2018年12月29日土曜日

形と音

 結局形なのか、概念なのか。大切なのは。本質は。そう分けてしまうことが、そもそもの間違いの始まりなのか。なぜ分けてしまうのか。分けずに本質に近づけるのか。言葉なき言葉があるのか。言葉なくして思考はあり得るのか。
 なぜ強いのは言葉より形なのか。それは刻まれるからだ。刻まれたものは物質であり、音声言語より長く保たれる。音声言語は音であって現象である。それは発された瞬間で終わる。だから音声はアラートとして用いられた。音声言語はその瞬間を表す生の伝達だ。色や形は違う。これらは光で伝達する。これは永続性を持つ。物と光があれば継続する。動物の体色を見よ。動物の擬態を見よ。彼らは常に大きな音など発さずともその身体でメッセージを発し続ける。それを継続するためにはただ生きれば良いのだ。
 音と形は違う。犬の唸り声と蜂の警戒色は異なる。犬の唸り声は形にはできぬ。彼らはそれを頭の中で反省することなどあるだろうか。我々の黙考とその結果として発せられる言葉は、犬の唸り声とは異なる。それはすでに書き言葉を読んでいるのである。ならばどうして、どうやって我々は言語を獲得したのか。話し声からか、手で音の意味を刻み込んだからか。我々は概念を確固とするためには、それを外部に刻まなければならない。言語は概念を刻んだ傷である。岩に刻んだ影だ。そうであったなら、私たちの意識や思考は頭だけでなく手が重要である。道具を使ったから意識ができたのではない。意識ができたから道具を使ったのでもない。
 我々が持っていた動物的な音、唸りはどこへ行ったのか。そこには未だ言語は割り当てられていない。怖れや怒りや喜びという言葉は感情の看板であり、そのものではない。笑いもそうだ。ワッハッハと書かれるがこれも犬の唸りをウーっと書くのと同じオノマトペに過ぎず感情を書き記しているのではない。
 未だに手段を持たず、しかしそれに形を与え観察し共有したいという人間という動物的な振舞いが芸術活動であろう。芸術はいたずらに逡巡しているのではない。そもそもどこへ向かえば良いのか今でも分からないのである。先が分からずとも進み続けるのは、生物としての本能、いやそれ以前の本質である。言語体系はあたかも完成しているように見えるがそれとて同じである。ただ、刻み、形を与えることで、分節化し、ちょうどパズルのようにまとめて組み上げることが可能になった。しかし、繰り返すが、私たちの内的世界は全てそのようにまとめ上げられない。言語は言語化できるものだけで成り立っているのである。しかし黙考はどうか。そこは言語と非言語が渦巻いている現場である。言語という型に流される前の坩堝(つるぼ)であり、次々と流し込まれ続けている。芸術家は流される前の溶けた鉄に目を向ける人だ。そして型にないものに流し込んで形を与え、視覚化する。その過程だけで言うなら思考と同じである。思考が言語で行われるように、芸術家は非言語で思考する。それは特別なことではないが、忘れがちな事でもある。芸術の種類にも関係する大事なことは、形が作られるには大きく2通りあるということだ。すなわち、何を作るか考えて作る事と、作りながら考えることである。単に人から物が作られるという過程と行為だけを見ると、両者は似ている。しかし、作られる現象としてみるなら両者は全く異なる。我々の身の回りにある人間の為に作られたほとんどの物は前者である。それが洗練され経済に組み込まれたものが商品である。純粋性の高い芸術作品は後者である。それはほとんど常に、人が初めて目にする物である。しかし同時に、いつか見たような気もするはずだ。もしくは、初めてなのにそれが見たかったと思うだろう。そうでなければ、強い嫌悪かも知れない。いずれにせよ、何らかの言葉にならない思いを喚起させるのである。しかしそれは、言語ではない。感情の看板でもない。もし、多く人に共通の思いを抱かせるのであればそれは言語的であり看板に近づいていると言える。そうなったなら、真の芸術家はそこに興味を失うだろう。革命的であろうとする芸術家は、いつも看板を言語化され固定したものを疑うからである。
 とは言え、芸術家が、特に視覚芸術は、現象を視覚化させて落ち着かせようとする点で文筆家に近い。音楽はどうか。音楽は音という現象を扱うが、しかしそこに音階がある。構造がある。音楽もまた言語から生まれている。音楽は現象を視覚化構造化してものを再び音化させているのだ。つまり最終的な表現様式に至る手前までは、画家も彫刻家も音楽家も同じである。鳥のさえずりと音楽はだから、本質的に異なるものである。
 芸術は、人類が未だ視覚化して固定できていないものをそうしようとする行為である。そういう人類の本能的行為のひとつである。それは人類の表現可能性を広げる事であり、意識、思考を拡大させようとする行為なのだ。つまり、芸術とは原始的どころか人類行為においてもっとも先端的行為なのである。その点において哲学とも近く、また、理論物理学などは同様のパッションに科学的根拠が付随したものであろう。
 音が発せられては消えていく性質である以上、構造なき瞬間的なアラートから脱せない。我々の内なる感情が形なく、唐突に、時に爆発的に沸き起こるのと同じである。犬の吠え、猿の叫び、人の悲鳴、爆笑、そう言う情動的に伴う発声は破裂音、爆発音、大きな軋み音と同じなのだ。それどころか、悲鳴の起源はそういった大きく遠くまで聞こえる自然音であっただろう。もちろん過去の動物たちが意識的にそれを真似たのではない。自然界のなかで進化してしてきた動物は音と物理現象との連関に包まれて来たのだからそれは至って普通のことである。
 そうした、発せられては消えていくものに、いつしか人類は形を与えた。それは純粋で大きな驚きと喜びに満ちた初めての経験だっただろう。形が与えられた概念とは、私たち自身とも、もちろん重なっていく。それは神と呼ばれる対象も、死んでいった祖先も、留まり続けるイメージとして生み出していった。何と言っても、視覚的対象は、それが維持される以上は永続的にメッセージを放つのである。土より木が、木より焼いた土が、焼いた土より石が選ばれていく。それは永続性によって選ばれる。むしろそういう選択を通して、永続性の概念がそこに転写されていったのだろう。そうして石は永遠性を手にしたと言っても良い。


 形なのか、概念なのか。両者は同じであった。私たちはどうしても形を信じる。言語という形を信じる。その永続性を信じる。しかしそこに、構造的永続性の起源たる構造なき瞬間性の再生を見なければならない。
 そして、むしろ考えるべきは、形と音であった。

2018年12月24日月曜日

パウル・クレーの墓碑




なお掴み難し

我は死の中に生き

未だ生まれぬ者の中にある故

創造に僅か近づくも

捉えるには未だ遠し












2018年11月24日土曜日

スマートウォッチ

   Apple watchは、かつて多くの人が描いていた「夢」の商品化である。腕時計ほど常時身につけられてきた道具はない。これまで発売されてきた多くの多機能腕時計を見れば、そこに多くの機能を盛り込むことが一つの夢だったことがわかる。中でも叶わぬ夢の機能としてたびたびSF作品や漫画などに描かれたのは通信機能とテレビであろう。そのうち、通信機能はApple watchが実現した。テレビ機能は未だ付いていない。ただこれは、テレビが動画媒体の唯一の代表からその座をネット動画へ明け渡したこともある。とは言え、YouTubeのような動画もまだApple watchでは再生できない。Apple watchはスマートウォッチという新たな領域を広げつつあるが、それと同時に、誰もが欲するような夢の道具とはなり得なかった事実も示している。その原因はスマートフォンに他ならない。腕時計型電話が実現するより前に可能だった携帯電話が、一足先にかつての夢の多くを叶える場となったからだ。今や“電話”機能はサブに回り、メインはネット通信や電子決済の端末である。電子決済はまさに拡大の真っ最中だが、その読み取り機のデザインは、駅の改札やコンビニのレジを見ればわかるように、携帯電話をかざすことを前提としている。Apple watchを電子決済に使用することもできるのだが、手首にはめているので膝を曲げて読み取り機へ近づけなければならず、かえって使いづらい。また、腕時計で時間を見る時は、肘をわずかに曲げて見れば済むが、スマートウォッチで画面操作をする際は、それをかなり上方まで上げる必要がある。手首と肘を同じ高さほどまで上げなければならず、ほとんど肩関節は90度前方へ屈曲させることになり、その姿勢をしてみればわかるが、決して楽ではない。

   そういった理想と現実の差異は当然シミュレーション済みのはずで、だからこそ一時の流行りで廃れないような機能(心臓モニターなど)を市場がそれを求めるより前に持たせているのであろう。

