イギリスの大英博物館やナショナルギャラリーなどの大きさになると、鑑賞者は世界中からやって来て、その数も凄まじい。さらに、これらは入場料を取らないので、再入場の手続きなども存在しない。館内での写真撮影は自由である。驚くことに、飲料などを片手に持ちながら鑑賞している人もいる。あれもこれも駄目という日本の美術館鑑賞に慣れていると驚いてしまう。ただ、日本ではあまり目にしない”自撮り棒”は禁止されている。
それだけ鑑賞の態度が自由にされていると、当然、彫刻などは触られるようになる。大英博物館の石彫はそれでツルツルに磨かれてしまっている物もある。また、鑑賞者の遊び心で引っかき傷が付けられた物もある。鑑賞の自由さは、作品保護の観点で見れば、多大なリスクがある。大英博物館が展示室に出している物は、全収蔵品のたった1%だそうだが、だからと言って傷付けられても構わない収蔵品が存在するわけでもない。
傷付けられるリスクよりも展示品を身近に見せることを優先させるという態度は、博物館の機能のひとつである、「集めた物を見せる」役割の主体の置き場によるものであろう。イギリスの博物館のそれは、明らかに鑑賞者側に主体がある。これは集めた物を見せる場としての本来の意味を忠実に保っているように思われる。対して日本の博物館や美術館の態度は真逆で、見せる側に主体がある。鑑賞者は、そこが示す厳密なしきたりに従って、静かにうやうやしく”拝観”せねばならない。展示空間は薄暗く、撮影は当然禁止である。それはまるで、誰かの家に入って、その所有物をこっそり見せてもらっているような申し訳なささえ抱かせるほどだ。日本の美術館が放つ”敷居の高さ”はこんなところも原因のひとつではないか。美術品や収集品の保護管理が重要なのは当然だが、一方でそれが行きすぎると、「大事だから簡単には見せない」ような態度に移行していき、本来の意味から離れていってしまうだろう。
大英博物館の古代ローマ彫刻の前にイーゼルを置いてデッサンをしている老人がいた。ナショナルギャラリーでは低学年の子ども達が中世宗教画を前にして床で絵を描いている。一方で、日本の国立新美術館は「使用できる筆記具は鉛筆のみ」とツイートしている。その理由が「作品に触れてしまった時の影響を最小限にするため」だという。そこから伝わるのは”事なかれ”に過ぎない。
見せることに対する後ろ向きな姿勢、もしくは尊大な態度が変われば、日本の芸術文化へのイメージはより開かれ身近なものになるだろう。
2017年8月31日木曜日
2017年8月12日土曜日
生きる者がつくる死
死、死、死。ニュースでは日々、誰かの死が伝えられる。交通事故、火事、転落、夏休み中のこの時期は「溺れた」、「流された」という水難も多い。その他に殺人事件も数日おきに報道される。いずれにせよ、ニュースになる死は、どれも「無かったはずの死」である。彼らのほとんど全員が、今日が自らの最後の日だとは思っていなかったはずだ。私たちと同様に、漠然と寿命まで生きると思っていたはずだし、大小さまざまな人生の予定を組んでいたのである。しかし、人生は断たれた。死によって、その人は人間社会から脱落し、彼らが歩むはずだった道は消える。
アクシデントによる死のニュースを聞くと、その人の”最後の苦しみ”を想像する。苦しみの果てに死があると、いつの頃からか信じているので、死んだ人は最大の苦しみを体験したのだろうと考えるのである。それは、私たち生きている人間は誰も体験したことの無いものだ。体験した人はすべからく死んでいるのだから。その、想像しうる最大限の苦しみやそれに付随する恐怖感を、望んでもいないのに経験しなければならなかった事の無念さを私たちは同情する。苦しかったろう、辛かったろうと。
ただ、その辛さも死によって消えた。生きている私たちが危険から遠ざかろうとするのは、痛みや辛さの記憶があるからである。私たちは、痛みを”知っている”。だが、死んでしまえば記憶もない。つまり苦しみも痛みも無い。当たり前のことだが、それがどういうものか、生きている側からは直感できない。命のないもの、例えば石も命がないが、では石のように考えなさいと言われてもそれは難しいのと同じである。命がない石は”考えない”。考えないことを考えなさい、とはどういうことか。これは、私たち生きている側の視点から見てしまうからおかしくなるのではないか。なにせ、生とか死とか分けるのは、生きている私たちだけなのだ。つまり、”考えない”は”考える”があって生まれる対の概念なのだから、”考える”がないのなら”考えない”もないのである。
