革製品は丈夫だと言われるが、それは素材の革が丈夫だからで、長く使用していると大抵は縫い合わせがほつれて使えなくなる。つまり結局は、縫製の強度、糸の強さが革製品の寿命を決めている。
革の元である真皮はコラーゲン線維を絡み合わせたようになっている。これを植物線維で人工的に再現したような物が紙だ。ただ紙の線維の絡み合いは皮とは比べ物にならないほどゆるく薄いので簡単に引きちぎれる。コラーゲン線維はそれ自体が強靭であるうえに、非常に緊密に絡み合っているので、全体としての引っ張り強度が高い。線維のランダムな絡み合いなのでどこかの線維が千切れたとしてもそこからほつれていくこともない。ランダムであることが全方向への強度を担保している。線維を編んだ布は当然ながら糸の並びが一定であり、そのため強度にも方向性がある。また、編まれている糸も整然と並んでいるので、その一本が切れると、その糸の列全体の力学が乱れ、そこと直行する糸列との力関係も乱れる。だから人工的な布はその整然さ故に、最高のパフォーマンスは新品時にあって、使っていくほどにそれは減弱の一途を辿る。いっぽう革にはそれがない。一本のコラーゲン線維は長くはないし、整然さとは真逆の混沌とした並びをしているので、どこかの線維が切れてもその影響は最小限に抑えられる。同様の強度がある人工物としてはフェルトがある。フェルトは動物の毛を使っているので、紙とは違って動物性であり、その点でも革と近い。ただ、組織学的には体毛は表皮由来で、真皮由来の革とはわずかに異なる。フェルト製品を手で引きちぎろうとしてもまず無理である。見た目にはふわふわして弱そうに見えるが、そのゆるさ故に、引っ張ると線維が一斉に牽引方向を向き一本の太い縄を指でちぎろうと努力するような力学関係となる。
織られた物、ファブリックとしての革やフェルトは、柔軟さと強靭さを併せ持った理想的な素材である。そのうえ革は皮としてすでに”織りあがっている”。人類が初めて使用したファブリックは狩った獲物の皮だったろう。皮(スキン)を腐らないように加工した革(レザー)を身にまとうには、穴を開けて紐でくくる必要がある。衣類として快適に用いようとすればいくつかの部品に分けて縫い合わせる必要も出てくる。「縫う」という行為もしくは技は、革と革とを結びつける必要性から生まれたのではないだろうか。木綿の衣類が現れるのはずっと先になってからだ。おそらく、初期は革同士を革紐で縫っていただろう。太い革紐は強靭である。やがて、植物繊維から糸が作られ織物が生まれた。織物を縫い合わせるのに植物性糸は相性が良い。強度も似ているからだ。しかし強度問題はこの時生まれた。つまり、強靭な革素材を植物性糸で縫い合わせるようになったのである。引っ張り力が加わると、線維がランダムな革では張力は分散し減弱していくのに対して、方向がまとまっている糸は張力が逃げず張力に負けて断線する。
現在の革製品は、人類が手にした素材として最も古いであろう革と、それより新しい素材の植物性糸からなる。両者はそもそも作られた目的が異なるのだから、その間に強度差があるのは当然である。縫製が切れないようにナイロンなどの強い糸を用いることもあるかもしれないが、今度は縫い穴に過度な負荷が掛かって縫い目から切れるだろう。糸の強さは本質的な解決策ではない。問題は張力の伝達である。革の線維同様に短い線維をランダムかつ緊密に絡めされることができれば理想的だが難しいだろう。革の裁断方向とその形、そして縫い方の工夫によって張力を減衰させるやり方が現実的である。動物の皮は概ね全方位への引っ張り強度を持つが、縫製でそれを再現することは厳しいだろう。しかし、ジャケットやバッグ、靴などそれぞれの製品ごとに張力の向きはある程度規則性が見られるはずだから、それに見合った形の裁断と縫製を工夫することで、相当の商品強度を持たせることは可能だと思われる。特にジャケット(やパンツ)であれば、人体の外形研究だけではなく、筋の走行が相当なヒントを与えてくれるはずだ。そのようなアプローチを研究して開発された製品を私は未だ知らない。作って見たい気もする。
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