2014年10月28日火曜日

藤原彩人「像ヲ作ル術」展覧会・トークイベント回想

 これは、2014年10月25日(土)Kart Lecture Room Project 藤原彩人「像ヲ作ル術」展覧会・トークイベント展覧会の回想、感想である。

会場
 主な作品は藤原氏による陶の1メートルほどの人物像が2点で、胸部の作りを見ると男と女のようだ。また、会場の出窓のようになっている場所に、同じ形が15センチほどになった物が3点置かれている。これらは藤原氏の作品の粘土原型から立体的にスキャンされた後に樹脂で出力された、いわゆる”立体プリント”である。ぐっと顔を近づけてみてもスキャニングの荒さなどは目立たず高精細である。これを何と呼ぶか。やはり彫刻よりも模型やモデルといった単語が頭に浮かぶ。別の壁には、藤原氏が今回の立像制作に過程で描いた作品実物大のドローイングや、制作過程を氏がiPhoneで撮影した画像が貼られている。その手前に床には、小さな断片的作品が透明ケースの中に並べられている。これら小品たちは完成されたものというより、制作の途中で生まれる偶発的な造形物のようだ。立体ドローイングとでも言おうか。展示室の空間は決して広くはないが、メインの2点も大きいものではないので、空間的に圧迫されるようなものは感じない。
 床に置かれた1メートルほどの立像と、窓際の小品。大きく言えば同じ形である。同じ形でありながら、大きさが違う。両者で考えるべきことは、この「大きさ」が与える彫刻的な印象の相違についてだ。

トークセッション。複製と型
 トークイベントは、作家の藤原氏と立体スキャンとプリントを担当した今井紫緒氏、進行の石橋尚氏の3名。藤原氏と今井氏の自己紹介がスライドと共になされた後に本題に入る。
 石橋氏は本展に先立って、藤原氏が自作を立体出力したことを聞いて、彫刻にとってある意味タブーとも言える”複製”に手を出したとみなして、「やっちゃったな(本人談)」と感じたそうだ。その際の例として、有名なロダンの「青銅時代」のモデル型取り疑惑事件を出した。しかし、この指摘は正しくない。19世紀当時、そして今も、タブー視される向きがある行為とは”モチーフの複製”である。ロダンは、「青銅時代」の生々しさから、生きたモデルに石膏を欠けて型を起こして複製しただけではないのかと疑われたのである。つまり、そこには芸術家の感性が造形されていないから、芸術作品とは言えないということだ。対して、今回の藤原氏の行為は、”作品の複製”であって、これ自体は全く目新しい行為ではない。例えば、古代ギリシアに作られたブロンズ像なども、その制作過程において型が作成されている。粘土の原型をブロンズに”置き換える”過程においてそれは必要な行程である。
 では、従来の複製と、今回の立体出力とで何が本質的に違うのか。その最たるものが「大きさの相違」であろう。今回の試みにおいて、従来の彫刻作品で”あまり”重要視されなかった視点はここにある。なぜ”あまり”と強調したかというと、複製過程において従来も大きさを変えることが無かったわけではないからである。コンパスを応用した同比率でサイズを変えられるディバイダーや、星取法などは彫刻家にとって身近な道具である。しかしながら、従来のこういった手法は、あくまでも数えられるほどの点と点との距離だけが計測されるのであって、その補間は作業者の技術や感性にゆだねられる。古代ローマ時代において、数多くのギリシア彫刻がこうして複製された。では、今回、今井氏によって実施された立体スキャンはそういった歴史的伝統技法と全く違うのだろうか。ある意味でそうであり、ある意味で違う。全く新しい点は、計測対象に一切触れないという点だ。作品に触るのは光線だけだ。従来と変わらない点は、点計測であるという点。人間では到底計測できないほどの膨大な数ではあるが、その1つ1つは、星取法の星ひとつと同じ重みである。また、作業者の主観が入らないかと言えばそうでもない。スキャンされた情報(幅、高さ、奥行きに基づく1点1点)を私たちの視覚で分かるようにコンピューター内で再構築するのはプログラムであり、それは人間が作成したものだ。さらに、投光によって計測するために、影になる部分は計測されない。その部分は、作業者(例えば、今井氏)によって補間される。こうしてみると、立体スキャンは本質的に星取法と同じであり、複製技術と一言で言っても、型を起こして複製するキャスト法とは違う点に注意しなければならない。

