2014年9月15日月曜日

告知 「人体描写のスキルアップ」講座が始まります

 お陰様で続いている「人体描写のスキルアップ」講座の新規タームが10月より始まります。

 解剖学にもとづいた視点で人体を見ることで、構造的にしっかりと捉えられることを目指します。
 これは言わば、描写力を引き上げるブースターのようなもの。身につけることで、より早く、高く登ることを可能にします。

 10月からの3回は、体の中心である体幹に特に注目します。いつもどおり、男性・女性ヌードクロッキーではモデルさんを前に解説をいたします。

 詳細はここをクリックして朝日カルチャーセンターのサイトをご覧下さい。

2014年9月7日日曜日

レオナルド・ダ・ヴィンチ解剖図「腕と背中の筋」1508年


全体図(18.9×13.7㎝)

背中の筋を拡大
1 僧帽筋
2 三角筋
3 棘下筋
4 大円筋
5 聴診三角
6 広背筋に覆われた胸郭部
7 前鋸筋を覆う広背筋
8 胸最長筋と腰腸肋筋
9 外腹斜筋
10 外腹斜筋の胸郭部
11 多裂筋
12 中殿筋
13 大殿筋
14 大腿筋膜張筋 
白色 非筋肉部


 1の僧帽筋の脊柱部にある白抜き部は第7頸椎棘突起であり、その周囲の腱膜部位(腱鏡とも)でもある。2の三角筋はその隆起が肩峰部と肩甲棘部とに分けられている。5は僧帽筋、肩甲骨内側縁、広背筋上縁の間に構成される「聴診三角」に相当するが、筋隆起のように膨らみとして表されている。7は再浅部は広背筋だが、外側への膨らみはその深部にある前鋸筋も寄与している。8の大きな膨らみは、その内側が胸最長筋で外側が腰腸肋筋のそれぞれ筋腹に相当する。

 男性の背中に浮き上がる筋の凹凸を、誇張した量として表現している。陰影腺は筋線維の方向を考慮せず、単純に量感を表すのに有効なクロスハッチングを用いている。個々の膨らみは一様に曲線的で、内側から膨れあがった風船のような印象を見る者に与える。

2014年8月20日水曜日

〈告知〉新宿美術学院にて、美術解剖学ゼミを開講します

 今月最後の週末である8月30日(土)に、新宿美術学院(新美)にて『美術解剖学ゼミ』を開講いたします。
 本講座は、美大進学を目指す高校生・予備校生を対象にしています。

 私もかつては美術予備校(新美ではない)に通っていたが、美術解剖学という単語すら知らなかった。地方予備校では今も同じではないだろうか。夏休み企画とはいえ、通常は大学進学後に出会う美術解剖学を知ることができるのは、中心都市の利点に思う。
 では、美術解剖学を知るのは予備校生には時期尚早かと言えばそうではない。これは上級向けではなくあくまで”美術基礎”である。

 美術解剖学とは、解剖学を基盤として、人体の見方を示すものだ。人体という自然物は、どのように見ても良いものである。見方に決まりなどない。ただ、自由に見ると、多くの人がある見方の”くせ”におちいる。輪郭線と陰影だ。私たちの視覚は対象を区別するために、実在しない輪郭線を引く。それはとても有効な見方のツールとも言えるもので、決して悪いものではない。ただ、私たちはそれを”意識的に制御しなければならない”。陰影はもっとやっかいだ。それは対象に立体感を与えるものだが、個々の陰影に囚われてしまうと簡単に全体性を失う。要するに、輪郭線も陰影も、明確な意識のもとの観察し、制御し、描写しなければならない。
 美術解剖学は、ここで言う「意識的制御」を担当するものだ。一見無秩序に見える人体に秩序を見出すことで、観察する視線は無駄に遊ばなくなる。それは、「眺め、分からないまま写す」から「見て、理解した上で描写する」に移行させる強力な方法論なのだ。

 そもそも「人生は短く、芸術は長し」であるが、試験という期限のある受験生にとってそれはより現実味を帯びて感じられるだろう。”描いているうちに分かるさ”と悠長に構えてはいられない。ぜひ、美術解剖学という対象の見方を知って、観察力の効率化を図ってほしい。
 
 本講座は、新美の彫刻科前主任と現学院長のご理解があって続いている。受験生の技量向上に(当然ながら)本気である。やがて美大へ進学すると分かるが、造形力の中心部は予備校時代に形成される。日本の美術の基礎を事実上支えているのは美術予備校と言って過言ではない。そのような基礎養成に携わる方だからこそ、美術解剖学の有用性を理解いただけるのだろう。

 本講座は終了しました。

2014年8月19日火曜日

好きな彫刻

 私は彫刻が好きだが、現代の作品で「これが好き」というものにほとんど出会えない。良いと思えるものはいわゆる古典作品から近代までに大きく偏っている。
ネットを介して、今まさに活動している若い作家の展示も見ることができるけれど、私にとってそれらの多くが彫刻には見えない。

