少し前の雨の日、勤め先の大学に着いた学生でごった返した学バスを降車して、階段を数段上がったところで後ろから声を掛けられた。振り返ると傘も差さずに女子学生がいた。
「すみません。先生、ですよね。」
私の格好からそう判断したのだろう。聞くと、バス内で私がスマホで読んでいた本が興味深いからタイトルが知りたいのだと言う。そのタイトルを表示して見せると、自分のケータイで撮影して学生は小雨の中を去って行った。混んでいる車内とは言えフリックで流し読みしていた小さなスマホ画面の文を良く読み取ったものだと思った。またどうせなら、どの部分を面白いと思ったのかを聞けばよかったとも思った。
ともあれ、話のネタとして教員室で助手さんに話すと、そんな事は滅多にないと。幽霊ではないですか、とまで言う。そう言われて、かつての体験を思い出した。
数年前の雨の夕刻、傘をさして交差点に差し掛かった時。信号はあれど車通りも人通りもない。赤なので止まると、それまで気付かなかったが道路の反対側に老婆がいて、傘もささずに私のほうへやってくる。そして、私を一心に見上げつつすがるような早口で、
「たばこをくれないかね。ね。一本でいいから、たばこをくれないかね。」
交差点のはす向かい角にはタバコ屋があるが閉まっている。私は吸わない。困ったが、信号が青になったので、持ってませんと断って早足でその場から去った。この交差点は今でもよく通るが、その老婆は後にも先にもあの時しか合っていない。
この事を人に話すと、それは幽霊だと決まって言われる。
自分では明らかな実体験にも関わらず、後になって思い返すと奇妙だなと思うことがある。さらに話して聞かせた人から、幽霊話だと言われ続けると、不思議なもので自分でもあれはもしかしたら・・と思えてくる。
奇妙な体験は他にもある。
これも数年前だが、車で高速道路に進入しようとした時、右カーブの左車線を走っていると、カーブの壁で見通せない先から唐突に右車線を車が一台こちらへ向かってきた。逆走である。その車は自分の間違いも気付いていないような普通の走りですれ違って去って行った。あの時右車線を走っていたら正面衝突していただろう。
また別の時、高速道路の本線に合流して間もなく、自分の左側を走っている車が突然反時計回りにスピンし、一回りしてそのまま何もなかったかのように走って行ったことがある。
これらも、今思い返すと、何か夢を思い返しているような気がしないでもない。
こんな事もあった。
遠い大学生時代。一人暮らしの部屋のドアベルが鳴ったので戸を開けると、自分と同じくらいの歳の男性が立っている。
「こんにちは!僕の踊りを見てください!」
そう元気よく言ったかと思うと、自分で奇妙なリズムを口ずさみながら、初めて見る振り付けで踊り出した。あまりの唐突さに、ただ見ているだけだった。多分、せいぜい30秒くらいだだったろうが長く感じた。やがて踊り終えると呆気にとられている私に、
「ありがとうございました!」
と深々とお辞儀をして、小走りで去って行った。彼が去った後も今起こったことが何だったのか分からない。どこかの物陰でテレビ局が隠し撮りでもしているのかとさえ思ったほどだ。
これも大学生時代。やはりドアベルに応じてドアを開けると、何と小さな子供が1人で立っている。
「はじめまして!僕は◯◯って言います。小学一年生です。僕と友達になって下さい。」
驚きつつも、よろしくねとか何とか言い返したのだろう。彼はお辞儀をして帰って行った。
また、別の時は、部屋に帰ると押入れから物音がする。戸を開けると、奥の暗がりから2つの光る眼がこちらを見つめている。大きな猫だ。外の戸を開け放して何とか追い出したが、どうして入ったのか未だに分からない。
こんな風に、ちょっと奇妙な記憶は誰にでもあるだろう。時が経つと記憶は物語のような体をしだす。
おかしな夢—それに没頭している時はおかしいとは思わない—を見ている時に観測される脳波は起きている時と同じである。だから、なかなか起こらない体験は夢のようだと言えるわけだが、それは反対に、実体験と夢は変わらないとも言える。
夢は覚めて初めてそうだと気付く様に、この現実—と信じる経験—が、次の瞬間に覚めないとも限らない。
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