   腕時計は、それをつけることで、公共の時間と常に接続されることになる。腕時計が流行という言葉さえ追いつかないほどに浸透していることから分かるように、私たちは繋がっていたい欲求を持っている。Apple watchは腕に巻くことで携帯よりさらに持続的接続を実現させている。今後は、Apple watchやスマートウォッチが進化するというより、IoT(物とインターネットとの接続)の進歩によって、それらと常時接続する媒体として人々に浸透していくように思われる。やがて、出生と同時にその腕にスマートウォッチを巻かれる、そんな時代が来るのだろうか。

2018年10月29日月曜日

音楽と美術

   声楽家のレッスンに参加した。私が歌うのではない。ある方法論に基づいた指導法の冒頭に、身体についてのミニ講座をさせて頂いたのだ。
   その指導法のベースは身体性にある。指導者の話を聞いていると、どうやら声楽の指導は一般的に感覚的に偏りがちなようだ。そこに身体という自らの基盤に気付かせ、それを意識させることで発声に関係する諸問題を改善させるべく指導を行なっているのである。
   声楽の事は全く知らない私にとって、声楽は自らの身体を楽器として用いる始原的な音楽的活動に映る。人類にとって「話す」の次には「歌う」が来るのだろう。声楽家は「身体が資本」という点でアスリートに似ている。今、プロのアスリートの身体ケアは医学に基づいた科学的なものが基盤になっている。その選択の正しさはレースの結果が示す。科学的なケアによってアスリートは故障を減らしパフォーマンスを向上させることに成功している。一方で、アスリートと同じように身体的基盤が重要である声楽が、未だ感覚的指導が一般的であるというところが意外にも感じられたが、それは声楽を含む音楽があくまでも感覚が重要視される“芸術”領域に立脚していることを強く示している。
   一方の美術は、それが感覚“だけ”が重要だと言う風潮は近代に入ってからの話で、それ以前は常に基本的技術を高いレベルに保ち一定化を図る目的のテクニックが共にあった。人体表現に至っては解剖学であり、風景画に至っては透視図法や色彩学のように。人体表現では解剖学が整うずっと以前の古代ギリシアから数学的な秩序も探求されてきた。人体は「カタチ」であって、それは目で見えるものだから、早くから関心を持たれてきたのだろう。だが、声楽つまり発声はカタチのない「コト」だから、どういう仕組みで声が出るのかはそう直ぐに分かるものではない。指導者の方に、発声指導に身体性が導入されたのはいつ頃なのか伺うと、喉頭鏡で声帯が見られて以降だろうと。名前を聞いたが忘れたので後でググると19世紀スペインのマニュエル・ガルシアだと分かる。声楽家であり教育者であるガルシアが喉頭鏡を発明したそうだ。表現者で研究者というと、19世紀フランスの彫刻家で解剖学者のリシェを思い出した。表現者が研究者、そういう時代だったのだろうか。近世的な生理学の始まりは、17世紀のウィリアム・ハーヴィーによる血液循環説とされるが、発声の生理学的説明はいつからなのか気になる。いずれにせよ、近代的な声楽家への発声方法は、今現在、解剖学の応用が始まった段階のようだ。

   今回招聘いただいた指導者の方は自らがソプラノ歌手であり、あくまでも現場との接点に立って指導をされている。「私はどこへ行っても、その場所にフィットしない」と仰っていた。新たな視点に立つ人は皆、どこにいても居心地の良さを得られないものなのだろう。しかし、そのような人たちがいつも新しい道や場所を作るので、後続者はそこを歩き集うことができるのである。

2018年10月20日土曜日

言葉の刃

   言葉は概念を切る刃物だ。現代人は誰もがその扱いを習うが、かと言って誰もがその刃物を巧みに振れるわけでもない。記述された言葉はその刃の斬り跡ということになるが、読み手が必ずしもそこから振りの程度を推し量れるわけでもない。SNSによって誰もが自由に言葉の刃物を振り回す時代になり、その切り跡も稚拙なようで鋭いものから、巧みに見えてその実でたらめなものまで多様である。「読み書き」と言うが、たしかにその順序でリテラシーは重要で、それも従来になくその能力の重要性が問われる時勢である。「読む」とは、単に文章を認識できることではなく、文脈との適合性のみならず真意をも汲み取れなければならない。
   SNSのように個人的かつ断片的となるとその難易度は長文よりむしろ高くなる。特定の伝達相手を想定しない文章を他者に開示するなど、人類史において、かつて無かったことに違いない。記述文章の果たす役割はこの十数年で今まで誰も見たことのない進化を遂げるのかも知れない。だとするなら、今はその真っ只中であろう。

2018年10月15日月曜日

無から有を作る

   先日の武蔵美彫刻科での特講の際に、教授の三沢先生が急遽粘土で首像を制作された。サブテーマが「頭頸部」(これを彫刻では首と言う)で、現役教授の作品も展示するという話になり、「ならば作ろう」となったのか、ともかく私が大学へ着いたときには三沢先生は作業場にこもって制作していた。その作る姿はうかがい知れなかったが、私の講義が終わって部屋を出ると大きな体格の三沢先生がいて、大きな手を差し出してこられた。とっさに手を出そうと思ったがさっきまでのライブモデリングで手に土が付いているので引っ込めようとすると「良いんだ俺もさっきまで作っていたんだから」と仰るので握手させて頂いた。

   等身より一回り大きい出来たての塑像は、そのまま乾燥させることを考えて台との間に小割で井桁が組まれその上に乗っていた。モデルは見ずに、解剖というテーマに沿うように構造を意識しながら造形したと言うその首は明快な面を持ち、力強い大小の起伏を伴って正面を見据えている。像が乗る木の台にはモチーフになったヨゼフ・ボイスの頭部デッサンが描かれていた。作品が部屋に運ばれていくのを見届けると、三沢先生は他の用事のため 帰っていかれた。首像を作って去っていくその姿に「颯爽」の言葉が浮かんだ。

   芸術家は無から有を作る。朝には存在していなかったのに、「ならば作ろう」と素材としばし向き合うことで、新しい作品の存在が現れる
   芸術家はクリエイター=創造者である。

2018年10月14日日曜日

「美術解剖学のRESKILLING」の感想

   先日(10月11日)の武蔵美彫刻科での『美術解剖学のRESKILLING』は私にとっても貴重な機会となった。彫刻科教授で企画者の黒川先生は美術史、彫刻史に明るく、それを見通したうえでの彫刻の現状において美術解剖学という技法の欠落を注視しておられる。美術解剖学という「人の形の見方論」の有効性を再定義しようという先生の試みの発端が、彫刻教育の前線から見える景色にあるのは想像に難くない。なぜなら、東京造形大学に私を招聘下さった保井教授もまた同様の課題を見据えているからである。彫刻は対象を輪郭線で捉えるのではなく、構造で捉える。構造で捉えることができなければ、その再構築は非常な回り道を迫られた挙句、目標へ到達することさえ難しいのだ。そのような彫刻に特有の認識要求から見て、美術解剖学は殊更に彫刻芸術と親和性が高いと言えよう。美術解剖学が人体を客観的に理解する方法論であるなら、それは古代ギリシアではすでに実施されていた。ちなみに、美術解剖学という呼称が、哲学のようにすでに使われていたというのではない。美術解剖学は美術解剖の学という意味ではなく美術で用いられる解剖学の事で、輪郭の定まった1つの学問領域を意味しているのではなく自然発生的な一般用語である。解剖図を描き残したことからレオナルド・ダ・ヴィンチが美術解剖学の始祖のように書かれることがあるが、レオナルドはそのような学問を打ち立ててもいないし、そのつもりも無かっただろう。美術解剖学という言葉がそのニュアンスを端的に伝える一方で、その輪郭が曖昧なのはそのためである。

   さて、美術解剖学がいつから美術界でないがしろにされてきたのかは、文献を漁るまでもなく、表現された人体の変化を美術作品に追えば大づかみに捉えることが可能である。西洋においては、形式に則って人体を表現した新古典主義から印象派への移行期にそれを見つけることができる。それから現代まで、元来は人体表現の基礎技法に組み込まれるべき解剖学が、知りたくなったら勉強するものになり、その結果として今では美術解剖学が上級者の知識のように思われているほどである。
   その解剖学へのニーズがこのところ若干ながら高まってきている。表現の現場では、3DCGの表現技術の向上と関連しているようだ。機械技術が上がっても人体を表現できる人材が足りないのである。しかし、視野を広げると、CGというエンタテインメント領域だけに留まらず、より現実的な身体性への関心度合いも高まりを見せているという人もいる。ただ私にはそれがどういう理由によるものなのか分からない。情報化社会からの振り戻し現象のようなものがあるのだろうか。

