2018年10月15日月曜日

無から有を作る

   先日の武蔵美彫刻科での特講の際に、教授の三沢先生が急遽粘土で首像を制作された。サブテーマが「頭頸部」(これを彫刻では首と言う)で、現役教授の作品も展示するという話になり、「ならば作ろう」となったのか、ともかく私が大学へ着いたときには三沢先生は作業場にこもって制作していた。その作る姿はうかがい知れなかったが、私の講義が終わって部屋を出ると大きな体格の三沢先生がいて、大きな手を差し出してこられた。とっさに手を出そうと思ったがさっきまでのライブモデリングで手に土が付いているので引っ込めようとすると「良いんだ俺もさっきまで作っていたんだから」と仰るので握手させて頂いた。

   等身より一回り大きい出来たての塑像は、そのまま乾燥させることを考えて台との間に小割で井桁が組まれその上に乗っていた。モデルは見ずに、解剖というテーマに沿うように構造を意識しながら造形したと言うその首は明快な面を持ち、力強い大小の起伏を伴って正面を見据えている。像が乗る木の台にはモチーフになったヨゼフ・ボイスの頭部デッサンが描かれていた。作品が部屋に運ばれていくのを見届けると、三沢先生は他の用事のため 帰っていかれた。首像を作って去っていくその姿に「颯爽」の言葉が浮かんだ。

   芸術家は無から有を作る。朝には存在していなかったのに、「ならば作ろう」と素材としばし向き合うことで、新しい作品の存在が現れる
   芸術家はクリエイター=創造者である。

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