先日、カルチャーセンターの講座で、モデルにミケランジェロの『夜』のポーズを取ってもらった。ビーチチェアを置いて、そこに横たわってもらう。彫刻の右脚は膝が曲がっているのだが、ビーチチェアでは伸ばさざるを得なかった。このポーズの見せ場は、当然ながら体幹部のねじれである。右肘を左ももに付けるという、ストレッチ体操のようなねじれの姿勢を取っている。この姿勢をモデルが10分間維持できるか未知だった。結果は、やはり数分するとねじれが徐々にほどけてくる。
ミケランジェロの作品には、この作品と同様に、過度に身体をねじった表現が多い。鑑賞者もそれを見ると、ああ窮屈な姿勢だなと思う。緊張した、押し込まれた状態のバネのような、そういうものを感じる。そして、それこそが作家が狙った効果だろう。その時、鑑賞者は誰もこれが冷たく硬く不動の岩石でできていることを忘れている。この強い捻れの姿勢は、ロダンの『考える人』にも採用され、その動勢を鑑賞者へ伝えている。
『夜』の腹部には大きく3つのひだができている。腹部は屈曲しているので、皮下脂肪が集まって緩んでいる。左の腿の付け根には、もう1つのひだが見える。腹の一番下のひだとこのひだの間には若干の隙間が表現されている。ここが骨盤の最上部である。脚の付け根、もしくは尻の横面が大きく見えており、そこには3つの膨らみが造形されている。これは上から、大腿筋膜張筋、大転子、そして大殿筋である。太い大腿部の側面には近位側に溝が2条見えるが、これは上が腸脛靭帯で下が外側広筋とハムストの境界であろう。殿部を構成する大殿筋の遠位部の表現は若干特徴的で、立位の時の殿部の印象が表されている。つまり、印象としての、もしくは記号化された尻がそこにある。
乳房は、見れば分かるが、まったく現実味のない表現物で、分厚い大胸筋の上にできた腫瘍の様だ。この乳房はその醜さから返って目に付く。なんとなれば、後世の芸術家がこれを削り去って大胸筋だけの胸部へと修正しやすいように、境界を明確にしておいたのではないか・・などと想像してしまう。
ミケランジェロは、この作品を作るに当たって、もはやモデルを見ていなかったのではないだろうか。そう感じさせるくらいに、理想化と観念性が強い造形である。
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