   その微かな時流を鋭敏に感じ取られたという事だろうか。武蔵美の彫刻科では、黒川先生によって美術解剖学の価値の再検討が企てられ、一昨年には英国からアーティストと研究者を招聘しカンファレンスが開かれた。今回の企画もその一連に続くものだと言う。私は彫刻を学んで解剖学に興味を抱いた者として、両者の根本的な近似性や彫刻における有用性を実感している。しかし、美大だからと言って、また彫刻科だからと言って、皆がそう考えているわけではなく、現状が伝えるように、むしろ不必要だと考えられている事の方が多いだろう。その現状において、今回のように声をかけて頂ける事がどれだけ私にとって嬉しいか想像できるだろうか。それは仕事を頂いたというシンプルな喜びだけではなく、ついに同じ方向を向いている教育者に出会えた喜びであり、またそういった人々に私を見つけてもらえた喜びでもあるのだ。私を見つけ引き込んで下さった冨井先生に感謝する。

   彫刻の教育現場で解剖学視点を学生に教えることには否定的な意見がもちろんあり、直接厳しく言われることもある。そしてその意見は間違ってもいない。それはいつも必ず、単に形だけを知る事への否定の意見だ。解剖学は形態と構造を扱う。つまり形と組み立ての事で、それだけなら命のない積み木の説明と同じである。私たちは形があり命がある。否定する人たちは「解剖学は命を見ない」と言う。きっと、美術解剖学と呼ばれるものが退屈で役に立たないと言われるようになった原因はここにあるのだろう。確かに解剖学は命が流れていない。それが示す人体形状は命の流れで作られた「止まった結晶」である。医学では解剖学のほかに生理学があり、それが命の流れを指し示す。だから解剖学と生理学は医学の両柱と言われるのである。医学では解剖学に続いて生理学が勃興したが、なぜ芸術ではそうならなかったか。それは命は芸術家の感性が担当してきたからに他ならない。だから、感性優位の表現時代に入ると解剖学は不必要とされて来たのである。そうして今、再び美術のための解剖学に一部の人々が目を向ける時、相変わらず人体の形態と構造だけを示したならばどうなるかは明白である。現代は19世紀終わりに思われていた人体の在り方とは異なるのだ。21世紀は美術解剖学だけではなく美術生理学も必須の時代である。
   つまり、これまで美術解剖学が不必要とされたのには相応の理由があるのだ。それはおそらく、科学発展に伴って急速に変化したアーティストたちの人体観に美術解剖学がついて行けなかったからだ。15世紀の芸術家が解剖学を応用しようとした時、それは最新の科学だったのである。アーティストは常に最新の位置にいることを忘れてはならない。これからは解剖学だけでは到底足りないのである。今求められるのは人体を取り巻く総合であり、つまりは医学と呼べるようなものである。21世紀に必要なのは「美術医学」であろう。

   今回の特講は、比較解剖学者の小藪先生によるラットの咀嚼筋解剖からゴジラまでを包括した頭頸部の構造と表現の解説など、多くの気付きを与えられる素晴らしい企画であった。その後の親睦会では、武蔵美の先生方のお話から私自身とても勇気を頂いた。美術解剖学と呼ばれる領域はとても小さくその活動は個人レベルが実態だが、表現や制作に使えるのだと分かってもらえる努力がまだまだ必要であり、そしてそれを期待している人たちもいることを今回は実感できた。こちらが何を提示できるのか、それが問われているのである。

2018年10月8日月曜日

挙式

   挙式に参列した。比較的近い関係性の人が呼ばれるのだから、誰かの人生物語のキャストとしての自分が存在していることを実感する。式と披露宴を通して演出されるのは彼らの人生であるわけだが、それを見ている私たちは、多かれ少なかれ自分の人生と照らし合わせている。むしろそうでなければ実感は湧かない。冠婚葬祭に参列することは、他者の人生を通して自らのそれを見返す機会でもあるのだろう。

2018年10月4日木曜日

機械となり柔軟性を失う

   オフィス街のコンビニは昼どきになると多くの会社員が詰めかけるので、レジ待ちの列を長くしないために、そして待っている客をイラつかせないためにも、レジ打ちが早くなる。とあるコンビニにレジ打ちと客さばきが早い女性店員がいる。昼どきのせっかちな会社員と競り合っているからか、今やそのレジさばきが早過ぎて、逆に客を急かしているほどだ。釣り銭を渡しながら「次のお客様どうぞ〜!」と言うので、こちらは釣り銭を財布に入れる暇もなく場を開けなければならない。もはや店員自身の速さ記録打ち立ての訓練に付き合わされているような感覚にもなる。
   いつもは商品だけを清算しているところを、今回は支払い用紙も一緒に渡してSuicaで支払うと言ったら、それが速さばきのリズムを乱したのか上手くいかない。現金もあったのでそちらで支払うことにすると、今度は出た釣り銭を台の上に落としてしまう。いつもの迅速さはすっかり消え去り、すっかりギクシャクした一連の動きとなってしまっていた。
   速さを追求するうちに作業の柔軟性を失っている様子は、自らを特定の作業だけに特化した機械にしているようにも見えた。確かに、速さと正確さだけが求められる作業を突き詰めれば人間性は必要なく、機械化や自動化と相性が良い。レジ打ち業務はそう遠くない将来には無くなっているのだろう。

2018年10月1日月曜日

今も過去もない

   縄文土器を思い浮かべながら、縄文時代と現代の違いについて考えている。別にそれは縄文時代に限らず、ヴィレンドルフの3万年前でも良いし、荻原守衛のいた明治時代でもいい。それこそ、つい先日に最も古い動物としてニュースになったディッキンソニアと我々を比べたって同じだ。それが何かと言うと、「過去は今より劣っている」わけではないという実感である。わざわざそんなことを言い直すのは、もちろん、我々が普段は「今が最も優れている」と感じるからである。その事実そのものも興味深い特徴ではあるが、ここでは、その強力な実感が真実とは限らないことを強調したい。
ディッキンソニアの化石
   現代と比較する過去の事象を縄文時代とするのは、たまたま縄文展が開催されて、その印象が強く残っているからだ。それ以外にも縄文時代が日本での出来事だというのももちろんある。自分が生きている土地での出来事だから、たとえばヴィレンドルフ・ヴィーナスを取り上げるよりも若干は身近に感じられる。
   縄文展が少し前まで上野で開かれていて、その宣伝文句が「日本の美の原点」であった。私はこれに違和感を覚える。縄文人は、ここを日本と呼んでいないし、そもそも国に属しているという概念も無かった。私自身も縄文文化の発掘品を見て、現代日本との文化的連続性を感じることができない。文化的に彼らと私たちとは連続性があるとは思えない。縄文人は現代人が日本と呼ぶ大地にかつて生きていたという事だけが彼らと我々を結ぶ共通点だ。また、現代の我々はその理解しがたい美的センスに、洗練されていない始原的な美を見出す。それは、ヴィレンドルフやラスコーの壁画などに対しても同様に言われるセリフだ。太古の美術はプリミティヴだがそれが良い、と。
   さらに気になるのが、過去の人々は現代人が失ったものを持っている、という言い回しである。これは一言なら現代文明批判であって、その根底には「現代が優れていると一般的に思われている」という前提がある。いずれにせよ、それは「現代vs太古」というような対立的比較である。その考え方は、時間が過去から現代へと流れている認識に基づいている。それは「劣から優」へ向かっている。だから、古代美術はいつでも「古いのに凄い」と言われるのだ。その言い回しは、もし現代の品ならば大した価値が無いと言っているのと同じで、つまりは価値を担保しているのは「古さ」なのだ。つまり、古いものは劣っているのが基本と認識されている証である。

   3万年前の人類は、すでに現代人と変わらない肉体である。もっと新しい時代の縄文人も同様だ。ただ、同じ道具(肉体)でも使い方のバリエーションに広がりはあるだろう。脳の使い方、つまり世界の見方も同様の振れ幅の広さがある。縄文人と現代人の違いはそこに現れる。縄文時代は1万年以上続いた。変化の激しい現代に生きる者からは想像し難い長さである。しかしそれを長いと感じるのも現代人的なセンスであることに気付くべきだ。千年前と今日が同じである日々を想像してみよう。身の回りで変化するのは家族など人々だけだ。伝承されるものはずっと同じ。する事もずっと同じ。他者との比較と社会的ヒエラルキーが構築されていなければ貧富という概念もない。ただ身の回りの環境は天候など時々荒れたりもする。人々が願うのは今日が明日も維持されることだったろう。世界がどこまで広いのかは分からない(これは宇宙がどこまで広いのか分からない現代と同じだが)が、それは現実的な問題でもない。常に国家間の緊張を抱え、社会的な優劣が金銭という概念で取り決められる現代とは大きな違いである。

