最寄りの北池袋駅は、東武東上線で池袋のひとつ隣りだが、こちらへは全く行ったことがない。たった一駅だというのに池袋とは打って変わってのどかな住宅街で、ホームからは今では懐かしいような木造アパートがいくつも見える。小さな駅から出ると住宅街の商店街だが日曜だからか人通りはまばらだ。道を歩くと古い昭和風と現代的な建物とが混ざり合っている。池袋中学校と小学校の建物は出来たてのピカピカさでモダンだ。きっと昨年だったらアンティークな校舎を見ていたのだろう。住宅街をしばし歩いて、福原耳鼻咽喉科にたどり着く。
門などなく、住宅街の家と家の間にある一軒家で、そのドアも普通の家の玄関ドアに過ぎない。つまり、誰かの家におじゃまするような感覚で入口のドアを引く。入ったところで靴を脱いでスリッパに履き替える。そういえばそうだ。かつてはどこでもこうして靴をスリッパに履き替えたものだった。いつから靴のままが一般的になったのか。待合室に広い一つの空間などないが、ベンチ式のシートが壁沿いにあつらえてある。壁には油絵の風景画がいくつも額に入れて飾られている。ローマ字のサインを見るに院長の作だろう。水彩の植物画もあって繊細な描写である。ベンチにはアジア系外国人が2人で座っている。受付はカウンターではなく小窓を介する形で、その窓は大きく腰を曲げなければならないほど低い。待っている間に、奥では幼児が診察を受けて泣き叫んでいる。叫び声のあいだには大人の女性のあやす声が混ざる。やがて出てきたのは3歳ほどの女児と母親だった。そうしている間に外国人たちは帰り、若い男性が1人入ってきた。座るなり鼻をかんでいるので鼻炎だろう。
やがて名前が呼ばれて診察室に入る。と言っても、ドアなどなく、白いカーテンで区切られているだけだ。今ではドラマでも見ないような、アンティークな診察椅子が一つあって、そこに腰掛けるように言われる。座った左手側にある台には診察器具が置かれているが、今時のクリニックで目につくディスポーザブルな物ではなく、何度も使い回しているような古い器具が目につく。茶色のガラス管を曲げたものにゴムの袋が取り付けてある道具は一体何に使うのだろう。院長はその左側の壁ぞいの机に向かって座っていて、受付の人が書いた私の情報のカルテに目を通している。時折壁に丸い光が動く。院長が頭につけている額帯鏡のライトである。白衣を着た院長はこちらに向きを変えて私に状態を聞く。
院長は小柄な老人で、顔を見る限り80歳を過ぎて見える。とは言えその肌は健康的であった。私から状態を聞き終われば、おなじみ聴力検査をして終わりだろうと思っていたが、院長はおもむろに台の上から音叉を取り出して顔の前へ運び、これがどう聞こえるか教えてくださいと言うや指でそれを弾く。純音が響く。ひたいの中心、右耳、左耳と場所を変えて試す。それだけではなく、次にはその音叉の底を額の中心に当てるのだ。それで鳴らしてどこに音が聴こえるのかを尋ねられる。もうそれは当てられた中央に感じられるのでそう言うと、そうですねという感じで確認している。次に見たことがない短くて幅のある音叉を取り出し、親指と人差し指でその両はしをつまんで弾くように放すと耳鳴りのような高音が発せられた。澄んだ音色である。これがどう聞こえるかと左右の耳で確かめられた。
全く、このような検査は、イニシエーションのようである。今時のクリニックでこんなことをされた記憶はない。今はなんでも機械にかけてその結果を読み上げるだけだ。それがここでは、音叉という単純な道具を通して、患者の状態を医師が読み取っているのである。そうだ、医師とはこういう人だったのだ。聴診器で体内の音を聞き、身体に触れ、押して、軽く叩いて、そういう単純な行為から見えない変化を読み取り、その情報からその人の状態を推測できる人が医師だった。しかし、私自身かつては気付かなかったが、患者には一見何をされているのか分からないこう言った診療行為は、ある種の魔術のように作用して来院者を“本当の患者”にしてしまうのであった。謎の高音を発する若干サビが浮いた器具を額に当てる行為など、水晶の球や謎の道具を用いた呪術さながらである。もちろん、その行為が“信じられない”という意味ではない。非日常的で、理解が追いつかないという意味である。
