2017年8月8日火曜日

ミケランジェロのダヴィデ像のポーズをモデルに取らせて

 2017年8月5日に朝日カルチャーセンターで行った、ミケランジェロのダヴィデ像のポーズを男性モデルに取ってもらいそれを観察する講座では、興味深い発見が幾つかあった。

 ダヴィデ像は、特徴的で人々の記憶に残りやすい姿勢をしている。いわゆる片脚重心の姿勢で、休めの姿勢とも普通に言われる。美術用語ではコントラポストとも言われるこの姿勢は、古代ギリシア時代の彫刻に初めて採用されてから、現代まで選ばれ続ける、立位ポーズの”黄金基準”である。ミケランジェロの他の作品では、彫刻でも絵画でも、これよりずっと激しく身をよじったポーズが多い。その中にあってダヴィデ像が比較的静かなポーズなのは、この像が掘り出される前の大理石の原石が、すでに切り出され、別の彫刻家によって掘り始められた途中でうち捨てられていたという原因がある。幅に対して厚みが無く、一部には穴が開けられた状態だった原石から、この作品は制作された。厚みが無ければ、鑑賞される方向が限定され、正面性の強い作品となる。実際、この像は腹側から見られることがほとんどで、背中側や横から見られることはあまりない。


 今回、男性モデルに同じ姿勢を取ってもらって、すぐに気付いたことは、静止状態では重心の位置が異なるという事実である。ダヴィデ像と同じ右脚重心であるにも関わらず、腰から上の体は像よりずっと左側にある。つまり、腰から上は左右の脚の間に乗っているようにある。それだけではない。モデルの骨盤の前面はダヴィデ像より左を向いている。つまり、左の股関節から下腹部前面は遠ざかるように回旋していて、言い換えれば、右脚は骨盤に対して外旋位を取っている。通常なら、休めの姿勢を取ると、立脚に対して骨盤は内旋するのである。しかしそれはささやかな動きなので、身体部位の重量が異なる個人では外旋に転じることもあるのかも知れない。また、今回のポーズは左脚を投げ出しているので、そちらに重量が引っ張られて外旋したのかも知れない。一方のダヴィデ像では、腹部前面はモデルほど外旋せずにいる。
 この2つの要素、すなわち、左側に寄った上体の重心と、左脚側を向いた上体を、ダヴィデ像のように修正しようとすると、それは”一瞬なら”できるが、そのままで立ち続けることはできないことが分かった。無理にこのポーズを維持しようとすると、それはもはや片脚重心とは言い難い、自然に反したものである。これから推測されることは、ダヴィデ像は休めの姿勢を取っているのではないという事実である。確かに、巨人ゴリアテとこれから闘おうとしている人物が、のんびり休んでいるはずがない。彼の姿勢は、意識的に力を入れて、巨人がいるのとは反対側へ体重を移動させた、その瞬間が表されているのである。この姿勢で、右脚側に重心が乗っているのはほんの一瞬だけだろう。次の瞬間には重心は再び左側へと揺らいでいく。ちょうど、振り子が揺れて、反対側へと動き出す一瞬前に止まる、あの一時である。

 ミケランジェロは革新的なポーズの数々を生み出した芸術家だが、このダヴィデ像もまた、素晴らしい創意が込められているようだ。それを、このように調和的なポーズにまとめ上げるセンスは唯一無二である。
 ところで、ダヴィデの手をよく見たことがあるだろうか。全身をぱっと見ただけだと、裸の若者が立っているだけにも見えるが、その両手は軽く握られている。また、あまり見られない背中を見るとそこには左肩から右腰にかけてベルトのようなものが斜めに掛けられていることが分かる。ダヴィデはこの後に始まる戦いのために、投石器(スリング)を持っているのである。肩まで持ち上げられた左手には、石を挟んだスリングを持ち、降ろした右手にはスリング両端をまとめた部分を隠し持っている。この事から、ダヴィデは右利きだと分かる。次の瞬間には、狙いを定めて左手を離し右手でスリングを振り回したかと思うとその片端を指から離す。それと同時に遠心力から解き放たれた石は凄まじい速度で敵の巨人へと飛んでいくのである。
 ミケランジェロは投石器を正面から一切目に入らないようにしている。もし、スリングが体の前面にあったなら、視覚的に非常に説明的なポーズとなり、現在のような感動を呼ぶものにはならなかった。多くの芸術家は、作品に語らせようと努力しすぎる余り、そういった失敗に陥りがちである。彫刻は動かず鑑賞者は動く、という当然の前提を信じることが、ダヴィデ像のような鑑賞の幅を維持した作品を産むのだろう。

 また、ダヴィデ像との関連性とは別に、今回の男性モデルは、外腹斜筋の上部(第5、6、7肋骨起始部)が鍛えられており、肋骨弓をまたぐように筋尖のひとつひとつが目立った。肋骨弓を筋尖で割る表現は古代ギリシアでもあまりなく、ダヴィデ像もそれほど強調されていない。この肋骨弓部の外側には、外腹斜筋と前鋸筋の交差部がある。これらの要素がひとまとまりになると、大胸筋の下の胸郭部に特徴的な小さな起伏の繰り返しが現れる。それは、お寺の門にいる仁王像の胸筋下の亀甲模様の起伏を彷彿とさせる。実際この男性モデルは、典型的な東洋人体型で、すらりとした逆三角形のダヴィデ体型と言うより、仁王像や金剛力士像を思い出させた。地方の小さなお寺の仁王像では、この前鋸筋と外腹斜筋の交差部の表現がすっかり様式化して六角形のタイルがはめ込まれているようなものも多く、タイルのピースが一列多いのじゃないか、などと思ったりもしていたのが、実際にそう見える事もあるという、新鮮な発見であった。

0 件のコメント: