2015年5月18日月曜日

解剖学知らずの美術解剖学

 解剖学を知らない解剖学者はいない。その言い方自体が言葉としても矛盾している。
 一方で、解剖学を知らずに美術解剖学に携わっている人は少なくないようだ。

 解剖学は、恐らく一般的に思われている以上に、形に対して厳格だ。それは様々な医療行為とも密接に関係してくるから当然なのである。
 しかし、現代の美術解剖学には、解剖学に見られるような形への厳格さを感じない。図版では骨や筋が描かれていても、その形や構造関係には無頓着なものがほとんどである。これには多分、人の形へのアプローチの違いが表れている。解剖学は、そもそも体内の器官そのものへの興味から始まっているから、自ずとそれらの形態や相互関係が重要になる。一方の美術解剖学に携わる人の多くは美術関係者であって、美術における人体とは、あくまで「人の形」をした統合体から始まっている。だから、彼らにとって体内の器官、つまり個々の骨や筋は、人の形を構成するパーツでしかないのである。パーツが組み合わさった統合体としての人体は、人体デッサンやプロポーションなど、別のアプローチで体得するから問題ないと漠然と思われているのだろう。

 結果的に、美術解剖学的に描かれた筋骨格図を見ると、その多くが、個々の部位の位置関係に無頓着なものになる。それは、解剖学を知らない者が見れば何でもないだろうが、知っている者の目にはひどく異様に映るのである。

 以前、画家が描いた仰向けに寝ている全身骨格のデッサンを見た解剖学者が「これは立っている骨格を見て描きましたね」と言い当てていた。もし、解剖学的視点を盛り込みたいのなら、骨格や筋を覚えるだけではなく、分解した各所の再構築(つまり統合体としての人体)にまで意識を持っていくことが大事な基礎である。

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