2009年6月20日土曜日

芸術家はスルメよりイカを見よ

スルメを見てイカが分かるか、と言ったのは養老孟司さんだったと思う。正確には、養老さんが解剖学教授時代に誰かから言われた言葉だと記憶している。
そこでは、スルメをホルマリン固定された遺体として、イカを生きている人間として喩えている。
この話がどうまとまっていったのかは覚えていないのだけど、なるほど、心に突き刺さって抜けないセリフだ。
スルメを解剖して、顕微鏡で見ても、あの海で透き通った体で滑るように進む流線型の美しい生き物の像にはたどり着かないだろう。

人体を研究する名目で、大学では解剖が行われている。正常解剖と呼ぶ。それに使われるご遺体は、死後そのままではなく腐らないように処置がされている。
大抵はホルマリンで蛋白質を固定する。これは、生卵をゆで卵にするようなもので、その質感や性状は生前もしくは死後そのままのものとは変わってしまう。
その意味では、正常解剖はイカよりもスルメを解剖しているのに近い。つまり、解剖をしたからと言っても、そこで得られる知識は生身の人間の真実全てなどではなく、主に構造に偏らざるを得ない。
イカ(生きた人間)の内部を知っているのは、外科医だけということになろう。

さて、書店には解剖学書が多くあり、フルカラーで詳細な解剖図が多く載っている。私たちは、体内はあのようになっていると信じている。
しかし、あれは人間の意識によって整理されたもので、実際の体内はあのようには見えてこない。そのことは医学生たちは解剖実習で知る。
解剖図とは風景画のようなもので、それを絵描き(学者)がどう見たかが表されているということを、私たちは意識しない。

芸術で解剖をテーマに、もしくは表現素材として用いる芸術家は多くいるが、ほとんど全てが解剖図的な表現を用いている。
それは、彼らが参考として解剖図を用い、また、体内は解剖図のようになっていると信じている証だ。それは、かつて象や虎を見たことがない日本人が又聞きで描いたそれらの絵を彷彿とさせる。

生きた体内という自然は、実際にはどう目の前に展開されるのか。その真実は、外科医以外は想像を鍛えるしかないだろう。

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