2016年6月15日水曜日

美術解剖学の秘匿性

 教育の基本は、自分の知識を他者に教える事。そこには、知りたい者と授ける者の関係性があり、それぞれの利益が関係している。知りたい者は情報を得る事が利益となるから分かりやすい。では、授ける者の利益は何か。それは自分の仲間を増やす事であり、もっと極端に言えば自己の拡大である。つまり、教育とは自分の仲間を増やす行為である。だから、授ける者は、知りたい者の誰にでもそれを与えるわけではない。自分の利益に叶うであろう者だけにそれを授けるのである。

 さて、美術解剖学は専門特化した教育のひとつである。その起こりまで遡るならそれは職人芸術家工房の技術力向上が目的であって、その性質から考えると、工房の一員として迎え入れられた者だけに与えられる閉じられた知識だったはずだ。そもそもその頃は美術解剖学とは呼ばれてはいなかったし、実際にも学問ではなかった。美術もまた学問ではなく”術”である。術は学とは違って閉じられた性質を持つ。それは小さな団体や集団ごとに伝達された術(わざ)の伝統とも言えよう。だから美術解剖学の原型は、閉じられた集団内で伝えられる秘匿的な性質を有していたはずである。15世紀のルネサンス期には絵画論などが書かれ、その秘匿性は公のものとなっていった。しかしそれでも、重要な中心部分は決して公には語られなかっただろう。
 芸術は閉じられた秘匿性が利益となる領域でもある。芸術は一般化となじまないからだ。そうであれば美術の為の解剖学も芸術と付随する形でその秘匿的な性質を保ってきたとも言えるのではないか。ならば、その性質を尊重してより正しく言うなら、美術解剖学ではなく美術解剖術と呼ぶべきかも知れない。


 ともあれ、美術解剖学は「芸術造形で人体を作る者」だけに向けられた非常に特化した知識系である。だからそれは、真にそれを知りたいと思う者で、かつそれを授けるに値すると判断された者だけに密かに教授されるという性質を有している。

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