2016年6月19日日曜日

高橋英吉の彫刻 海の三部作

 芸大美術館で「いま、被災地から」展を観た。そのタイトルとポスター写真(壊れた美術館から作品を運び出しているところ)から、展示に興味を持っていなかったが、NHKテレビで展覧会内容を見てこれは行かなければと思った。なぜならこの展覧会には、戦死した東北の彫刻家高橋英吉の代表作3点が全て展示されているというのだから。実際その他にも、東北と関連のある芸術家の作品が多く展示されていた。この展覧会のタイトルとポスターは、多くの人を展示会場へ呼び込むというその働きの意味において、失敗していると言わざるを得ない。これだけ贅沢な作品を展示しておきながら、その最初の窓口であるタイトルとポスター写真で全くそれらが伝わってこないからだ。NHKテレビで展覧会関係者が「芸術作品も大切に保護され修復されているという現状を知って欲しいというのが第一です」というような事を言っていた。その思いはタイトルとポスター写真で伝わる。だから、企画者の意図は達せられただろう。でも、それでいいのだろうか。それ以前に展覧会の意図がなければならず、それはどれだけの人に気付いてもらい会場へ足を運んでもらえるかではないだろうか。その根本的な目的がないがしろになってしまうと単なる独りよがりの発表会のようになる。実際、この展覧会のポスターはぱっと見のインパクトがなく、多くの同様の情報のひとつとして埋没している。なんだか展示の素人が実験的に企画したかのようにさえ見えてしまう。一言で言って「退屈そう」なのだ。
 ところが、実際の内容は素晴らしい。一流の作品が数は多くなくとも集められ、知られていない作家の作品であってもその質は高い。被災した作品の修復過程だけが淡々と展示されているのではない。むしろ、純粋な美術展として構成され、後半にそういった修復記録がまとめて展示されているといった内容である。上記のように、一般の興味を”惹かない”ポスターが功を奏してか、平日の会場はがらがらで、鑑賞しにいった者としてはありがたい贅沢さだ。

 目的の高橋英吉の作品は3階展示室の初めに置かれている。エレベーターを降りるとまず目に着く構成である。一度はこの眼で見たいと思っていた作品達なので、それが静かに目の前に並んで置かれているとは、なんという贅沢さか。作品の周りには私しかいない。代表作3点は、漁師三部作(海の三部作)とも言われるが、全てモチーフは男性漁師で、ほぼ続けざまに制作されたものだ。そして、それら等身大からそれ以上の大作は、全ての造形スタイルが異なっていることも特徴的で、高橋の作家性がまだ決定しておらず今後の可能性を大きく感じさせるままになっている。高橋の評判は尋常ならぬ天才と決定しているが、まったく異を挟むところはない。このような日本の彫刻史を変えたかも知れない可能性が先の大戦で、多くの戦死者のひとりとして消えてしまった。まったく、人の死とは単なる「一戦死者」という単語だけで済まされない広大な可能性の消去でもあると実感するものだ。

 三作品は、真ん中に『黒潮閑日』(1938)が置かれ、その左に『潮音(ちょうおん)』(1939)、右に『漁夫像』(1941)が置かれる。全て木彫である。
 『黒潮閑日』は、高橋が捕鯨船に網引きとして乗船し南氷洋まで出た際のデッサンから作られたという。漁の合間に船上で見られた日常風景である。漁仲間の髭を別の男が後ろに立って剃っている。贅肉のない締まった男の肢体が写実的に造形されている。これは3部作全てに共通するが、表面はノミ跡が残されヤスリで削って仕上げるというところはない。まったく、驚くべき写実性で、解剖学的な構造はほぼ正確である。そうでありながら、説明的な描写に陥ることなく、彫刻的な構造性への意識から遠ざかってしまう間違いを犯していない。この、解剖学的な正確さは他の2点も同様であって、高橋はかなり積極的に人体構造を学んでいたと想像できる。3作品の中では最も人体構造が正確かつ素直に描かれていて、高橋としてもそこも見て欲しかったに違いない。彫刻作品としての構図の妙味は、立っている男性の首に巻いている手ぬぐいが上方へ伸びているところ。この表現ひとつで、彼らが静かな部屋に居るのではないことが伝わってこよう。彼らはダイナミックに揺れ動く捕鯨船の甲板で太平洋の風と光を浴びているのである。そして、手前であぐらをかいている男性は両手を自分のすねに伸ばしている。揺れ動く船上ではこうして上体を固定しなければ、剃ってもらう顎が揺れてしまうだろう。この男性の両手の指先と台座は、高橋の小さなこだわりと遊び心が垣間見える。指先だけが台座に埋もれるように表現されているのである。これの解釈は色々できようが、私としては、漫画での”コマ飛び出し”のように、この指先によって二人の世界感が大きく拡がっていくように思われる。もし真面目にすねを掴んで、台座内で収まっていたならもっと窮屈な印象を与えていただろう。また、この下方へはみ出した両手先は、立った男性の上方へ伸びた手ぬぐいと対を成していることにも気付かれたい。こういった作家の密かな仕掛けたちが、私たちに作品の面白さとして伝わるのである。

