーズを抽出して素描していくのは興味深い訓練になるに違いない。

2017年4月10日月曜日

AGAIN-ST「平和の彫刻」展を観て

 恵比寿のナディッフ・ギャラリーで開催中のAGAIN-ST「平和の彫刻」展を観る。これは、考え、立場、年代が近い彫刻家、美術家による同人「AGAIN-ST」のグループ展である。ここでの”立場”とは、彼らが美術大学などで教員として美術教育の現場にいるという事を指す。きっと、それが関係しているのだと思うが、とても”真面目”な同人である。
 活動の始めに宣言文を掲げている。重要なので以下に転載する。

「AGAIN-STは彫刻を問う集団である。我々は危機感を共有している。声高に死が叫ばれる絵画よりもなお、黙殺される彫刻は深刻である。我々は責任感を共有している。教育の現場において、制作者は表現の可能性を提示せねばならない。我々は問いを共有している。彫刻は今なお有効性を持っているのかと」

 彼らが問うている主題の中心が「彫刻は今なお有効性を持っているのか」だが、非常に荒削りな定義である。この宣言文は「危機感」、「責任感」、そして「問い」の順でキーワードが続くのだが、その発端の順序で言うなら「責任感」から起こっているだろうと想像する。この責任感とは、教育現場に立つ教員としてのそれである。教えるという立場になると、表現行為が自分だけの問題ではなくなる。その責任を受け止めたとき、彫刻科というレッテルによって、突然自らが所属のインサイダーとして押し込められるのだ。それは、かつて学生として一時その科に属していた軽さとは比べものにならない重さがある。「立場がひとをつくる」の言葉のままに、その時彼らは「彫刻を教える者」になった。そうして美術界における彫刻領域の活動状況はどうなのかと改めて見渡してみれば、およそそれが見えてこない現実がある。それはまた、美大では毎年の受験者数としても具体的に現れる。これらが与える「危機感」から「問い」が生まれる。「彫刻は今なお有効性を持っているのか」と。
 ところで、「有効性」は対象が規定される言葉であるから、これを文脈に合わせるなら「彫刻は今でも必要とされているか」と言い換えられるかも知れない。さらに、この一連から分かるように、彼らの問いは、あらゆる彫刻表現の現状を憂うというより、その視座は「日本の彫刻教育現場」にある。それも考慮に加えるなら最後の一文は「彫刻科は今でも必要とされているか」と言うことにもなろう。

 またさらに、「我々は問いを”共有”している」と言っているが、これは自問のことだろう。ならば「彫刻を問う集団」は、「彫刻について問い合う集団」の意味である。実際にも、毎回お題(問い掛け)が出され、作家たちはそれに答える作品を作っている。その図式はさながら「笑点」の大喜利のようでもある。
 この、与えられたテーマや課題に応じて制作し展示する形式は、内向きの印象を与えもする。完結したコンテンツパッケージを見ているような隔絶した距離感は、大学の課題授業のようでもある。なるほど、このような形式を取るのは、彼らが教員であることと関係がないはずがない。

 この同人は、これまでの日本の大学における彫刻教育への批判的精神を行動に移したものである。その建設的な行為が形を成したとなれば、今後はそれさえもまた批判的に見られなければならない。
 彫刻も教育も、領域の内側にはそれ自体の固有の主題や問題を抱えている。そのことと、領域外との関係性の問題は必ずしも同一ではなく、ここで彼らが問題視する”有効性”の問題は後者に属する。しかし、彫刻を芸術とするからには、その発端は必ず領域の内側になければならない。もし、活動が有効性を発端とすれば、それはもはや商業である。芸術において有効性はあくまで結果であろう。その芸術がどのような有効性を持つのかは、その有効性があると判断されるまで、本質的に誰にも分からないものなのである。おかしな響きだが、彫刻を含む芸術においては、有効性を考慮してつくるほど本質的有効性を失っていくのだとも言える。その上であえて、有効性を考えるならば、それは結局、作家の強烈な個性に委ねられると言わざるを得ない。

