末梢神経系のページ。 右上の頭部の図の詳細さに注目。眼球に反射した窓が描かれている。 |
かつて、私が解剖学を専門的に学び始めた頃、私の解剖学の恩師である教授にお勧めの教科書を聞いたところ、一冊の教科書を頂いた。それが『人体解剖学』であった。教授も学生時代はこの教科書を使っていたとのことであった。それはそれは難しい内容かと身構えたが、意外や文字も大きく図も多く、余白も余裕のあるレイアウトで、少々安心したような思い出がある。
今では『人体解剖学』は、日本の解剖学教科書の最高峰だと思っている。私が考えるその理由はいくつかある。
まず、売られている期間の長さがそれを証明している。初版は実に1947年の2月で、終戦から2年経過していない。直近の改訂が2003年で、これが第42版である。これを書いている今は2023年であるから、初版から76年、最終改訂から20年経過している。著者は、藤田恒太郎(つねたろう)氏であり、第12版以後は御子息で同じく解剖学者の藤田恒夫(つねお)氏が改訂に関わってきた。しかし、藤田恒夫氏も2012年に亡くなられており、それが改訂が長く止まっている理由としてあるのかも知れない。
また次に、これが質の高い教科書として重要なことだが、想定読者が明確であるということだ。「この本は初めて解剖学を学ばれる医学生諸君を目あてに書かれたものである。」という一文から始まるように、読み手を限定することで、膨大で広範な解剖学の情報から、効果的に必要な情報だけを伝えることに成功している。そして、添付される図も、そのほとんど全てが、本文の内容とリンクした描き下ろしであって、情報量の多い写実的なものから明快な模式図まで多様に用意されており、理解を助けるのに非常に有用である。
そして、何よりこの教科書を唯一無二にしているのは、その文体である。多くの洋書から翻訳された解剖学書では感じられない人間味が文章に宿っているのだ。本書は、日本人が日本人のために、日本語で書いた教科書である。それも、どこかの誰かではなく、読んでいて著者の姿が思い浮かんでくるような、生きた文体なのだ。これは、編者の下で複数の著者によって書かれるような、今どきの本ではこのようにはいかない。特に教科書では単独の著者の個性は出さないような記述になる傾向があり、その結果は皆が知っているような、味気のない情報が列挙された無機質な文体となる。著者が直接語りかけてくるような文体は、おそらく著者が自分が受け持つ医学生を思い浮かべながら書かれたことによるのであろう。
内容も、単独の著者ゆえの興味深い記述が多く、自然と読み込んでしまう。解剖学は暗記の教科だと嫌われる節があるが、このように理屈で語られることで自然と頭に入ってくるように工夫されている。さらには、本文のところどころに、縮小文字で追加的な説明がなされていたり、欄外注として学習のヒントになる小文(小ネタ)が載せてあり、これも理解の大きな助けとなる。
この個性の強さは、いくつかの場所で、現代的な教科書の記述との違いとして現れており、本書だけで学ぶ者は戸惑うことがあるかも知れない。いくつか顕著な例を挙げると、筋系の固有背筋は筋名だけの列挙で説明が終わる。これなどは、“今はこれだけで十分”という著者の主張である。さらに、同様の主張が直接的に書かれるのは、名称の読み方で、例えば頭蓋は「とうがい」と読ませるところが、これに「ずがい」とわざわざカッコ入りで付け加えて、欄外注に「‥この種の業界用語を医学生に押しつけるのは、ナンセンス‥」と書いている。また、舌には解剖用語の「ぜつ」ではなく「した」とふりがなをしてあり、明瞭で平易な読み方を定着させるよう、読者の医学生に説いている。これらの読み方は、今でも浸透しておらず著者の狙いは外れた形になるが、信念に基づいた主張には日本の解剖学を担う責任と自信が感じられる。本書では脳神経が1、2、3‥と番号付けされているのも同様のこだわりである(通常はⅠ、Ⅱ、Ⅲとされる)。
解剖学は学問として古く、また、学会によって基準も整備されているので、用いられる用語も安定している。それが、初版から76年経った今も使用できる下地となっている。また、解剖学が医学の基礎に位置付いていることも、その内容が安定している理由である。しかしながら、人体の見方は時代と共に少しづつ変化している。70年前との大きな違いは、分子レベルでの視点であって、現在の教科書は必ず細胞の構造から説明が始まるものであるが、この教科書にはそれが丸ごと抜けている。ただこれとて、著者が現代に生きていたとしても、今は必要ないとして入れないかも知れない。
今どきの教科書には載っていないような詳細が書かれていたり、反対にほとんど説明が飛ばされていたりしているので、さっと内容に目を通しただけの人の中には、この教科書は記載ムラがあって良くないと感じる者もあるかも知れない。しかし、よくよく目を通すとそのムラには著者の筋が通っていることが分かると思う。そのような、隠されたメッセージに気付く時、著者と時空を超えた対話をしているような不思議な感覚があり、一度も会ったことのない著者が身近に感じられて親近感を得る。それゆえに、私は普段、本書を「藤田先生」と読んでしまう。むしろ正しい書名がすぐ出てこない。藤田先生の呼び名で学生たちも自然と本書を開いている。
記載内容は全く信頼でき、教科書として非常に優れているが、2023年現在で20年間改訂がされていない事実や、Amazonで新書が掲載されていない事に、今後の出版継続への不安を覚える。これはそのまま、現在の出版部数を反映していると言っていいだろう。
このような、人間味ある文体で、かつ信頼できる内容の教科書は、簡単に生まれるものではない。それどころか、肉眼解剖学の流れを思うと、今後作られることなど不可能ではないかとさえ思ってしまう。著者と改訂者なき今であっても、一部内容を現代に求められるものに修正するだけで、そのまま現代の解剖学教科書としての輝きを取り戻すはずだ。出版社にあっては、本書のような、日本の戦後から現代までの医学教育の基底を支えてきた名教科書を、今後も存続して欲しいと願わずにいられない。
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