 『潮音』は、粗い岩のような所、断崖の切っ先か、に立つ漁師が漁具を左手に握って遠くをにらみ付けて立っている。彼の身体は全体として弓なりに反っていて、沖からの強風に対峙していることが分かる。それにしても、このスタイルは一見してミケランジェロのダヴィデであることは明白だ。ダヴィデは巨人ゴライアスという敵を見据え、その決意を表情に表していたが、この漁師もまた大海原への戦いを挑もうと決意するかの如くである。その身体描写は、先の『黒潮閑日』と比較するに遙かに様式化が進んでいる。すなわち、そうした過去の芸術作品を参考にして作られている。それは、ミケランジェロであっただろうし、古代ギリシアやローマだったろう。この作品に限らず他の2点にも言えるが、高橋の作品はその背面も非常に高度に完成させられている。比較的正面性を決めやすい構図なので、どの写真も同じような角度で撮られその背面を知る由もないのだが、是非とも会場では背面をご覧頂きたい。とは言え、残念ながら芸大美術館の展示も後ろに壁があって真後ろまで入り込めないのだが。これは私がいつも展覧会場で抱く不満のひとつでもある。さて、『潮音』の背中を見るとまず明らかとなるのが、この漁師が両の肩をぐっと後ろへ引いて胸を張り出しているという事実だ。両肩の背中を見ると、肩甲骨は背骨に触れんばかりに引き寄せられ、間にある僧帽筋は収縮して膨張隆起している。何となくの造形がそこにはない。高橋がいかにモデルのポーズに気を配り、その立体構成に腐心して、かつそれらを破綻無き人体構造として表現しようとしていたかが伝わってくる。彼は、輪郭線で人体を見ていなかった。人体は構造で成り立っているという彫刻家的視点を我が物として、そのように人体を見て彫刻で再現することに成功していた。だから、その正面の形状は背面の形状と見事に呼応しているのである。そして、胸郭下部の背骨部分の驚くほど深く彫り込まれた溝をご覧頂きたい。この溝こそ、彫刻家高橋英吉のこだわりである。同時代の近代彫刻を志す若者にとって、既にロダンは神のようにあり、形態の捉え方の1つの答えとして君臨していた。そして、ロダン同様にその弟子たち、ブールデルらの表現もまた、その後に続く新しい表現観として、彼らの元にも届いていたはずだ。『潮音』の背中の深い溝こそは、そういったロダンから伝わる造形観、すなわち、激しく誇張せよという教えの会得と実践に他ならない。先にも書いたが、この会場では背中側を遠方から鑑賞することができない。しかし、10メートルほども離れてこの背中を見たとき、深い溝はその働きを成すに違いない。ロダンの影が遠方鑑賞によって生きるように。また、他に背中で注目すべきは、骨盤部と腹部との境界(それはふんどしの上部から現れる)に見られる脊柱起立筋の隆起である。同筋(正しくは筋群)は名前の如く、私たちの背骨をピンと立たせる働きをしているが、それは骨盤と胸郭の間、すなわち腹部において発達が著しい。なぜならそこで背骨を支えるのは筋肉しかないのである。筋群という呼称から想像できるように、これらは多くの固有の筋の集合体である。この漁師の腰部で一際張っているのは、その内の背骨に近い両側に上下に走る胸最長筋である。胸最長筋はその筋腹こそ胸郭部に在るが、下方では腱膜と化し骨盤と連結する。そうして、他の起立筋群と共に張力を発揮して、上半身を骨盤から立たせている。立位の彫刻で、この像のように最長筋を細く深く表現しているものはそう多くない。高橋は実際のモデルの観察からこの描写のこだわりを得たのであろう。ここを細くすると、皮下脂肪が少なく筋張った人物のようになる。それは、実際の痩せて筋張った日本人の印象に近いものだ。この像は、正面の筋描写はギリシア風であるが、背面はより日本人的なのだ。そうなった理由として、彼が参照できた彫刻作品写真が正面しかなかったことが推測できる。それは現代でも同様だ。さて、もう一つ『潮音』で特徴的なのは、この漁師の両目の表現だろう。この目を見て南大門の金剛力士像を思い出す日本人は多いだろう。きっと高橋もそれを参考にしたはずだ。むしろ、私の感想としては、この目だけが、全体の作風から遊離しており良くも悪くもこの目が印象のほとんどを持って行ってしまっている。その目は大きく、実際の私たちの目にある上下のまぶたが存在しない。その部分もすべて目になってしまっている。だから、力強く見開いたように見える。と、同時に作品から少し離れると下まぶたの影だけが見えるようになって両目を閉じているようにも見える。これは私の勘ぐりだが、もしかしたら高橋は初めの目の表現は違ったのかもしれない。それがうまく行かず、最終決定としてこの目に”改築”したのではないだろうか。だとしたら当初の案は両目を閉じていた可能性がある。タイトルである『潮音』のように、彼が海からの音に耳を澄ませて出漁を検討しているのであれば、両目を閉じていてもおかしくはない。