音叉の検査の後に、もう少し細かく検査しましょうと言われ、さらに奥へ誘われる。そこには電話ボックスのように区切られた小部屋があって聴力検査室であることは明白だった。その壁にはヘッドフォンが3つ掛けられており、その耳当てには白いガーゼが覆い被せられている。ヘッドフォンから壁に開けられた小穴まで、青や赤の繊維で覆われた太いケーブルが絡むようにたわんで通っている。このヘッドフォン掛けの壁にも小さな油絵の風景画が掛けられていた。院長はドアを開けたままで使い方の説明をする。左右の耳ごとに音を出すこと、聞こえたら手元のスイッチを押すことなどだ。さらにまず試しをしてから本番に移るという丁寧さである。この音が、始め小さな音が聞こえてから少し大きくなる。これによって、聞こえる大きさと高さの両方を確認しているのだろう。この調査時間も、近所の“今時の耳鼻科”とは比べ物にならない。さらには、別のヘッドフォンに変えて、これは骨伝導で確かめるという。片耳は耳介の後ろに当てて、もう片耳はザーッという雑音が流れている。右耳が終わると、中年の女性の助手−受付の人−が代わりに検査室のドアを開けて、左耳の検査を行った。すみませんね、これ耳が少し痛いですよね、と丁寧に。しかし実際は痛いということはなかった。これが終わって、その助手に言われるまま、もとの診察室へ戻って待つ。
診察椅子に面するスツールに座り、椅子をまじまじと見る。実に博物館にでも展示されているような古色然とした物だ。その後ろの壁に設えられた棚やその中の器具も、全てが博物館の展示品の様である。院長が開業した時に揃えた什器なのだろう。この全てが院長の、この小さな診療所の、歴史と共にある。このような空間に居られることに嬉しく思う。再現された空間ならば博物館などにあるだろうが、それらは“標本”に過ぎない。一方で、この空間は生きている。それも、アンティーク好きが揃えたのではなく、ここで時を重ねた真実の古色である。空間の構成物は古いが、汚くはない。床なども掃き清められている。
やがて、院長が両手に比較的今風な、つまりプラスチックの筐体の、診察器具を持って現れ、もう一度奥へ来てくれと言う。再び聴力検査ボックスに入り、片耳にイヤフォンを差し込まれる。その際、ちょっとこれを持っていてくださいと言われ検査器を患者が支えるこの風景は、どこかのどかで古い銅版画で、いやノーマン・ロックウェルでありそうな光景だ。院長がスイッチを入れると高音域で音程を変えながら聞こえる。聞こえます、聞こえますと言うと、言わなくていいですと院長。両耳を終えて再び診察室へ戻る。この検査が何を探っていたのかは分からない。助手の女性に診察椅子に座っているように言われそうしていると、院長が検査結果の紙を持ってやってくる。聴力検査の紙には折れ線グラフが2色で書き込まれており、耳の左右を表している。そのグラフの折れ線はボールペンによる手書きである。折れ線の下にはカタカナのコの字が書かれ、それは骨伝導を示すと言う。結果は左がわずかに悪く、高音域で一ヶ所大きく落ち込む。実は、見せられたこのグラフはiPhoneアプリで自己検査したものとほとんど変わらない。しかし、そのグラフから何を読み取るのかまではアプリは関与しないことに注意すべきだ。院長は左手に用紙を持ち、右手にはゾンデのような器具を持ってその細い金属を横に当てて説明した。私の目はグラフよりその器具を見つめていた。先端はねじれている。そこに綿を絡めたりするのだろうか。