死がどういうものか、死者を含め誰ひとりとして、体験しない。死は”生きている者”が作った対の概念である。別な言い方をすれば、死はこの世にしか存在しない。人は死ぬと死体となる。死と死体とは別物だ。
生きているとき、自分の体は自分の物だが、死体は死んだその人の物でさえ無い。死体はそれを”死体”と呼んでいるこの世の物、つまり生きている私たちの物である。これは実に奇妙に聞こえる。身体の所有権が自分から他者へ移ってしまうのか?実際はそうではなく、生きているときから、自分の身体は他者の物でもあるのだ。もちろんそれは物質的な身体ではなく、認識される身体としてであるが。つまり、死ぬことでその人の主観的認識だけが無くなるのである。それ以外は変わらない。こうして気付くことは、自己の認識と他者の認識とが、とても似通っているということだ。私たち人間は互いにそっくりで、相手の考えていることがなんとなく透けて見える。それは実は不思議なことではなく、他者の行動を自己として投影することで自意識が作られたからではないだろうか。その時、死体は理解不能な自己として映し出される。それは生きている限り未経験だからだ。死は生きている者が永遠にたどり着けない先であり、同時に死体はそれが起こった物質的証拠としてそこに横たわる。死が”生の先にあるもの”と感じられるのは、そんなところが理由の1つかもしれない。
死ぬと、生きていたことも忘れる。忘れるという概念すらない。時間は流れていないという物理理論があるそうだが、死を思うとそれも納得できる気になる。時を感じるのは生きている間だけなのだから。何年生きたのか、どう生きたのか、そういったことも死ねば全て無意味である。なにせ死ねば、死がないのだから、生もないのだ。
何でこんなことを考えているのか。生きているということを確認するためなのかもしれない。
アクシデントによる死のニュースを聞くと、その人の”最後の苦しみ”を想像する。苦しみの果てに死があると、いつの頃からか信じているので、死んだ人は最大の苦しみを体験したのだろうと考えるのである。それは、私たち生きている人間は誰も体験したことの無いものだ。体験した人はすべからく死んでいるのだから。その、想像しうる最大限の苦しみやそれに付随する恐怖感を、望んでもいないのに経験しなければならなかった事の無念さを私たちは同情する。苦しかったろう、辛かったろうと。
ただ、その辛さも死によって消えた。生きている私たちが危険から遠ざかろうとするのは、痛みや辛さの記憶があるからである。私たちは、痛みを”知っている”。だが、死んでしまえば記憶もない。つまり苦しみも痛みも無い。当たり前のことだが、それがどういうものか、生きている側からは直感できない。命のないもの、例えば石も命がないが、では石のように考えなさいと言われてもそれは難しいのと同じである。命がない石は”考えない”。考えないことを考えなさい、とはどういうことか。これは、私たち生きている側の視点から見てしまうからおかしくなるのではないか。なにせ、生とか死とか分けるのは、生きている私たちだけなのだ。つまり、”考えない”は”考える”があって生まれる対の概念なのだから、”考える”がないのなら”考えない”もないのである。
死がどういうものか、死者を含め誰ひとりとして、体験しない。死は”生きている者”が作った対の概念である。別な言い方をすれば、死はこの世にしか存在しない。人は死ぬと死体となる。死と死体とは別物だ。
