禄山を通して色々考え続けている。
近代彫刻は即興性である。すなわち過程である。それは終わりなき行為の永遠なる途中なのだ。そうなると、大事なのは技術ではなくなる。技術とは暫定的であれ完成を終着点として見据えているからである。彫刻に技術が重要でないのならば、大事なのは作る人間の人間性である。だから、禄山もそれを磨こうとした。この重要性は時代を問わない。
しかし、作品として表す以上は必ず行為が伴い、そこには技術が現れる。この両者をどうやって共存させ昇華せしめるか。それが命題である。結局、技術もまた常に磨き続けなければならない。それはあって当然のものとしなければならぬ。人間性、もしくはセンスと呼ぶものだけを重視すると畢竟彫刻ではなくなる。技術と人間性は切り離せないのである。なぜなら技術は表現力を高め、彼の人間性をも広げるのであるから。
そして、教えられるもの、学べるものはこの技術しかないのである。完成した作品もまた技術によって成り立っているのだ。
技術をないがしろにするべからず。併しそれに飲まれるなかれ。
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