これで終わりかと思う頃に、院長がもうひとつ検査したいと言い出す。検査“したい”と言った。つまり、これは院長自身の欲求によるものとも言える。部屋の隅に、別の今風の機材があり、そこに移る。院長の額には額帯鏡がずっと乗せられたままで、光を発するライトはちょうど鼻の頭の位置で、それを少し押しつぶしている。院長は私の耳穴に器具を当ててスイッチを入れる。少し大きめの音が出ますと院長。いくつかの音域の音が鳴る。筐体には液晶モニターがあり、リアルタイムでグラフが描かれていく。これは鼓膜の動きを調べるそうで、真ん中に垂直線が引いてあって、そこに最も高い山が来ると理想的だと言う。まず健常な右耳をやり、次に左耳をやる。両方のグラフはほとんど重なるほど似たものだった。院長はこれを見て、見てください、ほとんど一緒ですね。鼓膜は全く正常なのです。つまり、神経性の異常だと言うことです、と。この時にも、“これは私がしたくてやったのですけど”と前置きしていたのが印象的だ。とは言え、私にとってもこの最後の検査は、原因が明確に絞られる良いものだった。院長は、「つまり、突発性の難聴ということになります」と結果をまとめた。これが、治る、治らないは口にしなかった。ステロイド系の薬を処方するから、それを1週間試して、その結果次第でまた耳鼻科を診察してくださいと言われた。うちに来なさいとは言わなかった。
待合室に戻るとき私が、付かぬ事をお聞きしますが、と前置きして、壁に掛けられている絵は先生が描かれたのですか、と聞くと、額に大きな額帯鏡を付けたままにっこりと顔を歪めて、まあまあ趣味で、と語尾を濁らせて机へ戻られた。
院長は小柄な老人で、顔を見る限り80歳を過ぎて見える。とは言えその肌は健康的であった。私から状態を聞き終われば、おなじみ聴力検査をして終わりだろうと思っていたが、院長はおもむろに台の上から音叉を取り出して顔の前へ運び、これがどう聞こえるか教えてくださいと言うや指でそれを弾く。純音が響く。ひたいの中心、右耳、左耳と場所を変えて試す。それだけではなく、次にはその音叉の底を額の中心に当てるのだ。それで鳴らしてどこに音が聴こえるのかを尋ねられる。もうそれは当てられた中央に感じられるのでそう言うと、そうですねという感じで確認している。次に見たことがない短くて幅のある音叉を取り出し、親指と人差し指でその両はしをつまんで弾くように放すと耳鳴りのような高音が発せられた。澄んだ音色である。これがどう聞こえるかと左右の耳で確かめられた。
全く、このような検査は、イニシエーションのようである。今時のクリニックでこんなことをされた記憶はない。今はなんでも機械にかけてその結果を読み上げるだけだ。それがここでは、音叉という単純な道具を通して、患者の状態を医師が読み取っているのである。そうだ、医師とはこういう人だったのだ。聴診器で体内の音を聞き、身体に触れ、押して、軽く叩いて、そういう単純な行為から見えない変化を読み取り、その情報からその人の状態を推測できる人が医師だった。しかし、私自身かつては気付かなかったが、患者には一見何をされているのか分からないこう言った診療行為は、ある種の魔術のように作用して来院者を“本当の患者”にしてしまうのであった。謎の高音を発する若干サビが浮いた器具を額に当てる行為など、水晶の球や謎の道具を用いた呪術さながらである。もちろん、その行為が“信じられない”という意味ではない。非日常的で、理解が追いつかないという意味である。
音叉の検査の後に、もう少し細かく検査しましょうと言われ、さらに奥へ誘われる。そこには電話ボックスのように区切られた小部屋があって聴力検査室であることは明白だった。その壁にはヘッドフォンが3つ掛けられており、その耳当てには白いガーゼが覆い被せられている。ヘッドフォンから壁に開けられた小穴まで、青や赤の繊維で覆われた太いケーブルが絡むようにたわんで通っている。このヘッドフォン掛けの壁にも小さな油絵の風景画が掛けられていた。院長はドアを開けたままで使い方の説明をする。左右の耳ごとに音を出すこと、聞こえたら手元のスイッチを押すことなどだ。さらにまず試しをしてから本番に移るという丁寧さである。この音が、始め小さな音が聞こえてから少し大きくなる。これによって、聞こえる大きさと高さの両方を確認しているのだろう。この調査時間も、近所の“今時の耳鼻科”とは比べ物にならない。さらには、別のヘッドフォンに変えて、これは骨伝導で確かめるという。片耳は耳介の後ろに当てて、もう片耳はザーッという雑音が流れている。右耳が終わると、中年の女性の助手−受付の人−が代わりに検査室のドアを開けて、左耳の検査を行った。すみませんね、これ耳が少し痛いですよね、と丁寧に。しかし実際は痛いということはなかった。これが終わって、その助手に言われるまま、もとの診察室へ戻って待つ。
