2010年7月6日火曜日

野生の美 内蔵

存在の調和が取れているものは、概して美しさを持っている。 そして、生き物のそれは「野生」ほど強く、飼い慣らされたものは(人為的な美しさはあれども)、それが弱い。
実際、家畜化された動物は、保護によって不要になった機能が退化して、そこに醜さが見られる。分かりやすい部分では、歯並び。野生動物の歯並びは非常に美しく、また、虫歯などもない。これが、家畜やペットのものになると、ガタガタで歯石だらけとなり、虫歯や歯槽膿漏にもなる。この症状は人間と同じだ。人間は、社会化という形で自己家畜化を進めたと言われるが、骨格の変成からもそれが伺えるのである。
他に、頭蓋底の形状なども人類のそれは野生動物と比べると、落ち着きがない。ガタガタしている。
目立たないけれど、腕や脚などの運動器にも同じような変化はあるのだろう。要するに、これら変化する部分は、体が外世界と関連しある部位なのである。体は本来、厳しい外世界に対応するように長い進化の時間をかけて作られた。それとバランスが取れるようになっている。しかし、家畜化により本来の性能が必要とされなくなりバランスが崩れ、それが様々な障害や「醜さ」として見えてくるわけである。言わば、300キロで走り続けるように作られたレーシング・カーを街乗り車として使うような強引さがそこにはある。

これが、内蔵になると見え方が変わる。内蔵、それも消化器は、食物の変化という形で外世界の影響を受けるが、それは運動器と比べるならわずかなものと言える。それに、食物が消化され栄養が吸収される過程そのものはなんら変更はない。その意味で、内蔵は家畜化されるか否かでの変化が少ない部分であろう。また、腸など一定の形態を持たないせいもあるだろうが、”内臓は家畜よりも野生のほうが美しい ”とは言えない。内臓はまだ野生を保っていると言えるのかも知れない。

内臓には調和による美を見いだすことが出来る。生きている状態での腹腔内が仮に透視できたとしたら、色鮮やかで張りがあって綺麗にまとまり、一定の調和をもって活動しているさまが見えるだろう。 そこには、外見からだけでは決して知り得ない、もう一つの色彩と量感の美があるのだ。私たち皆が持っている、野生の美である。

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