2009年2月7日土曜日

芸術家の目

高村光太郎は多くの文章を残したが、彫刻家、芸術家としての自然を見る目、そこから様々ことを感じ入る感性に賛同し、関心することしきりである。

「雲と岩とのグロテスクさは想像の外にあるが、凡て宇宙的存在の理法に、万物を統一する必然の道が確にあると思はれる節がある。それは此等無生物の形態生成に人間や動物と甚だよく似たデツサンが用いられている事だ。逆には、人間や動物の形態は此等物質の形態されると同じ機構上の約束によつて出来ているものと老へられる。
眼は二つ。鼻は二つが合さつて一つ。口も一つ。眼は大抵口の上にあり、頭部の下に洞体があつて其から四肢が派出している。凡そ存在物の形態原理は人間の形態を形成した原理と同じものであらう。もし星の世界に生物が居るとしたら案外地球上のものに近い形態を持つているであらうと想像し得る。雲と岩とが如何に多く人間や動物に酷似するかを見よ。人間形成と雲の形成とに偶然ならぬ関係が物理的にあるものと見るのは私一個の幻想に過ぎなからうか。」

この、「三陸廻り」の「雲のグロテスク」の前半部などは、今で言う自己相似性を大きく広げてみた見方と言えるし、形が形成される法則は宇宙全体に均等に働くはずだから宇宙人も似ているかも知れないと想像を広げている。そうして、流れゆく雲を飽きずに眺め、見えてくる印象から想像を楽しみ、

「かういふ取りとめの無い記述を人は笑ふであらうか。私はかかる現象を凝視して飽く事を知らない。さうして物質形成の宇宙的普遍方式の暗示を夢想する。」

と繋げる。深い洞察を持って自然を観察する眼力は、一流の芸術家の目に他ならない。昭和6年のことだ。
人は変わらない。そんな事実さえ、今の技術世界は忘れさせてしまう。芸術はそのことに気づかせてくれる。テクノロジーだけでは、人は必ず過ちを犯すだろう。いまこそ、芸術が必要なのだ。

0 件のコメント: