2010年2月3日水曜日

執念の造形 イフェ

イフェとは、かつてアフリカに栄えた王国とその文明の名称である。8世紀から15世紀頃までナイジェリア南西部に栄えたそうである。今ではヨルバと言う。
そのイフェ文化では、王の肖像がブロンズやテラコッタ、石などの素材で作られた。いわゆる「アフリカ美術」である。アフリカ美術と聞くと、プリミティブな表現を想像しがちであるが、イフェの美術を見ると、それは外部の者によって作られた偏見に過ぎないことが分かる。
イフェの特徴は、その写実的な表現にある。非常に冷静に頭部の構造を追って作られている。そして、それは現代のような一個人の作家によるものではなく、様式化されていた。恐らく、工房もしくは学校のようなものがあって、様式を伝承していたのだろう。

世界中のさまざまな文明の中で、多くの美術が生まれたが、様式的に高度な写実的表現が見られることはそれほど多くない。古くは、エジプトのアマルナ美術、ギリシアの古典美術がある。2000年から3000年も遡る話だ。古代ローマを挟んで、ヨーロッパで次ぎに写実表現が高度に実を結ぶのは16世紀のルネサンスまで待たなければならない。
このような、美術史でおなじみの系譜からイフェは外されている。しかし、ルネサンス以前において、彼らは高度な芸術的表現を得ていた。そのことが不思議でならない。イフェの頭部には表情がない。その点ではエジプト美術との遠い関連性があるかもしれないが、全く想像の域を出ない。ある日突然、形を捉える天才的彫刻家が現れてそれが様式として定着したとも思えない。きっと研究もされているのだろうが、私は知らない。

イフェの頭部は様式化されてはいても、生命感を失っていないものが多い。張りのある肌と、的確な構造のとらえ方、自制の効いた表現によってその彫刻的生命を維持している。このような高度な表現が、歴史の一点において西洋的文化もしくは造形観と隔絶していたような場所で生まれたという事実に驚かずにおれないのと同時に、人が持つ「造形感覚」の潜在的能力の可能性をそこに見るような思いがする。

エジプト、ギリシア、イフェ、ルネサンスと各時代を代表する芸術家達は、その時代の文化の後押しを受けながらも、ある種の「執念」を持って造形してきたように思う。文化という全体と個の執念が合わさることで、平時では到達できないような何かを人類は生み出してきたのではないだろうか。

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