人体を造形するには、モデルの観察が必要になることが多い。美術大学などの美術系教育機関では授業でモデルデッサンを行う。作家としてモデルを雇う人は全体的には少数派だろうから、モデルデッサンと聞くと学校の授業を思い起こす経験者が多いのではないだろうか。それでも社会全体で見れば経験者の方が圧倒的に少ないから、一般的にはモデルデッサンと言われてもあまりピンと来ないのではないだろうか。
どういうことが行われているかと言えば、外から見えないようにカーテンが閉められた広めの部屋の真ん中に「モデル台」という30㎝ほどの高さの直径1.5メートルほどの台があり、そこに毛布が引いてある。そこでモデルさんがポーズを取る。ポーズはこちらが指定することもあれば、モデルさんに任せることも多い。実際、ほとんどのモデルさんが「絵になるポーズ」を心得ている。時々、個性的なポーズやアクロバティックなポーズで頑張るひともいるが、そういう人はごく少数だと思う。ポーズを取る時間は15分から20分で、続いて5分などの休憩を入れる。このポーズ、休憩のサイクルを全セッションの間繰り返す。時間管理はモデルさん自身がタイマーをセットするのが普通だ。アラームがなると描く側が「お願いします」と声を掛け、終わりの時は「ありがとうございました」や「お疲れ様でした」と声がけする。ポーズは全セッションを通して固定ポーズのこともあれば、ポーズごとに変えて貰うこともある。ポーズは「立ち」、「座り」、「寝ポーズ」がある。座りは、ポーズ台に腰を下ろすものや椅子に座るものもある。ポーズにモデルさんの個性が表れると言える。
モデルさんは、個性のある人が多いように感じるのだが、多分これは、単なる思い込みだろう。誰でも個人と対峙すればそれなりに個性的だ。通常はモデルさんに話しかけることはない。指導側は挨拶がてら少し会話することがあっても、絵描きの学生がわはポーズ前後の声がけ以外でモデルさんに話しかけることは通常ない。
モデルと描き手の関係性について考えてみたい。モデルという仕事の確立には、描き手という需要がまず存在しなければ成り立たない。描き手の需要に対してモデルが供給される。一対一ならば、ここに顧客としての描き手と商品としてのモデルが成り立つ。モデルは生きた人間なのだから商品という表現は引っ掛かるが、模範や広範的な型を意味する「モデル」と呼ばれるように、その存在の概念としては、「特定の誰か」ではなく「概念的なヒト」として取り扱われる性質のものでもある。その概念に対しての言葉であるなら、モデルとは商品であると言うことも出来るだろう。さて、描き手とモデルのシンプルな関係性は理解しやすい。描き手の必要に対してモデルが応じるということだ。やがて規模が大きくなると、描き手とモデルの間にエージェントが入り込む。要するにモデル派遣会社である。そこが窓口となることで、描き手はモデルを探しやすく、モデルも仕事を得やすくなった。現在の日本での美術教育機関では、エージェントを介する形態が一般的である。このことは、便利である一方で、描き手とモデルとの距離感をより遠ざけるものになった感は否めない。描き手は「発注者」としてエージェントに希望するモデルの性別や体型などを伝え、希望に近いであろうモデルが当日、モデルセッション会場に現れる。描き手はその人物が誰なのか全く知らずに描き、そして時間で終わる。発注者は料金をエージェントに払い、モデルはエージェントから代金を受け取る。こうして、「見る・見られる」だけが純粋化し、モデル・絵描きの関係性はドライなものになった。
絵描きは今や裸体を見たい(形態を確かめたい)に過ぎず、それが「誰」なのかは知る由もない。モデルは服を脱いでポーズをするに過ぎず、見るもの(絵描き)が何を知りたいと思っているのか知る由もない。こうしてモデルは人の「模型(モデル)」になりきる。
さて、この遠ざかった両者の関係性が、時々トラブルを生む。それはモデルが「模型」であり「ひと」であることに理由がある。描き手はモデルとして認識しているために「物」のように捉えてしまう。これは、それが否定されるべきものでもない。ここまで見てきて分かるようにモデルの存在そのものがそのニーズに応えるためにあるからだ。しかし、その為に悪意なく意識せず「人としてのモデル」に対して失礼な事をしてしまうことがある。例えば、不意に部外者がドアを開けてしまうとか、絵描きが近づきすぎてしまうとか、部屋が寒すぎるとか、色々あるだろう。きっと細かいことはもっとあるのだろう。しかしながら、「人としてのモデル」が何が不快なのか、それを完全に絵描き側が知ることは残念ながらできない。
モデルが「人として」不快な思いをしないように、また商品として適切に扱われるように、モデルエージェントが規定を設けているようだ。それは依頼を受けたときに規約として示されるのだろうが、私自身は直接依頼したことがないので”それを知らない”。なぜ、”知らない”を強調したか。これはおかしな事だからだ。モデルと描き手との関係性が純化し遠ざかった今、互いが互いをどのように扱ったらいいかも他者つまりエージェントに任されている。しかし、現場で対峙するのはあくまでもモデルと描き手なのだ。問題がおきるのはアトリエ内において、描き手とモデルという「人と人」との間に起こるのである。私自身、モデルセッションで何度も講義を行っているが、実際のところ「何が良くて、何がいけないのか」知らないのである。そんなのモデルの気持ちになって考えてみればいいじゃないかって?それはモデルにならなければ分からないことだと既に述べたし、それを描き手に要求するのは、エージェントを介する関係となった現在の両者ではフェアーではない。
モデルと描き手の関係が、特にここで述べてきているのは1対1ではなく、学校など多数の描き手がいるような状況(もっともよくある状況)では、ちょっとしたことで両者にとって心地よくないものになってしまうことがある。そこにはモデルを物として見るか人として見るかの「慣れない対応」を迫られる描き手による不手際と、モデルのうかがい知れない不安感が相まって起こるのだが、それを恐れて描き手が萎縮してしまうようなセッションは、もはやセッションとして成り立っていないというべきだろう。しかし、実際のところはそうならないための緊張感が常にアトリエに流れている。今や、描き手は「”脱いで頂いた”モデル」に最大限失礼の無いように留意しなければならない。これは、絵描きとモデルの関係性が本来と逆転している。「個人的に頼んでもいなければ、お金も払ってもいない(間接的に頼んでいるし払っている)どこかの誰かが私たちのために脱いでくれる。そのような献身的親切に失礼のないようにしなくてはいけない」というメンタルである。だから、モデルを見るというより「見させて頂く」というものになる。近づいて、じっと見たら失礼なんじゃないか。正面から顔を描いたらいけないんじゃないか。「・・・は失礼なんじゃないか」が蔓延する。実際、私の経験ではそのような空気感をセッションで感じることがある。こんな消極的姿勢では、まさに本末転倒である。
モデルが「裸になってくれるどこかの誰か」になった今、描き手はいつまでもモデルの扱いが分からないままで、それが問題なのだ。これを解消するために、モデルエージェントは、アトリエにおけるモデルの取り扱いを明文化し、それをモデルに持参でもさせたらどうだろうか。いまや彼らがモデルを保護する存在でもあるのだから。そうして言葉でがんじがらめにするのは、芸術活動とはなじまないという感じもするものの、これはモデルと芸術家という1対1の関係の話ではなく、学校など初級者が多数いるようなセッションでの想定である。何が良くて、何が行けないのか、その指針が示されれば、描き手たちもその中で安心してモデルと対峙できるだろう。明文化される段階において、絵描き側にニーズも当然そこに反映されなければならない。そうすることで、両者の関係性がより明らかにもなるのではないか。こういう事を言うとドライに聞こえるかもしれないが、そういう時代なのだとも思う。
2015年2月27日金曜日
2015年2月26日木曜日
ロダン 印象派彫刻
ロダンは印象派の彫刻家とも言える。いや、彼の生きた時代、場所からすれば、印象派の彫刻家と言って良い。ただ、印象派という言葉は、主に絵画芸術の運動と結びつけられるので、ピンと来ない。けれども、彼の造形を見れば、それが同時代の印象派絵画とそっくりのコンセプトが基にあることに気付く。要するにそれらは、実測に基づいた正確性というより、心に映る「らしさ」をより優先した造形である。また、彼の塑造の特徴である荒く見える粘土付けは、印象派絵画に見られる荒い筆のストロークを思い起こさせる。鑑賞者は、その整えられていない細部に、作家がまさに手を動かした証拠を目の当たりにし、そこに芸術家の心の動きを感じ取るのである。その作家の感動と同調するとき、彼の感動は私たちのものとなる。
思えば、絵画は印象派によって、外世界の描写から、作家の主観性へと対象が大きく変化したのだ。そこに描かれた風景は私たちの外の物ではなく、もはや内の物である。私たちが生きているように、その風景たちは独自の生命を持って立ち現れる。
ところで、印象派が絵画運動として見られるのは、絵画は光学的表現であって、それが眼という光学的器官を通して世界を見ることから始まる現象とリンクしている。つまり、印象派絵画は、「見る」や「見える」という視覚的、光学的感覚への探求が根底にある。
ロダンの彫刻に見られる激しい粘土付けのストロークが残る表面処理は、それがある程度の距離を離れて見られるときにもっともその効果を発揮する。その細かな凹凸の陰影が寄り集まり、それを包む大きな構造の陰影に”心地よいノイズ、もしくはリズム”を与える。凹凸が陰影として捉えられるとき、彫刻は光学的に捉えられる媒体となる。「触覚の芸術」から「視覚の芸術」へと延長が果たされているのである。
ロダンは、ボリュームやマッスのようにその存在感が強く謳われるが、それだけではなく、現代彫刻的な「非触覚的」で「光学的」な表現の近代的はじまりでもあるのだ。
さらにまた、「内的生命」を宿すと形容される彼の芸術も、まさしく印象派的手法によってもたらされたと言って良いだろう。ロダン彫刻が、それ以前と違って、作品独自の生命(感覚)を獲得し得たのは、それらがロダンという芸術家の生命が捉えた「生の印象」がそこに刻まれているからにほかならない。
思えば、絵画は印象派によって、外世界の描写から、作家の主観性へと対象が大きく変化したのだ。そこに描かれた風景は私たちの外の物ではなく、もはや内の物である。私たちが生きているように、その風景たちは独自の生命を持って立ち現れる。
ところで、印象派が絵画運動として見られるのは、絵画は光学的表現であって、それが眼という光学的器官を通して世界を見ることから始まる現象とリンクしている。つまり、印象派絵画は、「見る」や「見える」という視覚的、光学的感覚への探求が根底にある。
ロダンの彫刻に見られる激しい粘土付けのストロークが残る表面処理は、それがある程度の距離を離れて見られるときにもっともその効果を発揮する。その細かな凹凸の陰影が寄り集まり、それを包む大きな構造の陰影に”心地よいノイズ、もしくはリズム”を与える。凹凸が陰影として捉えられるとき、彫刻は光学的に捉えられる媒体となる。「触覚の芸術」から「視覚の芸術」へと延長が果たされているのである。
ロダンは、ボリュームやマッスのようにその存在感が強く謳われるが、それだけではなく、現代彫刻的な「非触覚的」で「光学的」な表現の近代的はじまりでもあるのだ。
さらにまた、「内的生命」を宿すと形容される彼の芸術も、まさしく印象派的手法によってもたらされたと言って良いだろう。ロダン彫刻が、それ以前と違って、作品独自の生命(感覚)を獲得し得たのは、それらがロダンという芸術家の生命が捉えた「生の印象」がそこに刻まれているからにほかならない。
2015年2月24日火曜日
死にものぐるいの形
「しっかり生きろ」や「何となく生きる」などのように、人としての生き方についての文言は多くある。要するに、社会に対してどれだけ関わっているかが、ここで問われている”生きる”の質だ。それとは別に、と言うか、生きるということの本質である”生物学的な生”で言うなら、人はすべからく「本気で生きている」ということになる。私たちの体は、細胞が受精したときから、一時たりとも、生きることに気を抜くと言うことをしない。
私たちは、気付いたときには「生きていた」から、生きるという現象をことさら不思議に思わないものだ。それが脅かされるような状況、つまり大けがや病気などになって初めて、普通に生きるということの驚異に気付くありさまである。我々が、自分の意思など遠く及ばない領域において”生きよう”としているのを実感するのは簡単である。息を止めてみればいい。自分の意思で、道具など使わずに息を止めて、それで死ねる人間はいない。
私たちは、35億年の長きに渡って、一度も途切れることなく継続できた、ほとんど奇跡的な現象の末裔である。それは、”生きよう”とするあまたの生命現象同士の篩いの掛け合いでもあった。地球上に登場してきた生物のほとんどがそこで通過できず、消えていった。だが、私たちは違った。残ったのだ。そこには、さまざまな過酷な状況を突破できた運と、何とかして乗り越えようとする生命現象的な意思とが見事に功を奏した幸運な成功者の姿がある。
そもそも「生まれた」という事実が、「生きよう」という現象の事実を物語っている。生きようとしない誕生など成り立たない。私たちを構成する60兆の細胞の全てが全身全霊で生きようとしていて、それによって構成された「私」という個体もまた全身全霊で生きようとしているひとつの体系なのだ。
だから現象としての生には、私たちの意識の入り込む隙間などない。私たちの存在は、何とか生き抜こうとするためにデザインされている。
「死にたい」なんて言葉をつい言いたくなるときもあるかもしれぬが、そんな言葉は体には関係がない。体が物言えるならこう言うだろう。
「そう思わなくたって、いずれそうなるさ」
多細胞生物としての個体死は必要だから用意されたものだ。私たちが35億年にわたり途絶えなかった成功の秘訣の1つが個体死の適応である。変わりゆく世界において変化に柔軟に、かつ常に刷新された形であるためには、そこに個の交代が必須である。だから、私たちの生には元から死もセットで組まれている。むしろ意味なく死なないことは害悪でしかない。それは、あたかも増殖を続けることで個体死をもたらす癌細胞を思い出させる。私たちの体は死ぬときを知っている。生きる意味が無くなったと判断されれば、速やかに生の継続を止める。
とにかく、私たちは皆、死にものぐるいで生きているのだ。自分の手を、鏡に映る顔を見て欲しい。無駄なお飾りでくっつけたような部分が1つでもあるだろうか。「死にものぐるいの生」に形を与えたら、人の形にたどり着いたのである。死にものぐるいの形である。
私たちは、気付いたときには「生きていた」から、生きるという現象をことさら不思議に思わないものだ。それが脅かされるような状況、つまり大けがや病気などになって初めて、普通に生きるということの驚異に気付くありさまである。我々が、自分の意思など遠く及ばない領域において”生きよう”としているのを実感するのは簡単である。息を止めてみればいい。自分の意思で、道具など使わずに息を止めて、それで死ねる人間はいない。
私たちは、35億年の長きに渡って、一度も途切れることなく継続できた、ほとんど奇跡的な現象の末裔である。それは、”生きよう”とするあまたの生命現象同士の篩いの掛け合いでもあった。地球上に登場してきた生物のほとんどがそこで通過できず、消えていった。だが、私たちは違った。残ったのだ。そこには、さまざまな過酷な状況を突破できた運と、何とかして乗り越えようとする生命現象的な意思とが見事に功を奏した幸運な成功者の姿がある。
そもそも「生まれた」という事実が、「生きよう」という現象の事実を物語っている。生きようとしない誕生など成り立たない。私たちを構成する60兆の細胞の全てが全身全霊で生きようとしていて、それによって構成された「私」という個体もまた全身全霊で生きようとしているひとつの体系なのだ。
だから現象としての生には、私たちの意識の入り込む隙間などない。私たちの存在は、何とか生き抜こうとするためにデザインされている。
「死にたい」なんて言葉をつい言いたくなるときもあるかもしれぬが、そんな言葉は体には関係がない。体が物言えるならこう言うだろう。
「そう思わなくたって、いずれそうなるさ」
多細胞生物としての個体死は必要だから用意されたものだ。私たちが35億年にわたり途絶えなかった成功の秘訣の1つが個体死の適応である。変わりゆく世界において変化に柔軟に、かつ常に刷新された形であるためには、そこに個の交代が必須である。だから、私たちの生には元から死もセットで組まれている。むしろ意味なく死なないことは害悪でしかない。それは、あたかも増殖を続けることで個体死をもたらす癌細胞を思い出させる。私たちの体は死ぬときを知っている。生きる意味が無くなったと判断されれば、速やかに生の継続を止める。
とにかく、私たちは皆、死にものぐるいで生きているのだ。自分の手を、鏡に映る顔を見て欲しい。無駄なお飾りでくっつけたような部分が1つでもあるだろうか。「死にものぐるいの生」に形を与えたら、人の形にたどり着いたのである。死にものぐるいの形である。
人をまとう魚
人体は、初めからこの形で地球上に現れたのではない。少なくとも科学的にはそう断言しても良いほどに条件が揃っているということだ。だから、遠い過去に遡るとその地球上にはどこにも人間の形は存在しなくなる。例えば7千万年前の恐竜時代には、まだ人間の形は存在していない。その頃の「やがて人間へと続く動物」はネズミや猫ほどの小さな4つ脚の哺乳類だったそうだ。このようにしてどんどんと過去へ遡れば、やがて体毛も消え、体温を作ることもせず、徐々に水辺へ近づき、仕舞いには水中へと入っていく。つまり、私たちはかつては魚の形だったのだ。進化の順で言い直せば、「魚の形が、人の形になった」のである。このように、進化的な長い時間を経てある生物の形が形成されることを系統発生とも言う。一方で、私たち個人は、あたりまえだが、母親から生まれる。それも魚の形で生まれてくることはない。だれでも、初めから人の形で世に出てくるわけである。だれでも生まれたときから人の形だから、私たちは生物史的にもずっと人間の形をしていただろうと漠然と思いやすい。だから、神話や宗教で語られる人類は初めから人間の形をしている。けれども、よくよく考えれば、生まれ出る前から母親の胎内ではすでに存在していた。その期間(およそ10ヶ月)の初めの2ヶ月は胚子期と呼ばれ、このころに体の器官が形成される。つまり、人の形がゼロから(いや、1個の細胞から)作り出されるのはこの2ヶ月間のお話ということである。この間の胚子の形の変化を見ると、細胞分裂からそのままスムーズに人の形ができて”いかない”ことに驚く。初めは尻尾が長く、顔の脇にはいくつもの溝がある。それはまるで数条のエラの切れ目を持つサメのようだ。やがて、腕と脚ははえ出てくる。その先にはヒレがある。そう、魚のヒレ。このヒレの水かき膜が消えていき、残された骨周りが指となる。このように、人の形の出来方はまるで魚から人への進化のようだ。このような人の形が形成されることを個体発生と言う。私たちひとりひとりも、はじめから人の形としてできるのではなく、まず魚をつくって、そこから人の形へと変形させているのだ。つまり、系統発生的に見ても、個体発生的に見ても私たちの体は「魚の変形体」というようなものだ。もしくは、「乾いた陸上生活に適応した魚のなれの果て」とでも言おうか。
魚の変形体である私たち。自らの形に魚の形の断片でも見出すことができるだろうか。そう思って見回してみれば、共通する構造はいくつか見出せる。目がふたつに口がある頭部。背骨や肋骨も共通している。しかし共通しない部分も多い。魚に耳は?まぶたがないぞ。首がないな。等々。もちろん、両者で最大の違いは呼吸器(エラと肺)だろうが、構造的に見えてくる違いが多い。そしてそのほとんどが、魚が上陸したことで身に付けざるを得なかった機能である。つまり、「後から加えた」ものだ。ここで、非常に興味深いのは、生物はどうやら初めから持っているものでなんとかやりくりしたいと思うものらしく、新しいものが必要となるとそれをゼロから作り上げることはせずに、もともと体にあるものを改変していく傾向があるということだ。だから上にも書いたように、私たちの腕や脚は上陸してお役ご免になったヒレの再利用であるし、空気の通り道である気管周りも、使わなくなったエラをリサイクルして作り上げている。
この時、ヒレから作り出された腕と脚は、水中時代とは比べものにならないほど大きな役割を担わされることになった。すなわち、重力に逆らって体を運ぶ、ということだ。その為に、この4本の突起の根本には筋が広く発達することになる。しかしそれらの筋は、もともとの体の中へ侵入することはない。体の表面に広くその場を求めた。それはまるで、地中に根を張ることができない大木が、その根を地中浅くしかし広く張るかの如くである。その結果、私たちの体の形を作り上げている筋肉は、層構造をなすことになる。それもだから、深層に魚時代の筋層を、浅層に上陸してからの筋層を重ねたかたちとなっている。
外から見ただけでは、見慣れた「人の形」だけが目につくが、その形は長い歴史の基にたどりついたものだ。そしてそれは、この形を目指してたどり着いたものではない。環境の変化に対峙したとき、その場その場で、手元にあった体を改変して何とか乗り越えてきた”結果のかたち”である。生物の形はだから、それが続く限り、いつでもが「暫定的完成形」ということなろう。
ところで、人体において、表層にまとっている「人の形」を取り去ると、そこには古い「魚の形」が立ち現れる。それは、3億5千万年前から隠してきた太古の姿、私たちのひとつの起源的な姿にも見えて興味深いのである。
魚の変形体である私たち。自らの形に魚の形の断片でも見出すことができるだろうか。そう思って見回してみれば、共通する構造はいくつか見出せる。目がふたつに口がある頭部。背骨や肋骨も共通している。しかし共通しない部分も多い。魚に耳は?まぶたがないぞ。首がないな。等々。もちろん、両者で最大の違いは呼吸器(エラと肺)だろうが、構造的に見えてくる違いが多い。そしてそのほとんどが、魚が上陸したことで身に付けざるを得なかった機能である。つまり、「後から加えた」ものだ。ここで、非常に興味深いのは、生物はどうやら初めから持っているものでなんとかやりくりしたいと思うものらしく、新しいものが必要となるとそれをゼロから作り上げることはせずに、もともと体にあるものを改変していく傾向があるということだ。だから上にも書いたように、私たちの腕や脚は上陸してお役ご免になったヒレの再利用であるし、空気の通り道である気管周りも、使わなくなったエラをリサイクルして作り上げている。
この時、ヒレから作り出された腕と脚は、水中時代とは比べものにならないほど大きな役割を担わされることになった。すなわち、重力に逆らって体を運ぶ、ということだ。その為に、この4本の突起の根本には筋が広く発達することになる。しかしそれらの筋は、もともとの体の中へ侵入することはない。体の表面に広くその場を求めた。それはまるで、地中に根を張ることができない大木が、その根を地中浅くしかし広く張るかの如くである。その結果、私たちの体の形を作り上げている筋肉は、層構造をなすことになる。それもだから、深層に魚時代の筋層を、浅層に上陸してからの筋層を重ねたかたちとなっている。
