2009年12月20日日曜日
フランチェスコ・メッシーナ
現代イタリア彫刻を代表する作家の一人に数えられる。日本では、恐らく60〜80年代あたりにマリーニやマンズー、グレコ、ファッツィーニらと共に紹介されたのではないかと思う。しかし、コンセプチュアル・アートの台頭と引き替えに具象は陰を潜め、輝かしい現代イタリア具象彫刻たちはいまや各地の美術館や街角でひっそりと佇むばかりである。
メッシーナの彫刻をふと検索してまとめて見た。私は箱根彫刻の森のイヴしか知らなかった。イヴは素晴らしい存在感を放っている作品で、幾分引き延ばされた腕や作りかけで終わらせている手の表現などから近代的な雰囲気も伝わってくるのだが、他の作品の多くはもっと軽やかなものが多く、モチーフ、題材、手法などが近代イタリア彫刻の流れに沿っていることが分かる。とは言え、時代のスタイルに流されすぎず古典を踏まえた造形を押さえている。若くして認められた作家というが、その造形力あればこそだったろう。
「少年の海」という作品は、これが古代ローマの作品だと言われても信じてしまいそうだ。パティーナの仕上げを見ると、それも意識してのことかもしれない。
どうあれ、素晴らしいの一言しか出ない。
この画像だと、胸のあたりが張り出しすぎているように見えるが、気にならないどころか、それが作品に現実味さえ与えている。闇雲に解剖学的に正確ならば良いということは芸術では言えないことの証明である。
しかし、同時にそれは全体が解剖学的にも破綻を来していなければ、という但し書き付きであることも忘れてはいけないだろう。人体彫刻の構造美は、人体の構造美とイコールである。
この作品が仮に、時を経て災いに遭い、断片と化してもなお彫刻としての強さを保つだろう。頭部だけでも良く、トルソーでも良く、脚だけ取っても良い。
素晴らしい彫刻は美という命を全体に宿している。切り離されても死なないのだ。失われたミロのヴィナスの両腕やサモトラケのニケの頭部を嘆くだろうか。ベルヴェデーレのトルソはあれで完成している。
この作品を日本で収蔵展示しているところは無いのだろうか。
なお、画像はhttp://www.thais.itからの無断借用。メッシーナ画像多数あり。
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