彫刻や絵画と分けることは今や本質的ではないとも言われる。それでもその言葉は別れたままであり、それは私たちに中に両者の違いが確固たるものとしてあるからに違いない。本質的ではないと口走るその反対側に、両者はあくまで異なるという叫びがある。両者が同じだという本質を探るなら、それでも両者を分ける原因を探さなければならないだろう。私たちの中には彫刻が確たるものとして在るのだ。その、彫刻も絵画も一緒くたに見える混沌から彫刻の探すことが求められる。それは、石彫やブロンズ像のように明確な表面性を持った非時間的かつ実在的な在り方ではなく、現象学的な内面への立ち上がりとして感じ取られるものである。彫刻とは何か。それに肉薄できるものは現象学において他にない。
2019/08/05