   古代人は現代人より劣っているのではない。その言い方は現代人的価値観からのものだ。古代人はその生活で間に合っているのだから、そうしていたのに過ぎない。これは現代人も同じである。
   アインシュタインが、もし戦争が起きたらどうなるかと聞かれて、次の戦争は核を使うだろうが、その次は石の投げ合いだろうと答えたそうだ。核によって現代文明が崩壊すれば世界は再び石器時代のようになる、という皮肉と警告である。この言葉には別の捉え方もできる。石器時代的な文化はたとえ核戦争で文明が失われてもなお人類から奪い去れない、という事だ。科学技術は知の積み重ねであり、またその歴史も人類史的にごく浅い。そのような不安定なものはすぐに崩壊してしまう危険性がある。一方で、何百万年も続けてきた石を道具とするような生き方は、人間の形をしている限り、忘れられることはない。私たちの目と手があって石があれば、何かをまた始めることができる。石を使う能力はすでに手のひらという身体形状にまで刻み込まれているのだ。

   現代は人より上位には金が、より下位に物が位置付けられるが、縄文時代はそれらが渾然一体だったと言う考えを聞いた。それはそうだったかも知れない。環境と自らとを明確に分けるのは西洋的で意識的である。明確な自意識の確立が、環境と自らとを分け隔てたのだろう。そうして「私」という存在に気付くことができる。
   ただ、この人間と取り巻くものとの関係性の転換が本当に起こったのかは分からない。私はむしろそのような転換は実際には起こっていないのではないかとさえ思う。そう考える根底には、過去と現代を比較して現代が間違っているような有りがちな構図で見たくないという私の考え方がある。現代人は本当に、過去の人間が持っていた何か今より大事なものを失っているのだろうか? 現代人は間違った方向へ進んでいるのか? 太古の人類の行いは今と比べてより正しいのか? 本質的な問題は、多くの人がなぜそう考えてしまうのか、である。それは今は無いものへの憧れ、ノスタルジーが作り出す幻想に近いように思う。過去はいつでも輝いている。少し視点を変えて、生物進化を見てみよう。それは身体というハードウェアの変化の経歴だ。魚から人間へ、我々は変化してきた。しかし、変化の度に過去を捨てて新しいものを手に入れるということはしていない。私たちの身体には過去が形を変えて残っている。我々は入れ替えるのではなく積み重ねるのだ。身体がそのように変化するのに、世界の見方が古きを捨て去るはずがない。私は古代人が呪術的思想に取り囲まれた幻想的世界に生きていたとは思えない。彼らは現代人と同様に日々を現実味を感じながら生きていたのだと思う。彼らの残された文化が呪術的に映るのはあくまでも現代人の視点がそれを捉えるからに過ぎない。同様に、科学的事実に生きていると信じる現代も、違う時代の人間が見たなら十分に呪術的であるかもしれないのだ。

   私たちが環境をどう見るのかは、決して古い時代が間違っていて、現代が正しいのではない。それは、今の我々にとって妥当な見方をしているのに過ぎない。そしてそれはどの時代においても同様である。今は、「科学の時代」であり、その明快さが信じるに値するから、世界をその見方に置き換えているが、これが永遠に続くとも限らないし、決して世界の見方の正解に近づいているのでもないだろう。むしろ、「持続可能性社会」という角度で見るなら縄文時代の方がはるかに正解に近い。
   「時間は過去から現代を経て未来へ流れる。」「物事は過去より現在がより良く、未来は今より良くなる。」こういった一方向のベクトルになぞらえた考え方こそ、根底から見直す必要がある。生物学者が言う「進化と進歩は違う」という事実はもっとしつこく吹聴していいくらいだ。
   生物に下等も高等もない。ただ環境に適応しているのに過ぎない。もちろんそれは人類も同じだ。恐竜が人類より劣っているように思えるだろうか。私はそう思えない。バージェスの動物たちは絶滅したからポンコツだといった考え方は全く間違っている。我々に多くの勘違いをさせる原因は、「時間は流れ、今がその先端で、最も良い」と感じ、それを信じることにある。それを「時間は流れず、ただ適応した今があるだけ」という考えで世界を見直すと、少しその色合いが変わるはずだ。それは、ひとりの人生にも当てはまる。働き盛りの価値が高く子供や高齢者が低いという見方は「経済的生産性」の一側面でしか語れないにも関わらず、全体的に思われている。マイノリティと括られる人たちの見方も同様である。ともあれ、今の自分の存在を意識してみよう。なぜ自分はその「性」であり、その年齢にしてその「肉体状況」にあるのかを考えてみたことがあるだろうか。なぜ身体は始め小さく、やがて大きくなるのか。なぜ子供時代と大人の自分が「同じ自分」だと信じているのか? 
   ヘラクレイトスの「万物流転」という言葉を思い出す。全ては常に流動的であり、世界の今は常にそのあるいっときを認識しているに過ぎない。完全なる調和などなく流転し続けるが、万物の互いは常に関連しあっている。そこには「劣」も「優」もなく、「古」も「新」もないのだ。

2018年9月6日木曜日

ポップアート

   アートは人が作るのだから、その人が生活している空間や日常の影響を一番に受ける。だからアートは本質的に制作時の環境に依存している。それはポップアートも同じだ。ただ、鑑賞者にその環境との繋がりが直接的に伝わってくるとは限らない。むしろ、鑑賞者は自分を主体として見るから、自身の環境と絡めて作品を再構築しているのかもしれない。例えば、広告媒体をモチーフにするウォーホルの作品を見ると、モチーフが没個性的なので、その環境依存性が見えてこない。その作品群は、一部の誰かの心情に深く突き刺さるというより、多くの人に浅く影響を与え続ける。その様は広告さながらだ。ヘリングの壁紙的なドローイングもどこか特定の環境に根ざしているようには見えない。それは現代のカウズも同様である。それらは、“環境に根ざしていないように見える”という点で一致している。そしてそれが重要なのだ。その“環境性の薄さ”を生み出すのが、彼らが活躍したニューヨークの特徴なのだろう。様々な人種が混ざり、常に人が入れ替わる街では、街ですれ違う相手が何を考えているのかなど想像もつかない。いや想像することがあまり意味を持たない。むしろ、目の前に明確に示されるものだけが存在するものとして意味を持つ。ポップアートはそういう価値観を共有する街で生まれた。だから、環境依存性が見えてこないという環境依存性がそこにあるのだと言える。それはそれで良いのだと、私も思う。「見えるもの以外には何もない」という明快さは心地良くもある。また、いわゆるストリートカルチャーやファッションとも密接だからか、表現の鮮度も重要だ。だからか、美術館に収まったポップアートの作品は摘み取られて死んだ標本のようにも見える。ポップアートは美術館の外で、日常生活の中に混ざってあることによって生きるのだ。



   ニューヨークで生まれた“環境依存性の高い”ポップアートと同じものは、東京では生まれ得ない。先鋭なビジュアルに惹きつけられ同様のスタイルを模倣したくなるが、それはあくまで模倣に過ぎない。もちろん、模倣にも特有の価値は見出されるが、それとは別に、自立した本質を探る動きがあってもいい。単純に考えて、ニューヨーク生まれのポップアートに近いものが生まれるのは東京だろう。「日本」ではない、「東京」である。そして、その内実は新宿や渋谷かも知れない。いずれにせよ、音楽で言う「J-Pop」ほど広範囲ではなく、「T-Pop」程度の狭い地域依存性が”先鋭化“した表現には必須なのだ。ドメスティックで尖ったものを見てみたい。

2018年9月5日水曜日

告知 土祭(ひじさい)にてレクチャーを行います。9月29日(土)

   栃木県益子町で開催される土祭(ひじさい)のイベントに参加いたします。

   土祭は益子町の町興しから発展した文化的イベント。915日(土)からほぼ半月間に渡って開催されるこの祭りは、地域のいくつかのエリアを跨いで、展示やワークショップ、講演会やコンサートなどさまざまなイベントが企画されています。益子と言えば益子焼が思い浮かぶように、窯業と農業が盛んな同地にあって、自らの足元に広がる大地を構成する土を命の原点として意識することを土祭は主題としています。土と自分。土と人。この切り離せない関係性は誰にとっても同じであるはずですが、都会で生活しているともはや土は足元に広がってさえいません。大地から離れることのできない私たちにとって、大気同様に重要な環境要素である土との関係性を、意識的に見直すきっかけにもなるでしょう。
   
   リノベーションされた廃校を大人の小学校に見立て、様々なテーマでレクチャーなどが予定されている中で、私は「生命形態の歴史と環境」と題して、アーティスト(彫刻家)の藤原彩人氏とタッグを組んで講義いたします。
   私たち自身の身体の形。何も考えなくてもこの形。人に生まれたから当たり前に人をしている。私に生まれたから当たり前に私をしている。でも、なぜ? 
   この「なぜ?」に辿り着いた動物は地球上に人間しかいません。でもそれは、他の動物より優れていると言う意味とも異なるでしょう。むしろ、なぜ(再び!)そう考えるようになったのか、が疑問です。どうして、なぜ?。
   ともあれ、そんな事を考えるように進化したのですから、そういう事を考えるのが私たちは(そして私は)好きなのです。好きというより、本能であるとも言えるでしょう。世代を超えて考え続け、やがて大きな二つの流れができました。科学と芸術です。なぜか、現代ではこの両者は別モノのように見られますが、見つめる先は同じです。

   気候も秋めいてくる929日(土)は、36千万年に渡って土にまみれて作られた私たちの身体のカタチについて、あれこれお話して、また一緒に考えたいと思っています!