 今回のテーマは、「平和がテーマの公共彫刻を作るとしたら」というものだ。紹介文にあるように、駅前ロータリーにある”平和彫刻”が負のオーラを発すると言うのなら、原因は”作家がそれに従ったから”ではないだろうか。従うことは、有効性からの始まりであって、もはや作家性からではない。その時点で彼らのコアである個性的感性はもはや機能せず、要求に応じる単なる造形業者に過ぎない。
 この活動は「問う」ことから始まっているのだから、テーマそのものが参加作家達に仕掛けられた、AGAIN-STの本質的命題に掛けたチャレンジなのではないかと勘ぐりたくなる。ところが展示内容を見ると、多くの作家が真正面から応じているのである。
 その中で、会場で配られていた各作家による自作へのコメントを見て、思わずニヤッとしてしまったのは、保井智貴氏のものである。いわく、平和とはトイレで用を足した後の爽快感であると。なるほど、人類は長らく生きることに直結する「食べられること」が平和だったはずだ。今や、食が満たされた現代は平和なはずだが、現代の管理社会では、生理現象である排泄さえ自由ではない。それは果たして望んだ平和だろうか・・。私は、身体感覚に根ざした平和観に深く同意する。そして、その作品企画は彼の女性像のシルエットがそのまま女子トイレのサイン(等身大の!)になっているという、冗談と本気のはざまで我々を煙に巻くようなものであった。 

 AGAIN-STの活動そのものが、21世紀の日本の彫刻(と、それを生み出す人々)の有り様を反映している。彼らの活動とその記録は、今後、現代日本の彫刻美術の足跡のひとつとして刻まれ、参照されるものになるのだろう。
 今回この同人は、これまでの活動をまとめた小冊子を発売した。ここで1つの区切りという意味合いもあるようだが、今後その活動は、どの方向を向いていくのだろうか。

会場
NADiff Gallery
(東京都渋谷区恵比寿1-18-4 NADiff A/P/A/R/T 1F)
会期
2017年04月01日(土)〜04月23日(日)
入場料
無料
休館日
月曜日(月曜が祝日の場合は翌日)

2017年3月25日土曜日

藤原彩人 展「GESTURE」を観て

 「成長した。」
 作品を鑑賞していると、変化しつつある作品から受ける印象を、他の鑑賞者にそう話しているギャラリーオーナーのやさしい口調が時折耳に入ってくる。そこだけ切り取ると甥っ子の成長を喜んでいるかのようでもある。

 ここは閑静な住宅街にあるギャラリーで、天井が高く、空間を必要とする彫刻に向いている。そこに、藤原氏の新作が3点置かれている。1点は人の身長ほどある大きな物で、後の2つはその半分ほどの大きさである。作風は統一され、上半分は人の姿だが下の残りは丸く膨らんで壺のようになっている。ただ、半身像のそれは実は壺ではなく上下逆さになった人の頭部であることは、作品の後ろへ回り込むと分かる。きっと、等身大のものにも同様の意味合いが込められているのだろう。

 どの作品も、両腕と上に突き出ている頭部から人体像だと分かるものの、腕と胴体との間に無数に絡みついた梁状の構造物によって、異様な存在感を放っている。どこか不気味さと紙一重でさえあり、梁構造に目を近づけて見ていると、古いプラントの廃墟を彷彿とさせる。純粋無垢な幼子などがこれらを見て、一体何だと思うだろう。まだそれは人なのか、そうではない別の何かか。

 等身大ほどの作品を遠巻きに見る。それは上下の2部でできている。間は分かれていて、それは焼成窯のサイズ的制約ゆえかもしれないが、それを隠さないことで、あたかも上部の人の形の部位が、下部の壺状の部位の蓋であるように見える。壺における蓋の役割とは何だろうか。それは壺という容器を閉じる部品であり、壺の中と外を物質が行き来する際の関所のようでもある。その蓋、壺の働きからすれば脇役のようなそれが、ぐいぐいと上方へ伸び出して、人の形になったかのようである。やはり、視線が長く向けられるのは上半分の人型の部位だ。そして頂点に突き出ている頭部が目立つ。だが、それは曖昧な顔の形の起伏があるだけで、目鼻立ちは造形されていない。また横から見ると、鼻と顎の突出は控えめで、そのまま緩やかに頸へと収束していく。顔の起伏が省略されていることと対照的に、目から上の頭の量はしっかりとしている。また、耳だけは形がしっかりと作り込まれている。
 今見てきた頭部と、像の下半分の壺状の部位との間の胴体部は無数の梁がめぐらされ、それらは突き出た両腕を支えている。明らかに今回の展覧会のメインはこの部位であろう。しっかりした厚みを持った梁は、それが大きな板になる部位では、歪んだ楕円形の穴が開けられている。大きな梁はまず、胴体に縦に数条あって、それに交差する横の梁がさまざまに傾いてはめ込まれている。縦の梁はまた、胴体の横へと張り出した肘へ向かって下からそれを支えている。さらに、体の前へ出して肘を上へ曲げている左腕は、その手首を保持するための支えの板が上腕部との間にいくつも走っている。
 直線的なそれらの梁は、主に曲線で構成されている有機的な壺と人体の形状に、鋭く硬い印象を付け加え、露わになった構造のように無機質で機械的な冷たさを放っている。しかしそれらは、完全に遊離はせず、わずかな歪みや曲線の切り口によって、曲線部位と調和している。実際、この梁が作り出している鋭利な光の線と、その下側に溜まる影は心地よく、また、縦梁と横板で作られるいくつもの四角い空間を眺めていると、ブリューゲルのバベルの塔の一部を拡大して見ているようでもあり、なかなか面白い。
 像の後ろ側へ回ってみると、両腕が胴体とひと繋がりではないことに気付く。腕の粘土の厚みがそのまま残され、胴体の胸部に乗せられているだけなのだ。作家はあえてそこを慣らして一体化させていない。胴体と繋がっていない両腕は大量の梁によって支えられなければならない。その腕は、本展覧会のタイトル「Gesture」ジェスチャーの通り、何らかの手振りによって自らの意志を表現しようとしている。肘を横へ突きだしている右腕などは、梁の届いていない手首から先の手がだらりと下垂し、その重さを伝えてくる。

