東京駅の丸の内側と直結する複合施設KITTE内にあるインターメディアテクは、国内でもとても珍しい展示施設と言えるもので、一言で言うなら「疑似博物館」である。疑似と付くとまやかしの響きを帯びるが、その全てがにせものというのではなく、展示物の多くは実物である。それらが、いかにも博物館然として鎮座しているので、実際に博物館だと思っている来場者も多いことだろう。だが、並べられている物が何かをよく知ろうとしても、それについての説明書きなどはほとんどない。展示物の並べ方も、どこか雑然として、おおざっぱな印象がある。つまり、ここは展示物が主役なのではなく、展示会場そのものが1つの見世物として機能しているのである。そのコンセプトはもちろん博物館で、しかし現代のそれではなく、もっと古い、戦前くらいまでのイメージで構成されているように思われる。
博物館という言葉がそもそも「博く(ひろく)物をあつめた館」であるように、その起源は、西洋の貴族らが世界の珍奇な物品をひたすら収集した物を陳列した部屋である。それらを扱う学問としてかつては博物学と呼ばれたが、それが知識の集積と共に分化と深化が進んで、現代の生物学や地質学や人類学などがあるわけだ。現代の博物館はそれらの領域別に分けられているのである。だから、現代の博物館で例えば植物学の部屋へ行けば、あらゆる植物の標本が並んでいて、その体系を一望するには分かりやすい。その一方、その植物が生きている環境、例えば土壌や気候、そこに棲む動物などは全く見えてこない。つまり、現代の博物館は、現代科学がそうであるように、全てが関連しあって成り立つ自然界を、分類で断ち切った標本が並べられているのである。科学的分類と関連して並べられているのだから、それは合理的である。しかし、趣味で博物館へ来るような多くの普通の人にとって必ずしもそれがベストとは言い切れない。むしろ、理路整然と並べられた物品は、そこの展示者の明確で強い意志があって、見る側の遊びを一切許さないような冷たさが漂う。私たちは、雑多とした空間のほうがより安らぐし、そういう空間から自分なりの興味どころを探り出す楽しみもある。例えば雑貨店などは、わざわざ店内の商品を散らして、客の導線を複雑にしたりするものだ。
ともかく、現代の博物館が捨ててしまった、薄暗くて雑多で、なにやらよく分からないものが大量に陳列されている空間が持つ魅力の再現を試みているのが、インターメディアテクである。だから、ここでは、個々の展示品自体が主役ではない。それらは空間を引き立てる一役者に過ぎない。そういった意味で、ここは「疑似博物館」である。
インターメディアテクのような、言わば「知」をテーマとした娯楽施設は希有で、それが東京駅から直結した一等地にあるのは、私が持つ日本の印象からすると、ほとんど奇跡的である。それも、入館料を取らない公共事業として!
ここが、とてもわくわくさせる空間であることは間違いないのだが、同時に、何か満たされない気持ちも膨らんでくる。その理由もまた「疑似である」ことに由来している。古い博物館内を散策しているような気分になるほど、しかしこれは作られたものだ、という真実が同時に強くなる。この「らしさ」に憧れるのは、ほとんど日本人の特質のようなものだと私は思う。特に明治の開国後は、西欧諸国に憧れ、文化から技術から様々なものを輸入した。しかし、西洋が長い時間を掛けて少しずつ積み重ねることで出来上がったそれらの言わば表層だけが、外から覗く日本人には見えるわけで、その表層だけを輸入してしまうとそれは「らしさ」になるのである。もちろん、「らしさ」という中身のない”張りぼて”から脱却しようと、本質的な導入もしているわけだが、いかんせん始まりの向きが逆であることに変わりはない。では、この施設は表面的な見た目だけの、アトラクションに過ぎないのかと言うと、決してそうではない。
確かに、近代日本は西欧の真似から始まったとは言え、時間と共にそこから蓄積されるものから、独自の新たな系譜が生まれるだろう。また、西洋式の手順を模倣することで日本が得られるのはそういった独自性にならざるを得ないとも言える。今や、それを否定的に捉えていても仕方がない。批判的視点は持ちつつも、半分は開き直ったようなつもりで、私たちなりの現在を作らなければならない。インターメディアテクには、これまでと現在の日本のありようを見つめ直した上で、今できること、ここから始まる何かへ向けて創設されたように感じる。
むしろ、明治以降に用意されたスタート地点から、あたかも我々も西欧的科学誌を共有し続けていたかのように振る舞って前だけを見つめていた今までから、ここでは過去を振り返るという行為を積極的に形に起こしているというのは、日本が”少し大人になった”証しなのかも知れない。
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