2009年5月17日日曜日

彫刻における、陰と陽

ブラスとマイナス。物質と反物質。天使と悪魔。男と女。
世界は、対称で成り立っている。つまり、バランスのこと。
バランスが存在するためには、対称が必要だ、とも言い換えられる。
熱力学の第1法則も、ここに当てはめる事が出来る。
坂道を走って上れば、早く着くが疲れる。のんびり上れば時間がかかる。疲れず(エネルギーを消費せず)に早く上ることは出来ない。
エネルギーの総和は常に一定だ。そこに変化が起きるのは、バランスが崩れた時だ。
バランスが崩れ、それが安定を取り戻すまでに、さまざまなドラマが生まれる。
その最たるものが、私たちが取り込まれている宇宙そのものだ。
ビッグバンにより、大きく崩れたバランスが、安定へ向かって揺らいでいる。その一時が今に過ぎぬ。
宇宙という大きなブランコが揺れた時、そこに乗っかっている様々な物も揺さぶられる。そうして、私たちが生まれた。
喜と怒。哀と楽。生という揺らぎが止まるまで、私たちの心も揺れ続ける。

そんな、私たちが生み出す芸術にも、当然、対称があり、そのバランスこそが重要になる。
実空間にたたずむ彫刻には、よりシビアな問題としてそれが立ちはだかっている。
彫刻における対称とは、すなわち、実と虚だ。
私たちが彫刻を見る時、当然目に映るのはその作品そのもの、つまり実体だ。しかし、空間内において実体が存在するには、それを取り囲む虚が同時に存在しなくてはならない。これは、型取りのキャスト(雄型)とモールド(雌型)の対応関係に似ている。私たちが目に出来るのはキャストだが、その時、感覚ではモールドも捉えているはずだ。
彫刻家においても、この、虚の量とでも言うようなものを明確に意識したのはそう多くはなかっただろう。しかし、ヴェルヴェデーレのトルソなどを見れば、ギリシアの時代からそれを感覚的にでも知っていたのは確かだ。
近代において、それを意識的に取り入れたのが、ヘンリー・ムアだった。その意味で、革新だった。彼は、なぜ、そこに気がついたのか。
ムアは、制作のヒントとして様々な自然物を身近に置いていたが、そこには動物の骨の断片も含まれていた。骨は、体の芯だと例えられる。しかし、その形をよく観察すれば、まず骨ありきで私たちの体が出来ているわけではないことに気がつく。むしろ、その形状は「筋肉の隙間に骨が出来た」ようにさえ見えるのだ。その時、骨にとって筋肉はモールドである。
そして、動物が死んで骨だけになったとき、かつてあった筋肉は骨という実体をとりかこむ虚の量となっているのである。
ムアは、骨を眺めていてそのことに気がついたのかもしれぬ。

闇が無ければ光も見えぬように、全てが対称のバランスを持つように、彫刻という立体物にも、実と虚のバランスが存在する。その揺らぎに、私たちは形状の美と心地よさを感じ取る。命さえ、見る。

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