 残りの2体の半身像も、像が持つ構造の特徴は似通っている。ただ、この2体は全身が一体構造で、下半分の膨らみは壺ではなく背中側を向いて上下が逆になった頭部である。実にミステリアスだ。こんな像が、例えば数千年後に掘り出されたら、いったいどう解釈されるだろう。ともかく、うち1体は等身像と似た仕上げの茶色で、もう1体は白い釉薬がかけられて一色にまとまっている。色だけでなく、梁の走り方も異なる。白いものは垂直、水平方向に大きく梁が付いていて、そのために、構造的に静かで不動の印象を受ける。茶色いものは、梁と横板は斜めに配置され、それが、同様の傾きを持つ両腕のラインと呼応して、あたかも立像におけるコントラポストのような視覚的効果を生んでいる。
 
 これら3点とも、腕は体幹と混ざり合わず、それは梁によって支えられ姿勢が付けられている。身振りはまぎれもなく感情表現であり、それは顔のある体幹から発するはずだ。しかし、その顔はここではもはや消えつつある。表情もあるのか曖昧で、そこからこの人物の内面をうかがい知ることは難しい。私たちの体構造において、より根源的な部位である体幹に対して、腕は付属肢として後付けされたもので、もともとは4つ足動物だった時代ではこれも移動運動に使っていたのである。人類が直立することで両腕は運動の仕事から解放され、物を掴む繊細な機能を有するようになり、さらには、その腕の振り方すなわち身振りを意思疎通に用い、自らの心情さえ表現するようになった。人の会話する姿を遠巻きに見ると、さまざまに腕を動かしている。せわしなく動かす人もいれば、おおぶりにゆっくりな人もいるし、ほとんど動かさない人もいる。その運動は、彼の心情と繋がって、言語だけでは伝えきれない何かを補おうとしているかのようだ。実際、話を聞いている方も、自然と会話と共にその身振りを視覚的に拾い、自らの内で総合的な意味合いとして受け取っているはずである。あの身振りはいったい、どこからやってくるのか。身振りは視覚伝達だから、音が無くても伝えられるものがある。もちろん、文化や時代や場所によって限定される身振りもあるが、それらを越えて誰にでも伝わるような動きもある。手を大きく広げて大きく振れば、何か注意を引こうとしているだろうし、うなだれた顔を両手で覆っていたなら、そこに何らかの消極的な状況を感じ取る。実際、身振りによる感情表現は古代ギリシアの彫刻でも採用され、アルカイック期には微笑んだりしていた彫刻は、その後身振りが大きくなると同時に無表情となっていく。その後は、彫刻において、瞬間的な感情の表れである表情を作る事は、その永続性にそぐわないことから積極的に扱われてきていない。

 藤原氏によるこれらの作品達も、表情を顔から放棄しようとしているかのようだ。それに対して、大ぶりな腕が体幹に後付けされ、雄弁に何かを語りかけようとしている。それはしかし、腕だけで動けるはずもなく、そとから梁や柱によって支えられ動かされる。きっと現実界ではこれら梁は視覚の外世界にあって見えないのであろう。まるで、操り人形か、しっかりと振り付けられた踊りのように、ほとんど意識せずとも勝手に動くそれらを支える梁はどこから伸び出ているのか、その根もとへ目を向けてみる。そこには、球根さながらに膨らんだ大きな頭部があった。高台(こうだい)に乗せられたそれはあたかも体の内外からのもろもろを一緒くたに溜め込む壺である。きっとそこに溜まったものを上からのぞき込んだとして、真っ黒く混ざり合い、判別できないだろう。しかし、その混ざり込んでしまった諸々から、さまざまな感情が湧き起こり、それに呼応するかのように、体が運動し、身振りを作り出しているに違いない。

