2016年3月25日金曜日

告知 トークイベント開催 樋口明宏個展「歌会」 MA2ギャラリー 恵比寿にて

 恵比寿の現代美術ギャラリーMA2にて現在開催中の「歌会」展の最終日である4月2日(土)に、本展作家の樋口明宏氏と私のトークイベントが行われます。

 樋口氏は東京をベースに制作した作品を国際的に発表しています。自身を彫刻家だと明言する彼の作品は主に立体ですが、時には高度な技術での彩色が施されるなど、技法に縛られることはありません。表現される内容も幅が広いので、個展でありながら、さながらグループ展であるかのような賑やかさがあります。しかし、そういったカラフルさの根底にはゆるぎのない作家の個性が一本筋を通していることが作品全体を通して明らかになるのです。
 幅と深みを持ちつつも軽やかに振る舞う樋口氏の作品たちが、歌会の題目の下にまとめられています。春にふさわしいタイトルの展覧会です。
 
 トークイベントでは、各作品を巡りながら肩肘張らず気楽に語り合う中で、作品の見所や作家が込めた考えが浮かび上がればと思っています。
 
 ぜひ、暖かくなって体も軽くなる頃ですから、現代美術の歌会に気軽にご参加下さい。

 詳細は、ここをクリックして、MA2ギャラリーのサイトをご覧下さい。

2016年3月14日月曜日

告知 朝カル講座始まります

 4月からの全3回講座が始まります。

 今回は、1回目と2回目で上肢と下肢の構造を中心に観察、クロッキーし、最終回はモデルさんの固定ポーズでヌードデッサンを行います。
 固定ポーズで時間を掛けて見て描くのは、私の講座では始めて行うことです。

 そうは言っても、午前中の数時間ですから、1枚の絵画としての密度まで描き込むことは難しいでしょうし、またそれを目指すのでもありません。

 陰影や輪郭線だけでなく、構造的に見た人体を描写として描き留めるような新しい試みをご自身でチャレンジしてみるような機会になれば良いと思っています。

 詳細はここをクリックして、朝日カルチャーのサイトを御覧下さい。

2016年3月8日火曜日

街にいる人々

 街にいる人々。子供から老人まで。
 小学校から聞こえてくる声。
 子供の頃に見た人々や聞いた声と何も変わらない。

 あの頃の子供はもう大人で、老人はもういないだろうに。

2016年2月21日日曜日

レビューと宗教

  インターネット上には様々な新商品に対するレビューに溢れている。情報伝達が主に雑誌だった頃は、そういったレビュー(新商品の紹介記事)も記者や専門のライターに依っていたが、現在では一般の人も自分なりの紹介という形でネット上にアップしている。そういったレビュー記事のアクセスが伸びるのは、現代ではやはりパソコンやタブレットやケータイなどのIT商品だろう。新商品の発売サイクルが短いIT機器は、その”鮮度”が物を言うので、注目を浴びる製品は誰もが早くに入手したいと思うものだ。決して安くはないそれら商品の性能や使い心地はどうなのか、入手前に知りたくもなる。さあ買おうとほぼ決心した商品のレビューほど熱心に読む。そうやって実際に自分の物になる前の時間を楽しんでもいる訳だ。
 やがて実際に商品を購入すると、もうレビュー記事を見る気は起きない。あれほど何度も見返した記事も、他人の感想などどうでもよいとばかりに、興味が消える。
 つまり、レビュー記事は、その紹介物を熱心に欲しがる人にこそ求められるもので、それは欲する人の欲求をさらに強くする。先に入手した者が後続者を(良くも悪くも)煽っているのである。自分の物にできそうだがまだ所有には至っていない時がもっとも”夢が膨らんで”ワクワクするものだ。それは、所有してしまうとワクワクは失われるという意味でもある。レビューはそのワクワクを担当していたのだから、ワクワクが失われればレビューを見る気も失せるわけだ。あれほど欲しがっていたものが、いざ所有できると何だか冷静になってしまっているという経験は誰でもある。「果たされるまでが、夢」である。