生きているとき、自分の体は自分の物だが、死体は死んだその人の物でさえ無い。死体はそれを”死体”と呼んでいるこの世の物、つまり生きている私たちの物である。これは実に奇妙に聞こえる。身体の所有権が自分から他者へ移ってしまうのか?実際はそうではなく、生きているときから、自分の身体は他者の物でもあるのだ。もちろんそれは物質的な身体ではなく、認識される身体としてであるが。つまり、死ぬことでその人の主観的認識だけが無くなるのである。それ以外は変わらない。こうして気付くことは、自己の認識と他者の認識とが、とても似通っているということだ。私たち人間は互いにそっくりで、相手の考えていることがなんとなく透けて見える。それは実は不思議なことではなく、他者の行動を自己として投影することで自意識が作られたからではないだろうか。その時、死体は理解不能な自己として映し出される。それは生きている限り未経験だからだ。死は生きている者が永遠にたどり着けない先であり、同時に死体はそれが起こった物質的証拠としてそこに横たわる。死が”生の先にあるもの”と感じられるのは、そんなところが理由の1つかもしれない。
死ぬと、生きていたことも忘れる。忘れるという概念すらない。時間は流れていないという物理理論があるそうだが、死を思うとそれも納得できる気になる。時を感じるのは生きている間だけなのだから。何年生きたのか、どう生きたのか、そういったことも死ねば全て無意味である。なにせ死ねば、死がないのだから、生もないのだ。
何でこんなことを考えているのか。生きているということを確認するためなのかもしれない。
2017年8月10日木曜日
仁王像について
「あうんの呼吸」と言われる仁王像の阿形と吽形。二人ペアで、阿形が口を開け、吽形は閉じている。呼吸と言うのだから、2体のどちらかが息を吐いていて、どちらかが吸っているという事か。しかし、吽形の口は閉じている。ググってみても、阿形が息を吸って吽形が吐いていると説明しているものもあれば、その逆もある。ただし、「あ」も「うん」も、元々はその音を発声することらしく、つまり、本来は「あ・うん」はどちらも呼気(息を吐く)なのだ。「あ」と言うには口を開けるし、「うん」つまり「ん」と言うには口を閉じる。この対照的な口の姿勢と、発声とが結びついて形象化されたもののようだ。偶然なのか関連するのか、日本語の50音も「あ」から始まり「ん」で終わる。私たちは世界を言葉によって認識するのだから、「あ」から「ん」の間には世界の全要素が含まれることになる。西洋では同様に「アルファ・オメガ」と言う。
興福寺の金剛力士像を見ると、阿形は左脚重心、吽形は右脚重心で始まって、互いに対称の存在であることを示している。「あ」と「ん(うん)」が対称であるように、これら2体には対称的要素が多くちりばめられている。
二体を並べてみると、阿形はアゴを引いているのに対して、吽形のアゴは上がっている。それだけでなく、吽形は腰から上の上体が若干上向きに反っている。この姿勢から、吽形は息を肺に吸い込んで、その息を吐かずに喉の奥でぐっと”息んでいる”だと分かる。私たちも普段、何か重たい物を持ち上げる時などに、ぐっと息をこらえるものだが、それをしているのだ。背骨に肋骨が組み合わさってできている胸郭は、よく「心臓や肺の保護」のためと言われるが、一番の働きは呼吸である。肋骨を筋肉で持ち上げることで胸郭内腔を拡げて肺に空気を押し込んでいるである。だから胸郭は、呼吸のたびに動いている。一方で、胸郭の外側には多くの筋肉が付着していて、その中には腕を動かすものもある。効率的に大きな腕の力を発揮したいときには、胸郭がぐらぐらと動いてしまっては力が逃げてしまうので、息を吸い込んで胸郭を膨らませた状態にして息をこらえるのである。
繰り返すようだが、息を吸い込むということは胸郭を膨らませるということで、これを「胸を広げる」とも言うように、胸郭は若干反るような形になる。胸が反ればアゴも上がる。
吽形の右手は失われているが、復元した同様の像の写真を見ると、ぱっと開いた手のひらを胸郭の横の位置で、前面に向けている。左手は拳を握って腰の高さに下げているが、その腕の筋は膨隆している。これらの手の姿勢は、目に見えない何か重たいものを力を込めて押しているように見える。右手は前に向かって、左手は下に向かって。それら”見えぬもの”の質量は相当で、吽形は全身を力ませて応じている。そのような、関節運動を伴わない筋収縮を等尺性収縮と言うが、ここではそれが起きている。等尺性収縮では最大の筋活動量が発揮される。
