昨日の「歌会」トークイベントでは、自分で予想していた内容の2割ほど話した。いくらでも話せるような気がするが、イベントや講演の前は話が時間的にもたないのではないかと思っていろいろ話す内容を考えたりする。結局は不安から多くをため込んでしまうから時間内に収まらなくなるのである。話した後はだいたい、余計なことを話したんじゃないか、役に立たなかったのではないかと後悔の念にさいなまれる。また、作品を作っていない自分に負い目を感じる。それだけに、今回のように”作る人間”たちの輪に入れてもらえることは実に有り難いと思う。
イベント終了後に、恵比寿駅近くの中華料理店で軽い打ち上げがあった。その場にはトークイベント中にも刺激的なコメントで場を沸かしてくれた作家の藤堂氏もいて、ここでの率直な言葉のいくつかは考えさせられるものだった。ドイツに長く制作発表をしていた氏ならではの比較文化論的な視点は興味深い。「日本の芸術家は、技術は凄いが試合には出ない運動選手のようだ」、「日本人は何でも小綺麗に作れてしまう(ので主題がぼやける)」、「芸術家に自作を語らせるな(語るな)」、「作品は、聞いたり読んだりしないで、自分の目で観ろ」などなど。
彫刻家、芸術家、という肩書きは本来は職種名ではなく、そういった生き様をする人の呼称だったろう。ただし、その立場で生活していくためには、生産物が流通しなければならないので市場も気にはなる。そういう現実と繋がる視点で見ると、日本の彫刻市場は非常に小さい。今回のトークイベントも、蓋を開けてみれば多くの彫刻関係者で占められていた。言わば同業者、いや同窓生か。こういう現状は、仲間意識の確認行為として嬉しさがある一方で、関係者以外への広がりの小ささが露呈して寂しくもある。もちろんこういったイベントだけで全てが分かるわけではないけれども、彫刻市場をより拡げるための行動が十分であるようには感じない。確かに、彫刻含め芸術は日常に溢れる物品のように扱える類ではなく、むしろ一般から距離があるからこそその価値を保てるという側面も事実上あるだろう。それでも、その距離感を意識しつつ一般への間口がもっと開かれる方法は無いものだろうか。
芸術界というのはそれだけでひとつの生態系のようでもある。そのなかで生き残り、継続していくための答えは1つではない。ただ、その一員としてあり続けるためには、動き続けなければならない。そして消えないためには、周囲に対して柔軟でなければならない。作家の生きる時代から遊離した芸術というのは存在し得ない。自戒としてそんなことを思った。
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