外から見ただけでは、見慣れた「人の形」だけが目につくが、その形は長い歴史の基にたどりついたものだ。そしてそれは、この形を目指してたどり着いたものではない。環境の変化に対峙したとき、その場その場で、手元にあった体を改変して何とか乗り越えてきた”結果のかたち”である。生物の形はだから、それが続く限り、いつでもが「暫定的完成形」ということなろう。
ところで、人体において、表層にまとっている「人の形」を取り去ると、そこには古い「魚の形」が立ち現れる。それは、3億5千万年前から隠してきた太古の姿、私たちのひとつの起源的な姿にも見えて興味深いのである。
2015年2月23日月曜日
解剖学に見る人間味 脊髄神経番号へのアイデア
解剖学は、自然物である人体を人間が理解できるように部位に分けてグループ化し名称を与えたものだ。だから、色々なところに人間の都合や癖のようなものが見え隠れして、ある意味、とても人間味溢れている。もっとも分かりやすいのは、解剖学名だろう。基本的には「分かりやすいように」という配慮のもとに命名されているのが分かるが、その基準が安定していない。例えば、「三角筋」や「方形筋」のように、見た目がそのまま名前になっているものがあると思えば、「胸鎖乳突筋」のように筋の着く場所を名前にしているものがあったりする。胸鎖乳突筋などは、骨の名前を知っていれば直ぐに分かるが、知らなければ何のことか想像も出来ない名称だろう。ちなみにこれは、「胸骨と鎖骨から始まって、(側頭骨の)乳様突起まで行く筋」という意味である。解剖学を学ぶ時はまず初めに骨学から入るものだが、それには上記のような理由があるわけだ。他に、構造の形状を示す名称には、よく使われる言葉が決まっている。それらは「溝」や「孔」など、一般的にもイメージしやすい言葉が多い。ただ、興味深いのがポチっと出っ張ったものには「乳頭」という言葉が与えられ、より大きな突起部は「乳様」と呼ばれることだ。どちらも女性の乳房をイメージして命名されている。歴史に登場する解剖学者はほぼ全て男性と言って良い。それが影響しているのかどうかは分からないけれど。
初めにも書いたように、解剖学は「人が勝手に決めた」ものだから、それに対する見直しや再発見は現在でも行われている。解剖学関係の論文では常に批判的視点から従来の記述に見直しが図られている。そういった中で概ね妥当だろうと判断されたものは、徐々に受け入れられ、やがて解剖学の成書に反映されるようになる。だから、解剖学の教科書に書かれている内容は「ほぼ信じて良いけれど、もしかしたら今は(今後は)見方が変わっているかも」というところである。
また、解剖学的な分類や名称は、機能よりも構造を重視しているようだ。脳神経は12対あるが、それを機能で見れば違う分け方ができるのだが、とりあえず「頭蓋に開いた孔から出る神経」という程度で12対としたのだろう。それがそのまま継承されている。「分かりやすいから、それでいいんだよ」という”ゆるさ”が感じられるのである。
神経で、背骨から出てくるものを脊髄神経という。それはひとつひとつの脊椎の間から左右に出てくる。それを上から数字が振って脊柱の部位毎にグループ分けされている。人間の脊椎の数は決まっていて、頸椎が7つ、胸椎が12、腰椎が5、仙骨1つに尾骨となる。ただ、仙骨は5個の椎骨のくっついたものである。さて、ここから出てくる脊髄神経の数だが、椎骨の間から出てくるのだから、椎骨の数と同じで良いと思いたいところだ。ところが実際は頚神経が8、胸神経が12、腰神経が5、仙骨神経が5、尾骨神経が1である。お気づきのように、頚神経だけが椎骨の数より1つ多い。頸椎の一番上には頭蓋が乗っかっている。この頭蓋と第1頸椎との間からも脊髄神経は出てくる。これを「1」とカウントして始まる。すると、肋骨が始まる第1胸椎の上の隙間までが「8」になるのである。それで、第1胸椎の下の隙間から「胸神経1」が始まるのだ。そのように教科書にはしらぁ〜と書かれるので、こちらも「ふんふん」とそのまま受け取ってしまう。けれども、これがちょっとくせ者なのだ。まず、頸部だけ椎骨の数と数が違うのがそもそもすっきりしない。それに、頚神経だけが頸椎の「上」と神経の数が同じになり、そのせいで第1胸椎の上が第8頚神経とややこしく、更に、胸神経以下では、椎骨の「下」と神経の数が同じになるという”直感的わかりにくさ”を生んでいる。大体この解説を読んでも全くピンと来ないだろう。それは、この頚神経を8つとしたことが原因なのだ。
単純に一番上から、椎骨の分類と同じ数でグループ分けすればそれでよいのに、と思う。つまり、頸7、胸12、腰5、仙骨5、である。で、最後の尾骨神経を従来の1から2にすれば良い。仮にこうすると、胸神経以下のナンバリングが全て1繰り上がることになる。このほうがそこから出てくる神経の種類もよりスッキリするように思われる。例えば、上肢への神経は腕神経叢という神経の「絡まり」を作るが、それは頸5、6、7、8、胸1から始まる。(これ以下より頚をC、胸をT、腰をL、仙骨をSと表記)。このうちC8とT1が合わさって下神経幹を構成するが、繰り上げればよりシンプルに「下神経幹はT1、T2」となる。つまり尺骨神経は胸神経由来と言い切ってしまう(!)。これは脊髄神経の皮膚支配域を示すデルマトーム図を見ても、その方がすっきりと見える。
ナンバリングを1つずらすことですっきりするのは、下肢の支配神経群である腰仙骨神経叢でも同様である。通常、腰神経叢はL1からL4までで構成されるが、細い線維が1つ上のT12からもやってきている。1つ繰り上げてT12をL1とすれば問題ない。腰神経叢から出る神経の支配域は下腹部から陰部の前面と大腿部前面である。そして、L5から始まる仙骨神経叢は臀部から下肢の後面と下腿部、そして陰部に及ぶ。つまり、大まかに言えば、腰神経叢が下半身の前面を、仙骨神経叢が下半身の後面を担っている。そして、その境界つまり2つの神経叢の境界がL4とL5の間という事になる。これも1つ繰り上げれば、腰神経叢はL1からL5、仙骨神経叢はS1からの始まりとなって、明解になる。要するに腰椎部から出る神経は前面、仙骨部からは後面と言い切れるのだ。両の神経叢を跨ぐ腰仙骨神経幹がL5になるわけで、これも現状のL4という”途中感”から抜け出られるではないか・・。
とまあこんな風に、既存の記載内容にケチを付けつつ見るのも、たまには楽しいかもしれない。500年の知識の積層の上で遊んでみるわけである。
初めにも書いたように、解剖学は「人が勝手に決めた」ものだから、それに対する見直しや再発見は現在でも行われている。解剖学関係の論文では常に批判的視点から従来の記述に見直しが図られている。そういった中で概ね妥当だろうと判断されたものは、徐々に受け入れられ、やがて解剖学の成書に反映されるようになる。だから、解剖学の教科書に書かれている内容は「ほぼ信じて良いけれど、もしかしたら今は(今後は)見方が変わっているかも」というところである。
また、解剖学的な分類や名称は、機能よりも構造を重視しているようだ。脳神経は12対あるが、それを機能で見れば違う分け方ができるのだが、とりあえず「頭蓋に開いた孔から出る神経」という程度で12対としたのだろう。それがそのまま継承されている。「分かりやすいから、それでいいんだよ」という”ゆるさ”が感じられるのである。
神経で、背骨から出てくるものを脊髄神経という。それはひとつひとつの脊椎の間から左右に出てくる。それを上から数字が振って脊柱の部位毎にグループ分けされている。人間の脊椎の数は決まっていて、頸椎が7つ、胸椎が12、腰椎が5、仙骨1つに尾骨となる。ただ、仙骨は5個の椎骨のくっついたものである。さて、ここから出てくる脊髄神経の数だが、椎骨の間から出てくるのだから、椎骨の数と同じで良いと思いたいところだ。ところが実際は頚神経が8、胸神経が12、腰神経が5、仙骨神経が5、尾骨神経が1である。お気づきのように、頚神経だけが椎骨の数より1つ多い。頸椎の一番上には頭蓋が乗っかっている。この頭蓋と第1頸椎との間からも脊髄神経は出てくる。これを「1」とカウントして始まる。すると、肋骨が始まる第1胸椎の上の隙間までが「8」になるのである。それで、第1胸椎の下の隙間から「胸神経1」が始まるのだ。そのように教科書にはしらぁ〜と書かれるので、こちらも「ふんふん」とそのまま受け取ってしまう。けれども、これがちょっとくせ者なのだ。まず、頸部だけ椎骨の数と数が違うのがそもそもすっきりしない。それに、頚神経だけが頸椎の「上」と神経の数が同じになり、そのせいで第1胸椎の上が第8頚神経とややこしく、更に、胸神経以下では、椎骨の「下」と神経の数が同じになるという”直感的わかりにくさ”を生んでいる。大体この解説を読んでも全くピンと来ないだろう。それは、この頚神経を8つとしたことが原因なのだ。
単純に一番上から、椎骨の分類と同じ数でグループ分けすればそれでよいのに、と思う。つまり、頸7、胸12、腰5、仙骨5、である。で、最後の尾骨神経を従来の1から2にすれば良い。仮にこうすると、胸神経以下のナンバリングが全て1繰り上がることになる。このほうがそこから出てくる神経の種類もよりスッキリするように思われる。例えば、上肢への神経は腕神経叢という神経の「絡まり」を作るが、それは頸5、6、7、8、胸1から始まる。(これ以下より頚をC、胸をT、腰をL、仙骨をSと表記)。このうちC8とT1が合わさって下神経幹を構成するが、繰り上げればよりシンプルに「下神経幹はT1、T2」となる。つまり尺骨神経は胸神経由来と言い切ってしまう(!)。これは脊髄神経の皮膚支配域を示すデルマトーム図を見ても、その方がすっきりと見える。
ナンバリングを1つずらすことですっきりするのは、下肢の支配神経群である腰仙骨神経叢でも同様である。通常、腰神経叢はL1からL4までで構成されるが、細い線維が1つ上のT12からもやってきている。1つ繰り上げてT12をL1とすれば問題ない。腰神経叢から出る神経の支配域は下腹部から陰部の前面と大腿部前面である。そして、L5から始まる仙骨神経叢は臀部から下肢の後面と下腿部、そして陰部に及ぶ。つまり、大まかに言えば、腰神経叢が下半身の前面を、仙骨神経叢が下半身の後面を担っている。そして、その境界つまり2つの神経叢の境界がL4とL5の間という事になる。これも1つ繰り上げれば、腰神経叢はL1からL5、仙骨神経叢はS1からの始まりとなって、明解になる。要するに腰椎部から出る神経は前面、仙骨部からは後面と言い切れるのだ。両の神経叢を跨ぐ腰仙骨神経幹がL5になるわけで、これも現状のL4という”途中感”から抜け出られるではないか・・。
とまあこんな風に、既存の記載内容にケチを付けつつ見るのも、たまには楽しいかもしれない。500年の知識の積層の上で遊んでみるわけである。
2015年2月22日日曜日
解剖学とヌードクロッキー その情報量の差
Benvenuto Cellini "A Satyr" 1544/1545 |
裸体を目の前にすると、例えば肩周りだけを観察しても、そこに現れる起伏の複雑さは相当なものだ。解剖学の教科書レベルで記述されている内容が、いかにその一部を極断片的に伝えているに過ぎないかを、実感する。そして、医学解剖学ではほとんど触れられない皮下組織の影響をまざまざと見せつけられるのである。つまり、皮下脂肪と皮膚の厚みによる影響だ。また、筋が作り出す凹凸も、単純に「力んだところが盛り上がる」というだけではない。例えば、通常モデルはポーズ中は静止している。しかし、生きているからゆらゆらと揺れるし、ときにはピクッと動く。その瞬間だけに凹凸が顕著に浮かび上がるのである。自動車が動き出すときにギアを一速に入れるように、動き始めに大きく筋収縮が起きているのだ。筋の部位ごとの境界線も、教科書のように素直に見えるとは限らない。例えば、肩の三角筋と、上腕三頭筋との境界など直ぐに分かるように思われるかも知れないが、実際には平均的な皮下脂肪量のモデルさんでは、定かではない。一言で言えば両者はほとんど一体として見えるのである。皮下脂肪が相対的に多い女性ではほぼ分かれて見えることはない。下肢の太ももやふくらはぎも同様で、解剖図譜のように各筋の境界線がそのまま立ち現れることの方がまれだ。内転筋とハムストリングスなどまず見えることはない。腓腹筋が内と外で分かれて見えることもない。これらの構成筋がその輪郭を明らかにするのは、皮下脂肪の少ない人において、先にも書いたように運動の瞬間(初動時)に限られるように思われる。
とまあ、上記に挙げた例も、実際の裸体を前にすると極々小さな問題に過ぎず、膨大な「形態の事実」の大波にのみ込まれてしまうのが本当のところだ。
この波に飲み込まれることを拒み、むしろ波に乗ってコントロールしてしまおうというのが、15世紀の初期ルネサンスから見られる「芸術家による解剖学の応用」だったのだろう。しかし、それをなすことは並々ならぬ努力があったに違いない。そこには強烈な意思がなければ、なしえないことだ。よく、美術史書などには、「解剖学を応用することで人体描写に現実性を持たせることが可能になった」というように簡単に書くが、「解剖学」を理解することだけでも大事であり、「人体描写」ができるだけでも大変な努力が要り、その両者を掛け合わせて「描写に現実性を持たせる」というゴールまで到達させるのは、並大抵の事ではないのだ。しかも、ここでのゴールは描写技術に限ったことであり、芸術はさらにそこに「画題」を語らせなければならないのである。高度に完成された芸術作品ほど、その表情はあくまで自然であるから、それが生み出される過程の多大な労力の積み重なりを隠す。
私自身、人体の存在感の源泉として人体解剖学を捉えているのだが、その情報量と、実際の人体の情報量との格差に愕然とするものだ。科学という説得力と芸術という表現力とを融合させたところに、いわゆるマスターピースと呼ばれる作品たちの表現が存在している。あの目、あの技術のほんの裾の端でも良いから、掴めるような、そういう瞬間、領域にたどり着くことが出来るのだろうか。
解剖学を知っても人体を造形できるようにはならない。それは、ごく始まりに過ぎない。骨や筋の名称を知ったところで、残念ながらそれらの知識は造形上、ほとんど意味を成さないのである。だから意味がないというのではない。それらは、「あいうえお」を習うのに等しい。人体描写を説得力あるものにしたいと思うなら、解剖学は初めに修めてしまうほうがよい。そして、その基礎力を基にしつつ、実物に出来るだけ触れなければならないのだろう。結局それは、過去の巨匠たちが通ったのと似た道である。
ところで、人体の形態に関するシビアさは、医学解剖学より芸術のほうが遙かに厳しい。ただ芸術領域はそれを言語化して明言していないだけである。だから、医学解剖学書だけでは、芸術における要求を満たすことは出来ない。では美術解剖学書ならよいか、というと残念ながらそれも叶わない。なぜならそう謳っている書のほとんどが、単純に医学解剖学書を水で薄めたような内容に過ぎないからだ。つまり、現代においても人体描写に関する情報は明文化された形で手に入ることはないのである。真の意味での美術解剖学書というのを私は見たことがない。
私たちができることは、解剖学で人体の形態に関する輪郭線を知り、実際の観察を通してそこに肉付けをしていくことだけであろう。結局これが最も効率的で近道であるということなのだろう。
2015年2月21日土曜日
「私」と「いのち」はどこに? 電脳人格と機械犬
現在、インターネット上のネットワークを利用した人工知能の開発が進行しているという。その現状のいくつかが先日テレビで紹介されていた。その技術はマーケティング予想などで既に用いられているそうだが、その他に、「ひとの意識」問題にせまる研究も行われている。そのひとつは、既に亡くなっている人を人工知能で「蘇らせる」というもの。生前の画像や動画や日記、手紙など故人と関係する情報を次々と与えていくことで、人工知能が自律的にキャラクターを作り上げていくそうだ。情報が増えることで、その人工知能が返してくる返事はより故人のそれに近づいていく。そうして作り上げられる人工知能としての故人と自分の間に、ふたりの間でしか成立しないような親密な会話が成り立ったとき、人工知能は亡くなる前のその人と同じなのか、別人なのか。しかし、そこにあるのは「声」だけである。
別の例では、全くの仮想的な人格を生成させる。最終的にはその人工知能に感情が生まれるのかどうか、というところも含めて研究している。これは、出力媒体として、人間に似せた首から上のロボットが作られ、それが質問者に対して語りかける。シリコーンの皮膚を持ったリアルな首だけの肉体が、ぎくしゃくと動いて「機械声」で語りかける光景は80年代のSF映画の様だ。
マーケティング予想でも有効な回答を出すように、人工知能は非常に的確(であるように思われる)回答をしてくる。仮想的な人格でも成り立つほどの“精度”を持っていると言える。そうでありつつ、我々が知り得るのはいつも回答だけで、それがどのようにして無数の情報ネットワークから引き出されたのかは、提示されないのだという。その意味においても、私たち自身の意識と似ているように思われる。私たちは意識や感情は”実感”しても、それがどのように自発的に生み出されているのかは分からない。
今この瞬間にも、人工知能は膨大なネットワークを組み込んで、自らの知を膨らませ続けている。そこにやがて自発的な感情が生まれるのだろうか。それとも、それは既にあるのかも知れない。
人工知能が「情報」というソフトウェアであるなら、人工的な「身体」つまりハードウェアの研究もまた日々伸び続けている印象を受ける。すなわち、ロボットだ。10年ほど前にホンダが発表した人型ロボットは世界中に驚きを与え、我々一般人も日本の隠された産業技術力に驚きまた期待したものだったが、どうもそれ以降は飛躍的進歩は控えているように感じられる。その一方で、ここ数年、主にインターネットでコンスタントに話題に上るのがアメリカのボストン・ダイナミクス社が開発する4つ脚のロボットだ。頭部を欠いた胴体と脚だけの構成で、けたたましい動作音と共に、力強く動き回る。どうやら軍事使用が念頭にあるらしく、悪路でも自律的にバランスをとって歩行できることが何よりの「売り」らしい。やはり、自分で立つということが、機械が我々動物の仲間入りが出来るかどうかの第一関門ということか。
同社が配信した最新動画が最近ニュースで取り上げられた。そこで登場する4つ脚ロボット「Spot」が姿勢を保持しながら歩く姿は素晴らしく、また動画の中では姿勢保持技術の紹介として”伝統の”足蹴りが行われる。立っているSpotの脇腹あたりを横から思い切り男性が蹴りつける。するとSpotは、横に振られるがすかさず脚を踏み込み素早くバランスを取り直すのである。さて、ニュースで話題となったのはこのシーンだが、そこで取り上げられたのはロボットの姿勢安定技術ではなく、「ロボットを蹴るのが残酷だ」という視聴者の感想のほうだった。ロボットとは言え、足蹴にされる姿を見るのは心が痛む、他に表現方法はなかったのか、といった感想が多く挙げられたそうだ。同社がこれまで発表した4つ脚ロボットはこれまで、「LS3」、「Bigdog」、「Wildcat」と言った呼称が付けられていたが、今回は「Spot」である。これはペットの犬を想起させる。Spotの体もいままでのロボットより細く小さく、動きもスムーズで、より動物らしく見える。動画を見るひとには、犬のSpot(日本人ならポチやハチ)が思い切り足蹴にされているように感じてしまったのだ。動画をみたひとはこれが命なき機械だと当然分かっているはずである。Spotは蹴られたところで痛みも感じないし、”飼い主に裏切られた”と思う心もない。内蔵された高度なセンサーが駆動系と連動して見事なバランス保持を成し遂げたに過ぎない。そんなことは分かっている。しかし、脇に立つ男性に渾身の力で蹴られ、ふらつきながらも姿勢を正し、静かに佇もうとするSpotを見ると、多くの人が(いや潜在的にはほとんど皆が)心のざわつきを感じてしまうのである。この時、私たちの心には、ロボット犬Spotが自分たちと同じ生き物として映っている。心なく命なき機械に生命を見ているのである。
はじめに挙げた人工知能と、”ロボットを蹴らないで”というニュースは、『私たちにとって「生ある対象」という存在が、いったいどこに存在しているのか』という疑問に、ある示唆を与えてくれる。つまり、「命はどこにあるのか」という疑問だ。命は生物が持っているに決まっていると言われる。学校でもそう習った。では、学校で習った生物と非生物の違いで分けるならば、ここで出てきた人工知能の故人もロボット犬Spotも非生物ということで片付いて、取り立てて問題にも上がらないのではないだろうか。これらが私たちの興味関心を引くのは、まさにそのジレンマに感覚がくすぐられるのである。”物質なき人工知能”に生命が宿っているはずがない。そう断言できるはずなのに、そこには確かに”あの人”を感じ取ることも出来る。Spotも然り。そこには確かに生命を感じる。その感覚、感情をごまかすことはできない。では、機械たちの生命はどこにあるのだろうか。それは、私たちの内にあるとしか言いようがない。私たちの脳は、機械にせよコンピューターにせよ、その「振る舞い」のなかに生命を見るのである。そのように進化してきた。この「振る舞い」はとても広い範囲に及ぶ。それは突然の嵐に”怒り”を見たり、転がっている石ころに神という存在を見ることも含んでいる。人類が神の姿に人間や生き物の姿を見て、それを表現してきたように、「振る舞い」に見る生命感覚は、私たち自身に近づくほど強くなるようだ。だから、自然物そのままのカタチからやがて人の姿となり、それはポーズを付けるように変化していく。
だから、本来は生命感覚と生命現象とは分ける必要がある。生来的に私たちが持っているのは生命感覚である。これは物質である私たち自身が長い進化の間に動くようになり、そこから生命と非生命とを選別するために必須の感覚として獲得したものであろう。実際、敵を岩と勘違いするより、岩を敵と勘違いする方が、同じ間違いでも我が身を助ける。この生命感覚に対して、生命現象はあくまで科学の視点において見出されたひとつの概念に過ぎないと言える。私たちが生物の授業などで聞く、生物の定義うんぬんの話もここに属する。ちなみに現在の生物学においては生物の最小単位を細胞に置く。その見方ではだから、人間個人はおよそ60兆の命の集合体とも見なせる。そのように「個人」は「集合体」へ明確に分けられる存在となり、その概念は身体部位の取り替えも当然と言わせるのである。しかし、生命現象の定義のあいまいさを見れば、意識による後付けの強引さを感じもする。例えば身近なウィルスは生物か非生物か明確に言えない。
人工知能やロボット犬の例を待たなくとも、同様の感覚は日常的に味わっている。愛着のある物が捨てられなかったり、人形を壊すことに対する不快感などもそうだ。それらは私たちにとって、単なる命無き物質ではなく、確かに私たち同様に感覚ある存在として感じられるのである。この共感を持つがゆえに芸術という行為がうまれたといって良いだろう。
このことはまた、私やあなたといった個人の存在の所在にもスポットを当てる。誰でも確固たる自分の存在を感じることができる。この自意識があなたを規定し、それが他者や社会においても同様であると信じる。私たちは自意識をそのまま外部に対しても適応する癖があるから、自分の思う自分がそのまま他人にとってもそうであろうと思い込むのだ。しかし、これも実は違うという事実の断片を、例えば写真に映った自分や録音された自分の声への違和感からも知ることができるだろう。それに、他者に依る自分の印象を聞いて、「私の事を分かってないな」と感じたこともあるだろう。しかしそれは、こちら(つまり主観的な私)から見た一方的な視点に過ぎない。結局の所、自分の信じる自分とは、自意識の中にしかおらず、他者の中には他者が見たあなたがいることになる。他者が認識するあなたとは、あなたが人工知能に見る人格と、存在の重さにおいて差違がないのである。私たちはいつも表象をながめ、そこに自らの意識が自らに向ける生命感や自意識を投影することで理解しようとする。だからあなたが思うあなた自身と、世界が見るあなたの間にはかならず違いがある。「私」とは、各々が自意識で感じる隔絶的な存在なのかもしれない。あなたの信じるあなた自身とはあなたの中にしか存在していないかもしれない。つまり隣人が知っているあなたと、あなた自身の知っているあなたは別人であるとも言えるのだ。
