疾走する円谷幸吉 |
NHK「映像の世紀」で1964年の東京オリンピックを当時の映像で振り返っていた.マラソンは当時のハイライト的な競技であったらしいが、そこで走者の円谷幸吉が競技場へ帰ってくると観客も実況も興奮している.しかし、そのスタジアム内において後続の走者に抜かれ、3位でのゴールであった.その際、興奮の絶叫の中で実況者が「円谷疲れました!」と叫ぶ一言に応援者の賞賛と惜敗の感情が込められていた.それでも放送では円谷によって日の丸の旗が競技場に上がったことを誉めたたえ、「ありがとう円谷君」という当時の言葉も紹介していた.ただ、映像として観ている側としては、あそこで頑張ってくれていたならと誰もが思ったに違いない.そして、当時それを一身に受け止めた円谷当人の気持ちは察するに余りある.テレビではそこまでで次の話題に移っていったが、私はこの走者には何か事後物語があったような気がしてネットで調べると、やはりその後若くして自殺していた.東京オリンピックの成績を苦にしたものではないが、次のオリンピックを目前にしての自殺であり、遡るなら東京オリンピックの成績が起源であることは容易に推測できる.
円谷は遺書を残している.それは「美味しゅうございました」を繰り返す文体で、確かに、韻を踏んだ一寸した詩のようにも聞こえるが、これは全く独自の文体と言うより、第二次大戦中の特攻隊員が書いた遺書の文体にそっくりなのだそうである.最後には「幸吉は、もうすっかり疲れ切って走れません」とある.これは、オリンピックの実況の「円谷疲れました」への呼応であるとも取れ、彼の孤独な勝負はオリンピック後も休みなく続いていたことを表している.
三島由紀夫は円谷の生き様と死に様とを絶賛していたようだ.小さなカミソリで頸動脈を切っての自死という方法もその意思の強さを象徴している.三島をもって感嘆させたのはそういう刃物での自決という手段もあっただろう.
ウィキを見ると、三島による円谷の遺書と自死への言葉が載っている.
「三島由紀夫は『円谷二尉の自刃』の中でこれらの無責任な発言を「円谷選手の死のやうな崇高な死を、ノイローゼなどといふ言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きてゐる人間の思ひ上がりの醜さは許しがたい。それは傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自殺であつた」と斬り捨て、最後に、「そして今では、地上の人間が何をほざかうが、円谷選手は、“青空と雲”だけに属してゐるのである」と締めくくった。」
上記の一文を読んで思い出すのは、映画「東大全共闘と三島由紀夫」においての楯の会のメンバーによる回想で、そのメンバーの知人が自死した際に「理由は精神衰弱」と三島に報告したところ彼が顔を真っ赤にして怒ったというエピソードである.その際に三島が言った言葉というのが、上記に書かれていることとほとんど同じなのだ.もしかしたら、円谷のことを思い出してのことだったのかも知れぬ.
三島による円谷の死の評価をどう見るか.人は死すれば言葉なく、純粋な他者に対する存在のみとなる.だから、その価値や意味付けは全く他者に依存することとなる.三島は円谷の死を美しい自尊心とした.そう表現することで彼を貴いものとした.だが、死してなおこのように言われる境遇に生前置かれていたからこそ、彼はそこに常に自己との違和を感じていたのではないか.そのような滅私の存在であれと言う輪郭線の見えない巨大な圧力が彼を押し潰したのであろうと思わざるを得ない.無垢な個人による理想像の押し付けが集まり、やがて巨大な津波となって一人の青年の人生を押し流した.
ところで、三島は、意識ばかりで行動が伴わないことを良しとせず、両者を統一させ、いやむしろ行動を持って意識を規定しようとして、自らの身体を鍛えていた.実際にも全共闘に対しても、その思想は置いておいたとして、行動を起こして現状を変えようとする態度は「絶対に認めます」と言っている.
行動しなければ意味がないという思想はどうやら60年代には盛り上がっていたように思われる.そこにはサルトルの実存主義も少なからず影響を与えていたのだろう.また、「映像の世紀」を観ていて思ったが、高度成長期の日本こそが、思想より行動の時代であった.それこそ、毎日街が変わって行く.思い出の光景などは文字通り思い出の中にしか存在しなくなる.そう言う時代である.フィジカルに動いて物理的に物事を変えていく有無を言わせぬ重たい力強さが満ちていた時代である.文筆で自らの思想を書き連ねる作家にとって、所詮それが物質化したところで手に収まる書籍という神の束に過ぎない.そう言う物理的な存在的弱さを体感させられる時代であったのだろう.そう思うと、人は自分が生きる時代と場所に分かち難く結び付けられているのだと強く感じ入る.深く自己を考え、自己の在り方を問うた各時代ごとの知識人とて、結局のところ、その思想は彼らが生きる時代と場所という背景の上に描かれるのである.
歌は世につれ世は歌につれ
ということである.
2021/07/22