それに対して阿形は、口を開き、アゴを引いていることから、口から息が出ている事が分かる。それも何かを発声している。私たちの呼吸の基本は「鼻呼吸」で、口でする呼吸はあくまでも補助である。吐く息を利用して声を出すようになったが、その際には、口腔内は共鳴装置としても働き、大きな音を出すときには、トランペットのように音の出口を大きく拡げる。阿形は、凄まじい大声を上げている。広げられた右手は反らすようにして、肘を力強く伸ばしている。手の甲側へ反った指が体側を向いている事から分かるように、その腕は肩から内旋している。前腕も回内位を取っている。肩関節から腕全体を内旋させる大きな力は、大胸筋が生み出す。阿形の腋にはピンと張った大胸筋が(若干、膜っぽいとは言え)現されている。仮に手を握って胸の前方へこの腕を伸ばすなら、それはボクサーがパンチを出したときのようになる。つまり、この腕は、素早く力強く腕を伸ばした瞬間が表されているのだ。阿形は伸ばした右手の方向を向いている。その方角から何者かが上がってきている。彼はそれを素早く右手で制し、声でも制圧しつつ、左手は次の一手に向けて力を溜め込んでいるようだ。その右腕の肘が完全に伸びていることからも、この腕は今、伸ばしきった瞬間であり、同様に高らかと上がった左肘もぐっと振り上げられた一瞬である。彼は激しく動いており、吽形と同じように筋が盛り上がっているとは言え、その働きは対照的である。このような関節運動を伴う筋収縮は等張性収縮と言う。
こうして見ると、阿形は動、吽形は静の力が表されていると分かる。また、視線を見比べると、阿形は近、吽形は遠を見ている。筋張力とその仕事で見れば、阿形は外、吽形は内である。
様々な要素が対照的に表されている仁王像だが、両者で共通していることは、非常な緊張状態にあるということだ。ただ、彼らは怒っている訳では無く、制止制圧しようと必死なのだ。彼らの高緊張状態は何と対照しているのかと言えば、本殿にいる本尊であろう。仁王たちが何か邪悪なものを制止制圧しているからこそ、本尊は優しく穏やかでいられるのである。その関係性は、私たちの健康と免疫系に似ている。免疫系は常に体内の異物に目を光らせ制止制圧を続けている。免疫に安息はなく、もし人の姿を取れるなら仁王のようだろう。
興福寺の金剛力士像は、身近な寺にあるような仁王像は違って、その身体表現に写実性がある。西洋のような方向では無いが、それでもこれは相当な観察を要しただろうし、その効果を作品上に高度に反映させるのは誰にでもできるものではない。それでも、大胸筋の下の両側に見える前鋸筋と外腹斜筋が作る起伏などは様式性が強く出ていると思っていたが、先日、筋量の多い男性モデルで、本当にこのような見え方をしていて驚いた。胸郭から腹に変わる部分の肋軟骨でできる上向きのカーブを肋骨弓と言うが、仁王像の多くがこれが幾つもの連続した起伏で表現されている。そういうことは無いだろうと思い込んでいたが、その男性モデルでは肋骨弓をまたぐ外腹斜筋の筋尖が厚みを持っていて連続する起伏として現れていたのである。これによって胸郭には、外側から内側へ、前鋸筋、外腹斜筋の胸郭部、外腹斜筋の肋骨弓部の3列ができる。それぞれが筋尖の起伏をもつために、時に亀甲様の連続性を見出すことがある。
また、腹部の表現も、現代人が見慣れた西洋風な6つに割れた腹筋というものが表されていない。これも同じ男性モデルは筋量が多いにも関わらず、腹直筋の縦の割れ線(白線という)などは目立たず、金剛力士像を彷彿とさせるものだった。そもそも、”割れた腹筋”が力強さの象徴としては見られていなかったという事はこれらの像から分かる。金剛力士像を見ていると、これにもし腹直筋の縦線があったら、体表起伏のリズムが崩れるように思われる。
仁王像は、ギリシア由来の西洋美術を見慣れつつある現代人(私)の目で見ると、極端な様式化と観察に基づく正確さとの調和に違和感を覚えることもあるのだが、細かく検討していくと、その形態から興味深いものが見えてくるのかもしれない。
