2013年11月27日水曜日
身ぐるみを剥ぐ
東京の雑踏には様々に着飾った人々が往来している。彼らは、そして私も、コスチュームによって対外的自己を規定しようとしている。
そんな人々から、想像で衣服を取り除いてしまう。するとどうか。さっきまでとは全く違う基準を持って人々が分けられる。年齢、体格。
そこでは、社会的身分という文化的要素が消え去り、基準が動物的になる。ここで最も美しさを放つのは若者である。
さらに、彼らから皮膚をも取り去ってしまう。そこには血管や臓器や筋肉がせわしなく動いている。こうなると、もはや個も見えなくなる。同じ器官の集合体が往来している。せいぜい男女の区別が付くくらいだ。
何という光景だろう。右も左も後ろも前も、みんな同じ構造をしている。同じ構造が、皮膚で個を分け、服で身分を分けている。
そんな風に、ときおり密かに人々から身ぐるみを剥いでいる。
2013年10月16日水曜日
『ファブリカ』の解剖図の芸術性
『ファブリカ』が書籍として果たした別の革命として、本文と図譜の有機的な結合がある。そこに記された図譜は、雰囲気をもり立てるだけの挿絵ではなく、全てが本文の内容とリンクすることで意味を成す”視覚的伝達手段”として置かれた。言語だけでは語り尽くせない解剖構造を、それらの図譜が補っている。
『ファブリカ』は全てラテン語で書かれているうえに専門的な内容なので、誰もが本文に目を通してその素晴らしさを理解したわけではない。それでも同書が時代と国を超えて伝えられるのには、一見して素晴らしさが伝わる解剖図に依るところが大きい。事実、そこに表された「生きた人体としての解剖図」というかたちは、その後の長きに渡り解剖図の「型」ともなった。そのような図像学的にも語れることは多いだろうが、よりシンプルに見てもその解剖された人物像たちは芸術的に非常に優れている。
しかし、骨格人や筋肉人たちが取っている姿勢を良く見てみると、決して不気味さを与えることが目的ではないことが分かる。彼らは基本的に片足重心で立ち、それに伴う重心の移動を全身で調節している。それが全身をつらぬく曲線を生み出し、腕と手の位置と顔の表情とで心情の表現をも感じさせている。このような姿勢は、この時代の芸術では頻繁に用いられるもので、この解剖図を描いた作家が専門のトレーニングを受けていたことを表している。さらに、14葉では姿勢にバリエーションがあるが、そのどれもが姿勢に調和を保っている。
筋肉人たちは、徐々に筋を剥がされていくので、背中を見せているある図では尻の筋が丸ごと剥ぎ取られ、脚の付け根の関節がほとんど露出している。そのような体表の輪郭が失われるほど解剖が進んだ状態であっても、周囲の構造描写が崩れていないため、人物像としての安定を保ち続けている。
『ファブリカ』の骨格人図と筋肉人図は明確な輪郭線と強い陰影描写によって、手で掴めるような実在感をもたらしている。全身の当たる光線の方向も意識的に捉えられ、それは足元に落ちる影まで統一されたものだ。筋のひとつひとつも、現代の解剖図のように筋線維の走行線を描くというより、筋のもつ”かたまり”の量を描写することを優先している。このような、立体感と遠近感を重視したのはルネサンス芸術が最も花開いたフィレンツェで活躍した芸術家たちが好んだ技法である。私はこれらの図を見るにつけ、彫刻を学んだ芸術家による作画ではないかと感じてしまう。たとえば、偉大な彫刻家ミケランジェロが描いたシスティーナ礼拝堂天井画を思い出させる。
筋肉人図を分析し、内部の骨格を抽出してみると、一見正確に見える構造描写も曖昧な点が多いことが分かった。立体である人体を平面上に再現する際に、意図的に歪ませたと思われる部位もある。このような、「気付かれない歪み」はミケランジェロの人物画にも見られるもので、視点が固定される平面図だから出来る技法とも言えるだろう。
