2019年2月4日月曜日

レンズ

   レンズは道具として作られるので、それ自体はあまり注目されない。カメラなどの光学機器の価格は安くないが、それは高級一眼レフの交換レンズを見れば分かるように、レンズの価格である。レンズの表面で進行角度を変える光線の向きがバラつかないように、表面は厳密に角度を変えて磨かれていなければならないので、加工技術には精密さが求められる。結局はその工程がレンズの価格に反映しているのだろう。良いレンズかどうかは、良く見えるかどうかで測られる。レンズを通した現象がそのものの価値となっている。だから、良くできたレンズはその存在を感じさせない。実際にもレンズに用いられるガラスは非常に透過性が高い。

 レンズが単体で置かれている時、私たちの目はそれを見分けるが、それは石や本を見ているのとは少し異なる。そこで見ているのは、実はレンズそのものではなく、それが曲げた光線の先にある反射物である。レンズは決してそれ自体を見せないのである。
 景色を反射する水面や、光を集めて輝く水滴などは純粋に我々の興味を引く。水のように光を透過したり反射させる天然の水晶や人工的なガラスは、古くから人々の興味を惹いてきた。水晶玉は占いの象徴だが、世界を違った形に歪ませてみせるそれは、異界を覗かせるレンズのようだ。肉眼では見通せない限界の先を、レンズを通すことで見ることが可能となる。
 ところで、水晶やタロットカードやロールシャッハテストでは、一見では何か分からない視覚的対象を見て、それをどう見るかもしくはどう読むかが判断対象になる。そこで大事なのは意識的にコントロールできないランダムさである。そうするためにタロットはシャッフルされ、ロールシャッハは紙を二つ折りにする。天然の水晶玉は結晶ゆえの透過の歪みや不純物があり、それが占う際の読み取りに重要だったのではないだろうか。

 光を曲げる玉は、その純度を高めていくことで占術から離れ工学の材料となった。ここで求められるコントロール可能な精密さは、水晶玉の方向とは真逆とも言える。制御された透明なレンズは、人間の視覚能力の拡大に貢献しつつ、自らの存在感をどこまでも透明にしていく。

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