 ある状況に既に至った者が、後続者にその良さを教えて導こうとする図式は、死と関連する宗教にどこか似ている。宗教は既にある領域に至った者が、そこに至ろうとする後続者(信者)に、最終的な到達点やそこを目指すことの素晴らしさを説く。そのゴールが死後にもたらされる事になっているものでは、教義や宗教画などが言わばレビューとしてあり、僧侶など宗教者は熱心なレビュワーといったところだ。真の幸福が死後にあるのなら、生前は決してそれを手に入れることができない。「果たされるまでが夢」なのだから、信じる者にとっては、欲する気持ち(信心)は死ぬまで続くというわけだ。しかしだ、所有できてしまうとそれまでの熱が冷めてしまったように、死ぬことで極楽や天国へ到達し真の幸福を手に入れてしまったら、レビューつまり教義にももはや興味を持てなくなってしまうだろう。まあ、私たちのいる現世では、それを手に入れた者は1人もいないから、本当のところは決して分からないけれど。

2016年2月2日火曜日

告知 「絵を描く人のための 美術解剖学入門 頭頸部・男性・女性」開講

 新宿朝日カルチャーセンターにて、2月6日(土)から全3回の講座が始まります。
 1回目のテーマは頭頸部。2回目は男性。3回目は女性。全ての回にモデルが入ります。

 なぜ、1回目が頭頸部(くびから上)かと言うと、前回までの実技講座で、体幹と上肢と下肢を既にテーマとしたからです。毎回、どこかの部位をテーマとすることでピントを合わせた内容にしようと思っています。

 長く受講されている方から、一段階上がった内容のコースも欲しいと意見を頂いたことがあり、そのような中上級者コースもいつか実現できればと考えています。

 さて、今回の1回目のテーマである頭頸部は、ある意味、特殊な部位です。芸術でも肖像画や首像彫刻のように、この頭頸部だけを表したものが数多くあります。それはひとえに顔を作りたいからです。人類にとって顔はそれだけでその人の全てを象徴する部位であり、それだけ「観る目」も厳しくなります。
 顔を描こうとして、「かお」しか見ないと決して満足いくものにはなりません。「かお」は形態のユニットです。私たちはまず、ユニットを形成している部品の構造を明確にしなければなりません。このユニットとは、単に目、鼻、口の事を差しているのではありません。それらもまた「め」、「はな」、「くち」として見てしまうと概念的な仕上がりにしか到達できないでしょう。ここで言うユニットは、骨格(頭蓋)、筋肉、そして皮膚の三者を跨いでできる局所構造のことで、目や口などの概念的部位をも跨いでいます。
 形態としての顔は、それらユニットの組み合わせの結果に過ぎないとも言えるものです。

 顔は、テーマの頭頸部でいう”頭”に所属しています。次は”頸”です。「くび」と読みますがなぜ「首」ではないかというと、この首という漢字はそれだけで頭頸部全体を指し示すものだからです。つまり、頸部は頭と胸の間の細い部位だけを指し示しています。頸部は生物の部位としても興味深い部位ですが、芸術表現においても重要です。重要であるということは、以外と捉えにくいという事を意味してもいます。頸部はどうしても”細い円柱”として見えてしまうことが、造形の足かせになっているのかもしれません。頸と頭部の境界がどこか、ぱっと思い浮かぶでしょうか。頸はどこから胸部へと移行しているのかイメージできるでしょうか。頭の向きを変えたときに頸部はどう変形するのか知っていますか?

 顔をしっかりと頭部の構造内に落ち着かせるには、頸部との連結の表現が重要です。頸部はその大地である胸部へ安定して植わっていなければなりません。これら一連の構造を安定させるために、解剖学的構造を通して実際のモデルを観察し自ら描いていく中で理解を深めることが、この講座の目的です。

 講座の詳細はここをクリックして下さい。