人工知能やロボットに命ある存在や人格を投影するのは、私たちの本能だと言える。その指向は日常的に他者に向けられている。私たちは皆、他者の存在やその振る舞いから自己の中にその人を作り上げ、それと向き合っているのだ。同様に、私たち自身も、自意識が示す自分とは異なる自分が外世界に作り出され生きているのである。
私が小学生の頃に、仲良くしていた同級生がある日こんなことを言った。「知ってる。人形には命があって、生きているんだ。」私はそのことの意味を感覚において十分に同意できたにもかかわらず、”知識として間違っている”として、彼の意見を否定した。普通は感じていても言葉にしない曖昧な感覚を、彼は家族との会話か何かで聞いて始めて意識化し、その不思議さを仲間に開帳して見せたのだろう。当時の私は、言葉として「人形が生きている」と認めることはできなかったし、友人が違う価値観を示してきたことに対して否定的な感情を抱いたのだ。しかし、今ならこれが生命感覚と生命現象という、「いのち」を基点としつつも向いている方向が全く違うものをごちゃまぜに捉えてしまった私に非があることが分かる。「人形には命があって、生きている」ことを私たちは昔から知っていたし、それは人体をモチーフとした芸術を人類が作り続けていることが証明している。何より、それを否定すれば、この世界で生きているのは自意識で感じることができる私ひとりということになり、更に、その私は他者から見れば生きていないというおかしな矛盾に陥るのだから。
「いのち」の在る場所と「私」の居る場所を巡るさまざまな見方は、結局はいつも同じ場所にありながら、その見え方だけが時代ごとに変わっていく。人工知能は意識を持つのか? ロボットの犬ならば蹴り飛ばしても構わないのか? これらは現代的な形で、生命や意識の、そしてあなた自身の所在を私たちに問いかけている。
別の例では、全くの仮想的な人格を生成させる。最終的にはその人工知能に感情が生まれるのかどうか、というところも含めて研究している。これは、出力媒体として、人間に似せた首から上のロボットが作られ、それが質問者に対して語りかける。シリコーンの皮膚を持ったリアルな首だけの肉体が、ぎくしゃくと動いて「機械声」で語りかける光景は80年代のSF映画の様だ。
マーケティング予想でも有効な回答を出すように、人工知能は非常に的確(であるように思われる)回答をしてくる。仮想的な人格でも成り立つほどの“精度”を持っていると言える。そうでありつつ、我々が知り得るのはいつも回答だけで、それがどのようにして無数の情報ネットワークから引き出されたのかは、提示されないのだという。その意味においても、私たち自身の意識と似ているように思われる。私たちは意識や感情は”実感”しても、それがどのように自発的に生み出されているのかは分からない。
今この瞬間にも、人工知能は膨大なネットワークを組み込んで、自らの知を膨らませ続けている。そこにやがて自発的な感情が生まれるのだろうか。それとも、それは既にあるのかも知れない。
人工知能が「情報」というソフトウェアであるなら、人工的な「身体」つまりハードウェアの研究もまた日々伸び続けている印象を受ける。すなわち、ロボットだ。10年ほど前にホンダが発表した人型ロボットは世界中に驚きを与え、我々一般人も日本の隠された産業技術力に驚きまた期待したものだったが、どうもそれ以降は飛躍的進歩は控えているように感じられる。その一方で、ここ数年、主にインターネットでコンスタントに話題に上るのがアメリカのボストン・ダイナミクス社が開発する4つ脚のロボットだ。頭部を欠いた胴体と脚だけの構成で、けたたましい動作音と共に、力強く動き回る。どうやら軍事使用が念頭にあるらしく、悪路でも自律的にバランスをとって歩行できることが何よりの「売り」らしい。やはり、自分で立つということが、機械が我々動物の仲間入りが出来るかどうかの第一関門ということか。
同社が配信した最新動画が最近ニュースで取り上げられた。そこで登場する4つ脚ロボット「Spot」が姿勢を保持しながら歩く姿は素晴らしく、また動画の中では姿勢保持技術の紹介として”伝統の”足蹴りが行われる。立っているSpotの脇腹あたりを横から思い切り男性が蹴りつける。するとSpotは、横に振られるがすかさず脚を踏み込み素早くバランスを取り直すのである。さて、ニュースで話題となったのはこのシーンだが、そこで取り上げられたのはロボットの姿勢安定技術ではなく、「ロボットを蹴るのが残酷だ」という視聴者の感想のほうだった。ロボットとは言え、足蹴にされる姿を見るのは心が痛む、他に表現方法はなかったのか、といった感想が多く挙げられたそうだ。同社がこれまで発表した4つ脚ロボットはこれまで、「LS3」、「Bigdog」、「Wildcat」と言った呼称が付けられていたが、今回は「Spot」である。これはペットの犬を想起させる。Spotの体もいままでのロボットより細く小さく、動きもスムーズで、より動物らしく見える。動画を見るひとには、犬のSpot(日本人ならポチやハチ)が思い切り足蹴にされているように感じてしまったのだ。動画をみたひとはこれが命なき機械だと当然分かっているはずである。Spotは蹴られたところで痛みも感じないし、”飼い主に裏切られた”と思う心もない。内蔵された高度なセンサーが駆動系と連動して見事なバランス保持を成し遂げたに過ぎない。そんなことは分かっている。しかし、脇に立つ男性に渾身の力で蹴られ、ふらつきながらも姿勢を正し、静かに佇もうとするSpotを見ると、多くの人が(いや潜在的にはほとんど皆が)心のざわつきを感じてしまうのである。この時、私たちの心には、ロボット犬Spotが自分たちと同じ生き物として映っている。心なく命なき機械に生命を見ているのである。
はじめに挙げた人工知能と、”ロボットを蹴らないで”というニュースは、『私たちにとって「生ある対象」という存在が、いったいどこに存在しているのか』という疑問に、ある示唆を与えてくれる。つまり、「命はどこにあるのか」という疑問だ。命は生物が持っているに決まっていると言われる。学校でもそう習った。では、学校で習った生物と非生物の違いで分けるならば、ここで出てきた人工知能の故人もロボット犬Spotも非生物ということで片付いて、取り立てて問題にも上がらないのではないだろうか。これらが私たちの興味関心を引くのは、まさにそのジレンマに感覚がくすぐられるのである。”物質なき人工知能”に生命が宿っているはずがない。そう断言できるはずなのに、そこには確かに”あの人”を感じ取ることも出来る。Spotも然り。そこには確かに生命を感じる。その感覚、感情をごまかすことはできない。では、機械たちの生命はどこにあるのだろうか。それは、私たちの内にあるとしか言いようがない。私たちの脳は、機械にせよコンピューターにせよ、その「振る舞い」のなかに生命を見るのである。そのように進化してきた。この「振る舞い」はとても広い範囲に及ぶ。それは突然の嵐に”怒り”を見たり、転がっている石ころに神という存在を見ることも含んでいる。人類が神の姿に人間や生き物の姿を見て、それを表現してきたように、「振る舞い」に見る生命感覚は、私たち自身に近づくほど強くなるようだ。だから、自然物そのままのカタチからやがて人の姿となり、それはポーズを付けるように変化していく。
だから、本来は生命感覚と生命現象とは分ける必要がある。生来的に私たちが持っているのは生命感覚である。これは物質である私たち自身が長い進化の間に動くようになり、そこから生命と非生命とを選別するために必須の感覚として獲得したものであろう。実際、敵を岩と勘違いするより、岩を敵と勘違いする方が、同じ間違いでも我が身を助ける。この生命感覚に対して、生命現象はあくまで科学の視点において見出されたひとつの概念に過ぎないと言える。私たちが生物の授業などで聞く、生物の定義うんぬんの話もここに属する。ちなみに現在の生物学においては生物の最小単位を細胞に置く。その見方ではだから、人間個人はおよそ60兆の命の集合体とも見なせる。そのように「個人」は「集合体」へ明確に分けられる存在となり、その概念は身体部位の取り替えも当然と言わせるのである。しかし、生命現象の定義のあいまいさを見れば、意識による後付けの強引さを感じもする。例えば身近なウィルスは生物か非生物か明確に言えない。
人工知能やロボット犬の例を待たなくとも、同様の感覚は日常的に味わっている。愛着のある物が捨てられなかったり、人形を壊すことに対する不快感などもそうだ。それらは私たちにとって、単なる命無き物質ではなく、確かに私たち同様に感覚ある存在として感じられるのである。この共感を持つがゆえに芸術という行為がうまれたといって良いだろう。
このことはまた、私やあなたといった個人の存在の所在にもスポットを当てる。誰でも確固たる自分の存在を感じることができる。この自意識があなたを規定し、それが他者や社会においても同様であると信じる。私たちは自意識をそのまま外部に対しても適応する癖があるから、自分の思う自分がそのまま他人にとってもそうであろうと思い込むのだ。しかし、これも実は違うという事実の断片を、例えば写真に映った自分や録音された自分の声への違和感からも知ることができるだろう。それに、他者に依る自分の印象を聞いて、「私の事を分かってないな」と感じたこともあるだろう。しかしそれは、こちら(つまり主観的な私)から見た一方的な視点に過ぎない。結局の所、自分の信じる自分とは、自意識の中にしかおらず、他者の中には他者が見たあなたがいることになる。他者が認識するあなたとは、あなたが人工知能に見る人格と、存在の重さにおいて差違がないのである。私たちはいつも表象をながめ、そこに自らの意識が自らに向ける生命感や自意識を投影することで理解しようとする。だからあなたが思うあなた自身と、世界が見るあなたの間にはかならず違いがある。「私」とは、各々が自意識で感じる隔絶的な存在なのかもしれない。あなたの信じるあなた自身とはあなたの中にしか存在していないかもしれない。つまり隣人が知っているあなたと、あなた自身の知っているあなたは別人であるとも言えるのだ。
人工知能やロボットに命ある存在や人格を投影するのは、私たちの本能だと言える。その指向は日常的に他者に向けられている。私たちは皆、他者の存在やその振る舞いから自己の中にその人を作り上げ、それと向き合っているのだ。同様に、私たち自身も、自意識が示す自分とは異なる自分が外世界に作り出され生きているのである。
私が小学生の頃に、仲良くしていた同級生がある日こんなことを言った。「知ってる。人形には命があって、生きているんだ。」私はそのことの意味を感覚において十分に同意できたにもかかわらず、”知識として間違っている”として、彼の意見を否定した。普通は感じていても言葉にしない曖昧な感覚を、彼は家族との会話か何かで聞いて始めて意識化し、その不思議さを仲間に開帳して見せたのだろう。当時の私は、言葉として「人形が生きている」と認めることはできなかったし、友人が違う価値観を示してきたことに対して否定的な感情を抱いたのだ。しかし、今ならこれが生命感覚と生命現象という、「いのち」を基点としつつも向いている方向が全く違うものをごちゃまぜに捉えてしまった私に非があることが分かる。「人形には命があって、生きている」ことを私たちは昔から知っていたし、それは人体をモチーフとした芸術を人類が作り続けていることが証明している。何より、それを否定すれば、この世界で生きているのは自意識で感じることができる私ひとりということになり、更に、その私は他者から見れば生きていないというおかしな矛盾に陥るのだから。
