2016年6月19日日曜日

A Nothing

 方々で講師をしていると、受講生から時々「先生は何をしているひとですか」と聞かれる。つまりは、本業は何か、と聞いている。そういうときは、「これを教えているひとだよ」と適当に返事をして済ませるが、実は自分でも何の人かよく分からない。
 よく分からないのと同時に、そんなことはどうでもよいという思いもある。こういう事は美大生の頃からあって、彫刻科を出たら彫刻家にならなければいけない・・のだろうかという疑問があった。とはいえ今も、彫刻科を選んだのならば、彫刻家になれることがベストの道だろうというのはある。ただ、そうなれるのはほんの一握りなのが現実で、ではそうなれなかった多くの者はどういう「者」として生きなければならないのか。その時に、「彫刻家を望んだけれども、なれなかった者」として一生を生きなければならないのか。そういう現実的な部分で、美大へ進んだ者に与えられてしまう肩書きについて考えていた訳だ。

 ともあれ、日本人はとかく「肩書き」を欲する。考えてみれば、氏名もまた肩書きである。しかし、氏名は今や誰もが持つものだから、社会においての立ち位置を示す働きをほぼ失っている。だから、もう一つの社会的な氏名である肩書きを欲しがるのだろう。つまりはその人が社会に属しているのか、が知りたいのである。そこで私の場合は、講師でもいいだろうとは思うのだが、人によっては、私は何か別の継続的に続けている研究か何かがあって、そのためにどこかに恒久的に籍を置いているんじゃないかと思っているのだ。だから、そう聞かれたときにその人の求めているような答えが返せなくて悪いような気もするのだが、そんなものはないので仕方もない。

 結局の所、私な何の専門家でもない「何ものでもない者」である。だから、今の名刺には肩書きはない。きっともらった人は物足りなさを感じるだろう。だったらいっそのこと肩書きに「A Nothing」とでも書こうかな。

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