   土祭の詳細はここから。

   私のレクチャー詳細はこちら

2018年9月4日火曜日

数学的オブジェ

 

  ゴムボック(Gomboc)という大人のげんこつ大ほどのオブジェがある。中身の詰まった物で、置くとゆらゆらと揺れる。少しオシャレな起き上がり小法師と言った感じなのだが、精密性を感じさせるシャープなエッジや球体に近い丸く膨らんだ充実した量感が気になる。実際のところ何なのかと言うと、数学的オブジェである。そのゆらゆら揺れる特性を前面に出して“ちょっと知的な贈り物”的な売り方をしている商品だ。私は店舗で偶然見てそのソリッド感とシンメトリー形状に惹かれ手に入れた。厳密な機械加工ゆえの精密さとそれに伴う無機質さが、手作りの置物や彫刻などの有機的印象と対照的だ。ただ、そこがかえって色々考えるきっかけにはなる。

   数学的な探求の背景もなかなか興味深い。この形状は、2つの平衡点を内在していると言う。ひとつは安定しもうひとつは不安定である。それぞれたった1点、つまり最小数なので、究極のミニマル形状である。それゆえ、触れなければ止まっているが、少しでも触れればゆらゆらと揺れ出す。球体からの偏差がわずかであるためその揺れ幅も小さくない。購入した物はゴム製なので軽くてすぐに止まるが、重たい金属製もあるらしく、それだと慣性が強く働いて長く揺れ続けるようだ。このオブジェは「安定と不安定の2つの平衡点を持つ外に凸の均質体」で、ゆらゆら揺れると言っても錘を仕込んだ起き上がり小法師とは本質的に異なる。個人的に興味深いのは“外に凸”である点で、つまりはくぼんでいる面がなく、最も膨らんでいない面は平面なので、任意の2点を結ぶ直線は必ずこのオブジェ上もしくは内部にある。
   安定的平衡点とは、放って置いて安定している時の重心点で、不安定的平衡点はその逆だと思えばいい。2次元形態ならば、n辺の多角形は、n個の平衡点を持ち(辺の中心)、そしてn個の不安定平衡点を持つ(角)。これが、3次元物体となると話しが変わるらしく、安定点、不安定点に加えて“鞍点(Saddle point)“が現れる。言葉の通り、乗馬の鞍の形を思い浮かべる。そこに玉を置くとさまざまな方向へと転がり落ちてしまうが、ただ前後方向だけに理論上真っ直ぐに玉を押した時は、前後に転がってやがて鞍の中心で止まる。これが鞍点である。安定点iと不安定点jがあるなら、i+j-2個の鞍点があり、これはポアンカレ・ホップの定理として知られているそうだ。立方体なら、6つの安定点(面の中心)、8つの不安定点(角)そして12の鞍点(辺の中心)がある。ゴムボックは揺れて1点(鞍点)で止まるのだから、i+jは3でなければならない。しかし、各平衡点は一つずつだと言う。一体どういうことか。開発した数学者曰く、
「やがて我々は、ひとつのわずかな揺らぎを用いることで、平衡点の数を増やせることに気付いた。ほんの少し歪ませることで、平衡点をひとつ増やせるのだ。」
   きっと、ここは難しい数式の世界で言葉にできないのだろう・・と自分を納得させる。

   この形を見つけた数学者らは、河原の石ころで似た形状を探したそうだが、見つけることができなかった。この形は、演繹によってはたどり着けないのだと言う。つまり、自然にこの形にたどり着いて安定することは決してないのだ。実際、鋭いエッジなどはすぐに割れるだろうし、そうなれば重心は変わって立たなくなる。ところが、甲羅の高いリクガメにこれと似た形状がある。そのリクガメは甲羅がひっくり返っても起き上がり小法師のように元に戻れる。亀は生物だから、自然にはたどり着かない形にエネルギーを消費する形で到達しているのだと言える。
   逆の平衡点を、2つと言う最低数だけ持つこの形態の要素は、それ以外の全ての形状へと変化することができる。その意味で、製作者はゴムボックを「数学的幹細胞」と呼ぶ。何にでもなれて、どれからも辿り着けないという意味で(これがips細胞以前に名付けられた事がわかる)。

   指で触れれば揺れ出す不安定さは、ゴムボック形状の繊細さがそのまま運動として現れている。そうでありつつ、どの角度で手を離しても必ず最後は同じ立ち位置で止まる自己安定性も示す。物と生物、命と死、ホメオスタシスと運動など、一つにまとめられる相反する現象との相似性が、ゆらゆら揺れるオブジェの在りようと重なって興味深い。

2018年9月3日月曜日

人体構造と美術の見方

   先週末も、新宿の朝日カルチャーセンターで月1回の連続講座を行った。ここを受講される方のモチベーションは高い。純粋に自らの趣味に突き動かされているのだから、それも当然のことだろう。講座内容は一般的ではないが、それでも長く受講を続けてくれる人もいる。そういう人はその人なりの時間の過ごし方があって、たとえば私の講釈をラジオの様に聴き流しつつゆったり描く人もいる。そんな風に気楽に聞いてもらえるとこちらも落ち着けたりする。また、長く受講されている人は私がよく口にする身体構造が頭に入っているから、こちらへ投げてくる質問の内容も的確で、解剖学用語が普通に出てくる。さらには、私の解説が彫刻を例えに出すことが多いからか、彫刻についての興味を質問されることもあって、嬉しいことだ。彫刻は絵画より鑑賞者が少なく、それは鑑賞の仕方が分からないからと言われる。そんな中で、本講座によって人体の見方が彫刻の見方にも連続的に繋がっている事が実感されるのなら、それは本望である。

   前回の講座後に、開催中のミケランジェロ展に関する質問を受けた。それは、その人が作品から受けた感覚への疑問であった。「私はこう感じたが、良いのだろうか」と。感じ方にルールや答えはない。芸術学ともなれば客観的根拠に基づいた判断が求められるが、鑑賞は別である。美術館は敷居が高くて・・とはよく聞く。それは鑑賞に答えがあるように思ってしまうからではないだろうか。巨匠の作品でもつまらないと感じて良いし、無名作家でも素晴らしいと思ったらそれが感情の事実である。
   なぜ美術の敷居が高いのだろう。これは決して全世界共通ではない。おそらく日本特有ではないか。作品に敬意を払うことは大事だが、もうそれを超えて、怖れに達しているようにも感じる。怖れは“分からない”から生じる。“分からない”は答えがあることが前提である。答えはない、読まなくてもいい。気楽に、音楽や風景や映画と対峙する事と同じなのだ。誰もが、自分の言葉で、自分の感覚を“普通に”語れれば良いし、もちろん語れなくても良い。とは言え、私の講座での人体の見方がそのまま芸術作品の見方となって、その人なりの芸術を語る言葉になれば、それに越したことはない。

   時々、他でも同様の一般向け講座をしているかと聞かれる。学校ではなく一般向けは現状ではここだけなので、もっと増やせたらとも思う。人体構造の見方が美術の見方につながって鑑賞の手引きとしても役立つのなら、これは美術解剖の副次的な効果と言うより、本質的な効果が現れていると私は思いたい。

2018年8月6日月曜日

骨の人

   生活の糧としてではなく、骨標本を作り続けている人がいる。博物館の職員や大学の研究者ではなく、個人で作り続けている。その人の手による骨標本は骨好きのコレクターにはもちろんのこと、さまざまな博物館にも納入されている。学術的な正確さを持つ高品質の骨標本を作る技術と知識を持ちながら、学術的な領域とは一定の距離を保ち続けている。