『ファブリカ』の発刊は、当時の医学界に大きな衝撃を与えた。しかし、その衝撃力は文章を読まずとも一目のうちに伝わるこれらの解剖図に依るところも大きい。解剖学の知識が治療に直接結びつくにはまだ時間が必要だった。純粋科学としての色が強かった解剖学の知識-つまり、皮膚の内側の形の知識-を誰よりも必要としていたのは、人体の形を造形する芸術家たちだった。先にも書いたように、彼らは既に自らで人体解剖をしていた。しかし、人間を解剖するという行為はあらゆる意味で気軽ではない。むしろ、しなくてもいいのならしたくはない類の行為である。そういった芸術家からの要求にも『ファブリカ』は応えるものだった。事実、筋肉人図の第1図は芸術家のために用意されたのである。芸術家を想定読者に据えた解剖学書は同書が初ではないものの、「実用に叶うレベル」を付け加えるなら、『ファブリカ』が初の美術解剖学書であるとも言える。
『ファブリカ』の発刊後まもなく多くの海賊版や複製図が生み出された。その後、数世紀にわたって、同様の筋肉人たちが解剖書に登場するが、同書の筋肉人たちほど優れた描写のものはひとつも存在しない。
16世紀のイタリアにおいてこのような奇跡的な大著が生まれたのには、様々な理由が重なっているが、このような事象が多く起きたのがルネサンスと呼ばれる時代だった。
ヴェサリウスが『ファブリカ』で成した医学的、科学的視点は偉大である。それと同時に、「視覚伝達・非言語的伝達」の重要性を理解し、高いスキルの芸術家を画家として採用することで画と図を非常に高いレベルで融合させることに成功させたこともまた評価され続けるべき事実である。
2013年10月15日火曜日
2013年10月11日金曜日
(告知)秋の特別講座 美術解剖学 上肢(腕)徹底攻略ゼミ 開催
10月20日(日)に新宿美術学院にて、美大受験生を対象とした特別講座を開催します。
本講座は上肢に的を絞った内容となります。上肢と手の構造的な理解を深めることで、その表現にもより説得力を与えることが可能です。
上肢とは、つまりは腕と手のことです。それを上肢と呼ぶのには訳があります。腕といえば、「胴体の肩から先で棒状に飛び出て尖端は手の指で終わる身体部位」と言い表せますが、上肢はそれだけではないのです。上肢は腕の付け根の肩から首周り、さらには上半身の表面のほとんどの領域まで含まれます。これはつまり、それらが全て腕の運動と関係を持ち、その姿勢と共に形状が変化しうることを意味しています。すなわち、胴と腕の関係性は、肩で部品が連結された人形とは全く異なるものなのです。人体観察と表現において、この上肢領域の正しい把握はとても大事です。
また、肘から手までの間には、人体ではここにしかない特殊な捻れ運動があり、それが私たちの手の多用な運動を生み出しています。そして手首の先には平たい手のひらがあり、そこから末端へ細い5本の骨っぽい棒-つまり指-が生えているわけです。しかし、手のひらの中には実は指がもう一関節分埋もれています。その埋もれた指と関節の動きによって、手はより複雑な”姿勢”を取ることができるのです。
これまで慣れ親しんだ「手」、「指」という概念的見方はひとまず脇に置きましょう。構造から見なおし、新鮮な目で自らの手を再発見しましょう。
さらに手は、顔と並んで意思伝達と感情表現の重要な部位でもあります。私たちは、手と指のありよう-ジェスチャー-から、様々な心情を読み取ることができます。当然それは、視覚芸術においても重要な要素であり、事実多くの芸術作品の登場人物が手でストーリーを語りかけているのです。
本講座で、上肢と手の形状を捉える目を養います。それはきっとあなたの表現力を押し上げる推進力になるでしょう。
当講座は終了しました。
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