2009年5月14日木曜日

人形と人間のジレンマ


 現在では最古となる、3万5千年前のマンモス象牙製人形が発見されたそうだ。遠い昔から、私たちは自分たちの形を作ってきた。それは今でもまったく変わりがない。芸術としての人物像から、身近な人形まで。

 さて、人間とその形状をまねた人形。外見は似せる事ができるが、大きな違いがある。人間の体は柔らかいのに対して、人形のそれは硬い、ということだ。彫像や人形の素材となるものは、自然物由来である。恐らく始まりは、木や動物の骨や牙などを削ったのだろう。やがて、石を削るようになったが、これらは、硬い素材を削り出す、という技法で一致している。それとは別に、粘土をこねても作られただろう。しかし、それを焼いて強くするテラコッタ技法が発見される以前のものは普通は崩れてしまい、残らない(洞窟内で保存されていた例はある)。この、粘土で形を作るのは素材が柔らかいという点で、削り出す技法と大きな違いがあると言えるが、保存段階に入るとやはり固くせざるを得ない。

 このような素材の制限から、彫刻を含む人形の性質が形成された。すなわち、固くて動かない、というものだ。私たちと同じ形をしていながら動かないという欲求不満を満たすために、始めに取られるのは姿勢付け(ポージング)である。要するに、あたかも動いているかのような姿勢を取らせるのである。そうすることで、鑑賞者の想像のうちで動かそうとするのである。次に来るのが、関節を実際に作り可動性をもたせるということだ。よく見られるのが、肩と股関節を動くようにするというもの。首も回転するものも多い。そこから発展して、さらに自然な姿勢を取らせられるように改良されて生まれたのが、球体関節だ。関節部分が球体と、それをはめ込むソケット状の組み合わせで、外れないように内側からゴムひもなどで引っぱり止めてある。こうした関節の改良で、動けなかった人形は動く事が出来るようになった。その意味で人間に一つ近づいた。

 しかし、この関節を手に入れた事で、先にあげた人間と人形の間にある違いが、皮肉にも際立つ事になる。すなわち、彼らの体は已然として硬いということだ。球体関節を持ち、姿勢を変える事が出来るその姿は人間ではない、別の生き物を彷彿とさせる。それは、外骨格を持つ生き物。昆虫やカニなどの姿である。彼らは、硬い外皮の内側に柔らかい筋肉を持つ。ちょうど、芯としての骨に筋肉の覆いを持つ私たちと逆である。人間に近づけようと、関節を増やしていけば行くほど、その姿は、ひとがたの昆虫のようになってゆく・・。この大きなジレンマを抱えながら、それでも、そこに満たされない思いを投影させて人形というものの魅力が作り出されている。人形は、求めるものを手にする事が初めから既に断たれているという、業を背負っている存在となった。
 その反面、命を持たぬ彼らは、外的に破壊されない限り、その姿をとどめ続ける事が出来る。私たちは、その外見を老いという形で変化させ、やがては消えてゆく運命である。

 死をはらみつつ、真実の肉体を持つ私たちと、それを手に出来ず、永遠を手にする人形。
このジレンマは、永遠に収束することなく、それゆえに、共に存在し続けるだろう。

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