   先日は、その人の作業場に招いてもらった。もうその日は骨の話だけである。次から次へと博物館級の骨が出され、それについての様々な話しで盛り上がる。もちろん、それらの骨標本のほとんど全てがその人の手による物だ。“骨取り”と呼ばれたりもする骨標本の作製方法は頭で考えるよりはるかに複雑で時間がかかる。有機物を扱うのだから臭いや汚れなど不快な過程もある。そういった過程を経て完成した彼の標本はどれも非常にクリーンだ。さらに、ただ標本を作るだけではない。各個体を詳細に観察してその特徴を記述し、計測し、撮影もする。している事は研究者のそれと似ている。机上に置かれた大きな4Kモニターに映し出された動物の頭蓋写真は遠近全てにピントが合っている。中判デジカメでピントをずらしながら複数回撮影した画像を合成したそうだ。「人間の視覚により近い」と彼が言うこの手間の掛かる撮影法で、いくつもの動物の全身の骨を撮影していく予定だというのだから途方も無い。彼と出会った10年以上前、デジタル特有の“データ圧縮”を信頼せず頑なに銀塩フィルムを使用していたその人とは思えない先進の技術だ。また、鳥の頚椎の特徴を記号化して列挙したいわゆる“椎式”も、オリジナルの視点から組まれており非常に興味深いものだった。ただ骨格を眺めても気付かない事が見えてくるだろう。
   この人は、自らの活動を取り立てて表に出そうとしない。それはこの活動が、純粋な自らの興味によって突き動かされている事を示している。一方、世間には何らかの専門家やスペシャリストと呼ばれる人が数多くいるが、その全てが同様の興味の深さによるとは思えないし、実際違うだろう。むしろ、知識レベルが発展途上の”専門家もどき“のほうがよほど多い。しかし、肩書きはそこまで精細ではないから、ある程度を超えると誰もが専門家を名乗れるので、結果、専門家だらけとなる。また、先人の知の積み重ねを自らの知だと勘違いもする。彼らは大抵“知った顔”をするので分かるのだが、この人は違う。なぜなら、社会的なステータスを得るための時間なぞは、標本を作製してデータを取って記述する時間の無駄になるだけだからだ。
   また、これだけの実地に基づく知識と情報を持ちつつも学術界とは距離を保つことも、その根は上記と同じなのだろう。つまりは、骨を楽しむ事への主体性を強く、明確に保ち続けているのだ。
 標本は自らの命より長く残る。彼の仕事は明らかにそれも意識されているし、将来の自らの標本たちの行き先として、
「収蔵庫にしまい込まれるだけの博物館コレクションより、展示される市井の博物館」
という発言からも、“骨の魅力は学術の枠だけには収まらない”という彼の立ち位置が伝わる。

   彼のような人こそ、真のエンスージアストである。その人間性には興味の純粋さだけが持つ強さがある。

2018年8月2日木曜日

古代美術は古くない



   縄文時代の土器や土偶についてのテレビを見て。番組の最初から最後まで通底するのは、
「縄文時代なのにすごい」、「こんな昔なのに驚きだ」
という表現である。これらの発言が生まれる根底には、過去より現在が優れているはずだという暗黙の前提がある。きっとこれは本能のようなもので、いつの時代の人も、自分が生きている今がこれまでで最も優れている時代だと感じるのだろう。だから、1万年前に作られた物が現代よりも優れていると素直に認めたくないのである。「縄文時代なのに」という言い草は、ドラえもんでジャイアンが「のび太のくせに」と言うのと変わりない。しかし実際は、過去の蓄積によって発展するのは科学や技術くらいであって、それ以外は発展せずただ時代ごとに変化するだけだ。縄文人と現代人の身体はまったく違いがない。脳ももちろん同じだ。彼らが私たちより劣っているところは何もないのである。
   これは縄文文化に限らず、古代芸術についても同様で、例えば洞窟壁画や象牙の小像などヨーロッパで出土する石器時代の遺物に対しても、「原始人なのにすごい」、「古いのにすごい」という表現が付いて回る。彼らは私たちと同じサピエンスである。同じ身体、同じ脳なのだから同じ感性が働いていて当然なのだ。洞窟壁画に現代美術性をみる人もあるが、さもありなんである。同じ人類が作った美術を見る時に古いか新しいかで美術的価値を判断するのは意味がない。

   縄文美術を見ると、私はその異質さに不安を覚える。縄文時代と呼ばれる1万年前、確かにその場所は私たちが今「日本」と呼ぶ場所での出来事だが、彼ら縄文人は日本語は話していなかったし米も食べていない。神社の寺も仏像もない。学校も会社もない。何より日本人という概念がない。遺伝子は多少の連続性があれど、今の日本人に染み付いている文化的な自己同一性とは全く連続性がないと言えるだろう。私は縄文土器や土偶を見て、何か懐かしさを覚えるとか、日本人的であるとか、そういう感想は浮かんでこない。他国の古代文明遺跡を見るときよりは目に馴染んでいるが、それは幼い時から何かと目に入っていたからかもしれない。火焔型土器や遮光器土偶などは全く日本人的ではないと思う。だから、縄文土器の展覧会などで日本の美の原点と謳われると違和感を感じる。場所が同じというだけで現代日本人との連続性を声高に歌うことが正しいのだろうか。何というか、例えば英国人が「ストーンヘンジが英国の美の原点」と言うような違和感である。

   現代との連続性よりむしろ、時が経てば今当たり前のように大事にしている文化も、綺麗さっぱり消え失せてしまうものだという事実を古代芸術は教えてくれる。日本人に馴染んでいる仏教美術の歴史は2000年ほどで、それを遡るとヨーロッパ美術との関連性が見えてくるように、数千年程度ならば連続性が垣間見られる。ところが、縄文美術の様式や、石器時代の女神像などになると現代に伝わる宗教や美術との関連性などまったく見られない。この時代に広く、強く信じられていた何らかの宗教と呼べるような行為は完全に途絶えているのだ。それは言わば文化的絶滅であり、ならば古代美術は文化的化石とも言える。


   過去に実際に起こった事象が今後は起こらないとは誰も言えない。今当たり前にある文化も、数千年、数万年後には過去の遺物となっているのかも知れない。その時の人は、無数に出土する宗教美術品を見て、それらをどう価値付けるのだろう。

2018年7月29日日曜日

ミケランジェロと解剖学

   28日(土)は関東地方へ大型台風が近づく中、新宿の朝日カルチャセンターで「解剖学的に観るミケランジェロの人体表現」と題した講義を行った。天候が荒れる可能性があるにも関わらず、多くの方が聴講に来て下さった。同じ興味を抱く者として、芸術に対するその情熱を嬉しく感じる。
   この講座は、上野の西洋美術館で開催中のミケランジェロ展を意識している。ミケランジェロの人体造形には、人体解剖の知識が存分に活かされている。神の如きの半分は解剖学が担っている。それほどに大きな要素であるにも関わらず、この展覧会ではそこに触れていない。サブタイトルに「理想の身体」とあるように、彼が生きたルネサンス期の最たる、そして理解しやすい特徴である、古代との表現の連続性(およそ1000年の隔絶があるにせよ)に焦点を当てている。それゆえ講義では、彼の芸術がある側面において古代を凌駕することを可能にした、この当時最新の科学(的手法)である解剖学との関係性に焦点を当てた。


 ルネサンスの解剖学は、現代よりも自由だった。皮膚を剥ぎ取った内側に現れる構造は隠されていたもう1つの大自然の組み立てである。それをどのように見て、捉えて、認識するのか。芸術家が執刀するとき、それは芸術家に委ねられた。結局はそこなのだ。ミケランジェロもレオナルドも、そしてヴェサリウスも解剖をした。それぞれが見た内部構造は、それぞれ異なっていたのである。医学は体系化することで知識の均一化を志す。しかし芸術は違う。均一化した芸術は現代ではあり得ない。つまり、本質的な意味での、美術解剖学というのは成り立ち得ないのだ。解剖学も結局は、人体という自然の見方であり、その見方の革新性こそを重んじる芸術では、それぞれが開拓することが求められる内容なのだ。ミケランジェロが解剖から何を得たのかはレオナルドのような手縞がないので具体的ではないが、彼の作品を見れば重要な点はほぼ伝わる。ミケランジェロ的解剖学は彼によって、彼だけのために構築されたのである。もし、ミケランジェロ的解剖学たるものが、彼の後にまとめ上げられたならどうなるだろうか。それは彼以降おとずれた人体の捉え方の潮流であるマニエリスムを見れば大体は想像できる。つまりは、そう上手くいくとは思えない。体系としての「美術解剖学」が存在しないのは、そういう根本的性質に起因しているのだ。

 解剖学と芸術家との関係性において、重要な事実はこういうことだ。すなわち、解剖学がミケランジェロの芸術を引き上げたのではなく、彼の芸術性が解剖学を最大限に活かしたのである。

   