興福寺の金剛力士像を見ると、阿形は左脚重心、吽形は右脚重心で始まって、互いに対称の存在であることを示している。「あ」と「ん(うん)」が対称であるように、これら2体には対称的要素が多くちりばめられている。
二体を並べてみると、阿形はアゴを引いているのに対して、吽形のアゴは上がっている。それだけでなく、吽形は腰から上の上体が若干上向きに反っている。この姿勢から、吽形は息を肺に吸い込んで、その息を吐かずに喉の奥でぐっと”息んでいる”だと分かる。私たちも普段、何か重たい物を持ち上げる時などに、ぐっと息をこらえるものだが、それをしているのだ。背骨に肋骨が組み合わさってできている胸郭は、よく「心臓や肺の保護」のためと言われるが、一番の働きは呼吸である。肋骨を筋肉で持ち上げることで胸郭内腔を拡げて肺に空気を押し込んでいるである。だから胸郭は、呼吸のたびに動いている。一方で、胸郭の外側には多くの筋肉が付着していて、その中には腕を動かすものもある。効率的に大きな腕の力を発揮したいときには、胸郭がぐらぐらと動いてしまっては力が逃げてしまうので、息を吸い込んで胸郭を膨らませた状態にして息をこらえるのである。
繰り返すようだが、息を吸い込むということは胸郭を膨らませるということで、これを「胸を広げる」とも言うように、胸郭は若干反るような形になる。胸が反ればアゴも上がる。
吽形の右手は失われているが、復元した同様の像の写真を見ると、ぱっと開いた手のひらを胸郭の横の位置で、前面に向けている。左手は拳を握って腰の高さに下げているが、その腕の筋は膨隆している。これらの手の姿勢は、目に見えない何か重たいものを力を込めて押しているように見える。右手は前に向かって、左手は下に向かって。それら”見えぬもの”の質量は相当で、吽形は全身を力ませて応じている。そのような、関節運動を伴わない筋収縮を等尺性収縮と言うが、ここではそれが起きている。等尺性収縮では最大の筋活動量が発揮される。
それに対して阿形は、口を開き、アゴを引いていることから、口から息が出ている事が分かる。それも何かを発声している。私たちの呼吸の基本は「鼻呼吸」で、口でする呼吸はあくまでも補助である。吐く息を利用して声を出すようになったが、その際には、口腔内は共鳴装置としても働き、大きな音を出すときには、トランペットのように音の出口を大きく拡げる。阿形は、凄まじい大声を上げている。広げられた右手は反らすようにして、肘を力強く伸ばしている。手の甲側へ反った指が体側を向いている事から分かるように、その腕は肩から内旋している。前腕も回内位を取っている。肩関節から腕全体を内旋させる大きな力は、大胸筋が生み出す。阿形の腋にはピンと張った大胸筋が(若干、膜っぽいとは言え)現されている。仮に手を握って胸の前方へこの腕を伸ばすなら、それはボクサーがパンチを出したときのようになる。つまり、この腕は、素早く力強く腕を伸ばした瞬間が表されているのだ。阿形は伸ばした右手の方向を向いている。その方角から何者かが上がってきている。彼はそれを素早く右手で制し、声でも制圧しつつ、左手は次の一手に向けて力を溜め込んでいるようだ。その右腕の肘が完全に伸びていることからも、この腕は今、伸ばしきった瞬間であり、同様に高らかと上がった左肘もぐっと振り上げられた一瞬である。彼は激しく動いており、吽形と同じように筋が盛り上がっているとは言え、その働きは対照的である。このような関節運動を伴う筋収縮は等張性収縮と言う。
こうして見ると、阿形は動、吽形は静の力が表されていると分かる。また、視線を見比べると、阿形は近、吽形は遠を見ている。筋張力とその仕事で見れば、阿形は外、吽形は内である。
様々な要素が対照的に表されている仁王像だが、両者で共通していることは、非常な緊張状態にあるということだ。ただ、彼らは怒っている訳では無く、制止制圧しようと必死なのだ。彼らの高緊張状態は何と対照しているのかと言えば、本殿にいる本尊であろう。仁王たちが何か邪悪なものを制止制圧しているからこそ、本尊は優しく穏やかでいられるのである。その関係性は、私たちの健康と免疫系に似ている。免疫系は常に体内の異物に目を光らせ制止制圧を続けている。免疫に安息はなく、もし人の姿を取れるなら仁王のようだろう。
興福寺の金剛力士像は、身近な寺にあるような仁王像は違って、その身体表現に写実性がある。西洋のような方向では無いが、それでもこれは相当な観察を要しただろうし、その効果を作品上に高度に反映させるのは誰にでもできるものではない。それでも、大胸筋の下の両側に見える前鋸筋と外腹斜筋が作る起伏などは様式性が強く出ていると思っていたが、先日、筋量の多い男性モデルで、本当にこのような見え方をしていて驚いた。胸郭から腹に変わる部分の肋軟骨でできる上向きのカーブを肋骨弓と言うが、仁王像の多くがこれが幾つもの連続した起伏で表現されている。そういうことは無いだろうと思い込んでいたが、その男性モデルでは肋骨弓をまたぐ外腹斜筋の筋尖が厚みを持っていて連続する起伏として現れていたのである。これによって胸郭には、外側から内側へ、前鋸筋、外腹斜筋の胸郭部、外腹斜筋の肋骨弓部の3列ができる。それぞれが筋尖の起伏をもつために、時に亀甲様の連続性を見出すことがある。
また、腹部の表現も、現代人が見慣れた西洋風な6つに割れた腹筋というものが表されていない。これも同じ男性モデルは筋量が多いにも関わらず、腹直筋の縦の割れ線(白線という)などは目立たず、金剛力士像を彷彿とさせるものだった。そもそも、”割れた腹筋”が力強さの象徴としては見られていなかったという事はこれらの像から分かる。金剛力士像を見ていると、これにもし腹直筋の縦線があったら、体表起伏のリズムが崩れるように思われる。
仁王像は、ギリシア由来の西洋美術を見慣れつつある現代人(私)の目で見ると、極端な様式化と観察に基づく正確さとの調和に違和感を覚えることもあるのだが、細かく検討していくと、その形態から興味深いものが見えてくるのかもしれない。
2017年8月8日火曜日
ミケランジェロのダヴィデ像のポーズをモデルに取らせて
2017年8月5日に朝日カルチャーセンターで行った、ミケランジェロのダヴィデ像のポーズを男性モデルに取ってもらいそれを観察する講座では、興味深い発見が幾つかあった。
ダヴィデ像は、特徴的で人々の記憶に残りやすい姿勢をしている。いわゆる片脚重心の姿勢で、休めの姿勢とも普通に言われる。美術用語ではコントラポストとも言われるこの姿勢は、古代ギリシア時代の彫刻に初めて採用されてから、現代まで選ばれ続ける、立位ポーズの”黄金基準”である。ミケランジェロの他の作品では、彫刻でも絵画でも、これよりずっと激しく身をよじったポーズが多い。その中にあってダヴィデ像が比較的静かなポーズなのは、この像が掘り出される前の大理石の原石が、すでに切り出され、別の彫刻家によって掘り始められた途中でうち捨てられていたという原因がある。幅に対して厚みが無く、一部には穴が開けられた状態だった原石から、この作品は制作された。厚みが無ければ、鑑賞される方向が限定され、正面性の強い作品となる。実際、この像は腹側から見られることがほとんどで、背中側や横から見られることはあまりない。
今回、男性モデルに同じ姿勢を取ってもらって、すぐに気付いたことは、静止状態では重心の位置が異なるという事実である。ダヴィデ像と同じ右脚重心であるにも関わらず、腰から上の体は像よりずっと左側にある。つまり、腰から上は左右の脚の間に乗っているようにある。それだけではない。モデルの骨盤の前面はダヴィデ像より左を向いている。つまり、左の股関節から下腹部前面は遠ざかるように回旋していて、言い換えれば、右脚は骨盤に対して外旋位を取っている。通常なら、休めの姿勢を取ると、立脚に対して骨盤は内旋するのである。しかしそれはささやかな動きなので、身体部位の重量が異なる個人では外旋に転じることもあるのかも知れない。また、今回のポーズは左脚を投げ出しているので、そちらに重量が引っ張られて外旋したのかも知れない。一方のダヴィデ像では、腹部前面はモデルほど外旋せずにいる。
この2つの要素、すなわち、左側に寄った上体の重心と、左脚側を向いた上体を、ダヴィデ像のように修正しようとすると、それは”一瞬なら”できるが、そのままで立ち続けることはできないことが分かった。無理にこのポーズを維持しようとすると、それはもはや片脚重心とは言い難い、自然に反したものである。これから推測されることは、ダヴィデ像は休めの姿勢を取っているのではないという事実である。確かに、巨人ゴリアテとこれから闘おうとしている人物が、のんびり休んでいるはずがない。彼の姿勢は、意識的に力を入れて、巨人がいるのとは反対側へ体重を移動させた、その瞬間が表されているのである。この姿勢で、右脚側に重心が乗っているのはほんの一瞬だけだろう。次の瞬間には重心は再び左側へと揺らいでいく。ちょうど、振り子が揺れて、反対側へと動き出す一瞬前に止まる、あの一時である。
ミケランジェロは革新的なポーズの数々を生み出した芸術家だが、このダヴィデ像もまた、素晴らしい創意が込められているようだ。それを、このように調和的なポーズにまとめ上げるセンスは唯一無二である。
ところで、ダヴィデの手をよく見たことがあるだろうか。全身をぱっと見ただけだと、裸の若者が立っているだけにも見えるが、その両手は軽く握られている。また、あまり見られない背中を見るとそこには左肩から右腰にかけてベルトのようなものが斜めに掛けられていることが分かる。ダヴィデはこの後に始まる戦いのために、投石器(スリング)を持っているのである。肩まで持ち上げられた左手には、石を挟んだスリングを持ち、降ろした右手にはスリング両端をまとめた部分を隠し持っている。この事から、ダヴィデは右利きだと分かる。次の瞬間には、狙いを定めて左手を離し右手でスリングを振り回したかと思うとその片端を指から離す。それと同時に遠心力から解き放たれた石は凄まじい速度で敵の巨人へと飛んでいくのである。
ミケランジェロは投石器を正面から一切目に入らないようにしている。もし、スリングが体の前面にあったなら、視覚的に非常に説明的なポーズとなり、現在のような感動を呼ぶものにはならなかった。多くの芸術家は、作品に語らせようと努力しすぎる余り、そういった失敗に陥りがちである。彫刻は動かず鑑賞者は動く、という当然の前提を信じることが、ダヴィデ像のような鑑賞の幅を維持した作品を産むのだろう。
また、ダヴィデ像との関連性とは別に、今回の男性モデルは、外腹斜筋の上部(第5、6、7肋骨起始部)が鍛えられており、肋骨弓をまたぐように筋尖のひとつひとつが目立った。肋骨弓を筋尖で割る表現は古代ギリシアでもあまりなく、ダヴィデ像もそれほど強調されていない。この肋骨弓部の外側には、外腹斜筋と前鋸筋の交差部がある。これらの要素がひとまとまりになると、大胸筋の下の胸郭部に特徴的な小さな起伏の繰り返しが現れる。それは、お寺の門にいる仁王像の胸筋下の亀甲模様の起伏を彷彿とさせる。実際この男性モデルは、典型的な東洋人体型で、すらりとした逆三角形のダヴィデ体型と言うより、仁王像や金剛力士像を思い出させた。地方の小さなお寺の仁王像では、この前鋸筋と外腹斜筋の交差部の表現がすっかり様式化して六角形のタイルがはめ込まれているようなものも多く、タイルのピースが一列多いのじゃないか、などと思ったりもしていたのが、実際にそう見える事もあるという、新鮮な発見であった。
ダヴィデ像は、特徴的で人々の記憶に残りやすい姿勢をしている。いわゆる片脚重心の姿勢で、休めの姿勢とも普通に言われる。美術用語ではコントラポストとも言われるこの姿勢は、古代ギリシア時代の彫刻に初めて採用されてから、現代まで選ばれ続ける、立位ポーズの”黄金基準”である。ミケランジェロの他の作品では、彫刻でも絵画でも、これよりずっと激しく身をよじったポーズが多い。その中にあってダヴィデ像が比較的静かなポーズなのは、この像が掘り出される前の大理石の原石が、すでに切り出され、別の彫刻家によって掘り始められた途中でうち捨てられていたという原因がある。幅に対して厚みが無く、一部には穴が開けられた状態だった原石から、この作品は制作された。厚みが無ければ、鑑賞される方向が限定され、正面性の強い作品となる。実際、この像は腹側から見られることがほとんどで、背中側や横から見られることはあまりない。
