この日米の両者を並べてみると興味深い差異が見られた。
まず、両者の身長。人形の大きさは購買対象の女児が扱いやすいものになっているはずだ。両者を並べるとケンが頭半分ほど大きい。下に引いたグリッドは1センチなので、ケンが31センチ、パパが28センチほどである。仮にパパが身長170センチならば、ケンの身長は188センチとなる。なかなか現実味のある身長差だ。ところが、衣服を外して見ると興味深い真実が現れる。
裸にした2つの人形で共通しているのは、胸部つまり大胸筋の強調である。鍛えられた“厚い胸”がたくましい男性のイメージとしていかに重要なのかが見て取れる。面白いのは、ケンでは頚まで太く、それは腕も同様であるのに対して、パパでは頚も腕も細い。似た傾向は脚でも見られる。ケンのシリーズは幅広く、スーツ姿から海パン一丁のものまであるので、腕や脚の肉体描写も重要なのだろうが、それ以上に日米における身体性の捉え方の違いが根底にはあるように思える。
下半身では、どちらも外性器の描写は一切ない。つまり、その位置にわずかな膨らみさえ表現していない。外性器に独立した意識があったなら、この歴史的な無視に対してどのような声を挙げるのだろうか。ともあれ、そこで面白いのがケンのウエスト周りに造形されているベルトのようなレリーフだ。なぜ裸にベルトが?と思ったが、これはベルトと言うより“パンツのゴム”であろう。そう見ると確かに脚と胴体の関節部にも布の折り返しのような造形表現が見られる。人形を後ろから見ると、お尻の割れ目がケンでは表現されていないことも彼がパンツを履いている事を示している。つまり脱着可能な衣服を取り除いても、ケンはパンツだけは手放さなずに履いているのである。そうすれば、男性器が造形されていないことへの言い訳になる。つまり、男性器の存在を無かったことにしているのは日本のパパの方だけであった。
パンツの表現 |
ケンは裸体での体のラインを重視した脚の連結のために、股関節の可動範囲はパパほどではない。例えば、股関節屈曲は90度に達さない。そのため、床に脚を伸ばして座らせようとすると、若干後ろへ仰け反ったような姿勢になる。逆方向、つまり股関節の過伸展はケンでは35度ほどであるが、パパは90度でも曲がる。この場合、より実際の人間の股関節可動域に近いのはケンだと言える。
ケンの脚は直角まで曲がらない |
腕は肩関節から外転する |
頭部は、ケンもパパも中空の柔軟性のある樹脂でできていて、それを頚の上端にはめ込んでいる。可能な運動はどちらの人形も左右の回旋のみである。
ここで、シリーズの主人公であるリカちゃんも比較してみたい。リカちゃんをグリッドに置くと、およそ23センチで、パパよりも頭ひとつ分以上小さい。パパが170センチならばリカちゃんはおよそ140センチで、これは10歳から11歳の平均身長である。
前面からの裸のリカちゃんでは、年齢に合わない誇張された乳房が目立つ。これは人形で遊ぶ女児の憧れ、つまり“綺麗なお姉さん”としての役割が人形に与えられていると言うことだろう。リカちゃんの胴体は上下が別体で、そこから回旋が可能である。これはパパやケンにもない可動部である。一方の肩関節は、すでに述べたが、体の側面で回転するだけの単純なものだ。股関節も同様である。腕と脚は使われている樹脂が柔軟でよく曲げることができる。指先で押しつぶすとわかるが、上腕部は中空になっていて特に柔軟である。そのためパパと同様に、腕を両側から内側へと押すことで、両手で物を持つ動作が可能である。脚も柔軟性を活かして脚を組んだり開かせることが多少は可能である。いずれも、中に針金を入れて曲げた姿勢を維持できる“ベンダブル(Bendable)”ではない。
首をかしげる |
体型がわずかに異なる |
平面的で正面性の強い顔面 |
立体的で構造的な顔面 |