 3作目はまた他の2作とは違った表現を試みている。高橋はこの『漁夫像』を展覧会場へ搬入してすぐに2度目の戦場ガダルカナル島へ赴き、そこで銃弾に倒れた。この像は全体が細かく刀で仕上げられ、赤茶色の光沢を放っているので、遠目に見ると鍛金の作品のようだ。内側から膨隆するような造形もそう見させる要因となっている。これまでの2作と違って、この作品は曲面によって構成されている。間近で見ると、腹部の張り出た感じは強く、両脚の膝下は少々丸すぎて強度感に欠けるほどだ。しかし、この丸さによって若さの表現には成功している。腹部も全ての腹直筋を掘り出すのではなく、へそから上へ伸びる一条の溝によってそれを表し、適度に皮下脂肪のある若者の腹部表現を試みている。この若者の遠方を睨んで立つ様はやはりミケランジェロのダヴィデの影響を見て取れる。特にここでは下半身、両脚の姿勢は同様で、左足のつま先が少々台座からはみ出ているのもダヴィデと共通する。さて背中を見ると、やはり正面と同様の緊張感を持って造形され、『潮音』同様に両肩が強く後ろへ引かれていることが分かる。また、腹部の背骨の前方への弯曲が作り出す体幹の前後方向へのダイナミックな傾きが意識されていることも明らかになる。つまりはせり出した腹部から腰がぐっと後方へ引かれ、その姿勢が右足から頭部への大きな前向きの弧を作っているのである。こういった構造への強い意識は高橋の作品全体を通して見られるものである。腰には腰布が巻き付けられ、その一端を左手でつまみ持っている。それによって作り出される前方の両脚間の形状をご覧頂きたい。布に依るその内側の身体への意識的表現もまた、古代ギリシアからの主要なテーマの1つであった。そして、巻かれた腰布と腹部との境界に目を移すと、その左側に腰骨前端の隆起、上前腸骨棘とそれに続く腸骨陵、が掘り出されている。これがあることで、鑑賞者は彼の腰の構造に句読点を打つことができ、全身像としてのピントを合わせることが可能となっている。私はこういう細部に、高橋の造形家としてのプロ意識の高さを見る。さて、この青年の顔に目を移す。眉間にうっすらとシワを寄せているものの、その表情は穏やかにも見える。造形はどこまで鋭利で意識的だ。ところで、この顔に見覚えがあると感じた方は多いだろうと思う。私もそうで、その次の瞬間に、それが誰か分かった。この顔はエジプトの黄金マスクで有名なツタンカーメンのそれである。実際にツタンカーメンの黄金マスクを参考にしたかどうかは分からない。それに関連した古代エジプトのアマルナ文化に属する彫刻のそれかもしれない。ただ、この若者の表情そのものがツタンカーメンの黄金マスクのそれに似ているのは事実だ。そう考えていくと、この若者の丸みを帯びた全身表現は、エジプトの王の立像に見られるそれの影響も考えられる。エジプトの王は大抵上半身は裸で、それは決してギリシア以降に見られるような筋骨隆々とした姿ではなく、ほどよく皮下脂肪ののった姿である。腹部はみぞおちからへそまでうっすらと溝が彫られ、それが人物の健康的で若い印象を作り出している。そう言うなら、腰巻きもまたエジプトの王との関連性も見られよう。
 いずれにしても、現代とは違って得られる情報がそれほど多くないだろうこの時代で、彫刻の写真を収集しその良いところを積極的に取り入れる姿勢に高橋の彫刻への姿勢が垣間見られる。

 戦場へ向かう船内で拾った流木に彫った、手のひらに入るような小ささの不動明王像がある。彫刻刀も木の棒きれと鉄片から手作りした。驚くべきはその切れ味であって、決してガリガリと引っ掻き削り取ったという造形ではなく、切れる刃物で掘り出されているのである。混乱を極めたであろう戦場から、絶作としてこの小品と彫刻刀が遺族の元に届けられたという。単なる木っ端や道具ではない気迫がそこには満ちていたに違いない。最後の大作『漁夫像』の展覧会での姿を見ることもなく戦争で死んでいった高橋英吉の彫刻家としての気概の形。この不動明王像と彫刻刀もこの展覧会に展示されている。



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