2018年7月26日木曜日

不思議な話

   少し前の雨の日、勤め先の大学に着いた学生でごった返した学バスを降車して、階段を数段上がったところで後ろから声を掛けられた。振り返ると傘も差さずに女子学生がいた。
「すみません。先生、ですよね。」
私の格好からそう判断したのだろう。聞くと、バス内で私がスマホで読んでいた本が興味深いからタイトルが知りたいのだと言う。そのタイトルを表示して見せると、自分のケータイで撮影して学生は小雨の中を去って行った。混んでいる車内とは言えフリックで流し読みしていた小さなスマホ画面の文を良く読み取ったものだと思った。またどうせなら、どの部分を面白いと思ったのかを聞けばよかったとも思った。
   ともあれ、話のネタとして教員室で助手さんに話すと、そんな事は滅多にないと。幽霊ではないですか、とまで言う。そう言われて、かつての体験を思い出した。

   数年前の雨の夕刻、傘をさして交差点に差し掛かった時。信号はあれど車通りも人通りもない。赤なので止まると、それまで気付かなかったが道路の反対側に老婆がいて、傘もささずに私のほうへやってくる。そして、私を一心に見上げつつすがるような早口で、
「たばこをくれないかね。ね。一本でいいから、たばこをくれないかね。」
   交差点のはす向かい角にはタバコ屋があるが閉まっている。私は吸わない。困ったが、信号が青になったので、持ってませんと断って早足でその場から去った。この交差点は今でもよく通るが、その老婆は後にも先にもあの時しか合っていない。
   この事を人に話すと、それは幽霊だと決まって言われる。

   自分では明らかな実体験にも関わらず、後になって思い返すと奇妙だなと思うことがある。さらに話して聞かせた人から、幽霊話だと言われ続けると、不思議なもので自分でもあれはもしかしたら・・と思えてくる。

   奇妙な体験は他にもある。
   これも数年前だが、車で高速道路に進入しようとした時、右カーブの左車線を走っていると、カーブの壁で見通せない先から唐突に右車線を車が一台こちらへ向かってきた。逆走である。その車は自分の間違いも気付いていないような普通の走りですれ違って去って行った。あの時右車線を走っていたら正面衝突していただろう。
   また別の時、高速道路の本線に合流して間もなく、自分の左側を走っている車が突然反時計回りにスピンし、一回りしてそのまま何もなかったかのように走って行ったことがある。
   これらも、今思い返すと、何か夢を思い返しているような気がしないでもない。

   こんな事もあった。
   遠い大学生時代。一人暮らしの部屋のドアベルが鳴ったので戸を開けると、自分と同じくらいの歳の男性が立っている。
「こんにちは!僕の踊りを見てください!」
そう元気よく言ったかと思うと、自分で奇妙なリズムを口ずさみながら、初めて見る振り付けで踊り出した。あまりの唐突さに、ただ見ているだけだった。多分、せいぜい30秒くらいだだったろうが長く感じた。やがて踊り終えると呆気にとられている私に、
「ありがとうございました!」
と深々とお辞儀をして、小走りで去って行った。彼が去った後も今起こったことが何だったのか分からない。どこかの物陰でテレビ局が隠し撮りでもしているのかとさえ思ったほどだ。

   これも大学生時代。やはりドアベルに応じてドアを開けると、何と小さな子供が1人で立っている。
「はじめまして!僕は◯◯って言います。小学一年生です。僕と友達になって下さい。」
驚きつつも、よろしくねとか何とか言い返したのだろう。彼はお辞儀をして帰って行った。

   また、別の時は、部屋に帰ると押入れから物音がする。戸を開けると、奥の暗がりから2つの光る眼がこちらを見つめている。大きな猫だ。外の戸を開け放して何とか追い出したが、どうして入ったのか未だに分からない。

   こんな風に、ちょっと奇妙な記憶は誰にでもあるだろう。時が経つと記憶は物語のような体をしだす。
   おかしな夢—それに没頭している時はおかしいとは思わない—を見ている時に観測される脳波は起きている時と同じである。だから、なかなか起こらない体験は夢のようだと言えるわけだが、それは反対に、実体験と夢は変わらないとも言える。
   夢は覚めて初めてそうだと気付く様に、この現実と信じる経験が、次の瞬間に覚めないとも限らない。

2018年7月16日月曜日

技術と芸術

   彫刻における写実や具象表現と言うと、それは写真のように対象を正確にそのまま写し取るもののように考えがちだが、そうではない。対象と同じで良いなら、それをそのまま型取ればいいのだ。そのままを型取ったように見える彫刻でも、実際の人体と比べれば多くの点で異なっている。何が異なっているかを一言で言えるなら”強調”だろう。ある起伏はより大きく、別の起伏はずっとささやかなものへ。そうして、形態は実物より強調され、それが作家の主張となり、鑑賞者の感性と共鳴することで心を動かす作品となる。
   とはいえこの強調は、芸術的感性と言われるような高尚なものではない。恐らく、人間の視覚認知の仕組みに備わった感覚の閾値を下げるような行為に過ぎない。だから、これだけならば、いずれ遠くない未来に人工知能で模倣可能だろう。
   いわゆる芸術性とは、この強調の先にあるものだ。そしてこれは、誰かに教えてもらえるものではない。なぜなら芸術性の源泉は自分自身であり、もしそれが新しい芸術ならば、今まで地球上に、宇宙に、存在していなかったのだから。
   
   技術と芸術は時に似ている。実際、明確に切り離せるものでもない。ただ、教え伝えられるか否か、で捉えてみるとある程度明確に線引くこともできる。そして、体得しようとするものが技術であるならそれは効率を考えて進んで良いものだろう。なぜなら、芸術をするにはひとりの命は短すぎるのだ。

2018年7月9日月曜日

告知 東京造形大学オープンキャンパス2018

  来たる今週末の7月14日(土)と15日(日)、八王子の東京造形大学でオープンキャンパスが開催されます。オープンキャンパスとは、その名称通り大学を外部へ解放する行事です。大学の構内はどうなっているのか、科目ごとにどのようなことを学んでいるのかなどを一般の方が体験することができます。進学を考えている方はもちろんのこと、単純に大学内を見てみたい方でも入場料など掛からずに体験できます。大学祭とは異なりますが、例えば彫刻科の体験授業/ワークショップでは、実際に指導のもと小品を作成し、それをおみやげとして持ち帰ることができます。また、学生の作品も多数展示されます。

   初日14日の午後は、彫刻科にて着衣モデルを見ながら鉛筆デッサンのワークショップを開催し、私は人体構造的な視点からアドバイスをいたします。普段授業で使用している、粘土で筋肉を付加した全身骨格模型も展示します。

アドバイスする舟越先生 (昨年)
   そして、実はこれが告知のメインですが、本学の客員教授である彫刻家の舟越桂先生も直接指導されます(!)。また普段未公開のデッサン帳や版画の原画の数々が先生のアトリエから運ばれ展示されます。これは作家の創作の秘密に迫ることができる貴重な展覧会とも見なせるほどです。この他にも、どの美術館にも画集にも収められていない貴重な習作なども展示されるかもしれません。

   ワークショップは、この他にも実材(石材、木材、金属)のアトリエでそれぞれ開催され、自作を持ち帰ることができるものがあります。
   また、2日目の15日(日)に開催される塑像ワークショップでは、イタリアの彫刻家ジャコモ・マンズーの実作に“触れながら”制作を体験する興味深い内容となっております。普段は決して触れることはできない芸術作品に、作品保護のため手袋着用しますが、指先で触れて凹凸を体験できる非常に希な機会です。


 美大は特殊な学校です。ここで学ぶ学生たちは、私たちの日常を取り巻く直接的な経済の枠組みから離れているように見えます。キャンパスが住宅街から離れているこの大学では尚更その特殊性が強調されます。その一方で、彼らは街に普通にいる若者と変わらないように見えます。アートは本質的に非日常ではありません。それはむしろ、ふと1人になったときの内省のように私たちの深い部分に根ざしているものでしょう。彼らは、文明による速い時間の流れの中にありつつ、個々のリズムを見出そうとしているかのようでもあります。そうやって彼らはアートという人類活動における根源的領域を担おうとしているのです。美大は、そのような若者たちを指導する現場です。大学とは言え、机と椅子が並ぶ講義室ばかりではない、クリエイションのために誂えられたその特殊な空間も是非、ご覧下さい。