髪は一体成型で、着色によって分けているのみだ。顔面では、眉と目と口が着色され、特に目のまぶたは造形されず色分けのみなのはどちらも同様である。しかし、顔面を含む頭部の構造的な造形はケンのみに見られる。そのために、光による陰影はケンは写実的であり、パパはそうではない。決定的なのは目の周囲の造形で、パパの目は正面からの“平面画”で、側面から見るとその平坦な様がよくわかる。側面から見たパパの顎から耳にかけてのラインと耳の後ろから後頭部へのラインも全く造形されていない。これらは、作れなかったと言うより、作る必要性が考慮されていないと見なせるものだ。これらから言えることは、この頭部はほとんど正面性だけで作られているという事実である。この点でケンは全く異なり、下顎のラインは耳介の前下方へ向かっていて、それが頭部領域と頚部領域とを明確に分けている。この部分の胴体側の頚部は単なる円柱だが、そこから下へおりて首の付け根に至ると主要な筋構造、胸鎖乳突筋と僧帽筋の起伏が表現されている。また、僧帽筋と鎖骨の間の窪んだ大鎖骨上窩がよく目立つ。一方のパパでは、頚部は終始円柱に過ぎず、僧帽筋の表現も皆無である。鎖骨の下にある大胸筋は両者ともに表現されているが、現実味のあるのはやはりケンで、外側が胸郭へと切り込んだ造形は鍛えられた大胸筋の見え方に真実味を与えている。その下に続くアーチ状の起伏(肋骨弓)と、その下の腹直筋のレリーフも調和を持ち、わずかに正中の溝を押し下げてヘソを表し、その下にはもはや溝が見られないが、これは実際の人体の見え方と同様である。また、胸郭の両側面には縦に走る起伏が造形されており、正面から見た時に上半身の逆三角形型を強調している。これは広背筋だが、実際よりも垂直に落ち過ぎている。しかし、胸郭の下部にある別の前鋸筋の下部筋尖が盛り上がっていると、それが広背筋の起伏と合わさることでケンの様に見える事もある。
西洋彫刻的なケンの体幹 |
背部を見ると、パパでは肩甲骨の起伏が目に入る。しかし、それと胴体下部の殿裂以外には現実味のあるレリーフ表現はない。一方でケンは、背部にも多くの現実的な要素を造形している。ケンの背中で肩甲骨の起伏は見られない。しかし、それを無視しているのではなく、肩甲骨周囲の筋が発達した状態が造形されているのである。例えば、肩甲骨下角に当たる部位に膨らみがあるがこれは大円筋である。また、それより内側に上下方向の起伏が見えるがこれは僧帽筋の上行部である。しかし、両筋ともに実際よりも若干位置が高い。それより下には、背骨の両側に脊柱起立筋の力強い膨らみが見られる。腰部でちょうどメーカーのロゴが入っている部位が筋が皮下で胸腰筋膜に包まれている部位である。
背面の筋も造形されている |
上がケン、下がパパ |
写実的なケンの脚 |
写実的なケンの足 |
ここまで見てきて、リカちゃんのパパとバービーのケンの身体表現が全くと言っていいほど異なっていることがわかった。ケンの身体表現は意識的で、身体の解剖学的な構造と美術における身体表現の一通りが理解された上で作られている。引き伸ばされた四肢などは16世紀のマニエリスム彫刻を思わせるようなところさえある。頭身数はケンが7強で、パパはほぼ7である。
ケンの造形理念とは真逆を向いているようなリカちゃんパパの体を見ると、そもそも服の下の肉体が存在しないかのように思える。パパの肘や膝がわずかに曲がっているのは、着衣時に直線的になりすぎるのを防ぐためだろう。手と足は衣服から出るので、指まで作ってあるが、それでも現実味のあるものではなく、あくまでも素早く描いた少女漫画のペン画を立体化したような概念的なものだ。パパやリカちゃんの乳房の造形も着衣時の衣服に現れる起伏を目的とした“当て物”としての造形に見える。リカちゃんやパパの手を見ていて思い出したのが、雛人形の手だ。雛人形の着物の下には肉体は無い。胴体は藁や樹脂の塊で、腕は左右に通した針金に藁を詰めた和紙の円錐を差しはめてあるに過ぎない。その針金の両端に手だけが差し込まれる。そのノッペリとした手はリカちゃんやパパの手とそっくりである。
裸を想定していない造形 |
一方でケンの体には骨格があり、それを厚い筋肉が覆っている。彼は間違いなくその肉体で生きていて、薄い衣服は容易にその機能的肉体のシルエットを浮かび上がらせる。彼を動かす主体はあくまでも肉体である。衣服は機能的な纏わせ物に過ぎず、必要ならばいつでもそれを脱ぐ準備はできている。パンツを除いては。
着せ替え人形と言っても、そこには身体の捉え方の文化的差異が見えるようでなかなか興味深い。
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