診察椅子に面するスツールに座り、椅子をまじまじと見る。実に博物館にでも展示されているような古色然とした物だ。その後ろの壁に設えられた棚やその中の器具も、全てが博物館の展示品の様である。院長が開業した時に揃えた什器なのだろう。この全てが院長の、この小さな診療所の、歴史と共にある。このような空間に居られることに嬉しく思う。再現された空間ならば博物館などにあるだろうが、それらは“標本”に過ぎない。一方で、この空間は生きている。それも、アンティーク好きが揃えたのではなく、ここで時を重ねた真実の古色である。空間の構成物は古いが、汚くはない。床なども掃き清められている。
やがて、院長が両手に比較的今風な、つまりプラスチックの筐体の、診察器具を持って現れ、もう一度奥へ来てくれと言う。再び聴力検査ボックスに入り、片耳にイヤフォンを差し込まれる。その際、ちょっとこれを持っていてくださいと言われ検査器を患者が支えるこの風景は、どこかのどかで古い銅版画で、いやノーマン・ロックウェルでありそうな光景だ。院長がスイッチを入れると高音域で音程を変えながら聞こえる。聞こえます、聞こえますと言うと、言わなくていいですと院長。両耳を終えて再び診察室へ戻る。この検査が何を探っていたのかは分からない。助手の女性に診察椅子に座っているように言われそうしていると、院長が検査結果の紙を持ってやってくる。聴力検査の紙には折れ線グラフが2色で書き込まれており、耳の左右を表している。そのグラフの折れ線はボールペンによる手書きである。折れ線の下にはカタカナのコの字が書かれ、それは骨伝導を示すと言う。結果は左がわずかに悪く、高音域で一ヶ所大きく落ち込む。実は、見せられたこのグラフはiPhoneアプリで自己検査したものとほとんど変わらない。しかし、そのグラフから何を読み取るのかまではアプリは関与しないことに注意すべきだ。院長は左手に用紙を持ち、右手にはゾンデのような器具を持ってその細い金属を横に当てて説明した。私の目はグラフよりその器具を見つめていた。先端はねじれている。そこに綿を絡めたりするのだろうか。
これで終わりかと思う頃に、院長がもうひとつ検査したいと言い出す。検査“したい”と言った。つまり、これは院長自身の欲求によるものとも言える。部屋の隅に、別の今風の機材があり、そこに移る。院長の額には額帯鏡がずっと乗せられたままで、光を発するライトはちょうど鼻の頭の位置で、それを少し押しつぶしている。院長は私の耳穴に器具を当ててスイッチを入れる。少し大きめの音が出ますと院長。いくつかの音域の音が鳴る。筐体には液晶モニターがあり、リアルタイムでグラフが描かれていく。これは鼓膜の動きを調べるそうで、真ん中に垂直線が引いてあって、そこに最も高い山が来ると理想的だと言う。まず健常な右耳をやり、次に左耳をやる。両方のグラフはほとんど重なるほど似たものだった。院長はこれを見て、見てください、ほとんど一緒ですね。鼓膜は全く正常なのです。つまり、神経性の異常だと言うことです、と。この時にも、“これは私がしたくてやったのですけど”と前置きしていたのが印象的だ。とは言え、私にとってもこの最後の検査は、原因が明確に絞られる良いものだった。院長は、「つまり、突発性の難聴ということになります」と結果をまとめた。これが、治る、治らないは口にしなかった。ステロイド系の薬を処方するから、それを1週間試して、その結果次第でまた耳鼻科を診察してくださいと言われた。うちに来なさいとは言わなかった。
待合室に戻るとき私が、付かぬ事をお聞きしますが、と前置きして、壁に掛けられている絵は先生が描かれたのですか、と聞くと、額に大きな額帯鏡を付けたままにっこりと顔を歪めて、まあまあ趣味で、と語尾を濁らせて机へ戻られた。
