2009年10月9日金曜日

彫刻と解剖学は伝えている

目の前の形は、なんでその形なんだろう。当たり前のような存在に対して疑問を持つと、そこにとんでもなく面白く奥深いものが潜んでいることに気付く。私たちの目はかたちをつかむ。私たち自身もまたかたちを持っている。
かたちについて考える最高の素材が人体だ。なぜなら、それは自分自身なのだから。
私たちは、精神の存在ではない。物質の存在だ。私たちは「考える」。思考は概念だからかたちがない。だから、自分を考えるときも概念的になり、物質としての自分を忘れてしまう。だから、「魂」が出来たのだろう。「心霊」が出来たのだろう。

でも、物質で考えてきた彫刻家は知っているはず。私たちは「かたち」だと。まず物質である肉体ありきだと。

解剖学の発展は、人間が人体を発見した歴史だとも言われる。客観的物質としての自分自身。それに気付くのには永い時間がかかった。つまり、それは容易ではないことだから、意識しなければまた忘れてしまうようなことなのだろう。

彫刻家と解剖学者は、歴史を通して語ってきた。私たちは物質なのだと。そこから始まる。

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