「像ヲ作ル術」
 本展のタイトルである。まだ「彫刻」という呼び名も定着しない、1873年のウィーン万博の際に、「像ヲ作ル術」と言ったそうだ。「像作術」と「彫刻」とでは、趣が全く違う。現在では、「〜術」というのは、”メインジャンル”の「美術」であって、そこに含まれる”サブジャンル”としての絵画や彫刻などには「術」の文字は付けられない。ともあれ、我が国における西洋的彫刻黎明期の呼び名を冠すのに、藤原氏の日本における彫刻の文脈に生きる気概を感じずにはおれない。それ以外にも、”形を生み出すことができる”ことへの自負心にも言及していたように記憶している。これは私の印象だが、術という字が付くとどこか”秘められ伝承する特殊技能”という趣がする。それもあながち間違っていないか。
 さて、ウィーン万博の3年後には、日本で初の洋風美術教育機関として工部美術学校が開校(1876年)した。ここで本式の西洋美術教育を教えるために、イタリアからお雇い外国人が3名やってきた。そのうち彫刻を担当したのがラグーザである。ところで、我が国の医学もまたこの頃には従来の東洋医学から西洋医学へと大きく舵を切っていた。正式に採用されたのはドイツ医学であった。大学東校(現東大医学部)へミュルレルとホフマンが来たのが1872年であった。ちなみに、今の上野公園には広場に立派なスターバックス・カフェがあって、その右側に”けもの道”よろしくある林中の小径をご存じだろうか。その小径のいりぐちとスタバの間に控えめなブロンズ胸像がある。彼の名はボードウィン(ボードワン)といって、我が国にはじめて西洋医学を教えたオランダ人ポンペの後任者である。なぜ彼の像が上野公園にあるか。もし、彼がいなければ、東大は今の上野公園にあった。当時、基礎工事が始まりつつあるなか、ボードウィンはこの緑多き環境は公園として残すべきと主張し、結果、現在の上野公園がある。
 ともかく、この時代は日本の西洋化が急がれている時代であった。

藤原氏と今井氏。同じ価値観
 立体スキャンから出力までの担当した今井氏もまた、東京芸大彫刻科出身である。今井氏は3DCGを専門としているが、多くの”一般的な”3DCGクリエーターと違う点がある。それは入力デバイスにバーチャル・リアリティ・デバイスを用いるところだ。モニター相手に用いる入力デバイスと言えば、マウスやタブレットが一般的だが、これはアームの先にペンがついたような装置で、モニター内の仮想的物質に触れるとその感覚がデバイスに「抵抗感」として表現されるようになっている。今井氏はこれを「反力」と言っていた。
 3DCGが高精度で出力可能になった。この事実は、従来の彫刻家に何らかの驚異や反発を招くだろうか。もしくは、新しい”デジタル彫刻家”は従来の彼らに対して何らかの優越感を抱いているのだろうか。新旧というコントラストは、このような分かりやすい問題を提示する。実際、この2人がこの日相対しているのも私たちのどこかにその期待に応えるような近くて反発するようなambivalenceがそこにあるからに違いない。
 しかし、藤原氏と今井氏、両氏の意見は全く違った。藤原氏はこの新しい技術に純粋に驚き、楽しんでいた。そして、それが自分の領域において役立つものであるなら、積極的に使っていきたいという。今井氏もまた、デジタルの利便性を理解しながらも、3DCGと立体出力がそのまま彫刻となり得るものではないという。この2人の意見は、トークセッションを通して揺るがず、統一されていた。私はこの意見に、お二人の専門性の高さとそこから来る明確で堅固なidentityを感じ取った。つまりはprofessionalismである。ここで強調したいことは、今井氏が自身の仕事について「彫刻の手の技術とCGがうり」と言っていたことである。先にも書いたが、立体スキャンは影の部分はスキャンできず穴が開く。そこを埋める技術に今井氏の彫刻で培った見る力、造形力が用いられている。これは、誰でもできることではないし、ここにこそ初めにも触れたように、立体スキャンと星取法の同一点が如実に表れているのである。星取法が彫刻家の仕事であるように、今井氏も彫刻家である。

彫刻か、出力物か
 藤原氏による陶作品が彫刻であるというのはここでは前提だが、その粘土原型からスキャンされ出力された物体を何と呼べばよいのか。それが本質的問題だと思う。しかし、今回のトークセッションでは、その部分には深く降りなかった。まだ、深淵の湖面を眺めているに過ぎない。もちろん、解を急ぐ必要はない。石橋氏が投げたMedium Specificという言葉にあったように、これからその輪郭線が際立っていくだろう。


同展覧会は11月9日まで開催された。