待合室に戻って、そこに掛けてある風景画たちをしばし見る。遠方に雪を被った鋭い連峰があり近景はのどかな田舎の風景だ。長野かどこかだろうか。細部まで描くというより筆のストロークを残すもので、スタジオで描いたものと言うより戸外で描かれたものに見える。一方で水彩の植物画は繊細なタッチの描線に淡い色彩で、患者に対するものと同様の細やかさが感じられた。
待合室には小さな子供を連れた夫婦が待っていた。他にも1人男性が待っている。受付の窓の上には、たくさん手書きの紙が貼られ、その1枚には、午前9時前の早朝診療も行なっていると書かれている。対象は、お子さん、学生さん、通勤の方とある。つまり、ほとんど誰でもである。そして日曜日も、毎週かは分からないが、診療している。この日々を何十年と、ここで続けている。そうでありながら、診察に感じられる“好奇心”にも見える積極的態度が維持されているのは、全く驚きである。私自身そうありたい、またそうあれる対象と向き合っていたいと思わされた。この院長の診察態度は、単純に真似できるものではない。仕事への熱意というものは結局のところ、それに心を奪われているか否か、で決まるのだろう。
薬局で処方せんをもとに渡された薬は、日毎に数を減らしていくように処方されていた。このような患者の状態を考慮した処方は初めてである(そもそも受診経験も少ないが)。
私のように、病院に赴く者のほとんどが“患者初心者”である。一方で医師は、同様の患者を数え切れないほど診てきただろう。院長のようなベテランともなれば患者の扱いは手のひらの上で転がすようなものかも知れない。実際、私は最初の音叉テストですっかり術中にはまってしまったのだから。しかし、それこそが重要なのだ。患者は結局のところ癒しを求めている。傷口に絆創膏を貼るだけが医療ではない。「もう大丈夫だよ」そう言って欲しいのだ。
いくつもの機器で繰り返し検査を行って症状を探っていく院長の姿勢に、私は癒されていたのだと思う。その意味において医療行為は宗教的でさえある。
昨年末に耳鳴りが起きてからここを受診するまでに2つの耳鼻科に行ったが、そのどちらもが、今思えば診察と言えるようなものではなかった。“耳鳴りは治らない”、“耳鳴りは一生物”、挙句には“私も耳鳴り持ちなんです”。患者の癒しどころか、インターネットで散々目にする情報を繰り返すだけのクリニック・フィジシャン。EBM(根拠に基づく医療)を実施すれば事足りるという姿勢の診療は、いずれ近いうちにAIで置き換えられるだろう。
福原耳鼻科で経験したことは診察の本質に近いのだと思う。それは人と人のつながりなのだ。その事を、すっかり体験しなくなって忘れ去っていた、この感覚を思い出した。現代の医療は、それが抱えるさまざまな実務的問題から、機械的となり人間味を失いつつあるのかも知れない。それは医療側だけの問題ではなく、治療を受ける患者も含めた総体的で構造的な現象であることは明らかである。 福原院長による診察がいつまで続くのかは考えたくないが、患者の心を掴む“診察術”を持ったフィジシャンは減っていくように感じられるのは残念である。ただ、最近では“オーダーメイド医療“という言葉も聞く。従来の症状だけで判断する画一的な医療から、患者ごとの違いを反映させた治療方針への転換を謳うものだ。画一的な診療レベルの確保にEBMは効果を発揮しただろうが、それは患者個人を見過ごすことにもなってしまったのだろうか。レディメイドからオーダーメイドへと謳うそれが、私が今回経験した”医師の業(アート)“に依るものと全く同一ではないにせよ、人が人を診る基本的行為への回帰を促すものであれば、とも思う。
いずれにせよ、人と人が向き合う現場としての“診察の質”は、現代ではどのように考えられているのだろうか。そんなことを思った今回の診察体験であった。
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