「いのち」の在る場所と「私」の居る場所を巡るさまざまな見方は、結局はいつも同じ場所にありながら、その見え方だけが時代ごとに変わっていく。人工知能は意識を持つのか? ロボットの犬ならば蹴り飛ばしても構わないのか? これらは現代的な形で、生命や意識の、そしてあなた自身の所在を私たちに問いかけている。
2015年2月17日火曜日
「ヒトのカタチ、彫刻」感想その2 作品について
本展のカタログのテキストにも書いたが、彫刻はライヴショー的な要素をはらんでいる。つまり、鑑賞者が劇場つまり展示会場へ赴かなければ味わうことができない。そんなことはない、写真などの画像でも見られるではないかと思うかも知れないが、それは彫刻の最も重要な要素がすっぽりぬけおちた幻影、影に過ぎない。それはつまり、「立体感」である。立体感には付随する幾つかの感覚がある、すなわち、量感であったり重量感であったりするものだ。それらが互いに解け合いつつ、しかし全体をまとめ上げ彫刻として空間内に確立させる最重要の感覚が立体感だ。立体感はまず、私たちの左右両目で対象を見るということから始まる。人の両目が2つ並んで同じ方向を向いているのは、他ならぬこの立体感を得るためである。しかし、ここで分けておきたいことは、立体視と立体感の違いだ。両目で見ることが立体視である。空間上のある一点を両目で見ると、右と左の目では僅かなズレが生じる。そのズレから目と点との距離を得る。それらは目玉の裏で細胞興奮へと翻訳され脳において様々に分解統合が行われる。その過程において生み出されるのが立体感である。
しかし、この世界で映像や画像が溢れていることから明らかなように、私たちは量感なき映像でも不自由することがほとんどない。人間の両眼立体視はかつて樹上で生活するために役立ったという。つまり、空間内において自分の体の位置を相対的に捉えるために必要だった。簡単に言えば、木の枝から落ちずに移動できるために必要だった。自然界の目を持つ生き物を見回しても、この両眼立体視をするものは圧倒的に少ない。そして、その多くがハンターである。彼らは自らの体を動かし、獲物と自分との距離を視覚から精密に測る。こうしてみると、両眼で距離を取る行為には、生きるための必要に迫られた身体能力であることがわかる。片眼をつぶしたチーターなどは生きていけないだろう。それは我々にとってもそうだったに違いない。枝から枝へ移れなければ死ぬしかなかったのだ。しかし、人間となった今では、両眼立体視に生死をかけることはもはやなくなった。立体感がなくても生きられるなら、それでいい。脳にとっては画像処理の手間が省けて省エネになるというものだ。だから、カメラという「片眼」で捉えられた世界の画像を違和感なく受け入れる。画像、写真ははなから距離感、立体感という情報を持っていない。それに慣れた私たちは、写真に撮られた彫刻も、実際に肉眼で見た彫刻も同じだと思い込んでしまうのだ。彫刻にとって、最も重要な、それ自体を成り立たせる根本的アイデンティティーである「立体感」だけがすっぽりと抜け落ちているというのに。彫刻という芸術に取り憑かれている人は、その立体感がもたらす、一種の迫力に惹かれているに違いない。それは存在感とも表現される。
今回、美術館の入り口を入ると、藤原彩人氏の作品がまず目に飛び込む。首を逆さにして壺に見立てた大きなもの。会場のエントランスホールが奥まで見える。そこに青木千絵氏の大きな作品が横向きに立っている(吊されている)のが見える。そして光が大量に降り注ぐ左側の白い床に、藤原氏の白い人体が列を成して立っている。この人体は実物より小さく(2分の1ほどか)、写真で見ると線が細く華奢に見える。しかし、実物は違う。もっと太く、しっかりと堅く、エッジの立った鋭利な印象さえ抱かせる。おそらくそれは思いの外細かく造形された顔など末端処理に依るのだろう。美術館の入り口でこれらの作品が目に飛び込んできたとき、写真ではこれを伝えることはできないことを再認識した。
藤原氏の作る人体は概ねどれも同じフォルムをしている。そして二本脚で立っている。頭が細く下に行くほど太くなり、足は大きい。それは可塑性を持っていた粘土が自重と闘いつつ自立するために必要な形態でもある。だから、組成が違う人間と同じ形には”なれない”。なで肩で上に行くと細く長くなる様は、まるでソフトクリームの先っぽのようだ。藤原氏がこの人体形状について、興味深いことを言っていた。原型を作っているときの作品と自分との距離がこの形にも反映されているという。だから、等身より小さいこの人体に近づいて、作家が作っていたときほどにまで近づいて、上から見下ろすと、遠近差によって頭部が大きく、足が小さく見える。作品の形には実に様々な要因が関係している。ぜひ、実作を上から見下ろして「逆ダヴィデ現象」を味わって欲しい。
会場入り口に置かれた人頭の壺は、分かりやすく分かりにくい。私は思うのだが、この「分かりにくい」にどれだけ「旨味」がつまっているかが芸術は大事なんじゃないかな。ひっくり返った頭部。普段の制作で、型から外した人体像の頭部を見て思いついたそうだ。頭頂部を開口させず、首がわをそのまま口とした。それが良い。首は物質の通り道だ。空気や食べたものを通している。空気や食べ物はどちらも顔にあいた穴すなわち鼻と口が起点である。壺となっても首は本分を果たしている。同作は「意識の壺」と名付けられ、釉薬は顔面部で両手の輪郭をなして避けて流れる。作家のお子さんが両手で顔を覆って自分が消えたと信じている・・そんな微笑ましい親としての視点もヒントとなっているようだ。幼児はまず親を「顔だけの存在」として認識するという。親が顔だけならば自分もなおさらだろう。この壺の顔は見えない手で顔を覆って隠れたつもりで居るが、その耳穴だけは開けていて周囲をしっかり捉えようとしていた。彼は顔面の物質門を閉じ、耳という情報門だけを開け放つ。鼓膜で音は情報化され脳の意識に積み重ねられる。
会場でその大きさから目を引くのは、青木千絵氏の縦に長い造形物。磨かれた漆は深い黒の光沢を放つ。胴体は上に行くに従って茶色くなりさらに白濁して行く。一見すると木目のようだがそうではない。極々単純に形を言うなら、円柱と脚だが、円柱が持つ曲線は胴体部分では背骨の持つ弯曲となり、そのまま尻へと繋がる。脚の表面は滑らかだがその量は力強い男性のそれだ。足首が細く、足指も独立して長い。日本人というより西洋人の体を思わせる。少なくとも、青木氏の身体表現には西洋彫刻の流れを見て取れる。その傍らには、横たわった下半身と巨大な黒い水滴のようになった上半身がある。もう一つの作品は、立位前屈をしているように見える。しかしこれも上半身はひとつの塊に溶けている。大きく曲げられた背中が作る、背骨とその両脇の筋肉の盛り上がりが詳細に追われている。青木氏の人体表現には、局所にこだわりを見る。その仕上がりにこだわりを感じる。局所への偏執的とも見えるような追求が工芸的な要素なのだろう。この3体の作品たちは、みな脚という運動器だけを留めて、あとの体は形を失った。体の形は、氷が溶けて1つの水滴となるようにまとまり、体積に対して最小の面積を外界に晒す。溶けた部分には体幹と上肢があった。上肢は運動器だが、人間では体を運ぶと言うより、物を運び、先端の手指はコミュニケーションツールでもある。体幹は内臓を含んで、私たちが生きるのに必須の部位である。そして意識の座、脳がある。脳も腕もなく溶けた体幹は重々しくもある。そこでは意識、無意識が交ざり判別がつかない。しかし、脚だけは力強く、まるで動物としてこれだけは失うわけにはいかないのだと、訴えているようだ。自然界において(そして私たち人間も)、動けなくなることは死を意味する。動くことは、まさしく「動く物」である私たちの宿命である。縦に長い作品「昇華」だけは印象が違う。題名も言っているように、この体は上へ昇り、拡散している。上へと引っ張る力は足先まで伝わり、まだ人の形をしているつま先も、もはや宙に浮いている。おそらく数秒後には、彼は天へと引き伸ばされ拡散して消える。そこでは個はなく何かと渾然一体となるのだろう。私たち陸上生物は、常に体の一部が地面と繋がっている。そこから他動的に引き離されることに非常な恐怖を感じる。いや、かつて幼児だった頃はそれを受け入れ、安心感へと繋がっていた。私たちはいつも親から持ち上げられ、抱きかかえられ、運ばれていたのだから。しかし、自意識が確立し、自由に体を操れるようになると、こんどはそれを拒むようになる。自意識の赴く方角へ自分を運ぶことが、自分を広げ生かす事に直結していることを知る。だから、それを他者によって奪われることは、負け、諦め、そして死をも意味する。どれほどの俊足を誇っていても、1ミリ宙に持ち上げられるだけで、もはや無力なのである。だから、「昇華」の彼の下半身はまだ力を目一杯入れて、最後の反抗を試みようとしているようにも見える。つま先まで力に満ちている。しかし浮いてしまった。もう、彼の身体能力は意味を成さず、間もなく彼は現状を受け入れざるを得ないだろう。一体、彼を昇華させるものは何か、それは彼が望んだことか、それとも抗えない大きな存在だろうか。
会場奥に設置された津田亜紀子氏の作品たちは、少々先の2作家とは趣を異にする。もちろん、「ヒトのカタチ」をしているが、その存在意義が異なっている。先に挙げた藤原氏と青木氏の作品たちが「それ自体で生きている存在」として表されているに対して、津田氏のそれはあくまで表象されたものとして映るのである。それらは、物語であり、夢であり、記憶である。だからそれは一時ヒトのカタチを成しているものの、表面には布地による色彩とパターンが溢れ、存在の量感をかき消す。それらは存在とは違うベクトルのストーリーを語る絵画である。作品たちは体中に窓枠のような出っ張りが出ている。これは原型から型取りするときに作られる型の枠の残りで、通常は仕上げ処理の段階で丁寧に削り取られるものだ。これが積極的に作品に残されることで、「これらのヒトのカタチは、カタチに過ぎず、生きている物そのものではありません」と断りを述べている。ならば、そこに生気を感じないか、というとそうでははい。それは残された記憶や夢を喚起させ、見る物それぞれの脳内にいるかもしれない彼女たちが動き出すのである。あくまで模られた存在としてそこにあり、かつてどこかにいたようなリアリティを想起させるもの。津田氏の作品を見てすぐに思い浮かんだのは、ポンペイの石膏人だった。古代ローマ時代に突然の火山噴火に伴う火砕流で多くの住民が灰に埋もれた。それは長く伝説だったが、18世紀に再発見され、研究者は死体が腐ってできた人の形の空間(そこには骨だけが残されている)に石膏を流し込むことで、住民の最後の姿を復元したのである。それはまさしく、死の瞬間の表象である。その形を見る者たちは、おのおのの脳内で彼らの最後を繰り返し見るのだ。
彫刻は、ロダン以降、作品そのものが生きていると見なされる「内的生命」となった。これは彫刻としての生命である。だからそれを成り立たせる要素として、生物学的なそれを割り当てる必要など無い。そこはあえて強調すべきであろう。彫刻家が見出す内的生命とは、三木成夫が言うところの”鑑照畏敬的”な姿勢によって見出される、言わば生命現象の”すがたかたち”のことである。だから、彫刻がヒトのカタチをしているから人に近いとか、抽象形態だから生きていないとか、そういうことは全く言えないのである。今回の展示では、人の形をしている彫刻が集った。藤原氏の作品は2本脚で立っている。だからといって、これが人間が実際に立つ行為の単なる写しと言えるだろうか。人間が二本脚で立つのは、生きている間だけだ。ほとんど動かずに立ちすくむこともできるが、その時の体は多くの筋と感覚を動員して不断の見えざる運動を続けることで立っている。立つだけでも、運動である。藤原氏の作品は人が立つのとは根本的に違う。より正しく言うなら彼らは「2本脚で置いてある」のである。そう言い切ってしまうとしらける感もあるが、それでは、ここで立っている意味は何だろうか。彼らは人が立つという”すがたかたち”が写し取られた形態である。本来自立しない物質が、そうすることで、「立つ」という私たち人間にとって呼吸と等しいような無意識的運動の奇妙さと、「二本脚で立つが故にヒトである」という定めにスポットを当てるのである。
