『アナトミースカルプティング』という造形技法書の出版記念講演会へ行った。書名を日本語で言えば「解剖学的造形法」といったところ。著者はハリウッドで長く造形師をしている日本人の方。
この方は高校卒業後に渡米して以降、現場で生きてきた方なので、造形へのスタンスが明確でブレを感じなかった。これは、高卒後に美大へ進んで”芸術とは”や”造形とは”と色々な道筋を散歩する”美大系人間”と大きく違う点だ。なによりそれを感じたのは、空想キャラクター頭部を粘土造形する過程を早回しで見せていたときだ。ちゃちゃっと形ができていく動画を見せながら「このくらいの早さで出来たらお金も増えるんだけどね」と笑いながら言った。仕事の速さが重要なのだ。これは世の中では当然の事だが、美術では必ずしも当てはまらない。美術には制作のゴールが明確に規定されていないから、「早い仕事が良い仕事」とは言い切れない。
また、興味深かったのは、フォトリアルな空想キャラクター頭部の画像作成過程の紹介。仕上げ手前までのほとんどの過程が、様々に集められた顔の部位の写真画像の編集合成なのだ。作業はフォトショップを用いる。ブラシツールで描写を入れるのは最後の方だけだった。「コンセプト・アートも鉛筆画などはもう見ない」とのこと。自分のなかにある技量こそが大事だと教え込まれてきた美術系人間としては、なぜ自分で描かないのかと思ってしまう。しかしこれも、短時間で効率的に写実的な造形をするという理にかなっている。
全身像の塑造制作過程も動画で見せてくれた。解剖学の知識は形が見えるようになるためにも必要であると言っていた。実際、彼の造形は解剖学的な構造のレリーフが、リアリティに大きく寄与している。何度も言っていたのが「解剖学は大事。大事だけれどあくまでも道具。一番大事なのは、何を作りたいか。」
氏の姿勢はピントがあっている。「求められるものを高いレベルで提供できる、そのために必要な知識と技術を”必要なだけ”身につける。」そういう感覚なのだろう。
粘土で作られた様々な造形物が本には載せられている。講演会会場には現物彫刻も数体展示されていた。
映像で使われることが前提のこれら造形物と、いわゆる美術彫刻は似ているけれども求める方向性が随分と違う。その最たるものが、「表面性」だ。映像用の造形物は、最終的には表面性、生き物ならば皮膚の表現が重要になる。解剖学的な構造があっていても皮膚が皮膚らしくなければリアリティのゴールに達しない。だから、これら造形物はどれも皮膚のしわ表現にとても注意が払われている。映像で使われるときはこれはシリコーンなどに置き換えられ実際の皮膚のように着彩される。だから、造形はそれだけで完成ではない。対する美術彫刻は、内在する構造や量のコントロールこそに重点が置かれる。皮膚のしわを細かく作る事は普通はない。むしろ、そこを作り込んであるだけで否定的な批評さえ受けることもあるだろう。
ハリウッドの造形師。これは、美術彫刻とは違い、より直接的で実質的な技量が求められる領域として最も高いレベルのスペシャリストだろう。そこで生きる人が、人体造形に解剖学的な知識をどのように応用しているのか、常々知りたいと思っていた。今回、それを垣間見ることが叶ったのだが、その方法論が、自分が考えているものと非常に近いものがあって、安心感を抱いた。私自身の方法論に自信を持つことができた。もっと押し進めていきたい。
最新の映画のキャラクターを見ていると、合成などはリアルになっているが、生命体の表現にはまだまだ伸びしろを感じる。解剖学的な知識の応用先もまだまだある。クリエイティブ系の学校で学ぶ学生さんたちも”本気で”身につけて表現に結びつけることが出来れば、ハリウッドは遙か彼方ではない、そんなことも感じさせてもらえた講演だった。