2010年1月22日金曜日

橋本平八

前世紀の初期は、日本における近代彫刻が大きく花開いた時代だった。今でも名を知られる高村光太郎や荻原守衛(碌山)らを筆頭に、若い彫刻家たちが新しい彫刻表現を模索していたのである。当時、西洋からやってきた”ロダンという新しい表現”によって、伝統的な木彫を基本とする固有の彫刻表現が大きく攪拌されていた。

その揺籃期にあって、橋本平八は明らかに異彩を放っている。 代表作である、「裸形の少年像」や「或日の少女」、「幼児表情」(右の画像)などを検索して見ていただければ感じられると思うが、「妖しい」のだ。この、抽象的な感覚を客観的に言語化して伝えることはおそらく不可能だと思う。各人が見て感じるほかない。しかしながら、幾つかその手法に特徴を見ることが出来る。人物像の顔は明らかにアジア人(日本人)であるから、一見すると「和」な印象が強いが、実は「裸形の少年像」や「幼児表情」は明らかにエジプト彫刻を参考にしており、それによって、姿勢の安定感を作品に取り入れている。「花園に遊ぶ天女」の左に振った首の出方は、ミケランジェロの作品を思い出させるものだ。これらのように、形式を取り入れつつ表面的な技巧に陥っていないのは、形状に対する作家の深い洞察が働いていたことの証である。橋本は、形式の奥にある構造を見つめていた。

実際、「猫」を制作するに至って、事前に猫の死体を解剖したという。それが、自身の探求心からか、誰かから指示されてかは分からないが、彫刻は表面のみを撫でていてはいけないという理解と姿勢がそこにあったのは確かであろう。
その「猫」は、エジプトの影響を受けつつも、揺るぎない構造と、”ロダン的”量感をともなっており、その上に伝統的な「和」の雰囲気が融合して非常に完成度が高い。

橋本の「隠れ代表作」とでも言える作品がある。「石に就て(ついて)」だ。石の木彫である。モチーフとなった石ころも一緒に残されているがネットでは見つけられなかった。石ころその物は大して大きくなく、木彫はそれを拡大したものとなっている。
なぜ、石ころを彫ったか。こう述べている。

「彫刻の芸術的価値は、その天然の模倣でないことは勿論であるが、それと全く撰を異にし而も天然自然の実在性を確保する性質のもの即ち同じ石にも石であり乍ら、石を解脱して石を超越した生命を持つ石、そんな石が不可思議な魅力でもつて、芸術的観念に働きかけてくる。さうした石が石のうちに存在する。石の石らしさを超越した石。(略)左様な石が稀にあるのだから妙である。その石の不可思議と同じ感興を、他の人物なり動物なり、或は人物の部分例へば指なり、顔貌なりにも是が有るわけで、通例自分は彫刻的神秘的等の言葉でもつて感受するのであるが、仙とか神とかも左様な形式から導入することもある様だ。」

彼は文中の「仙」についてこう説明している。

「仙とは動なり。動とは静の終りなり。即ち静中動なり」

生き物に感じる、生命感。それは、躍動から生み出される。同様の感覚を動かないはずの樹木や、生きていないはずの石や枯木などにも感じ取れることがあり、それを「仙」としたようである。これは、彫刻で言われるムーヴマン(動勢)に近い。
動かない彫刻に躍動感を与える為に、彫刻家はそれがどこから生み出されるのかを常に探求してきた。それを感受するための感覚を常に鋭敏に保っていた。橋本が、石ころに「生命」を見いだし得たのは、その姿勢で生きていたことの証明である。

ところで、彼はその「生命」を石そのものにあるとしたが、現在なら、「生命」を感じ取る「私の脳」と言われるだろう。感覚は同じでも、意味合いは時代で変わる。

「石に就て」はまた、原石に対して拡大されているところと、台の部分が大きく取られているところも興味深い。
石が持つ重さや密度に加えて「生命」をも表そうとすると、木材では同じ大きさでは釣り合わないかもしれないし、主題に対して大きな台も、石ころが「生命」を宿すにはそれは、大地になければならないことを感じさせる。想像で、この作品から台を取り除いてみると何とも心許なく弱々しい物になってしまう。

石ころや岩を愛でる文化は日本には古くから在り、様々な物に命が宿るという考えも特別なものではない。そういった文化土壌の上に西洋的な合理主義が入り込んできた、そういう時代だから生まれた作品であるように思う。

なお、原石には「南無阿弥陀仏」の墨書がされている。

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