「Living presence」として立ち上がる、ヒトのカタチたち。それらは、鑑賞、鑑照されることで命を宿す。それは、見る側、私たち自身の命の反射に他ならない。
しかし、この世界で映像や画像が溢れていることから明らかなように、私たちは量感なき映像でも不自由することがほとんどない。人間の両眼立体視はかつて樹上で生活するために役立ったという。つまり、空間内において自分の体の位置を相対的に捉えるために必要だった。簡単に言えば、木の枝から落ちずに移動できるために必要だった。自然界の目を持つ生き物を見回しても、この両眼立体視をするものは圧倒的に少ない。そして、その多くがハンターである。彼らは自らの体を動かし、獲物と自分との距離を視覚から精密に測る。こうしてみると、両眼で距離を取る行為には、生きるための必要に迫られた身体能力であることがわかる。片眼をつぶしたチーターなどは生きていけないだろう。それは我々にとってもそうだったに違いない。枝から枝へ移れなければ死ぬしかなかったのだ。しかし、人間となった今では、両眼立体視に生死をかけることはもはやなくなった。立体感がなくても生きられるなら、それでいい。脳にとっては画像処理の手間が省けて省エネになるというものだ。だから、カメラという「片眼」で捉えられた世界の画像を違和感なく受け入れる。画像、写真ははなから距離感、立体感という情報を持っていない。それに慣れた私たちは、写真に撮られた彫刻も、実際に肉眼で見た彫刻も同じだと思い込んでしまうのだ。彫刻にとって、最も重要な、それ自体を成り立たせる根本的アイデンティティーである「立体感」だけがすっぽりと抜け落ちているというのに。彫刻という芸術に取り憑かれている人は、その立体感がもたらす、一種の迫力に惹かれているに違いない。それは存在感とも表現される。
今回、美術館の入り口を入ると、藤原彩人氏の作品がまず目に飛び込む。首を逆さにして壺に見立てた大きなもの。会場のエントランスホールが奥まで見える。そこに青木千絵氏の大きな作品が横向きに立っている(吊されている)のが見える。そして光が大量に降り注ぐ左側の白い床に、藤原氏の白い人体が列を成して立っている。この人体は実物より小さく(2分の1ほどか)、写真で見ると線が細く華奢に見える。しかし、実物は違う。もっと太く、しっかりと堅く、エッジの立った鋭利な印象さえ抱かせる。おそらくそれは思いの外細かく造形された顔など末端処理に依るのだろう。美術館の入り口でこれらの作品が目に飛び込んできたとき、写真ではこれを伝えることはできないことを再認識した。
藤原氏の作る人体は概ねどれも同じフォルムをしている。そして二本脚で立っている。頭が細く下に行くほど太くなり、足は大きい。それは可塑性を持っていた粘土が自重と闘いつつ自立するために必要な形態でもある。だから、組成が違う人間と同じ形には”なれない”。なで肩で上に行くと細く長くなる様は、まるでソフトクリームの先っぽのようだ。藤原氏がこの人体形状について、興味深いことを言っていた。原型を作っているときの作品と自分との距離がこの形にも反映されているという。だから、等身より小さいこの人体に近づいて、作家が作っていたときほどにまで近づいて、上から見下ろすと、遠近差によって頭部が大きく、足が小さく見える。作品の形には実に様々な要因が関係している。ぜひ、実作を上から見下ろして「逆ダヴィデ現象」を味わって欲しい。
会場入り口に置かれた人頭の壺は、分かりやすく分かりにくい。私は思うのだが、この「分かりにくい」にどれだけ「旨味」がつまっているかが芸術は大事なんじゃないかな。ひっくり返った頭部。普段の制作で、型から外した人体像の頭部を見て思いついたそうだ。頭頂部を開口させず、首がわをそのまま口とした。それが良い。首は物質の通り道だ。空気や食べたものを通している。空気や食べ物はどちらも顔にあいた穴すなわち鼻と口が起点である。壺となっても首は本分を果たしている。同作は「意識の壺」と名付けられ、釉薬は顔面部で両手の輪郭をなして避けて流れる。作家のお子さんが両手で顔を覆って自分が消えたと信じている・・そんな微笑ましい親としての視点もヒントとなっているようだ。幼児はまず親を「顔だけの存在」として認識するという。親が顔だけならば自分もなおさらだろう。この壺の顔は見えない手で顔を覆って隠れたつもりで居るが、その耳穴だけは開けていて周囲をしっかり捉えようとしていた。彼は顔面の物質門を閉じ、耳という情報門だけを開け放つ。鼓膜で音は情報化され脳の意識に積み重ねられる。
会場でその大きさから目を引くのは、青木千絵氏の縦に長い造形物。磨かれた漆は深い黒の光沢を放つ。胴体は上に行くに従って茶色くなりさらに白濁して行く。一見すると木目のようだがそうではない。極々単純に形を言うなら、円柱と脚だが、円柱が持つ曲線は胴体部分では背骨の持つ弯曲となり、そのまま尻へと繋がる。脚の表面は滑らかだがその量は力強い男性のそれだ。足首が細く、足指も独立して長い。日本人というより西洋人の体を思わせる。少なくとも、青木氏の身体表現には西洋彫刻の流れを見て取れる。その傍らには、横たわった下半身と巨大な黒い水滴のようになった上半身がある。もう一つの作品は、立位前屈をしているように見える。しかしこれも上半身はひとつの塊に溶けている。大きく曲げられた背中が作る、背骨とその両脇の筋肉の盛り上がりが詳細に追われている。青木氏の人体表現には、局所にこだわりを見る。その仕上がりにこだわりを感じる。局所への偏執的とも見えるような追求が工芸的な要素なのだろう。この3体の作品たちは、みな脚という運動器だけを留めて、あとの体は形を失った。体の形は、氷が溶けて1つの水滴となるようにまとまり、体積に対して最小の面積を外界に晒す。溶けた部分には体幹と上肢があった。上肢は運動器だが、人間では体を運ぶと言うより、物を運び、先端の手指はコミュニケーションツールでもある。体幹は内臓を含んで、私たちが生きるのに必須の部位である。そして意識の座、脳がある。脳も腕もなく溶けた体幹は重々しくもある。そこでは意識、無意識が交ざり判別がつかない。しかし、脚だけは力強く、まるで動物としてこれだけは失うわけにはいかないのだと、訴えているようだ。自然界において(そして私たち人間も)、動けなくなることは死を意味する。動くことは、まさしく「動く物」である私たちの宿命である。縦に長い作品「昇華」だけは印象が違う。題名も言っているように、この体は上へ昇り、拡散している。上へと引っ張る力は足先まで伝わり、まだ人の形をしているつま先も、もはや宙に浮いている。おそらく数秒後には、彼は天へと引き伸ばされ拡散して消える。そこでは個はなく何かと渾然一体となるのだろう。私たち陸上生物は、常に体の一部が地面と繋がっている。そこから他動的に引き離されることに非常な恐怖を感じる。いや、かつて幼児だった頃はそれを受け入れ、安心感へと繋がっていた。私たちはいつも親から持ち上げられ、抱きかかえられ、運ばれていたのだから。しかし、自意識が確立し、自由に体を操れるようになると、こんどはそれを拒むようになる。自意識の赴く方角へ自分を運ぶことが、自分を広げ生かす事に直結していることを知る。だから、それを他者によって奪われることは、負け、諦め、そして死をも意味する。どれほどの俊足を誇っていても、1ミリ宙に持ち上げられるだけで、もはや無力なのである。だから、「昇華」の彼の下半身はまだ力を目一杯入れて、最後の反抗を試みようとしているようにも見える。つま先まで力に満ちている。しかし浮いてしまった。もう、彼の身体能力は意味を成さず、間もなく彼は現状を受け入れざるを得ないだろう。一体、彼を昇華させるものは何か、それは彼が望んだことか、それとも抗えない大きな存在だろうか。
彫刻は、ロダン以降、作品そのものが生きていると見なされる「内的生命」となった。これは彫刻としての生命である。だからそれを成り立たせる要素として、生物学的なそれを割り当てる必要など無い。そこはあえて強調すべきであろう。彫刻家が見出す内的生命とは、三木成夫が言うところの”鑑照畏敬的”な姿勢によって見出される、言わば生命現象の”すがたかたち”のことである。だから、彫刻がヒトのカタチをしているから人に近いとか、抽象形態だから生きていないとか、そういうことは全く言えないのである。今回の展示では、人の形をしている彫刻が集った。藤原氏の作品は2本脚で立っている。だからといって、これが人間が実際に立つ行為の単なる写しと言えるだろうか。人間が二本脚で立つのは、生きている間だけだ。ほとんど動かずに立ちすくむこともできるが、その時の体は多くの筋と感覚を動員して不断の見えざる運動を続けることで立っている。立つだけでも、運動である。藤原氏の作品は人が立つのとは根本的に違う。より正しく言うなら彼らは「2本脚で置いてある」のである。そう言い切ってしまうとしらける感もあるが、それでは、ここで立っている意味は何だろうか。彼らは人が立つという”すがたかたち”が写し取られた形態である。本来自立しない物質が、そうすることで、「立つ」という私たち人間にとって呼吸と等しいような無意識的運動の奇妙さと、「二本脚で立つが故にヒトである」という定めにスポットを当てるのである。
「Living presence」として立ち上がる、ヒトのカタチたち。それらは、鑑賞、鑑照されることで命を宿す。それは、見る側、私たち自身の命の反射に他ならない。
「ヒトのカタチ、彫刻」感想
今回、静岡市美術館で開催中の「ヒトのカタチ、彫刻」展にテキストで参加させて頂き、私自身、彫刻と人体という最も興味深いテーマについて考える良い機会となった。カタログには、私のほかに金井直氏が批評文を、同館学芸員の以倉氏と伊藤氏が近代彫刻の流れから今回の作家までの流れとその制作過程についての文章が載っている。私の文章は、今回の作家さんについてではなく、彫刻と人体の構造的に見た相似点を挙げることで、物理的に見ても彫刻と人体は存在として似ているというようなことを述べた。
カタログに記載されている、自分を含めて4名の文章を見て、実に彫刻の鑑賞領域の狭さというものを実感した。というのは、4名がそれぞれの立場で自由に彫刻について語っているにもかかわらず、その要点が結局のところ皆同じなのだ。触覚、表面、内と外などなど。事象として彫刻を語ろうとすると、とどのつまり、そこに置いてある物質について言っているに過ぎない。それは、間違っているわけではないのだが、なんだか滑稽にも思えた。大の大人達が石ころでも取り囲んで、腕組みしながら、言葉をひねり出しているような・・。だが勿論、狭い視野で眺めているだけではなく、そこに現れている形態や姿勢から素材とはまた違う文脈的要素へと分析が降りて行く。つまり、幅が狭く、深い。なるほど、見渡す範囲が狭くとも、深さ奥行きはどこまでも伸ばせる。深さ、というところがまた立体物である彫刻にふさわしい。
さて、学芸員(学芸課長)の以倉氏の文章は、まず近代彫刻に至る流れを俯瞰しその流れの先端として今回の3名の作家を位置づける。私たち、そして作品も突然時空に現れたのではなく、何らかの時系列的流れに属している。本人がそれに気付かずとも。彫刻の進化的流れは時代を通して一定であったわけではなく、そこには発展停滞の緩急が当然見て取れよう。そのなかで、現代に繋がる大きく勢いのある流れが起こったのが19世紀後期であり、その核が当然ながらオーギュスト・ロダンということになる。だから、現代の彫刻家や美大予備校彫刻科学生が皆口にする「量感、マッス、構築性、重量感、空間性」という言葉が示す彫刻的感覚も遡って初めに現れる堰はロダンである。ロダンは実に現代の彫刻に見られるおよそ全ての核を1人で作り出したように見える。彫刻の真の自立もまたロダンによって成された。同テキストでの「内的生命」、「自己言及的な姿」というものだ。ロダンの後に英国彫刻を世界に知らしめたヘンリー・ムーアも自身の彫刻を「それ自体が生きている存在」としての価値を与えようとした。つまり、ロダン以後の彫刻は、生きている物を模している物体ではなく、生きている物そのものとして表されるようになった。これは何だか奇妙にも感じる。20世紀に入ると科学技術は急速に発展し、人という生き物の意味合いも変わっていった。それは一見、有機的統合体から断片的存在へと人の概念が解体され標本化していく過程を思わせるが、近代彫刻が目指してきた方向は、物に生命を重ねて信じさせるような、言ってみれば呪術的な臭いさえ漂うようなコンセプトがそこに見られるのである。偶像崇拝の無意味さに気付き、理性的判断で空間と人体を分析し、芸術表現と科学とを融合させて新しい次元を開いて見せたイタリア・ルネサンスのほうがよほど”近代的態度”として見えるほどだ。クラウスは前世紀半ば頃には”これが彫刻だ”という定義ができなくなったと指摘し「風景でもなく、建築でもない何ものか」としたというが、その「何もの」とは何だ。
20世紀の解剖学者で思想家の三木成夫は、ゲーテの形態学とアリストテレスの生物学とクラーゲスの哲学から思想を掘り起こし、人の構造の見方に次の3通りを示した。すなわち、「機械の構造」、「建築の構造」、「作品の構造」である。これをそれぞれ、「しかけしくみ」、「つくりかまえ」、「すがたかたち」と呼び分けたのである。機械と作品がそれぞれ対極に位置し、その間に建築が挟まる構造である。言うまでもなく「機械」にはデカルト的体系でありまた科学的視点(三木はこれを理解把握的と呼ぶ)であり、対極の「作品」に敬愛するゲーテ形態学、そして芸術がくる(これを鑑照畏敬的と)。さて、クラウスの言った「風景でもなく、建築でもない複合的な存在」とは何か。建築ではないのだから、それは三木的に見たとして、より機械的な方向の選択はない。また、風景とは求心性を持たない解放系であってひとつの個ではない。つまり、風景でもなく建築でもない複合的なものとは、これもやはり、生物、「それ自体が生きている存在」を指し示しているように思われてならない。しかしそれは具体的な物ではなく「場」であると言う。場は境界を持たない。境界を持たぬ生命は成り立たない。つまり場は生命体から読み取られた情報である。形なき情報とはつまり概念であり、境界で閉ざされた物体を越えた”拡張された生命体”であると言えるだろう。際限なき拡張を可能にするのは、境界つまり物質からの脱却である。しかしそれは、同時に彫刻的なものからの離脱をも意味するのである。なるほど、こうしてみると近代彫刻が志した「内的生命」は、早々に物質からの脱却を図り、情報という概念の翼を纏った。それは、実に20世紀的な事象として写る。さしてみれば、16世紀以降生物としての人体の立ち位置は変化し、統合していた精神と肉体は分けられ、精神だけがどうにも居心地の悪い状態であった。しかしいま、”フリーな精神”は何も人の形だけに収まる必要がないのである。だからこそ、到底生き物には見えないようなムーアの作品も生きている存在としての価値が与えられ得るわけだ。この、フリーな精神という内的生命は、21世紀の今も全く色あせることなく生き続けている。なぜなら、現代に作られる彫刻作品の多くが「それ自体が生きている存在」として作られているからだ。少なくとも、藤原氏と青木氏の作品はそのように「息づいて」見える。津田氏の作品は少々違うニュアンスがある。その意味では、津田氏の作品はより古典的な態度を示していると言えるだろう。
藤原氏、青木氏、津田氏の作品についての感想はその2として、そちらに記した。
カタログに記載されている、自分を含めて4名の文章を見て、実に彫刻の鑑賞領域の狭さというものを実感した。というのは、4名がそれぞれの立場で自由に彫刻について語っているにもかかわらず、その要点が結局のところ皆同じなのだ。触覚、表面、内と外などなど。事象として彫刻を語ろうとすると、とどのつまり、そこに置いてある物質について言っているに過ぎない。それは、間違っているわけではないのだが、なんだか滑稽にも思えた。大の大人達が石ころでも取り囲んで、腕組みしながら、言葉をひねり出しているような・・。だが勿論、狭い視野で眺めているだけではなく、そこに現れている形態や姿勢から素材とはまた違う文脈的要素へと分析が降りて行く。つまり、幅が狭く、深い。なるほど、見渡す範囲が狭くとも、深さ奥行きはどこまでも伸ばせる。深さ、というところがまた立体物である彫刻にふさわしい。
さて、学芸員(学芸課長)の以倉氏の文章は、まず近代彫刻に至る流れを俯瞰しその流れの先端として今回の3名の作家を位置づける。私たち、そして作品も突然時空に現れたのではなく、何らかの時系列的流れに属している。本人がそれに気付かずとも。彫刻の進化的流れは時代を通して一定であったわけではなく、そこには発展停滞の緩急が当然見て取れよう。そのなかで、現代に繋がる大きく勢いのある流れが起こったのが19世紀後期であり、その核が当然ながらオーギュスト・ロダンということになる。だから、現代の彫刻家や美大予備校彫刻科学生が皆口にする「量感、マッス、構築性、重量感、空間性」という言葉が示す彫刻的感覚も遡って初めに現れる堰はロダンである。ロダンは実に現代の彫刻に見られるおよそ全ての核を1人で作り出したように見える。彫刻の真の自立もまたロダンによって成された。同テキストでの「内的生命」、「自己言及的な姿」というものだ。ロダンの後に英国彫刻を世界に知らしめたヘンリー・ムーアも自身の彫刻を「それ自体が生きている存在」としての価値を与えようとした。つまり、ロダン以後の彫刻は、生きている物を模している物体ではなく、生きている物そのものとして表されるようになった。これは何だか奇妙にも感じる。20世紀に入ると科学技術は急速に発展し、人という生き物の意味合いも変わっていった。それは一見、有機的統合体から断片的存在へと人の概念が解体され標本化していく過程を思わせるが、近代彫刻が目指してきた方向は、物に生命を重ねて信じさせるような、言ってみれば呪術的な臭いさえ漂うようなコンセプトがそこに見られるのである。偶像崇拝の無意味さに気付き、理性的判断で空間と人体を分析し、芸術表現と科学とを融合させて新しい次元を開いて見せたイタリア・ルネサンスのほうがよほど”近代的態度”として見えるほどだ。クラウスは前世紀半ば頃には”これが彫刻だ”という定義ができなくなったと指摘し「風景でもなく、建築でもない何ものか」としたというが、その「何もの」とは何だ。
20世紀の解剖学者で思想家の三木成夫は、ゲーテの形態学とアリストテレスの生物学とクラーゲスの哲学から思想を掘り起こし、人の構造の見方に次の3通りを示した。すなわち、「機械の構造」、「建築の構造」、「作品の構造」である。これをそれぞれ、「しかけしくみ」、「つくりかまえ」、「すがたかたち」と呼び分けたのである。機械と作品がそれぞれ対極に位置し、その間に建築が挟まる構造である。言うまでもなく「機械」にはデカルト的体系でありまた科学的視点(三木はこれを理解把握的と呼ぶ)であり、対極の「作品」に敬愛するゲーテ形態学、そして芸術がくる(これを鑑照畏敬的と)。さて、クラウスの言った「風景でもなく、建築でもない複合的な存在」とは何か。建築ではないのだから、それは三木的に見たとして、より機械的な方向の選択はない。また、風景とは求心性を持たない解放系であってひとつの個ではない。つまり、風景でもなく建築でもない複合的なものとは、これもやはり、生物、「それ自体が生きている存在」を指し示しているように思われてならない。しかしそれは具体的な物ではなく「場」であると言う。場は境界を持たない。境界を持たぬ生命は成り立たない。つまり場は生命体から読み取られた情報である。形なき情報とはつまり概念であり、境界で閉ざされた物体を越えた”拡張された生命体”であると言えるだろう。際限なき拡張を可能にするのは、境界つまり物質からの脱却である。しかしそれは、同時に彫刻的なものからの離脱をも意味するのである。なるほど、こうしてみると近代彫刻が志した「内的生命」は、早々に物質からの脱却を図り、情報という概念の翼を纏った。それは、実に20世紀的な事象として写る。さしてみれば、16世紀以降生物としての人体の立ち位置は変化し、統合していた精神と肉体は分けられ、精神だけがどうにも居心地の悪い状態であった。しかしいま、”フリーな精神”は何も人の形だけに収まる必要がないのである。だからこそ、到底生き物には見えないようなムーアの作品も生きている存在としての価値が与えられ得るわけだ。この、フリーな精神という内的生命は、21世紀の今も全く色あせることなく生き続けている。なぜなら、現代に作られる彫刻作品の多くが「それ自体が生きている存在」として作られているからだ。少なくとも、藤原氏と青木氏の作品はそのように「息づいて」見える。津田氏の作品は少々違うニュアンスがある。その意味では、津田氏の作品はより古典的な態度を示していると言えるだろう。
藤原氏、青木氏、津田氏の作品についての感想はその2として、そちらに記した。
2015年2月4日水曜日
告知 トークセッション「ヒトのカタチ、彫刻」
来る2月15日(日)に、静岡市美術館にてトークセッション「ヒトのカタチ、彫刻」が催され、私も登壇いたします。
これは同美術館にて現在開催中の「ヒトのカタチ、彫刻」展のカタログ刊行記念として開催されるものです。同展覧会は、彫刻家の津田氏、藤原氏、青木氏の人体をモチーフとした彫刻が展覧されています。トークセッションでは、作家、学芸員、美術史研究者金井直氏と私で、人体と彫刻にまつわるあれこれを語るのです!楽しそう!
私は解剖学的視点から見た人体と彫刻との接点などお話できればと考えています。我を忘れて喋りすぎないように気をつけつつ・・。
是非、素晴らしい作品をご覧頂いて、またトークセッションにもご参加頂ければと思っております。
[日 時]
2015年2月15日(日)
14:00-16:30 (開場13:30)
[登 壇 者]
・金井 直(信州大学人文学部 准教授)
・阿久津裕彦(美術解剖学)
・津田亜紀子(本展出品作家)欠席
・藤原彩人(本展出品作家)
・青木千絵(本展出品作家)
[参加料等]
無料・申込不要
(当日直接会場にお越しください)
これは同美術館にて現在開催中の「ヒトのカタチ、彫刻」展のカタログ刊行記念として開催されるものです。同展覧会は、彫刻家の津田氏、藤原氏、青木氏の人体をモチーフとした彫刻が展覧されています。トークセッションでは、作家、学芸員、美術史研究者金井直氏と私で、人体と彫刻にまつわるあれこれを語るのです!楽しそう!
私は解剖学的視点から見た人体と彫刻との接点などお話できればと考えています。我を忘れて喋りすぎないように気をつけつつ・・。
是非、素晴らしい作品をご覧頂いて、またトークセッションにもご参加頂ければと思っております。
[日 時]
2015年2月15日(日)
14:00-16:30 (開場13:30)
[登 壇 者]
・金井 直(信州大学人文学部 准教授)
・阿久津裕彦(美術解剖学)
・津田亜紀子(本展出品作家)欠席
・藤原彩人(本展出品作家)
・青木千絵(本展出品作家)
[参加料等]
無料・申込不要
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