今回(2018年)の様子



   詳細は、東京造形大学のサイトからご覧ください。

美術における人体構造学


   最近では、人体の内部のつくりについての学問を「解剖学」の呼称にまとめることをせず、「人体構造学」と呼ぶことも多くなった。とは言え、一般的な認知度では相変わらず「解剖学」呼称の独り勝ちであることは、書店に並ぶ本のタイトルを見ればわかる。ではなぜ、大学の講座名や講義名では「解剖学」と呼ばなくなってきているのか。それはこの単語が持つ本来の意味と、行われている実質的内容との距離が開いてきたからであろう。解剖学は読んで字の如し、人体を切ってばらしながら探求するという意味合いがある。解剖学を行うには解剖実習室と解剖道具そして何より死体が要る。しかしながら、現代では人体についての探求は、必ずしもメスとピンセットで切り開かなければ分からないものばかりではない。放射線や磁力、超音波を用いることで切り開くことなく体内を見ることが可能であり、しかもそれらを立体的に見たり、触れる素材として出力することももはや特別ではない。これらのように、人体を刃物で解剖せずに、人体のつくりについて学び研究するのであれば、血なまぐさい印象を纏う「解剖学」の文字は使わずに「構造学」を用いる方が内容に即していると言える。ただ、構造学という響きには、人間という生物が持つ柔らかな分からなさをも払拭して、どこか機械的で冷たい趣きがある。命ある人間も、その構成へと分解されるとそこには生命現象のまとまりは見えなくなり、物理化学的な現象の連なりがひたすらに連続しているばかりであるような。もちろんそれが間違っているわけではない。我々人間にとって対象の意識的理解とは理解の解像度を上げること、言い換えればピントが合っていることであり、そのためには対象に近づかなければならない。そして狭窄した視野の両隣りとの関係性を明確に捉えなければならない。「近づき、解像度を上げる」事に情熱を向けるのは、私たちが情報の多くを視覚から得ている事と関係しているだろう。
   しかし、細分化されたものはその階層での関係性で成り立っていて、それがそのままより大きな階層との関係性に連続していくとは限らない、いわゆる創発的性質がある。これが、理解を助けると同時に全体性を分断させる。それは仕方ないことではある。自分の日常と宇宙の進行の連続性を統合的に感じながら生活するのはなかなか難しい。さっきこぼしたコーヒーと白鳥座のブラックホールが関連していると考えるようなものだ。そうは言っても、自分の存在以上に目を向けるよりは、ずっと意識しやすいはずだ。自分という限定された物質内での出来事だと考えるなら。
   個人の階層から始めるなら、器官系、器官、組織、細胞、細胞内小器官、分子と階層を降りていく。私たちがものを食べて、それが吸収され、やがて自分の一部として役立つ過程は、この階層性の一往復に相当することが分かるだろう。階層性は層を跨ぐのだから、高さの概念である。もう一つ、同じ層にあっても横の概念がある。例えば器官系のひとつ循環器系ならば、その名称の元である循環現象を生み出す心臓を「親」に見立てることができよう。その拍動がなければこの器官系の存在意義がないのだから。そうして一方通行の血流が起こることで順序が作られる。心臓から出るのは動脈で帰るのは静脈という大原則の元、肺循環(機能血管系)と体循環(栄養血管系)という2つの循環が生み出される。これら同じ階層内にある機能的な横の連なりの概念を分かりやすく「親子関係」と呼びたい。親子関係の世代の異なりが階層の概念と結びつきやすいかもしれないがそうではない。これは影響力の主従関係のことで、子は常に親に従う関係性を持っている。循環器系の例で見れば、動静脈の区分けなどは親である心臓の配下にある子だと言える。これは別の器官系例えば運動器系でももちろん言えることで、この系の仕事が主に機械的であることから、より分かりやすい。腕で例えれば、指の動きは掌の動きに従い、掌は前腕に従い、前腕は上腕に従う。つまりここでの最上位の親は上腕となる。これは、3DCGのモーション付け(リギング)では以前からある概念で、これを適用したIK(インバース・キネマティックス:逆運動学)はアニメーターの作業を感覚的かつ迅速なものにしている。
   ここまで示してきた階層性や親子関係は、理解の仕方つまり情報の分類整列だと言える。人体で行われている生命現象は全てが関連した壮大なエコロジーとも言い得るものなので、他と関連しない局所的視点の知識だけでは、トリビアとして楽しいが、あまり意味をなさない。これを知る過程とそのための組み立てを体系と言う。つまり、知り方の順序である。現代では、知識だけならばインターネット上に十分転がっているだろう。しかし、そこには体系がない。その様は、情報の広大な草原のようだ。どこへ向かっても何か見つけられる。しかし、それが最善の道かは分からない。ネットによる情報の獲得が用意になってもなお、教育機関が存在し、そこへ人が移動して教え学ぶのには訳がある。そこには道があるはずだからだ。

   美術系学校で人体構造を教えているが、その全てにおいて、絶対的な時間不足が生じている。時間が短いと何が起こるかと言うと、体系が失われるのだ。それは3時間の映画を3分で語るのに似ている。それは重要箇所を点として提示するだけになる。確かに、「上腕二頭筋は上腕筋の上に乗っている」と聞けば一つ知識が増えた気になる。しかし、これが造形の現場でどれだけ役立つだろう。短ければ短いなりの伝え方があるかもしれない。確かに体系的理解には膨大な構造知識も密接である。ただ、医学体系で組み上げられた現代の体系に縛られなければ道はあるかもしれない。


   解剖学を芸術に応用した最初期の例として挙げられるレオナルド・ダ・ヴィンチの解剖図とメモを見ると、その斬新さに驚かされる。実際、それらのいくつかはずっと後世にならなければ認められなかった。その先見性の理由のひとつとして、レオナルドが既存の知識体系を知らなかったからではないかとも言われる。それに加えて、レオナルドが経験を師とし、自分を信じたこともある。彼の手稿には、医学体系に縛られない人体構造の捉え方が示されているのだとも言えるだろう。16世紀以降、人体構造は紛れもなく医学によって推し進められ、知の敷石が順序立てて並べられてきた。それと同じくして平行的に進んできた芸術における人体表現とその参考的知識体系としての美術解剖学は、いつしか、発展した医学と関連してその敷石の上を歩むようになったように見える。
   500年を経たいま、改めてその序章を見直すことで、芸術に立脚した人体構造の見方への根源的な指針が見つけられるかもしれない。そこから、従来とは異なる、もう一つの隣り合った人体構造学が始まらないとも限らない。そうなれば、やがてそれはとなるだろう。

2018年6月12日火曜日

美学

   視覚表現も言語体系の影響を受ける。私たちの世界の捉え方が言語体系に近いからだろう。高度に概念化された言語は、その性質に近い形を取っているのだと思える。視覚表現は、そのような認識のフィルターを通過して、言うならば、ある程度の整理がなされた状態を示している。だから、私たちの認識以前として存在する自然状態と比べて、必ずなんらかの強調が加えられているのである。そしてそれらは言語体系の組まれ方の方向を向かっている可能性がある。構図、色彩、形態、それら視覚情報は完全なランダムではあり得ないのだ。言語が語学体系を内包しているのと同様に、視覚芸術もまた何らかの体系、構造とも言い得るような組み立ての規則が見いだせるだろう。そして、それらが巧みに組み上げられているほど、その評価もまた高くなる傾向にある。人は意識的理解に最も価値を見出す。意識的理解は言語によってなされる。つまり、それら視覚表現も結局は言語に置き換えられなければならない。それが可能なものが評価の対象になり得る。言葉に翻訳可能だからである。

   しかし、それは大きな皮肉でもある。元来、視覚表現を用いる視覚芸術は、言語で語り得ない、伝え得ない対象を伝えることを担っている。そうであるにも関わらず、言語化されなければ評価されないのだから。
   ただし、そうは言っても、視覚芸術の全てが言語化可能であるはずはない。そもそも、言語は世界の全てを語り得ない事は誰でも経験上知っているだろう。完全ではない言語だからこそ、その曖昧さ、不安定さが文学を支えている。拍と拍の間合い、そう言うものが行間に語間に現れる。それは言語の不安定さの証明でもある。

   人は人である以上、言葉、言語の精度を常に高めていくだろう。それは、私たちの世界認識の精度と連関しているのだから。それでも、どこまで行っても、行間をすり抜けていく感覚は存在し続ける。そこに挟まって見えるもの。それが非言語的認識で、視覚芸術を含む芸術の領域であり続けることもまた変わりがない。
   言語的認識はつまり、科学的視点である。これと非言語的認識とは対の関係性だと言える。対であることで、互いの存在を強調することができている。私たちは、このことを常に明確にしておかなければならない。なぜなら、その認識の不明確さが勘違いを引き起こし、科学のつもりの芸術もどきを作りかねないからである。その反対、つまり、芸術のつもりの科学というのは起こり得ない。なぜなら、それがもし起こったなら、それは科学になっているからである。


   両視点を明確に捉え、言語的認識の精度を上げていくことで、行間に潜む非言語的認識の有り様、その輪郭が、明瞭になるだろう。そして、その積極的行為と体系の総体が美学である。