 彫刻とは何か。いろいろな規準があり得る。中でも最も広範囲にカバーできる規準として”立体物”がある。現代において彫刻と立体物とはほぼ同義に扱われている。実際、彫刻の明確な境界線など引くことはできないだろう。
 ただ、古典作品のように時代を超えて人に愛される作品に共通してみられる彫刻的な要素はさがすことが可能だ。それらを要約して言葉にしたのが、「量感(マッス)」「動勢(ムーヴマン)」「面(プラン)」「構造」といった”彫刻用語”なのだろう。これらの要素が効果的にあれば、良い彫刻が成り立つということだ。つまり、私たちはこれらの要素に強く惹き付けられる性質を持っているのである。
 ただ、近代から現代になり、彫刻芸術の範囲は大きく広がったように見える。何が加わったのか。思うにそれは情報ではないか。現代以降の彫刻作品は、従来のモニュメンタルな要素のもの(それは永続的時間性を重視している)から、情報発信の道具(それは短期的時間性を重視する)へと変貌した。そのことが、彫刻の性質・作風を大きく変化させたように思われる。
 今どきの彫刻の多くはだから、非常に”饒舌”だ。やいのやいのと何かを喋り続けている。けれども、その体がとてつもなく貧弱なのだ。骨も筋肉もなく空気の抜けた風船みたいな体をして得意げに喋り続けているから、一種異様な感覚を抱く。でもこれは、やっぱりとても現代っぽい。まるでインターネットにあふれる姿なき言葉たちのようだ。

 古典的要素は決して古いのではない。そうではなくて、真実に近いのだ。その真実に近い部分で追求すべき芸術要素も多いはずである。
 きっと、私の好きな”古典的要素”を追求した作品もどこかで作られているのだと思う。けれど、時代がそれらを表層へ浮かび上がらせないのだ。きっとそうだと信じて、いつかそれら作品に出会えたらと思い続けている。

2014年7月20日日曜日

ハリウッド造形と彫刻・解剖学的なアプローチ

 『アナトミースカルプティング』という造形技法書の出版記念講演会へ行った。書名を日本語で言えば「解剖学的造形法」といったところ。著者はハリウッドで長く造形師をしている日本人の方。
 この方は高校卒業後に渡米して以降、現場で生きてきた方なので、造形へのスタンスが明確でブレを感じなかった。これは、高卒後に美大へ進んで”芸術とは”や”造形とは”と色々な道筋を散歩する”美大系人間”と大きく違う点だ。なによりそれを感じたのは、空想キャラクター頭部を粘土造形する過程を早回しで見せていたときだ。ちゃちゃっと形ができていく動画を見せながら「このくらいの早さで出来たらお金も増えるんだけどね」と笑いながら言った。仕事の速さが重要なのだ。これは世の中では当然の事だが、美術では必ずしも当てはまらない。美術には制作のゴールが明確に規定されていないから、「早い仕事が良い仕事」とは言い切れない。

 また、興味深かったのは、フォトリアルな空想キャラクター頭部の画像作成過程の紹介。仕上げ手前までのほとんどの過程が、様々に集められた顔の部位の写真画像の編集合成なのだ。作業はフォトショップを用いる。ブラシツールで描写を入れるのは最後の方だけだった。「コンセプト・アートも鉛筆画などはもう見ない」とのこと。自分のなかにある技量こそが大事だと教え込まれてきた美術系人間としては、なぜ自分で描かないのかと思ってしまう。しかしこれも、短時間で効率的に写実的な造形をするという理にかなっている。
 全身像の塑造制作過程も動画で見せてくれた。解剖学の知識は形が見えるようになるためにも必要であると言っていた。実際、彼の造形は解剖学的な構造のレリーフが、リアリティに大きく寄与している。何度も言っていたのが「解剖学は大事。大事だけれどあくまでも道具。一番大事なのは、何を作りたいか。」
 氏の姿勢はピントがあっている。「求められるものを高いレベルで提供できる、そのために必要な知識と技術を”必要なだけ”身につける。」そういう感覚なのだろう。

 粘土で作られた様々な造形物が本には載せられている。講演会会場には現物彫刻も数体展示されていた。
 映像で使われることが前提のこれら造形物と、いわゆる美術彫刻は似ているけれども求める方向性が随分と違う。その最たるものが、「表面性」だ。映像用の造形物は、最終的には表面性、生き物ならば皮膚の表現が重要になる。解剖学的な構造があっていても皮膚が皮膚らしくなければリアリティのゴールに達しない。だから、これら造形物はどれも皮膚のしわ表現にとても注意が払われている。映像で使われるときはこれはシリコーンなどに置き換えられ実際の皮膚のように着彩される。だから、造形はそれだけで完成ではない。対する美術彫刻は、内在する構造や量のコントロールこそに重点が置かれる。皮膚のしわを細かく作る事は普通はない。むしろ、そこを作り込んであるだけで否定的な批評さえ受けることもあるだろう。

 ハリウッドの造形師。これは、美術彫刻とは違い、より直接的で実質的な技量が求められる領域として最も高いレベルのスペシャリストだろう。そこで生きる人が、人体造形に解剖学的な知識をどのように応用しているのか、常々知りたいと思っていた。今回、それを垣間見ることが叶ったのだが、その方法論が、自分が考えているものと非常に近いものがあって、安心感を抱いた。私自身の方法論に自信を持つことができた。もっと押し進めていきたい。
 
 最新の映画のキャラクターを見ていると、合成などはリアルになっているが、生命体の表現にはまだまだ伸びしろを感じる。解剖学的な知識の応用先もまだまだある。クリエイティブ系の学校で学ぶ学生さんたちも”本気で”身につけて表現に結びつけることが出来れば、ハリウッドは遙か彼方ではない、そんなことも感じさせてもらえた講演だった。