 これらの梁は、こうして運動を生み出すと同時に、それを抑圧してさえもいる。身振りの必要性の元であるコミュニケーションは、互いの関係性が複雑になると、その自由さを失っていく。心地よくても笑えず、不快でも怒れず、いかなる状況でも無表情こそが良しとなってしまう。そんな状況では、腕の動きも無理に”はめこんだように”ぎくしゃくした、ぎこちないものになる。
 感情伝達に用いるほどの自由度を持った腕が、それ故に、意識的な自由さから抑圧されることは皮肉なようでもあるが、これら梁に縛り付けられた腕の手をよく見ると、そこには腱がうっすらと浮かび上がり、その指たちを自発的に引き上げようとしていることが分かる。腕たちはもしかすると、梁の支えからの脱却を試みているのだろうか。それどころか実は、身振りの運動がまず先にあって、それが梁を通して私たちの意識を動かしているのかも知れない・・。そんな考えが浮かぶほど、手の甲の腱は思わせぶりである。

 人体彫刻では、全身像と言って体の全て、つまり頭からつま先までを造形するものが基本的にあるけれども、それ以外に半身像では、全身を半分の大きさに作ったり、体の胴体から下半分を作らないものなどがある。そういう中で、この作品達は特異である。なぜなら、全体のプロポーションで見れば、等身大の像も半身像も、頭からつま先まで全身分の長さを持っていながら、下半身が壺や逆さの頭部など脚以外に置き換わっているのだから。逆さの頭部は、それによって、像の(そして私たち自身の)上下方向について改めて考えさせる。さらにそれは背中側を向いているのである!
 ここには、さまざまな考察、感性、試みが重層している。明らかに変化の途上である。突然変異である。とてもエキサイティングな瞬間を垣間見た展覧会であった。


藤原彩人 展 FUJIWARA Ayato Exhibition
「GESTURE」
2017年3月9日(木)- 3月26日(日)
開廊時間:午後1時ー6時
休廊日:月・火・水曜日

2017年3月22日水曜日

人格化するケータイ

 数年前に、iPhoneが発売されたときは、未来が始まる瞬間を目の当たりにしたような感覚があった。なにしろ、それまで携帯電話と言えば小さなボタンが並んでいるのが当たり前だったのに、突然、それが丸ごと消えたのだ。「あったものがなくなる」ことは、「あったものの形が変わる」とは比較にならない大きな変化である。自動車で例えれば、ガソリンから電気へ変化しつつあるけれども、それはいかにも”段階を踏んでいます”というようなゆっくりしたものだ。その過程である現在は、ガソリン車、ハイブリッド車、電気自動車と様々に混在している(更に燃料電池車も)。そのうえ、仮に今後全て電気自動車になったとしても、自動車である限りは、相変わらず4つの輪っか(つまりタイヤ)を転がして動かすことに変わりはない。これが、ある日どこかの自動車メーカーが「タイヤのない電気自動車を発売します」と発表して実際に売り出したような、そういう大きな変化を起こしたのだと思う。

 携帯電話から、ボタンという”物”をなくしたことで、突然に、ほとんど無限とも思えるような可能性がそこに現れた。形態に機能が宿ると言うが、逆に取れば、形態は機能を限定する。iPhoneはボタンという形態を無くすことで機能をその呪縛から解き放った。
 面白いのは、ボタンが消えた筐体の形である。ただ、四角い。液晶面は、作業場でありモニターである。アプリ次第で何にでもなる。何にでもなるための場は、何にでもない。ただ、電源のオン・オフなどは物理ボタンが存在している。けれども、これら物理ボタンたちは、いずれ全て無くなるだろう。形があって動く物は壊れる。そういった物理的制約下にあるものは、これから減らされていき、最終的には、穴もボタンもない四角形の板になるように思う。それは映画『2001』のモノリスを彷彿とさせる。
 先をあれこれと想像するのは楽しいが、現状はその途上にある。それでも、iPhone7現在で既にホームボタンは動かない「ボタンもどき」で、イヤフォンの穴もない。
 もうひとつ、iPhone以前の携帯にはなかった”文化”が、保護ケースだ。iPhoneは売り出されるたびにその外見デザインも取りざたされるにも関わらず、それを購入したままで使用する人は少ない。当初は、その理由は大きな液晶面を傷付けやすいなどの現実的理由だったが、今ではそれを付け替えて楽しむこともする。この筐体と保護ケースの関係性は、人体と衣服のそれとよく似ている。

 ソフトウェアの進歩は、もっと早い。そして、その方向は、”個を全体と繋げる”方向を向いているのは明らかである。知りたいことはググればいい。知りたい、情報を共有したいという欲求は人類の本能とでも言える性質だ。実際それが社会性の維持に重要なのだろう。人類は個人個人が情報を得るためのアンテナとしても機能している。それが他人とのコミュニーションで伝えられることで役割を果たす。多くの情報をストックして、巧みに編纂し、然るべき時に使用できる能力は集団の維持に役だったはずで、長老の役割はそこにあったのだろう。インターネットは、まだ長老の域には達していないが、AIが組み込まれたそれは、やがて使用者の意を汲んで最適の解を提示するようになるはずだ。現在のそれは、”気は利かないけれど物知り”な人物のようではある。いずれにしても、興味深いのは、iPhoneを通して対峙しているデジタル世界が人格化の方向にあるように映ることだ。確かに、人類は、自然界つまり私たちが向き合っている外世界を、そのままの姿で捉えない。自然に「神」という”人格”を与えることからも分かるが、そもそも、自然も人間他者もどうように認識しているからだろう。人は、全てを人として見る性質があるからこそ、自然に神を見出し、自然と対話する者(シャーマン、占い師)が現れる。こういった、言わば私たちが持つ性質は、そのままインターネットの構築に反映されるので、こちらが知りたい事に対して答えてくれるシステムは人間味を帯びるものになっていく。
 誰かにものを尋ねるとき、尋ねた相手は、私にとって知らない世界への窓であり、媒介者であり、翻訳者である。いまや、iPhoneも(スマートフォンも)同様の役割を担いつつある。それは、情報という自然を翻訳してくれる、私たち1人1人に対しての長老でシャーマンとなり得る。ただし、その依存から生まれる従属関係も忘れてはならない。その長老が果たして村民を幸福に導くのかどうか、それを判断するのは個人である。

 このように、まるで私たちにとっての他者の在り方へと向かっているかのようなiPhoneはじめスマホは、ソフトウェアの機能をハードウェアを通して使う。だからソフトはハードを通さない限り、知ることができない。ただ、ソフトはハードに機能依存していないという点は、実際の私たち動物のありようと異なる。実際に、同じiPhone同士でも使用者ごとに中身は大きく違っている。更には、通信会社によってその”能力”が支配されてもいる。この言わば、肉体と精神とが独立しているさまは、心身二元論的解釈を実現させているようにも見える。個々の魂(ソフト)は個人の肉体(ハード)に依存し限定されるが、本質的にはそこにあるのではなく、より大きな統合体(クラウド)にある。そのため肉体が滅んでも魂が消えることはない。魂が消されたくなければお布施(アカウント維持費)を支払わなければならない。


 なんだか、そんなことを考えていたらiPhoneの存在が重く感じられてきた。時々ケースから出して息抜きさせてあげようか・・。

2017年3月21日火曜日

冨井大裕 個展 「像を結ぶ」を観て

 新宿で、冨井大裕氏の個展を観た。個展会場のギャラリーは、マンションの一室を改築したもので、外からは全く分からず、案内などで開催を知っている人しか訪れることはないであろう場所である。その、決して新しくはないが大きなマンションの鉄扉を開けると、壁面が真っ白な空間に、作品の色彩が際立って見えた。入ってまず正面に四角く面取られた柱状の立体作品がある。それは店でもらえる紙袋を重ねて作られている。両側の壁には、ノートのページが切り取られたものがピンで留めてある。同様の作品が横並びに複数留められていて、さながら絵画やデッサンなどの平面作品のようである。入ったドアのすぐ左にも1点紙袋製の立体作品が置かれている。白い空間内に、このような既製品でそれも使い捨てられるような、一般的には”無価値”に分類する物が、作品という”価値あるもの”として展示されているので、鑑賞者としての私は、一気に自分の感受性のチャネルを切り替えなければならなかった。ただし、その切り替え作業は「無理に」でも「どうにかやっと」行えたというのではなく、むしろ自然に切り替えられたような感覚だ。何かとても自らの日常感覚を研ぎ澄まさせるような気分で、実際に、足元の床に飛び出ていた真鍮製の構造物でさえ、作品にように感じられたほどだ。そうして見ると、この空間はまるで寺院のようであることに気付く。両側の壁のノートページ作品は脇侍で、正面の紙袋作品が本尊といったところだ。この感覚は、その場に足を運ばなければ感覚することはできない。決して個々の作品を画像で見ても伝わらないリアルなものだ。

 ともかく、まず正面の”本尊”を見る。白い台の上に乗せられた大きな紙袋は目一杯広げて、本来の四角形の形を見せている。紙袋が本来の形で現れることが実生活で果たしてあるだろうか。それだけでも面白いけれど、ここではそれが縦に4段に積み重ねてある。下から2段目は横向きで、しかし袋の口はもう1つの袋が逆さに入れてあって、その底面によってふさがれている。最下段と3段目の袋は同じ種類だが互いの口側が向き合うようになっていて、その持ち手が2段目の横向き袋をちょうど挟み込んで支えている。最上段だけは黒い紙袋で、天地が逆に置かれている。この配置によって、紙袋ではあるが、開いている口は一切表面に現れていない。その閉塞性が、内面の虚の空間を隠し、まるで大きな角材であるかのような存在感さえ与えている。
 私の中で、本尊として分類してしまったからか、この作品が人体に見える。いや、そうでなくとも、人類であれば、これを人体として見るのではないだろうか。縦横の比率もちょうどそれっぽく、一番上が黒いのも頭部を彷彿とさせる。それが頭髪をイメージしているというより、体構造で頂点にある頭部は特別な部位として感じ取られるからだろう。縦に4段という構成も、上から頭部、胸腹部、腰部、脚部として分けているように見えもする。それに、紙袋という”同じ要素”を繰り返すことで、全体として成り立つというのも人体を含む脊椎動物の分節構造を思い出させるのである。
 私たちが存在している3次元空間をベクトルで示し、それに面を与えると立方体になる。だから四角形は概念で思い浮かぶ、最も単純かつ強力な3次元形状だと言える。互いの角度が直角であれば視覚的な立体感が最も明解で、それは空間認識の誤りの確立を少なくさせ、その経験は私たち人類に直線や直角を好ませる傾向を作り上げただろう。
 実際、この作品も矩形が持つ形状の力強さを放っている。しかも、紙袋であることから表面にはしわが寄り、辺の線も有機的に歪んでいる。これらが、真っ直ぐや真っ平らではない所に、生命的な乱雑さを感じ取る。また、素材の紙袋を通して、私たち、もしくは作家の日常性という生命活動とも繋がって行く。

 両側の壁にピン留めされている、切り取られたノートページのコラージュ作品に近寄って見る。ノートは、罫線もあれば格子もあるが、どれも垂直水平に付けられていて、立体作品同様に構築性が際立っている。これらの作品は、その四方に一片が1㎝もない小さな紙辺が取り付けてあって、その小片にピンが刺されている。ピンは虫ピンのような細長いもので、長さの遊びがあるので、物によっては壁から数㎜離れたようになっている。私は(この空間にいることで感覚が鋭敏にされているので!)、この壁から離れている事とピン留めの小さな紙辺にも意味を見出していた。「いた。」と過去形なのは、この後、冨井氏に伺ったところそのようには強く意味を込めていないようだったので。
 まず、ピン留めの小紙片だが、近くによると、これらの存在感がとても強い。つまり、明らかに作品のメインであるノートのコラージュが作品としてまとまりを持っているため、”それ以外”としての小紙片が反って際立つのである。それも、日常生活において、もしノートを壁に留めることがあるとするなら当然直接ピン留めするところを、そうしていないという行為の軌跡がそこにあるので、そこに作家の意志が宿るのだ。しかも、小さな紙を曲がらないようにきれいに貼り付けてある。細かい作業を背中を丸めてしている作家の姿が思い浮かんで、ちょっと親しみさえ沸く。後で、作家に聞いたところ、まずは単純に、作品と非作品部分を分けたいという事であった。確かにそれが正解というところだが、この「寺院」においては、もはやそれだけではなく、むしろ、作品と非作品の見えざる結界の現れが表現されていると読み取れる。実際、私はこれらの作品で最も興味深いのはここ、すなわち、「作品—小片—ピン—壁」で、これらによって、作品と非作品が段階的に移行しているのである。
 そして、もう1つ、壁から若干浮いていることについても、それは作家が意図しているのではなく、紙の吸湿や空気の動きで常に動いているということだ。私はここでも深読みして、壁から離れることで、紙イコール平面という既成概念から離れようとしているのだと思った。もし、これらを「壁に留められたノートの紙」と見るならば、ノート本来の”記述する媒体”の意味合いが勝ることで、この立体的存在は希薄になるだろう。しかし、これらは明らかに、「ノートとしての意味合いを持たされていた紙」として扱われ、今や空間内での存在を誇示しているのである。そのために、壁に密着してはならず(なぜならそれは、紙の立体性を弱める)、壁面との間に鋭い影を落とすことで、その裏側と隠されている壁面との狭間の存在を証明する。紙のように薄いことで、私たちの肉眼では側面の存在は捉えられず、そのため前面と影とが唐突に出会うようになり、強いコントラストを生む。そこに、フォンタナの空間概念を持ち出すまでもない。

 これら壁面の作品群のピン留めの小紙片といい、紙袋作品が置かれた白い台といい、全体の作品の置き方の構成といい、決して斬新さはない。むしろ、今時の現代美術作品の展示では見ないような、オーソドックスさである。先に見てきたように、個々の作品の置かれ方とそこに内在する作品に対する作家の態度も、とてもシンプルなものを感じる。むしろ、この”寺院”は現代におけるそれというより、ラスコー洞窟のように始原的な強さをそこに見る。ノートの紙が、人の心を反射する素材になるのである。それと、転がっている石ころが神の小像となることと、どう違うのだろう。現代人とラスコー洞窟の壁画を描いた人類とは、体構造に違いはない。彼らの感動は私たちの感動と変わりがないはずだ。かの時代の作品の素材は、どれも生活に比較的近いものが選ばれていた(もちろんいつもというわけではなく、大変な労力を払って特定の場所の素材が選ばれ、遠路はるばる運ばれることもあった)。一方、現代の芸術家は、「美術用品」を買い求め、「美術様式」にならい、「美術アトリエ」において、「美術品」を作る。現代の美術は、始まりから終わりまで「美術」というレールに乗っている。そして、鑑賞者は「美術館」や「美術書」に載っているものを美術作品として認めるのである。冨井氏の作品は、自分たちが気付かずにレールに乗っていたことに、ふと気付かせる。さらに、ただそれに気付かせるだけ(別に気付かなくともいいのだから)の押しつけではなく、日常生活とアートという非日常の壁などそもそも存在しないことを示し(と、同時にそれはいつでも作られるということも同時に示している)、何より、私たちに身の回りにアートの素材が転がっているという事実を教えてくれている。ただ、それに気付けるかどうかはまた別問題だが。

 冨井氏のバックボーンは彫刻である。だから、この展示に見られる作品の在り方は、彫刻的な要素が強い。それは、上でも述べたように紙袋の四角形であったり、浮いているノートであったりするところだ。しかし、典型的な彫刻が色彩に乏しいのとは対照的に、これらの作品は色彩が豊かである。また、作品を俯瞰してみると分かるが、選ばれている色は偏りがあって、パステルカラーもしくは蛍光色よりの鮮やかで軽い印象の色が多い。作家の好みと言ってしまえばそうなのだろうが、色彩による作家性の統一があり、また、この明るい色によって作品たちに軽やかさが付与されている。時にそれは、彫刻の特徴のひとつである量感を打ち消そうとさえしているかのようだ。軽やかで物質感さえ希薄になっていくこれらの作品は、物から情報へと重要性の重みが偏るばかりの現代によく合っている。
 また、多くの芸術作品との大きな違いは、作家の手による造形度合いの小ささである。ただこれが新しいというのではなく、いわゆる「もの派」的な作品との印象の違いを生み出しているのは、作品が訴えている事のオーソドックスさにある。それは、個々のサイズにも表れている。どれもハンディだ。作家がどのように作品の大きさを決めているのかは分からないが、どれも小さなアトリエや机の上で作れる大きさで、それが現代都会生活者の扱える空間やサイズを表象している。いや、むしろ、これからの作品は冨井氏に限らず、ますます小さくなるかも知れない。それは精神の萎縮を示しているのではなく、サイズ感からの脱却を意味する。かつて、物質優勢の時代にあっては、大きいことが優であり小さいことは劣であった。しかし、情報優勢の現代では、必ずしもそうとは言い切れない。これは情報には物質的サイズが存在しないことと関係しているだろう。情報は、それを映す媒体によって、つまり物質化する段において自由にそれを選ぶことができる。冨井氏の作品にも、それと似たサイズレスの感を受ける。

 良い本を読み終えた後を「読後感が良い」などと言うが、この展示は「観後感が良い」ものだった。その場でなければ感じることのできない一回性の強い展覧会であった。芸術は直接的に感情へ訴える強さが需要である。VR(仮想現実)やAR(拡張現実)が良く言われる現代でも、それは変わらない。現場でしか得られないものがある。芸術は常にその代表格であって、そのことを改めて実感した次第である。

冨井大裕「像を結ぶ」
Motohiro Tomii “Connecting Images”
会期:2017年2月1日(水)- 3月11日(土) 12:00 – 19:00(休:日、月、祝日)
会場:Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku


2017年3月16日木曜日

”疑似博物館” インターメディアテク

 東京駅の丸の内側と直結する複合施設KITTE内にあるインターメディアテクは、国内でもとても珍しい展示施設と言えるもので、一言で言うなら「疑似博物館」である。疑似と付くとまやかしの響きを帯びるが、その全てがにせものというのではなく、展示物の多くは実物である。それらが、いかにも博物館然として鎮座しているので、実際に博物館だと思っている来場者も多いことだろう。だが、並べられている物が何かをよく知ろうとしても、それについての説明書きなどはほとんどない。展示物の並べ方も、どこか雑然として、おおざっぱな印象がある。つまり、ここは展示物が主役なのではなく、展示会場そのものが1つの見世物として機能しているのである。そのコンセプトはもちろん博物館で、しかし現代のそれではなく、もっと古い、戦前くらいまでのイメージで構成されているように思われる。
 博物館という言葉がそもそも「博く(ひろく)物をあつめた館」であるように、その起源は、西洋の貴族らが世界の珍奇な物品をひたすら収集した物を陳列した部屋である。それらを扱う学問としてかつては博物学と呼ばれたが、それが知識の集積と共に分化と深化が進んで、現代の生物学や地質学や人類学などがあるわけだ。現代の博物館はそれらの領域別に分けられているのである。だから、現代の博物館で例えば植物学の部屋へ行けば、あらゆる植物の標本が並んでいて、その体系を一望するには分かりやすい。その一方、その植物が生きている環境、例えば土壌や気候、そこに棲む動物などは全く見えてこない。つまり、現代の博物館は、現代科学がそうであるように、全てが関連しあって成り立つ自然界を、分類で断ち切った標本が並べられているのである。科学的分類と関連して並べられているのだから、それは合理的である。しかし、趣味で博物館へ来るような多くの普通の人にとって必ずしもそれがベストとは言い切れない。むしろ、理路整然と並べられた物品は、そこの展示者の明確で強い意志があって、見る側の遊びを一切許さないような冷たさが漂う。私たちは、雑多とした空間のほうがより安らぐし、そういう空間から自分なりの興味どころを探り出す楽しみもある。例えば雑貨店などは、わざわざ店内の商品を散らして、客の導線を複雑にしたりするものだ。

 ともかく、現代の博物館が捨ててしまった、薄暗くて雑多で、なにやらよく分からないものが大量に陳列されている空間が持つ魅力の再現を試みているのが、インターメディアテクである。だから、ここでは、個々の展示品自体が主役ではない。それらは空間を引き立てる一役者に過ぎない。そういった意味で、ここは「疑似博物館」である。
 インターメディアテクのような、言わば「知」をテーマとした娯楽施設は希有で、それが東京駅から直結した一等地にあるのは、私が持つ日本の印象からすると、ほとんど奇跡的である。それも、入館料を取らない公共事業として!
 ここが、とてもわくわくさせる空間であることは間違いないのだが、同時に、何か満たされない気持ちも膨らんでくる。その理由もまた「疑似である」ことに由来している。古い博物館内を散策しているような気分になるほど、しかしこれは作られたものだ、という真実が同時に強くなる。この「らしさ」に憧れるのは、ほとんど日本人の特質のようなものだと私は思う。特に明治の開国後は、西欧諸国に憧れ、文化から技術から様々なものを輸入した。しかし、西洋が長い時間を掛けて少しずつ積み重ねることで出来上がったそれらの言わば表層だけが、外から覗く日本人には見えるわけで、その表層だけを輸入してしまうとそれは「らしさ」になるのである。もちろん、「らしさ」という中身のない”張りぼて”から脱却しようと、本質的な導入もしているわけだが、いかんせん始まりの向きが逆であることに変わりはない。では、この施設は表面的な見た目だけの、アトラクションに過ぎないのかと言うと、決してそうではない。
 確かに、近代日本は西欧の真似から始まったとは言え、時間と共にそこから蓄積されるものから、独自の新たな系譜が生まれるだろう。また、西洋式の手順を模倣することで日本が得られるのはそういった独自性にならざるを得ないとも言える。今や、それを否定的に捉えていても仕方がない。批判的視点は持ちつつも、半分は開き直ったようなつもりで、私たちなりの現在を作らなければならない。インターメディアテクには、これまでと現在の日本のありようを見つめ直した上で、今できること、ここから始まる何かへ向けて創設されたように感じる。
 むしろ、明治以降に用意されたスタート地点から、あたかも我々も西欧的科学誌を共有し続けていたかのように振る舞って前だけを見つめていた今までから、ここでは過去を振り返るという行為を積極的に形に起こしているというのは、日本が”少し大人になった”証しなのかも知れない。