人間は世界を言葉とし、言葉を信じることで繁栄を築いた。
それゆえか、人間は時に言葉を信じすぎ、目の前の真実さえ無視する。
白を目の前にして黒だと言われ続けると、それが黒にさえなってしまう。
これが意味するのは、本質的に言葉は無意味であるということだ。
無意味だから、どんな意味も与えられるのである。
言葉を盲目的に信じてしまう人間が、人々が理性的であろうとすればするほど、増えていく。
しかし、本来無意味な言葉が人間を正しい方向へ導けるだろうか。
無意味な言葉に正しい意味を置くのは、言葉ではなく、人間である。
結局、人間は正しい人間であろうとする欲求と、それが本当に正しいのかという反省を、言葉に頼らずに、人と人の間において確かめ続けなければならないのだろう。
それがどのようなものとなるのか、それが言葉で表され、私たちは初めて自らの行為を振り返り、他者へ語ることができる。
言葉は人の前にあるのではない。人の人間たらんとする行為の結果として言葉があるのだ。
Oct 3.
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