2014年12月9日火曜日

「パッコロリン」の寂しさ


 NHKのEテレ幼児向け番組「おかあさんといっしょ」の最後に、「パッコロリン」というショートストーリーアニメがある。丸、三角、四角の頭の形をした幼児がキャラクターで、一番下が2歳くらい、次が3〜4歳、上が5歳くらいか。いつも一緒でほのぼの物語がごく短い時間に流れるのだが、大人が観ると何か寂しさを感じる。それは、そこに親の存在感が全く欠けているからだ。例えば、夜の就寝時でも3人だけ。ケーキを食べていても3人だけ。いつも楽しそうな3人だが、人間であれば本来そこに必ず居るであろう親が全く出てこないし、その気配さえ描かれない。親がいないのに、3人にとってはそれが当然、つまりそもそも親という存在さえ知らないかのように映る。もちろん、制作側は単純に子供向けの短編作品の要素を絞り込んだだけのことなのだろう。しかし、描かれているキャラクターとその物語は明らかに”人間界の幼児風”なので、見る側の私はどうしても親の不在に違和感を感じてしまう。

 しかし、彼らをよく見ると頭から触覚が出ている。どうやら彼らは人間ではなく虫だ。虫は親不在で卵から孵る。そうであれば描かれているとおり、彼らは親の存在を知らずその事を寂しいとも思わない。近い時間に近くで卵から孵った3匹が兄弟として一時を一緒に過ごしている。キャラクターが虫であることで、3匹だけの登場人物に説得力を持たせられる。

 彼らが虫だと仮定してもなお、哺乳類である私たちがそれを観る限り、けっきょく親不在で3人の幼児が屈託なく楽しそうにしている様には健気さと同時に寂しさを感じてしまうのだ。