2016年8月8日月曜日

カブトムシ

オスのカブトムシが死んだ。昨晩は元気で、他のもっと体の大きなオスをツノで追い払っていて元気だったが、朝には死んでいた。カブトムシは生きていても死んでも色や形が変わらない。生きているのか死んでいるのかは、動くか動かないかの違いだけだ。死んで間もなければ重さも変わらない。カブトムシの人生(カブト生)がどんなものかわからないが、虫ケースの中で餌ゼリーを取り合ったり、土に潜ったり、メスを追いかけたりして、そこにはカブトムシとしての生き方が確かにある。死んで動かなくなったカブトムシはそこから脱落したかのように見える。もはやそれは、「生き方の中のカブトムシの形」ではなく、ただの「カブトムシの形」だ。形と、形の成因としての生き方とは密接に関連しつつ同一のものではない。「かたちとは終局であり、死である。形成こそ〈生〉なのだ」というパウル・クレーの言葉を思い出す。

 唐突だが、このクレーの言葉は彫刻芸術において最重要の訓示ではなかろうか。ただ形の面白さだけを追っていては決して生きた彫刻にはならない。我々は、形成を生をそこに宿さなければ。

0 件のコメント: