「美人」という単語がある。通常は、女性に対して用いられるが、最近は、「イケメン」という対男性の単語も市民権を得た感がある。
美人とは何かは誰でも分かるだろうが、それを一般化しようとすると定まらない、おおざっぱで概念的な言葉でもある。
とは言え、それは顔を指しているのは確かで、それも正面から見た顔を思い浮かべるだろう。それは、私たち人間の顔面が著しく平坦化し、正面性を強めたことと、コミュニケーションの多くを発声と顔面筋の運動だけでまかなうようになったことと関係している。
黒目の両側に白目が常時見えている動物は人間くらいだろう。これがなかったら「目配せ」は出来ない。目が口ほどに物を言えるのも白目が見えるからこそだ。「芸能人の命」たる白い歯。私たちは親しい間柄の対話において、互いに幾度となく歯を見せ合う。両頬を上に持ち上げて(白目や白い歯という全反射し目立つ色の体構造を効果的に用いているのも興味深い)。顔面を赤くするのは緊張状態を表し、それが女性の唇に見られれば性的アピールにさえなる。
このような、顔面(まさに面planeだ)の重要性ゆえに美人も正面性のみが強調される。これは、短頭で平坦な顔面を持つアジア人の私たちにはありがたいことかもしれない。
しかしながら、そうはいっても、私たちの顔面は紙に描かれた面ではなく、頭蓋の構造から出来た凹凸があるわけで、それは、彫りの深い西洋人と同じである。私たちは、彫りが浅いのに過ぎない。
テレビなどを見ていると、そこに登場する女性は当然美しい人が多いが、構造的には正面性が強いひとがやはり多い。アイドルポスターがたるむと変顔に見えてしまうように、平面性の強い美しさは側面からの視点に少々弱さがある。
それでも、側面からでも美しさを保つひともいる。そういう人は頭部の構造そのものが美しいのだ。顔面のみならず、それが乗っかる頭部そのものが整っている。そういう人は構造美人とでも言いたくなる。
構造美人は、あらゆる視点に耐える美しさがあるから、平面性の強い私たちには憧れとなる。彫りの深い欧米人はこの点でアドバンテージがある。
この「問題」は、具象肖像彫刻でも見られる。のっぺり顔の日本人を、単なる立体似顔絵を超えて彫刻作品として成り立たせるのは、欧米人のそれを作るよりもハードルが高いことだと思う。それでもそのハードルを越えてきた優れた日本人の肖像彫刻はあるわけで、そこには作家の彫刻足らせるための努力が刻み込まれているのだと思う。
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