朝日カルチャーの講座で、今回は名画のポーズをヌード・モデルさんに取ってもらい、それを観察して描くということをしている。先日は立ちポーズの代表として、ボッティチェリの「ヴィーナス誕生」のヴィーナスの姿勢を行った。
あのよく知られた姿勢は、ボッティチェリのアイデアではなく古代ギリシア彫刻のポーズから来ており、ボッティチェリは立体で知られたポーズを平面に写し取って成功した最初期の作家ということになる。つまり、元ネタは現実界に存在する物体なのだから、きちんと立っているのである。しかし、ボッティチェリのヴィーナスは立っていない。いや、ポーズこそ立ちポーズだが、重心が大きく画面右に偏位していて、実際にはあの角度で立つことはできないのである。なぜ、ヴィーナスは傾いたのか。それは、画面左を見れば分かる。風の神が息、つまり風を吹きかけている。ヴィーナスの全身は船の帆のように風を受けて傾き、岸辺へと運ばれているのである。
足を見ると、右足つま先は左足かかとより後方にある。このような姿勢を実際にモデルさんが取ることは相当厳しいだろう。実際にとってもらうと、1ポーズ時間(20分)は持続することができた。ただ、やはり辛いということで、それ以後は右足はもっと前に出した自然なものに変更した。この姿勢をとってもらって、最も興味深かったことはその重心の偏位であって、想像以上に右側にあった。だから、ボッティチェリのヴィーナスは相当に思い切って逆方向へ全身を傾けてあるのだ。他の気付きとしては、側面から見た時の脊柱の弯曲である。もちろんそれは、どんな人にもある自然なものだが、ボッティチェリのヴィーナスでは、脊柱の生理的弯曲はやはり直接的に伝わってくるものではない。つまり、体幹だけを見ると、ストンと真っ直ぐに見えるのである。モデルで見ると、やはり、正面から見た一瞬の印象では体幹は真っ直ぐに見える。しかし、横へ回れば脊柱の弯曲が明らかとなり、そのカーブが正面からみた体幹の印象をも作っていることに気付かされる。同時に、横から見ることで脊柱の回旋にも気付く。左脚重心で立つことで、骨盤右側が下に下がると同時にわずかに右側へ回旋する。左大腿骨が外旋する、と言っても良い。それだけでなく、もっと目立つのは腰椎を越えて胸郭の右回旋である。モデルを左側面から見ると、胸郭部では側面から背面までが見えるほどに回旋する。このような三次元的な変化は「左右に順繰りに高さが変わる・・」と一言で片付けている内は決して見えてこない要素であろう。ところで、ボッティチェリのヴィーナスを見ると、体幹部でのねじれはあまり見いだせない。しかし、頸部から頭部を見るとそれが描かれている。つまり、胸部以下の体は正面の他にわずかに右側面を見せているが、頭部は逆で左側面を覗かせている。それを可能にしているのは頸部であって、事実ヴィーナスの頸部には左側の胸鎖乳突筋の緊張が描かれている。ところで、「左右に順繰りに高さが変わる・・」すなわちコントラポストを強調したヴィーナスの傾きのリズムは、もしかしたら、脊柱弯曲のリズムを正面から見えるようにしたものではなかろうか。そんなことを、モデルさんを横から見た曲線を見ながら思った。もしそうであるなら、線の画家と呼ばれ、後に続くレオナルドやミケランジェロと比較してその立体再現性の低さを言われる作家が、リアリティとは違った味付けで立体性に挑んでいた可能性を示唆するものである。それは言わば、近代におけるキュビズムに近い。
まあ、そんな風に色々と面白いことを考えることができて、指導側の私にとっても興味深いセッションであった。次回はアングルの『浴女』である。
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