今回、男性モデルに同じ姿勢を取ってもらって、すぐに気付いたことは、静止状態では重心の位置が異なるという事実である。ダヴィデ像と同じ右脚重心であるにも関わらず、腰から上の体は像よりずっと左側にある。つまり、腰から上は左右の脚の間に乗っているようにある。それだけではない。モデルの骨盤の前面はダヴィデ像より左を向いている。つまり、左の股関節から下腹部前面は遠ざかるように回旋していて、言い換えれば、右脚は骨盤に対して外旋位を取っている。通常なら、休めの姿勢を取ると、立脚に対して骨盤は内旋するのである。しかしそれはささやかな動きなので、身体部位の重量が異なる個人では外旋に転じることもあるのかも知れない。また、今回のポーズは左脚を投げ出しているので、そちらに重量が引っ張られて外旋したのかも知れない。一方のダヴィデ像では、腹部前面はモデルほど外旋せずにいる。
この2つの要素、すなわち、左側に寄った上体の重心と、左脚側を向いた上体を、ダヴィデ像のように修正しようとすると、それは”一瞬なら”できるが、そのままで立ち続けることはできないことが分かった。無理にこのポーズを維持しようとすると、それはもはや片脚重心とは言い難い、自然に反したものである。これから推測されることは、ダヴィデ像は休めの姿勢を取っているのではないという事実である。確かに、巨人ゴリアテとこれから闘おうとしている人物が、のんびり休んでいるはずがない。彼の姿勢は、意識的に力を入れて、巨人がいるのとは反対側へ体重を移動させた、その瞬間が表されているのである。この姿勢で、右脚側に重心が乗っているのはほんの一瞬だけだろう。次の瞬間には重心は再び左側へと揺らいでいく。ちょうど、振り子が揺れて、反対側へと動き出す一瞬前に止まる、あの一時である。
ミケランジェロは革新的なポーズの数々を生み出した芸術家だが、このダヴィデ像もまた、素晴らしい創意が込められているようだ。それを、このように調和的なポーズにまとめ上げるセンスは唯一無二である。
ところで、ダヴィデの手をよく見たことがあるだろうか。全身をぱっと見ただけだと、裸の若者が立っているだけにも見えるが、その両手は軽く握られている。また、あまり見られない背中を見るとそこには左肩から右腰にかけてベルトのようなものが斜めに掛けられていることが分かる。ダヴィデはこの後に始まる戦いのために、投石器(スリング)を持っているのである。肩まで持ち上げられた左手には、石を挟んだスリングを持ち、降ろした右手にはスリング両端をまとめた部分を隠し持っている。この事から、ダヴィデは右利きだと分かる。次の瞬間には、狙いを定めて左手を離し右手でスリングを振り回したかと思うとその片端を指から離す。それと同時に遠心力から解き放たれた石は凄まじい速度で敵の巨人へと飛んでいくのである。
ミケランジェロは投石器を正面から一切目に入らないようにしている。もし、スリングが体の前面にあったなら、視覚的に非常に説明的なポーズとなり、現在のような感動を呼ぶものにはならなかった。多くの芸術家は、作品に語らせようと努力しすぎる余り、そういった失敗に陥りがちである。彫刻は動かず鑑賞者は動く、という当然の前提を信じることが、ダヴィデ像のような鑑賞の幅を維持した作品を産むのだろう。
また、ダヴィデ像との関連性とは別に、今回の男性モデルは、外腹斜筋の上部(第5、6、7肋骨起始部)が鍛えられており、肋骨弓をまたぐように筋尖のひとつひとつが目立った。肋骨弓を筋尖で割る表現は古代ギリシアでもあまりなく、ダヴィデ像もそれほど強調されていない。この肋骨弓部の外側には、外腹斜筋と前鋸筋の交差部がある。これらの要素がひとまとまりになると、大胸筋の下の胸郭部に特徴的な小さな起伏の繰り返しが現れる。それは、お寺の門にいる仁王像の胸筋下の亀甲模様の起伏を彷彿とさせる。実際この男性モデルは、典型的な東洋人体型で、すらりとした逆三角形のダヴィデ体型と言うより、仁王像や金剛力士像を思い出させた。地方の小さなお寺の仁王像では、この前鋸筋と外腹斜筋の交差部の表現がすっかり様式化して六角形のタイルがはめ込まれているようなものも多く、タイルのピースが一列多いのじゃないか、などと思ったりもしていたのが、実際にそう見える事もあるという、新鮮な発見であった。
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